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飛行場の場所を教えてくださいm(_ _)m [├雑談]

下記の飛行場の場所をご存じの方、情報をお待ちしておりますm(_ _)m

その他の情報(正式名称、別称、設置者、種別、滑走路の長さ、磁方位、開設/閉鎖日等の沿革など)

やソース等もありましたら教えて頂けると嬉しいです。

下記にある以外でも、「こんな飛行場があった」という情報をお持ちの方いらっしゃいましたら、

是非教えてくださいm(_ _)m

 

北海道
道央
・岩内郡共和町に戦時中あった飛行場(名称不明)
 →42N-139E 他にも複数の地点からの距離と方向データあり(再生おじさん情報2013-11-09 19:49)
 →米軍史料の元情報は戦前の情報を基にしていますね。戦前に岩内に飛行機が着陸した何らかの記述を基にしている可能性が高いです。例えば、当時の新聞やら現地に関連する捕虜の証言等ですね。(PUTINさん情報2013-11-11 01:32) 

道南
・二海郡‎八雲町‎に終戦間際に作られた旧陸軍秘匿飛行場(名称不明・現在の八雲飛行場とは別のもの)

青森県
・上北郡‎おいらせ町‎にあった‎木ノ下飛行場(民間、冬季臨時雪上飛行場・地元図書館で資料探せず)
 →再生おじさんさんから情報いただきました(2013-11-13 22:48)
・古間木陸軍飛行場(三沢市)「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」に出てくる
  古間木は三沢海軍飛行場のすぐ南西にあるが、こちらは陸軍飛行場
・第二三沢海軍航空基地「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」に出てくる

秋田県
・秋田飛行學校→アギラさんから情報頂きました(2014-08-19 00:27)。秋田縣河邊郡新屋町 住所的には旧秋田空港の辺りなのですが…

岩手県 
・熊野原練兵場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、岩手縣立一關中學校が熊野原練兵場を滑空場として使用していたと記述あり

宮城県
・気仙沼水上基地
→日本海軍航空史、米軍の攻撃目標に情報あり。日本海軍航空史地図の位置からすると、USA M638 131 の湾内にある桟橋付近が怪しい。地元図書館に問い合わせたが分からず

山形県
・旧陸軍飛行場(名称不明、前森牧場・地元図書館で資料探せず)
・酒田航空研究會「山形縣西田川郡袖浦村大字宮浦」
 →アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)
 「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、酒田航空研究會・酒田市役所學務課・
 「山形縣西田川郡袖浦村大 字宮浦」という記録あり。住所的には(USA-M541-29)の周辺の気がするのですが。。。
・宮ノ浦滑空場
 →アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)
 「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、酒田商業學校滑空部・酒田商業學校・
 「酒田市外宮ノ浦滑空場」という記録あり。1つ上の滑空場と関係あるのかも。
・竹形飛行場
 →升形と共に神町飛行場の補助飛行場として新庄市郊外に建設。800mx60m 7月既成
 →再生おじさんから情報頂きました(2016-01-27 21:50)伊久留区誌P353では神町のNW40km
 (元資料は航本機密5319号)
 →「航空特攻戦備」第2期(21コマ)■ 
 http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/Viewer
 方面 舞鶴 牧場 竹形 滑走路 六〇×八〇〇 縣郡村 山形、最上 八向村 記事 七月末
 (八向村は升形駅周辺に位置していたので、竹形=升形かも)
・米沢海軍航空隊 西村山郡 退避、特攻基地 800x80 1945年「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」に出てくる

福島県

栃木県
・河内郡本鄕村(現・上三川町)の鬼怒川河原
 →アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)
 「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、石橋中學校グライダー部が河内郡本鄕村(鬼怒川河原)
 で滑空訓練を行っていたと記述あり
・黒羽陸軍飛行場 「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」に出てくる。
 「黒羽」という地名からすると、最寄りの飛行場は金丸原

茨城県
・旧海軍葛城秘匿飛行場(つくば市苅間)
 →800mx60m 既成 という情報あり
 防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」の中で、
 当飛行場について一部次のように記載がありました。基地名:葛城 建設年:1945 位置:藤沼駅NW8 飛行場長x幅   
 米:800x60 主要機隊数:小型 主任務:退避場
 PUTIN様からコメント (2019-03-20 00:21) 滑走路 六〇米×六〇〇米 六〇%ニシテ七月十五日概成見込
 (ロ)分散秘匿 中練二五機分 概成ス
 →「航空特攻戦備」第2期(21コマ)■ 
 http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/Viewer
 方面 横須賀 牧場 葛城 縣郡村 茨城、筑波郡 葛城村 滑走路 六〇×八〇〇 記事 既成(PUTIN様から)
・結城秘匿飛行場(多分茨城県結城市)
 →「帥作命丙第119号別紙」(1945年7月22日付)記載の陸軍飛行場一覧 東部軍管区に記載 (のぶさん情報2013-12-14 21:15)
・湊町海岸滑空場
龍ヶ崎市史近現代編の中で、「湊町海岸滑空場(現 ひたちなか市‎湊本町‎?)で昭和18年9月19日滑空大会が開かれた」という記述あり
 →再生おじさんさんから情報頂きました(2014-05-25 23:24)m(_ _)m
那珂湊漁港の、魚市場と駐車場(細長い約500mの直線)か、地方卸売市場の辺りかも。
・岡部秘匿飛行場
 →800mx60m 8月末既成。稲敷郡岡田村 という情報あり  
 防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」の中で、
 当飛行場について一部次のように記載がありました。基地名:岡部 位置:荒川沖駅SE7 建設年:1945 飛行場長x幅
 米:800x60 主要機隊数:小型 主任務:退避場 掩体: 其ノ他記事:工事中
 →「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」に以下の情報あり。岡部海軍飛行場 ①稲敷郡朝日村 ②稲敷郡阿見町 
 800x60 1400x100 
 →「航空特攻戦備」第2期(21コマ)■ 
 http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/Viewer
 方面 横須賀 牧場 岡部 滑走路 六〇×八〇〇 縣郡村 茨城、稲敷郡 岡田村 記事 八月末既成(PUTIN様から)
・旧海軍神立飛行場
 →海軍秘匿飛行場。800×400芝張 神立駅西南西の直線道路。600mx30m 茨城県新治郡石田村。
 既存土浦空滑走路という情報あり
 →佐藤正孝さんから情報頂きました。陸軍の西筑波飛行場とは別の飛行場であること。
 朝鮮人強制労働現場一覧のNo.759に神立平飛行場についての記述があること。
 M177-A-7-119  R388-121からすると、神立駅西南西の直線道路の北側部分ではないかとのことですm(_ _)m
 防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
 の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。位置:新治郡上大津村 
 最寄駅ヨリノ方位 距離粁:神立駅E4 地名と駅からの方向が自己矛盾になっているような。。。
 →「航空特攻戦備」第2期(22コマ)■ 
 http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/Viewer
 方面 横須賀 牧場 神立 滑走路 五〇×六〇〇 縣郡村 茨城、新治 石田村 記事 既成 □空滑走路
・水海道海軍飛行場 「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」に名前だけ出ている

