沖縄旅行・5 [■旅行記]
Ⓐとまりん→Ⓑ阿嘉港→Ⓒ慶良間空港→Ⓑ阿嘉港→Ⓐとまりん→ホテル泊
5:00 起床…したのですが、相変わらず頭が痛くて、腰も昨日より痛い気がする_| ̄|○ il||li
本日は10:00 の船で阿嘉島に行き、慶良間空港を見学する予定です。
10時の出港まで那覇市内をあちこち観に行こうかと思っていたのですが、
体調が悪いのでギリギリまで寝ていることにしました。
テレビつけっぱにしていたのですが、天気予報では本日の県南部は風注意報が出ていて、4mのシケだそうです。
海なし県在住のオイラは、普段天気予報で波の高さとか波浪警報なんて出てきても「ふーん」てなもんなんですが、
これからそのシケの中、小さな船に乗るとなると話は別です。
4mって…こわいよ。というか、船は出るのでしょうか??
ホテルの方に確認したところ、阿嘉島行の港(とまりん)までは徒歩15分程だそうで、
車はホテルの駐車場に止めっぱで構わない。とのことだったので、歩いて行くことにしました。
朝食はホテルのバイキング。
ここのホテルは沖縄の家庭料理をウリにしているとのことだったのですが、
確かに各ちゃんぷるー、ポークなどあって非常に懐かしかったです。
9時過ぎ、ホテルを出ました。
小雨交じりで寒いです。傘をさすほどでもなかったので、そのまま歩いて港へ。
途中でこんなもの発見。
「鉄の暴風」と形容された沖縄戦では、20万トンの爆弾が使用され、
そのうちの5%に当たる1万トンが不発弾になったと推計されているのだそうです。
戦後しばらくは不発弾が地表にゴロゴロしている状態で、
昭和47年の本土復帰までに住民、米軍等により5,500トンが処理されました。
その後自衛隊による処理が続けられており、現在でも毎年20~30トン程度が処理されています。
500トンは永久不明弾になるとしても、現在でも25%に当たる2,500トン程度が残存していると考えられており、
このペースでいくとあと80年位かかるのだとか。
不発弾を発見した場合、地上ならすぐに最寄りの警察に、海中ならすぐに最寄りの海上保安部に連絡。
年月を経てもその殺傷力は変わらず、処理には非常に危険が伴うため、
爆弾の規模によって半径数百メートル~1キロが避難対象となります。
でもそこはてーげーな沖縄。
海底で発見した不発弾をご丁寧に県庁10階に運び、「見つけました~d( ̄∇ ̄*)」とやってしまったため、
急遽その部屋に土嚢を積んで封鎖。なんてこともあったのだそうです。
これ、まかり間違ってれば今頃県庁は。。。
戦時中は全国に爆弾が投下されましたから、不発弾の処理は沖縄に限ったことではないのですが、
全体の約4割が沖縄なのだそうです。
泊港旅客ターミナル「とまりん」。
離島航路が集中しています。
目当ての窓口に行くと、「2便欠航」の張り紙が。きたー。
事前に予約してあったのですが、戻って来れないと困るのでキャンセルにしようかとも思ったのですが、
「1便はちゃんと出ますよ」とのことだったので、ともかく行ってみることに。
10:00 出港。
昨日まで乗った船は建設関係の人が多かったのですが、この船は普段着の人が多くて、
皆さん顔見知りらしく、そこここで挨拶とおしゃべりが飛び交ってました。
ぼっちなオイラ。
11:30 阿嘉港着。出港してすぐ揺れたのですが、その後は心配したほど揺れませんでした。
雨が降ってます。船着き場から近くの公園の屋根の下に入り、とりあえずカメラをレジ袋の中に。
港から空港までは約3キロ位のはずなので、レンタサイクルでも借りるつもりだったのですが、
結構な降りだったので、これはもうレンタカーを使おうと思いました。
ちょうど地元の方が来られたので聞いてみたのですが、「この島にはレンタカーはない」とのことでしたΣ(゚Д゚;)ガーン
レンタバイクはあるのでターミナル内で聞いてみるといいかも。あ、でも今は接岸作業中だからだれもいないかも。
とのことで、ターミナル内に入ってみました。
おばさんの予言通りターミナルは無人でした。壁にレンタバイクの貼り紙があったので電話してみたのですが出ません。
事前に自宅で調べておいたレンタサイクル屋さんに行ってみることに。
程なく到着したのですが、こちらも無人です。雨は降ってるし寒いし、頭痛はするし、腰痛だし。。。(;´Д⊂)
もう帰ろうかと思ったのですが、船が戻ってくるまであと3時間この島からは出られません。
並んでいるバイクに貼ってある番号に電話してみると、これから行く。とのことで待つことに。
手続きを済ませ、雨の中空港に向かいました。
原チャリに乗るのは久しぶりです。
雨降ってるし、コーナーがコワイ~><
法定速度付近でヨタヨタと空港へ。
この空港は現在定期便はないので、てっきり建物内には入れないのだと思っていたのですが、
試しにドアを押してみると、すいっと開きました。
一応声を掛けてみたのですが、人の気配がしません。
ひととおり空港の写真を撮り終えた頃、雨は止み、弱く日差しも出てきたので、後ろの展望台に上ってみました。
展望台で昨日買った大福もちの昼食。
海に突き出した滑走路が見え、とても気持ちのいい場所でした。
出港前までここでぼーっとしていようかとも思ったのですが、どす黒い雲が広がって来たので戻ることに。
バイクを返し、港に戻り、周辺をうろつきました。
昨日お邪魔した糸満の平和の礎の灯の採火記念碑がありました。
