(福島と)栃木へ行った話・1 [■旅行記]
Ⓐ自宅→Ⓑふくしまスカイパーク→Ⓒ郡山市中央図書館→Ⓓ道の駅・那須高原友愛の森(車中泊)
(2011年10月の話です)
1日目
今回はふくしまスカイパークの「ふくスカリンゴ祭り」にお邪魔するために出掛けたのでした。
「リンゴ祭り」については、既に記事をアップしておりますので、興味のある方はご覧くださいませ■
5:10 自宅出発。
途中、某知人宅を探して福島飯坂IC近くをウロウロ。
伝えられていた住所で向かうと、そこには4棟の長屋が。
2軒には表札があり、この2軒ではないことが確定。
残りの2軒のベルを押すと、1軒は不在。
もう1軒で応対に出てこられたのは年配の女性。
「避難のためここに越して来たばかりなので、表札の出ていないお宅の名前は分からない」とのことでした。
リンゴ祭りが終わってからまた来てみよう。
9:50 ふくスカ到着。
てっきりガラガラだと思っていたのに、すごい賑わい。
駐車場に車を止め会場に向かうと、「ふくしま会議2011 運営委員会」のアンケート用紙が渡されました。
【ご質問は福島県の復興ビジョンに関しての質問です】
とあり、
・福島県の復興ビジョンに脱原発依存が書かれたことを知っていましたか。
→はい/いいえ
・今後の再生可能エネルギーの必要について
→原発代替として強く推進/必要に応じて推進/推進の必要なし
・ビジョンでは再生可能エネルギーによる福島復興を書いていますが、その経営母体はどのような仕組みが望ましいと思いますか。
→大資本企業体(現在の電力会社のような)/行政による企業体(公社・行政の外郭団体)/地域住民の小口出資の共同体/その他
となっていました。
アンケートに答えるとクッキーがもらえました。
カンクリさんに教えてもらった通り、最後の室谷さんのフライト終了と同時に速攻で会場を後に。
おかげで渋滞なしにICへ。
再び福島飯坂IC近くに戻って家探し。
表札無しでお留守だった残りの1軒のベルを押すと、年配の女性が出てきました。
知人の名前を伝え、探していることを伝えましたが、「そんな名前は聞いたことがない」とのことでした。
むむむ、手掛かりがなくなってしまった。まあよい。
その後ふくスカから少し離れた某図書館へ。
実は福島県内の飛行場と跡地は、前回の東北旅行の際、「梁川場外離着陸場」にお邪魔して、
オイラが場所を知っている所はこれで全てお邪魔することができたのですが、
福島県には建設候補地も含めて、ネットでどんなに検索しても不明の飛行場跡地が7ヵ所あり、
場所の手掛かりを得るために地元の図書館に向かったのでした。
辿り着いたのは小さくて家庭的な図書館でした。
郷土資料コーナーを探し、司書さんにも確認したのですが、この町の町史の肝心な巻が抜けていることが判明。
オイラが調べたいのは昭和の町史なのですが、丁度その部分がなかったのです。
更に郷土史コーナーに地元飛行場関連の史料は見つかりませんでした。
結局何一つ情報は得られなかったのですが、「地元図書館に資料無し」とハッキリしただけでも意味があります。
市立、県立図書館に行くと、地元にはなかった町史がずらりと揃っていることもままあるので、
それに期待して次に郡山市の中央図書館へ。
ここは以前一度来たことがあるのですが、かなり大きな図書館です。
(もしかしたらここでさっきの町史が見つかるかも)などと期待しながら向かったのですが、
なぜか図書館は真っ暗。
「土曜日の18時なのに???」と不思議に思いながら駐車場に入ってみたのですが、やっぱり閉館しています。
後日ネットで調べたら、
「地震被害のため、当面の間、臨時休館とさせていただきます。(復旧工事後の平成24年3月開館を予定しております) 」
とのことでした。
もう今から福島県内の他の図書館に移動しても調べる時間が取れないので、福島県の図書館調べはこれで終了。
自宅に戻りつつ、明日から2日間栃木県内の飛行場/跡地を見学する予定だったので、国道4号で南下。
福島と栃木の県境近くにある道の駅に向かいました。
福島県内を走ると、店は普通に営業してるし、お客さんで賑わってるし、
夕方の市中心部の国道は渋滞してるし、なんだか拍子抜けするほど何事も無かったかのように見えます。
前回東北を回った時も、意識して地元のラジオを聞くようにしていて、
今回も福島県内ではずっと地元ラジオを聞いてました。
つくづく感じたのは、関東との温度差です。
オイラの自宅から直線距離たった140kmで福島県。
その福島県内では、ラジオで「各地の環境放射線量」というコーナーがあって、
日に数度たくさんの箇所の数値が読み上げられていました。
夕食で郡山市内のガストに立ち寄れば、若いお母さんたちが騒ぐ子供たちそっちのけで
除染について喋りっぱなし。
店内には数組の子供連れがいたのですが、子供たちがやけに騒々しい気がしました。
オイラこういうのは非常に苦手なのですが、ふと、(もしかしてストレスなのかも)と思うともう気にならない。
そういえばふくスカでも子供たちのテンションがやけに高く感じました。
僅かばかりのことですが、こうやって現地の空気に触れ、ラジオを聴くと、
政府や東電の一挙手一投足を見詰め、現状をどうにかしたい、どうにかして欲しいという強い気持ちを
ひしひしと感じます。
オイラのようなよそ者が津波や地震による直接的な被害を受けた現場にわざわざ赴くのでない限り、
それ以外の場所では被災三県でも表面的には一見何事も無いように見えてしまうのですが、
それでも、建物も道路も特に被害を受けていない場所でよくよく見ていると、あちこちに被災の暗い影が。
そういう様子を目の当たりにし、それから改めて政府や東電の対応を見ると、なんとももどかしいギャップを感じます。
一介の小市民のオイラには、東電にどの程度の割合の責任があるのか分かりません。
それでも、東電の被災者に対する賠償のやり方、役員報酬の話など見るにつけ、
地元の方が被曝という現実問題を抱えながら、それでもなんとか前を向こうと日々を送っているのに、
東電は自己保身の方に主な関心がいっているように見え、「…ズレてるなぁ」と思ってしまいます。
20:50 「道の駅・那須高原友愛の森」到着。
非常に広々とした道の駅でした。
施設建物の裏側で自転車を止め、寝袋で寝ている人がいました。
そしてトイレ前で明け方までたむろして騒いでる若者たちも。
本日の走行距離:466km
おやすみなさい。
(続きます)
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