千葉県
・千葉飛行場 アギラさん情報(2014-08-19 00:27) 「千葉県の歴史通史編近現代2」P994「県下の飛行場としては…」として「千葉」が挙げられている
・第二香取飛行場  アギラさん情報(2014-08-19 00:27) 「千葉県の歴史通史編近現代2」P994「県下の飛行場としては…」として「第二香取」が挙げられている。距離的に既存飛行場で怪しいのは横芝ですが…
・粉名口滑空場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、佐原中學校滑空部・縣立佐原中學校・「香取郡佐原町粉名口滑空場」という記録あり
・津田沼滑空場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、巢鴨學園校友會航空部・巢鴨學園内・「千葉縣津田沼滑空場」という記録あり。伊藤飛行機の津田沼飛行場のことかも。
・横田海軍航空基地
「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」より。1945年2月15日「千葉県横田」に海軍第3017設営隊が編成され、同年航空基地設営、8月22日解散という記録が残っている。千葉県に横田は2つあり、袖ケ浦町横田の水田は滑走路っぽい地割だが、地元古老によると、ここは明治時代から続いた水田とのこと。もう一つの横田は八街陸軍飛行場すぐ東にあり、飛行場っぽい地割はあることはある(USA R535 93)。 

神奈川県
・旧海軍厚木第三飛行場(秘匿飛行場、未完成)
・日本國際航空工業の飛行場(平塚・NO NAMEさんからの情報)
・酒匂滑空場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、神奈川縣立小田原中學校、神奈川縣学務部学務課が当滑空場を使用したという記録あり。
ネットでは「小田原酒匂川滑空場」という名称も出てきますが、場所特定出来ず
・箱根仙石原滑空場
1931年、1942年に使用していたという記録あり
・横濱滑空場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、神奈川縣聯合學校報國團滑空部・神奈川縣学務部学務課・「横濱市中區北方横濱滑空場」という記録あり
・逗子海岸滑空場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、逗子開成中學校報國團が同滑空場を使用したと記録されています
・大船海軍飛行場
 「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」に、「鎌倉市大船 九三中練7機」との情報あり
・昭和海軍飛行場
 「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」に、「川崎市川崎区昭和 紫電1 九九艦爆3
  零式輸7 計11」との情報あり

新潟県
・國府川尻滑空場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、佐渡中學校グライダー部・新潟県佐渡郡二宮村縣立佐渡中學校・「國府川尻滑空場」という記録あり
・大日原演習場の滑空訓練場
 「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」の中で、「新発田連隊の演習場が笹原村と堀越村にまたがる大平(通称大日原)
 にあり、その西端のグライダーの滑空訓練場」と記されている。
 大日原について、日本大百科全書には、「新潟県中北部、阿賀野市(あがのし)にある草原。
 第二次世界大戦以前は旧新発田(しばた)一六連隊の演習場であったが、現在は自衛隊の演習場になっている。」
 と記されている。

長野県
・長野北飛行場
 →「帥作命丙第119号別紙」(1945年7月22日付)記載の陸軍飛行場一覧
東部軍管区に記載 (のぶさん情報2013-12-14 21:15)

静岡県
・五味島飛行場(静岡市・富士市史に記述無し)
・大須賀場外離着陸場(掛川市)
・富士裾野飛行場→アギラさんから情報頂きました(2014-08-19 00:27)。馬詰飛行研究所(研究所:靜岡縣駿東郡原里村富士裾野飛行場 事務所:東京市外代々木一一八六) 当時すぐ近くに板妻飛行場があったのですが、これのこと??
・與市右衛門新田滑空場?
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、静岡工業學校々友會々友會滑空部・静岡市太田町縣立静岡工業學校・「同市與市右衛門新田滑空場」という記録が残っています。
現在の住所は静岡市葵区与一と思うのですが。。。
・浜名湖水上基地
→日本海軍航空史に記載あり。昭和10年代には非公共の「舘山寺水上飛行場」があった

岐阜県
・大垣秘匿飛行場 
 →「帥作命丙第119号別紙」(1945年7月22日付)記載の陸軍飛行場一覧 東海軍管区に記載(のぶさん情報2013-12-14 21:15)
レファレンス協同データベースより:
『本土航空作戦記録』第一復員局発行(国立国会図書館デジタルコレクションで公開、65コマ目)により、岐阜県内の飛行場の場所は関と大垣だったことがわかる。
『大垣市史 通史編近現代』(大垣市,2013年刊)p.450
 東海航空株式会社大垣工場に関する記述の中に、「荒尾林に飛行場を作り、飛行機を組み立てて一貫生産する計画があったが、同年(※図書館注:昭和20年)7月の空襲により工場が焼失した」とある。
『水の都に火の雨が降る 大垣空襲五十年』(柳瀬博著・刊 1995年刊)p.35
 「(12)東海航空機工業(株)大垣工場 荒尾町」の項目に、「本土決戦が叫ばれるようになって荒尾林に飛行場を作り、飛行機を組み立て特攻機を発進させる計画をしていた。」とある。
『ふる里宇瑠生熱く燃えた 昭和二十年の記録 大垣空襲六十周年』(柳瀬博著・刊 2006年刊)p.80
 「八、愛知航空機の疎開」の項目に、「終戦直前には荒尾林の中に飛行場を作り、飛行機を組み立てて飛ばす計画をしていた。」とある。