(碑文全文) 平成三年六月二十日 沖縄県戦没者慰霊追悼式を挙行するにあたり この地において平和の火を採火した この地は 第二次世界大戦における米軍上陸第一歩の地で 昭和二十年三月二十六日午前八時四分 すさまじい砲撃とともに米軍が上陸し二十万余の尊い人命を奪った悲惨な沖縄戦が開始された場所である ここに戦没者のご冥福と世界の恒久平和を祈念し この碑を建立する 平成十年三月二十六日 座間味村長
米軍上陸の第一歩はここから始まったのですね~。
港周辺の様子。ここにもエネオスが。
ターミナルと港はこんな感じ。
このフェリーは座間味島が始発で、我々が乗り込んだ時点で客室内はほぼ満席でした。
それで後部甲板に並んでいるベンチに陣取ることに。
ここはビニールシートが張られて、風雨をある程度しのげる感じです。
オイラ以外にも10人程度がバラバラと座っていたのですが、そのうち左舷側から雨が入ってくるようになり、
みんな右舷側に移動しました。
出港してしばらくはそれほど揺れなかったのですが、那覇に近づくにつれて揺れが大きくなってきました。
一度だけですが、波がバサーと後部甲板に入ってきました。ひー(XДX)
16:15 予定より15分位遅れてとまりん入港。やれやれです。
雨がますます強くなってきたのでターミナル内で傘を購入し、ホテルへ。
まだ早い時間なのでどこかに寄ることもできたのですが、体調が悪いのでコンビニで夕食を買ってホテルに戻りました。
すぐお風呂沸かしてダラダラと過ごし、寝たのでした。
おやすみなさい。
(続きます)
旅先の体調不良は心細いですよね。
近くだったらまた行けばいいですけど・・・
by miffy (2012-06-27 21:15)
体調の悪い中・・・精力的に取材活動を続けるその御姿に敬意を表します(__)
しかも、大揺れの船・・・船に弱いわたくしなら、十中八九げーですよっ!
考えただけでも、げー(xox;)
by me-co (2012-06-27 21:37)
体調も天気も悪い中での取材。お疲れさまでした。
写真からもドンヨリとした天気が伝わってきますよ。
by Takashi (2012-06-27 21:49)
心なしか画像にも元気が感じられません(^^);
by an-kazu (2012-06-27 23:56)
体調が悪くても、とりさんをそこまで駆り立てるのは何なのでしょうか?(笑)
これからは余り無理せずに任務”を遂行して下さいね~。
約30年前、泊港から久米島まで行った事がありまして・・
初めての沖縄で浮かれていた矢先、泊港で父の知人にバッタリ!?
「本日お会いした事はお父上に報告しておきますね。(ニヤッ)」
いやぁ~、同行者が女性でマジ良かったぁ~~!と思いました。(爆)
by カンクリ (2012-06-28 17:28)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m
■miffyさん
そうですね~。
miffyさんほどのスケールではないですけど。。。
■me-coさん
いえいえ、単なる道楽ですから~^^;
オイラも寄る年波のせいなのか、徐々に船に弱くなってるみたいです。
以前はなんともなかったのに。。。_| ̄|○ il||li
■Takashiさん
ホント、気分的にドンヨリでした。
■an-kazuさん
Σ(゚Д゚;)はっ! 画面にもでちゃってますか!
■カンクリさん
近場なら即引き上げるところなんですけど、やっぱり「せっかくここまで来たからには」
ってことでしょうかね~。
>同行者が女性
アハハ、アブナイところでしたね!^^
by とり (2012-06-29 06:37)
20万トンの爆弾に1万トンの不発弾。アメリカとの資源力の差を最後まで認識しようとしなかった軍の上層部の責任だと思います。
鹿児島も不発弾は見つかりますが、いつも地面の中です。たまに海の中(^^ゞどうして地中に埋まってるのか不思議なんですが?しかも1~2mは確実に埋まってるんですけど、上空から落とされて、そんなに埋まっちゃうもんなんですかね?(^^ゞ
by 鹿児島のこういち (2012-06-29 07:46)
旅先は思惑通りに行かないことも多いですね。
不発弾は爆発したという話はないのですよね。戦後すぐは事故もあったのかな。
太平洋地域の不発弾での漁はもう無いのでしょうね。死んだ人もいると聞くが。
、また対人地雷(バタフライ型とかも含めて)で手足を跳ばす人はいっぱいか。
by 春分 (2012-06-30 19:34)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m
■鹿児島のこういちさん
言われてみれば、不発弾てどうして埋まってるんでしょうね???
県内で発生した暴発事故例では、「ここは岩盤も硬いし、以前の磁気探査で反応なかったから大丈夫だろー」
と思ってたら。。。というのがありました。
畑みたいな柔らかい所に落ちると、ズボッと埋まっちゃうんでしょうか??
■春分さん
思惑通りにいかないですね~。
後からいい思い出になるんですが。。。
沖縄では2009年から公共事業の際の磁気探査が義務付けられており
県内の不発弾暴発事故は、2009年に糸満市であったのが4例目だと思います。
ちょっと話はズレますが、オイラの父は子供時代に与那国で爆弾漁していたそうです。
不発弾、地雷による事故は世界中にある問題ですね。
例え戦争が終結しても、いつまでも影を落とし続けるんですね。。。
by とり (2012-07-01 08:34)