・養老飛行場(マー坊さん情報2013-11-27 09:22)
・糸貫川滑空場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、本巢中學校々友會滑空部が使用したと記録あり

愛知県
・西築港飛行場(名古屋市港区・大正時代の飛行場)
→サイト「滑走路探検」様情報。サイト様情報:「現住所は名古屋市港区稲永。大正7年中央飛行機研究所開設。大正8年同研究所の破産とともに消えた。」現住所の名古屋市港区稲永は荒子川の西側一帯で、飛行場名から【港区西築港】で検索すると、荒子川の東側の3号地(港区築三町2丁目の西築港変電所)を指す。飛行場名と現住所が矛盾しているように見え、荒子川の西なのか東なのか判断つかず
・蒲郡水上飛行場(安藤飛行機研究所が昭和4年6月から新舞子線運航)
・高浜水上飛行場  アギラさんから情報頂きました(2014-08-19 23:56)。昭和11年~17年、猿田氏が飛行場長に

石川県
・高松飛行場(かほく市・完成した日に終戦、広報、町史に記述無し)

三重県
・二見水上飛行場(安藤飛行機研究所が昭和4年6月から新舞子線運航)
・第一訓練所
→「伊賀の軍事史施設と戦災」16pに「大日本飛行協会設置の地方滑空訓練所」「場所 津市東亜紡織津工場広場」と記載あり
・第二滑空訓練所
→「伊賀の軍事史施設と戦災」16pに「大日本飛行協会設置の地方滑空訓練所」「場所 四日市市郊外鈴鹿川敷 面積 95,750坪 規模 延長千米・幅員150米 格納庫5機収納1棟」と記載あり
・第三滑空訓練所
→「伊賀の軍事史施設と戦災」16pに「大日本飛行協会設置の地方滑空訓練所」「場所 宇治山田市外宮川堤広場 規模 格納庫4機収納1棟」と記載あり
・第四滑空訓練所
→「伊賀の軍事史施設と戦災」16pに「大日本飛行協会設置の地方滑空訓練所」「場所 上野市東野畑台地 面積 3万坪 規模 延長7百米 幅員2百10米 第二次工事 面積 現敷地の西方1万3千坪の拡張 規模 訓練生合宿道場 60数坪」と記載あり

滋賀県

京都府
・上京区上加茂
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、立命館中學校商業學校滑空科・京都市上京區室町頭小山上總町立命館中學校商業學校・「上京区上加茂」という記録あり。「飛行場」、「滑空場」で検索するもヒットせず
・木津川滑空場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、京一工グライダー研究部・京都市下京區唐橋大宮尻町京立第一工業學校・「木津川滑空場」という記録あり

和歌山県
・串本飛行場(民間) 旧海軍の水上機基地ではなく、戦後日東航空が水上機運用で使用した飛行場
 →あさんから情報頂きました(2014-04-07 20:50)
・新宮の水上機飛行場 アギラさんから情報頂きました(2014-08-23 09:07)。安藤飛行研究所による郵便飛行便申請、紀州航空路(水上飛行機)の構想、熱田・新宮間定期空路計画等、様々な動きがあったようです

大阪府
・淀川滑空場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、府立今宮職工學校、西野田職工學校、大阪貿易學校滑空部、大阪市立工藝學校校友會滑空部、大阪商業學校校友會滑空部、大阪城東商業學校グライダー部、關西工業學校滑空部、此花商業學校々友會滑空部、大阪市立都島工業學校機械科、住吉中學校滑空部が淀川滑空場を使用したと記述あり
・長柄滑空場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、北陽商業學校グライダー部が東淀川區長柄滑空場を使用したと記述あり。一応淀川に長柄橋はあるのですが。。。 

兵庫県
・加古川北飛行場
 →PUTINさんからコメント頂きました(2013-10-31 15:03)
・慶野水上偵察機基地
 →あさんから情報頂きました(2013-10-29 20:07)
  兵庫県南あわじ市松帆慶野に「慶野松原海水浴場」あり
・繁昌飛行場(青野ヶ原演習場内にあった陸軍の秘匿飛行場らしい)
 →34-54N 134-54E  5100x230NE/SW (PUTIN情報2013-11-03 15:50)
・武庫川滑空場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37) 「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、甲南高等學校グライダー倶樂部が使用していたという記録あり

・米田滑空場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、兵庫縣米田町青年學校滑走部が加古川下流米田滑空場使用という記録あり
・明石グライダー滑空場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、兵庫縣立工業學校々友會滑空部、第三神戸中學校々友會滑空部、明石中學校滑空部が明石滑空場を使用したと記録あり。
別サイトにて、当滑空場について、 昭和12年? 4/10 午前9時、明石郡藤江の七萬坪の現地に厳かな起工式が行われた。
4/10~6月末まで毎日 午前九時から午後四時まで、中学生約200名ずつが交代で建設 と記されていました
→当記事No,76 第一神港商業學校グライダー部・神戸市兵庫區會下山町三丁目・「明石郡林崎村藤江滑空場」とあり、ここに出てくる藤江滑空場と同一かも。
・千種川尻滑空場 (川尻滑空場?)滑空場 
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、赤穂中學健兒團滑空部使用していたという記録あり
・宝塚滑空場
「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)の中で、「宝塚線宝塚駅付近 1944 滑空場 滑空機用(格納庫) 劇場4,000名 予科練修正教育 宝塚劇場施設」と記載あり 

岡山県
・行幸飛行場
 →当時の和気郡、現在の瀬戸内市長船町に陸軍が造った秘匿飛行場(のぶさん情報2013-12-10 14:26)
 →あさんから情報頂きました(2014-04-07 20:50)「行幸は岡山県和気町西南方約十二粁」なので、やっぱり長舩の辺り
  (和気町は2006年佐伯町と対等合併して役場があちこちにあるので注意)
・岡山滑空場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、岡山工業學校學友會グライダー部・岡山市南方岡山縣立岡山工業學校學友會・「岡山市福濱岡山滑空場」という記録あり
岡山の滑空場で検索すると、旧邑久滑空場がヒットするが、ここは1970年代以降のものなので時代も場所も違う。 岡山市福濱の1947年の写真を見ると、それっぽい更地はあるのですが。。。
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=451778&isDetail=true
・津山八出磧滑空場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、津山中學校滑空部が使用したと記録あり。吉井川にあり、昭和13年設立の津山グライダー倶楽部が使用していたらしい。 津山駅の近く?

島根県
・別府湾基地:第801海軍航空隊所属の飛行艇の避退用基地として隠岐諸島に設営された基地。名称から現隠岐郡西ノ島町の別府港周辺に設営されたと思われます→ PUTINさんより (2016-08-21 17:59) 
・「鹿島航空隊芦沢派遣隊」という部隊の引渡目録が出てきました。どうも現在の松江市東出雲町(旧八束郡意東村)に鹿島海軍航空隊の派遣隊がいたようですが、それ以上のことは分かりませんでした。おそらくここも水上機基地と思われますので、ご連絡させて頂きます→PUTINさんより(2016-08-21 18:24) 

山口県
・埴生秘匿飛行場
 →「帥作命丙第119号別紙」(1945年7月22日付)記載の陸軍飛行場一覧中国軍管区に記載
 (のぶさん情報2013-12-14 21:15)
 →しげさんから情報頂きました。飛行場の名残についての言伝あり (2014-06-03 15:04)
・滑空訓練場
 →山陽町史の中に、終戦時そのまま放棄された滑空訓練場のことが出てきます。再生おじさん情報(2014-07-14 21:29)
 →大日本飛行協会山口第一、第二、第三滑空訓練場があることが判りました。第三は現在の西善寺住宅団地。
 再生おじさん情報(2014-07-17 23:22)
・第二岩国秘匿飛行場
 →玖珂郡麻里布村 520mx50m
 →「航空特攻戦備」第2期(22コマ)■ 
 http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/Viewer
 方面 呉 牧場 第二岩國 滑走路 五〇×五二〇 縣郡村 山口、玖珂 麻里布村 記事 北方□場に接□す
・屋代島:第2河和空の水上戦闘機隊が米軍の九州上陸時に河和から九州へ進出する際の中継基地として設営
 →PUTINさんより(2016-08-21 17:59)

香川県
・高松水上機飛行場(1922年から日本航空輸送研究所が大阪堺との間で運行した民間の飛行場) 

徳島県
・冲ノ洲飛行場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、德島縣師範學校滑空隊・德島市常三島町德島縣師範學校・「德島市冲ノ洲飛行場」と記録あり。

高知県
・中島飛行場(戦前土佐市中島にあった私設飛行場)
・本山町の飛行場(長岡郡本山町にあった大日本飛行協会の飛行場)
・黒潮町の飛行場跡地(幡多郡黒潮町 ‎大日本飛行協会の飛行場? )

愛媛県

福岡県
・多々良陸軍飛行場(福岡市東区)
 →あさんから情報頂きました(2013-10-29 20:07)
・多々良海軍飛行場(旧海軍秘匿飛行場・福岡市東区)
 →1,000mx28m 春日村 博多の南南西8km 既成との情報あり
 →PUTIN様より情報 (2019-03-20 00:21)
  概位:現九州飛行機会社南側道路ヲ利用
  工事概要:在来道路(巾員二八米)ヲ更ニ一〇米拡張シ之ニ伴ナフ電源ノ移設、飛行機隠匿場、組立場新設
  九州飛行機の工場は、板付、香椎、雑餉隈、筑紫郡原田にあった (渡辺 洋二『異端の空 太平洋戦争日本軍用機秘録』)  これら工場の中で、多々良に最も、そして非常に近いのが香椎なので、ここの工場が怪しい
・甘木秘匿飛行場
 →「帥作命丙第119号別紙」(1945年7月22日付)記載の陸軍飛行場一覧西部軍管区に記載 (のぶさん情報2013-12-14 21:15)
→アギラさん情報(2014-08-09 21:45)も合わせると、大刀洗東飛行場のこと?
・福岡市外香椎滑空練兵場
→アギラさんから情報頂きました(2014-08-15 07:37)「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、九州帝國大學航空會が福岡市外香椎滑空練兵場を使用したという記録あり。
→滑翔の灯 昭和15年の記録の中で、「福岡市外の香椎滑空場でプライマリー公式テストを行った」という記述あり。同一か。 http://www.vsha.jp/page17.php
アギラさんから情報いただきました(2014-08-15 07:37)101.福岡中學校學友會グライダー部・福岡市潟洲町福岡中學校・「校庭」「福岡市外香椎潟滑空場」 これは上記二つ(福岡市外香椎滑空練兵場、香椎滑空場)と同一かも
・深江基地:第2河和空の零式観測機で編成された特攻隊が1945年7月に進出。当該書籍に場所は唐津湾と記載されており、おそらくは現在の福岡県糸島市の筑前深江駅周辺の海岸に設営された水上機基地と思われます。→PUTINさんより(2016-08-21 17:59)
・小富士水上機基地
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。基地名:小富士水上機基地 位置:前原駅W2  建設ノ年:1944 飛行場 長x幅 米:計画ノミ 主要機隊数:予科練習生 主任務:教育 隧道竝ニ地下施設:工事中 掩体:工事中
→位置情報からすると、小富士海軍航空基地(陸上基地)のすぐ西側にあったらしい。橋の辺りに水上基地があったとするサイト情報あり。 

佐賀県

長崎県
・川棚飛行場(旧海軍飛行場・東彼杵郡‎川棚町、川棚工廠敷地内)
 →米軍の爆撃レポート?ターゲット写真?に川棚ファクトリーの写真があり、これの白く写っている道路が怪しい (再生おじさん情報2013-11-05 21:36)
・厳原飛行場
再生おじさんから情報頂きました(2014-07-31 20:45)
対馬にあったオートジャイロ基地。50m程の高台にあり、周りは山に囲まれている飛行場
・島原海軍航空基地
 「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」223pに記述あり。島原市 水偵 74x30 木 1945年
 収容施設 下士官200 兵員900 工事中終戦 

大分県
・簑原秘匿飛行場(「熊本の戦争遺跡 戦後65年」九州各県旧軍飛行場一覧より)
 →再生おじさんからコメント頂きました(2014-07-10 01:00)宮崎県都城市蓑原町(=都城西飛行場)のことかも。
 →地元広報誌に載りました。千町無田不時着陸場のことでした。 2017/7/29
・鹿道原秘匿飛行場(「熊本の戦争遺跡 戦後65年」九州各県旧軍飛行場一覧より)
 →住所的に豊後北飛行場っぽい
・豊後第一秘匿飛行場
 →「帥作命丙第119号別紙」(1945年7月22日付)記載の陸軍飛行場一覧
西部軍管区に記載 (のぶさん情報2013-12-14 21:15)
豊後北or南飛行場のどちらかと思われる。
・豊後第二秘匿飛行場
 →「帥作命丙第119号別紙」(1945年7月22日付)記載の陸軍飛行場一覧
西部軍管区に記載 (のぶさん情報2013-12-14 21:15)
豊後北or南飛行場のどちらかと思われる。

熊本県
・大津(古閑原)秘匿飛行場 
 →「熊本の戦争遺跡 戦後65年」の中で、「本県‎菊池郡‎大津町‎室‎ 国道325号の東、県道30号に平行」東西800m」と説明。   USA-R153-135周辺だが地割発見できず
・熊本北秘匿飛行場
 →「熊本の戦争遺跡 戦後65年」の中で、「現熊本空港滑走路東端から東西方向に700m」とあり、
   USA-M259-132周辺だが地割発見できず
 →健軍飛行場の右45°上に長方形の転圧痕らしき物が写っているので、これのことでは?(再生おじさん情報2013-11-12 22:36)  再生おじさんさんから情報いただきました(2013-11-12 22:36)

・愛国熊本飛行場
県営の公共用飛行場として昭和15年5月 菊池郡合志村に設置。NNW-SSE680x160m、EEN-WWS600x160m
として官報に出てくる。住所的に黒石原飛行場の辺りで、当初は黒石原飛行場のことかとも思ったが、微妙に違う 

鹿児島県
・小原(TAKAYAMA)秘匿飛行場
米軍史料より:
位置、Koyama(Takayama)の北北西1.75マイル、鹿屋の東南東5マイル、鹿児島湾の東8.5マイル
座標:N31-22、E130-56
発見時期:1945年1月
 →(PUTINさんから情報2013-10-14 03:32)

・永尾航空基地
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:永尾 建設ノ年:1945 飛行場 長x幅 米:1,200x60m NE 位置:肝属郡串良町 古江線串良駅E7(廃線。現志布志国家石油備蓄基地の辺り) 主要機隊数:小型機 主任務:発進 隧道竝ニ地下施設:工事中 掩体:工事中 其ノ他記事:記載なし   USA M11 74(1947年)で見ると、それっぽい地割が複数ある
「航空特攻戦備」第2期 22ページ目
http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/DetailMok?id=0050050941
永尾(岩川街道) 六〇x一,二〇〇 NE 鹿児島県肝属 笠野原村 既成(PUTIN様より)
・徳之島第二(瀬龍)飛行場
防衛研究所収蔵「南西諸島航空基地一覧図 昭和19・11 第三航空艦隊司令部」の中で、徳之島南東箇所に記入あり。
サイト「陸軍航空隊 徳之島基地」徳之島基地の概要内に出てくる。「徳之島基地建設中、南方にもう一箇所飛行場を造ろうとしていたが、戦局悪化のため、徳之島基地拡充の作業を優先させることにし、着工はされたものの途中で中断された。」
徳之島町誌1970/3、伊仙町誌1978/12 「1944年2月天城村瀬龍にて建設開始。1945年8月、作戦上の都合で中止。掩体壕等設置の為部隊を浅間に移動」
国土地理院の写真で探したが見つからず。
・恒吉海軍飛行場跡地
「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」に出てくる

どの県か不明な飛行場

 

合計数:
T64→50(2012/9/29)→39(2013/8/6)→33(2013/10/11)→43(2013/11/9)→65(2014/5/24)→99(2015/6/20)→93(2016/9/17)→90(2018/9/17)→91(2022/12/31)→95(2023/5/1)

更新履歴
2024/3
徳島県・徳島航空学校2【場所確定】
徳島県・津田川口着水場跡【場所確定】
2023/10
徳島県・沖洲飛行場【場所確定】
2023/5/1
三重県・第一訓練所【追加】
三重県・第二滑空訓練所【追加】
三重県・第三滑空訓練所【追加】
三重県・第四滑空訓練所【追加】
2022/6/29
兵庫県・川西鳴尾飛行場跡地【場所確定】
2021/10/30
道央・南恵庭駐屯地場外離着陸場跡地【場所確定】
2021/5/15
千葉県・習志野4丁目滑走路跡【場所確定】
2021/4/23
兵庫県・繫昌飛行場跡地【場所確定】
2021/2/5
滋賀県・京阪レークセンター水上機基地跡地【場所確定】
2021/1/30
青森県・木ノ下飛行場跡地【場所確定】
2021/1/14
北海道・苫小牧陸軍飛行場跡地【場所確定】
2021/1/6
大阪府・八雲滑空道場跡地【場所確定】

2020/12/27
岩手県・花巻の不時着陸用滑走路跡地【場所確定】
2020/10/21
広島県・江田島の飛行場跡地【場所確定】
2020/10/19
沖縄県・大原簡易飛行場跡地【場所確定】
2020/10/18
埼玉県・川口地方滑空訓練所(舟戸ヶ原滑空場)跡地【場所確定】
2020/10/17
福岡県・玄界航空基地(松末基地)跡地【場所確定】
2020/10/16
福岡県・玄界航空基地(岐志基地)跡地【場所確定】
2020/10/10
香川県・高松飛行場跡地【場所確定】
2020/8/22
東京都・江戸川飛行場跡地【場所確定】
2020/8/21
鹿児島県・本田飛行場跡地【場所確定】
2020/8/17
鹿児島県・小川飛行練習所跡地【場所確定】
2020/7/31
愛知県・西築港水上飛行場跡地【場所確定】
2020/7/30
愛知県・稲永新田の水上機基地跡地【場所確定】
愛媛県・愛媛飛行場跡地【場所確定】
2020/7/29
福岡県・直方飛行場跡地(頓野村・岡正美)【場所確定】
京都府・安井飛行場跡地【場所確定】
2020/7/11
東京都・成増飛行場秘匿滑走路跡地【場所確定】
2020/7/1
岩手県・盛岡市見前滑走路跡地【場所確定】
2020/6/20
恒吉海軍飛行場跡地 【追加】
2020/6/20
長崎県・島原海軍航空基地跡地【追加】
2020/6/13
新潟県・大日原演習場の滑空訓練場【追加】
神奈川県・大船海軍飛行場【追加】
神奈川県・昭和海軍飛行場【追加】
2020/6/8
千葉県・大日本飛行協会航空機訓練所松戸飛行場跡地【場所確定】
2020/6/6
青森県・淋代陸軍飛行場跡地【場所確定】
2020/5/11
群馬県・敷島滑空訓練所跡地【場所確定】
2020/5/10
神奈川県・新厚木基地跡地【場所確定】
2020/5/6
岩手県・盛岡市観武ヶ原の滑走路跡地【追加】
岩手県・盛岡市見前滑走路跡地【追加】

2019/7/26
鳥取県・日野川空港【場所確定】
滋賀県・びわ湖空港(構想)【場所確定】
2019/5/31
千葉県・第一航空学校跡地【場所確定】
2019/5/30
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2019/5/25
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福岡県・九州飛行機香椎工場スベリ跡【場所確定】
2019/5/19
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2019/5/9
北海道・愛国釧路飛行場跡地【場所確定】
2019/4/29
山形県・玉野原飛行場跡地【場所確定】
2019/3/3
北海道・室蘭市知利別飛行場跡地【場所確定】
2019/3/2
高知県・高知練兵場着陸場跡地【場所確定】
愛媛県・愛媛義勇飛行場跡地【場所確定】
愛媛県・松山城北練兵場着陸場跡地【場所確定】
香川県・善通寺練兵場着陸場跡地【場所確定】
2019/2/25
広島県・福山練兵場着陸場跡地【場所確定】
岡山県・岡山練兵場着陸場跡地【場所確定】
岡山県・ 吉井川左岸福岡付近着陸場跡地【場所確定】
2019/2/24
島根県・高津町付近着陸場跡地【場所確定】
2019/2/23
島根県・都野津町付近着陸場跡地【場所確定】
2019/2/22
鳥取県・鳥取練兵場跡地【場所確定】

2018/12/7
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2018/11/21
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2018/10/6
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2018/9/17
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2018/4/30
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2018/4/29
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2018/3/23
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2018/3/22
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2018/3/21
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2018/3/14
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2017/7/29
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2017/6/30
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2017/5/9
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2017/4/3
秋田県・後三年滑空機練習場【場所確定】
2017/3/5
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2017/2/11
鹿児島県・永尾航空基地跡地【追加】
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2017/2/9
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2017/2/5
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2017/1/15
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2016/9/28
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2016/9/24
滋賀県・柏木飛行場(未着工?)【追加】
兵庫県・宝塚滑空場【追加】
2016/9/19
新潟県・笹岡飛行場(工事中・推定位置)【場所確定】
新潟県・深才飛行場(工事中・推定位置)【場所確定】
2016/9/17
京都府・高津飛行場跡地【場所確定】
2016/9/12
福島県・浅川飛行場南北、東西滑走路【場所確定】
浪江飛行場候補地(推定箇所)【場所確定】
2016/9/5
山口県・和佐基地跡地【場所確定】
2016/9/4
千葉県・県営千葉県魚群探検飛行場跡地【場所確定】
群馬県・伊勢崎のULP【場所確定】
和歌山県・和歌山陸軍練兵場着陸場跡地【場所確定】
2016/9/3
千葉県 五井水上機基地【場所確定】
2016/8/22
滋賀県・大津陸軍少年飛行兵学校【場所確定】
福岡県・深江基地【追加】
山口県・屋代島(水上機基地)【追加】
島根県・別府湾基地【追加】
島根県・鹿島航空隊芦沢派遣隊【追加】
2016/5/30
大阪府・大阪防空飛行場跡地【場所確定】
滋賀県・八日市飛行場跡地【場所確定】
静岡県・三方原飛行場跡地【場所確定】
2016/5/28
長野県・赤砂飛行場跡地【場所確定】
長野県・笹部飛行場跡地【場所確定】
岐阜県・高山市北北東方上野平不時着場跡地【場所確定】
和歌山県・和歌山練兵場跡地【場所確定】
2016/5/26
山梨県・山梨飛行場跡地【場所確定】
2016/5/24
愛知県・衣ケ原飛行場跡地【場所確定】
2016/5/23
福井県・敦賀練兵場【場所確定】
2016/5/22
愛知県・伊良湖付近不時着場【場所確定】
長野県・上田飛行場跡地【場所確定】
新潟県・中越飛行場跡地【場所確定】
新潟県・高田練兵場跡地【場所確定】
福井県・鯖江練兵場跡地【場所確定】
2016/5/9
愛知県・伊良湖附近緊急着陸場【場所確定】 
岐阜県・各務ヶ原飛行場 飛行第2聯隊飛行場【場所確定】 
山梨県・甲府練兵場【場所確定】 
鹿児島県・安納飛行場跡地【場所確定】 
鹿児島県・高峰飛行場跡地【場所確定】 
2016/5/8
熊本県・宮地飛行場【場所確定】 
熊本県・帯山練兵場【場所確定】 
熊本県・渡鹿練兵場【場所確定】 
鹿兒島県・伊敷練兵場【場所確定】 
2016/5/7
福岡県・筑後川左岸上寺付近着陸場跡地【場所確定】 
福岡県・久留米練兵場 着陸場跡地【場所確定】 
2016/5/5
愛知県・上伊保原付近不時着場【場所確定】 
愛知県・小幡原射爆場不時着場【場所確定】 
愛知県・名古屋城北練兵場【場所確定】 
愛知県・三菱重工名古屋航空機製作所飛行場【場所確定】 
2016/5/4
岐阜県・関飛行場【場所確定】 
愛知県・高師ヶ原練兵場【場所確定】 
大分県・大分練兵場【場所確定】  
2016/5/3
高知県・仁淀川飛行場跡地【場所確定】
石川県・愛国金沢【場所確定】 
愛知県・本地ヶ原【場所確定】 
2016/5/2
岡山県・勢力河原の飛行場【場所確定】
2016/5/1
鳥取県・すいか空港【場所確定】
2016/4/23
奈良県・奈良航空教育隊跡地【場所確定】
2016/4/20
福島県・野沢秘匿飛行場候補地【場所確定】
2016/4/3
静岡県・浜名湖水上基地【追加】
2016/3/21
大阪府・藤井寺南/北滑走路【場所確定】
2016/3/13
気仙沼水上基地【追加】
2016/3/5
群馬県・尾島飛行場【場所確定】
2016/2/26
千町無田陸軍着陸場【場所確定】
2016/2/20
北海道・小樽水上飛行場【場所確定】
2016/2/3
大阪府・堺水上機飛行場跡地【場所確定】
2016/1/16
山口県・第二岩国秘匿飛行場【追加】
2016/1/15
山形県・竹形飛行場【追加】
2016/1/14
京都府・綾部秘匿飛行場【追加】
2016/1/11
京都府・JUDIA・ATRけいはんな試験飛行場【場所確定】
2016/1/10
長野県・野辺山滑空場跡地【場所確定】
2016/1/9
鳥取県・鳥取飛行場跡地(湖山池の水上機飛行場)【場所確定】


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コメント 503

Takashi

秘匿の飛行場や基地が多くて、難航しそうですね。
自分は何も情報を持っていませんが、有力な情報が集まりますように!
by Takashi (2012-04-16 12:23) 

tooshiba

状況としては難航が予想されますが、多くの方の目に触れて、有益な情報が得られますようにお祈りいたします。
(悲しいかな、いかんせん自分には“影響力がない”ものですから、お役に立てなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいです。)
by tooshiba (2012-04-16 15:13) 

an-kazu

袖ヶ浦市大曽根地区(袖ヶ浦公園から東京ドイツ村にかけての
小櫃川流域)は、広い田畑が広がっており、素人目にも空港を
建設するのに適した地形だと思います。

事実、ニッポン放送の送信所があるくらいですから。
(↑思いっきり目立ちます)


貴殿のblogを拝見してきた"目"でGoogleMapsを眺めると、

 35.405492, 139.989123‎
 +35° 24' 19.77", +139° 59' 20.84"
 (住所は木更津)

あたりの区割りが周囲と違和感がありますので、
もしかしたら(何の根拠もありませんm(_ _)m)。


もう少し、確証が高いコメントが書き込めれば
良いのですが(´ε`;)ウーン…
by an-kazu (2012-04-16 21:22) 

ジョルノ飛曹長

結構不明の飛行場があるもんですねー。^^
これは探すのは大変ですね。
by ジョルノ飛曹長 (2012-04-16 23:43) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■Takashiさん
どうもありがとうございます。
福島県では棚倉が非常に気になっております。

■tooshibaさん
いえいえ、そのお気持ちだけで十分ですよ。
どうもありがとうございます。m(_ _)m

■an-kazuさん
an-kazuさんすごいですね!
地形から推測できますか!
ご指摘の場所は記事の通り「第二木更津(根形)飛行場」跡地に該当してますが、
資料によっては、「三ツ作~大曽根」と書かれています。
an-kazuさん仰る東西方向ですね。
もうオイラと代わって探してくれませんか?(o ̄∇ ̄o)

■ジョルノ飛曹長さん
まとめてみて、こんなにあるのかと我ながらビックリでした。
ジョルノ飛曹長さんご専門の分野ですので情報ありましたらどうぞ宜しくお願い致します。
by とり (2012-04-17 05:47) 

鹿児島のこういち

とりさんが探しきれないの物ですから、相当資料の少ない物件なのでしょうねぇ(。-`ω-)
小林や奄美を検索かけても名前は出てきても、場所を書いた物がないです。
これは、探しがいがありますね。
by 鹿児島のこういち (2012-04-17 06:58) 

鹿児島のこういち

鹿児島県庁の観光課に行ってまいりました。今日は仕事が休みなんですよ(^o^)
観光課から図書館の学芸員を紹介されて、場所を確定しました。
奄美大島の古仁屋水上基地ですが、名前は古仁屋基地で、名前は古仁屋ですが実は隣町の手安になるのだそうです。
場所は手安・須手。国道58号線を古仁屋から走って峠を越えたところに東大医科学研究所が在る敷地が、航空隊の滑走路で、敷地のすぐ隣に海岸があり、そこに当時のコンクリート片がそのままにあるそうです。
詳しい事はメールで送りますね<(`・ω・´)
by 鹿児島のこういち (2012-04-17 14:38) 

とり

■鹿児島のこういちさん
>名前は出てきても、場所を書いた物がない
そう。まさにそれなんですよ。
>鹿児島県庁の観光課
マジですか!!(@Д@)
鹿児島のこういちさんには鴨池空港の件でも本当にお世話になりましたけど、
すごい行動力ですね。メールお待ちしております。本当にありがとうございます~(ノ><)ノ
by とり (2012-04-18 06:27) 

YAMAKATU

はじめまして、ではないかもしれませんが、とりさんの行動力には頭がさがります、これからもいろいろ楽しみにしてますね!

by YAMAKATU (2012-07-12 00:13) 

とり

■YAMAKATUさん
すみません、思い出せないのですが。。。^^;
今後もどうぞ宜しくお願いします。m(_ _)m
by とり (2012-07-13 05:13) 

PUTIN

始めまして!

不明飛行場に挙がっている熊本県の高瀬飛行場は、既にブログ上で挙げられている大浜飛行場(別名:玉名飛行場)に該当します。
by PUTIN (2012-08-04 01:34) 

防護巡洋艦吉野

千葉県で不明中の下志津基地は千葉市若葉区の陸上自衛隊下志津駐屯地を含む一帯です。
誉田飛行場は千葉市緑区平川町です。

by 防護巡洋艦吉野 (2012-08-07 11:42) 

とり

■PUTINさん いらっしゃいませ~^^
情報感謝致します。
他資料からもPUTINさんの仰るとおりであることが確認できました。
本当にありがとうございました。

■防護巡洋艦吉野さん いらっしゃいませ~^^
>下志津基地
「下志津駐屯地を含む一帯」とのことですが、
「下志津駐屯地の北側である」という情報もあり、位置確定できずにいます。
(1948年の写真を見てもそれっぽい感じ)
何か位置特定につながる明確なソース等ありましたらご教授いただけると幸いです。
>誉田飛行場
位置特定し、先日お邪魔してきました。
情報感謝致します。
by とり (2012-08-10 19:20) 

nago

はじめまして!
旧陸軍上更別飛行場跡ですが 
GoogleMapで42.593864,143.22646の所に在ったとの事です
仕事柄^^上更別の農家さんから情報もらいました、今は飛行場だと示す物は無いみたいです。(大きな水溜りが在るだけ)
1947年写真を見るとそれらしき物が在ります。
お役に立てたかな? では、また!




by nago (2012-08-20 21:49) 

とり

■nagoさん いらっしゃいませ~^^
貴重な情報ありがとうございましたm(_ _)m
来年初夏の頃北海道に行く計画をしているので、
その時にいただいた情報を手掛かりにお邪魔してみます。
本当にありがとうございました。
by とり (2012-08-22 06:12) 

再生おじさん

とりさん 初めまして。

茨城県の神立飛行場とは、西筑波飛行場の別名なのではないでしょうか?
ご参照下さいまし。↓
http://www.tsukubapress.com/history.html

by 再生おじさん (2012-09-20 02:07) 

とり

■再生おじさん いらっしゃいませ
リンク先確認しました。
確かに同じもののようですね。
貴重な情報感謝致します。
どうもありがとうございました。m(_ _)m
by とり (2012-09-21 08:04) 

中谷 四郎

谷田部飛行場(海軍航空隊基地)赤土に芝生の飛行場で

練習機が数十機飛んでいました。昭和19年の話です。

by 中谷 四郎 (2012-10-29 18:12) 

T

はじめまして
大分県の「三重陸軍飛行場」の名称は確かでしょうか?
隣町の豊後大野市千歳町には戦時中に飛行場がありました
千歳総合運動公園の辺りです
「三重陸軍飛行場」をどこでお知りになったかお教え頂けると幸いです

また、福岡の多々良飛行場ですが多々良川河口の名島に水上空港があったようです
by T (2013-01-10 09:58) 

とり

■Tさん いらっしゃいませ^^
三重陸軍飛行場についてですが、大分県内の飛行場跡地を調査しておられる方がいて、
三重陸軍飛行場についての情報が掲載されていたので知りました。
残念ながら現在は閉鎖してしまったようで確認できません。
それ以外で現在確認できるサイトはこちらです↓
ttp://www.warbirds.jp/airport/oita/index.html

豊後大野市千歳町の飛行場情報ありがとうございますm(_ _)m
軍の飛行場名称と地元の名称が異なることはよくありますし、
近隣の地名が使われることもままありますので、
千歳町の飛行場と三重陸軍飛行場はもしかすると同一なのかもしれないですね。
1947年の航空写真で見ると、確かに公園の周辺は飛行場があったような地割ですね。
ttp://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M198-2&photono=97
豊後大野市千歳町の飛行場について検索しても出てこないのですが、
陸軍なのか海軍なのか、名称、滑走路の位置等、更に情報がありましたら教えていただけると嬉しいです。

名島の水上空港はもしかしてこれのことでしょうか?
http://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/fukuoka-2nd-airfield
by とり (2013-01-12 05:33) 

T

こんにちは、教えて頂いたサイトは見たことがありました
閉鎖したサイトも以前見たことあると思います
千歳町の飛行場は千歳飛行場とか大野飛行場などと書かれているサイトもあります
軍用でしたが、陸海のどちらかは判りません
・R/Wは未舗装で、公園辺りが西端、紡績工場辺り東端だった
・一応完成はしましたが実際に飛行機が離発着したのはほんの数回で
複葉機みたな機体だった
と聞いています
千歳中学の脇に整地の際に使用したと言われるローラーが残っているそうです

名島の水上空港はこれです、多々良は別にあったのでしょうか?
by T (2013-01-12 10:27) 

とり

■Tさん 
千歳町の飛行場情報ありがとうございました。
次回九州にお邪魔した時に行ってみますm(_ _)m

多々良の飛行場について
名島水上飛行場の記事をご覧いただければ明らかですが、
ここは滑走路のない純粋な水上飛行場です。
陸軍は水上機の運用をしません。
それで少なくとも陸軍の多々良飛行場は別にあったと思います。
by とり (2013-01-12 17:29) 

TUKA

飛行場の空中写真
http://mimizun.com/log/2ch/space/1056973051/
113に能取湖飛行場跡が見られます。
by TUKA (2013-03-15 13:40) 

とり

■TUKAさん
貴重な情報ありがとうございますm(_ _)m
早速拝見したのですが、写真南側の更地になっている部分が跡地なのでしょうか。オイラはてっきり、ここは水上基地で滑走路はなく、スリップのみだと思っていたもので。
教えて頂けると嬉しいです。
by とり (2013-03-17 08:23) 

TUKA

ここは水上機基地なので滑走路はありませんでしたね、申し訳ないです
私の場合、戦後の資料や空中写真で確認しただけなのであまり詳しくないのです。
米軍空中写真をみると桟橋らしいものが見られますね

北海道の旧飛行場は自分もざっと見たことはありますが、事前に計画を立てないと短期間で回るのはかなり厳しいのでよくやるなーと感心します。
by TUKA (2013-03-17 09:18) 

とり

■TUKAさん
>米軍空中写真
早速探してみます。情報ありがとうございましたm(_ _)m
色々な方に教えて頂きながら少しずつやってますので
また何かありましたら是非教えてください。
by とり (2013-03-18 05:49) 

PUTIN

ご無沙汰しております。

津屋崎飛行場ですが、手持ちの米軍史料では「FUKUMA」飛行場と記載されています。
飛行場の座標は、33-47N、130-29Eで、津屋崎の東南東1.2マイル、福間の北東1マイルとあります。
V字型の滑走路が2本あり、1本は北東から南東方向、もう1本は北北東から南南西方向にかけて存在し、それぞれの長さは2,275フィート(約680メートル)とのことです。

中津秘匿飛行場は、地元の研究者の方から終戦時未完成(建設途中で放棄?)であったと聞き及んでいます。
座標が分からないので申し訳ないですが、場所は中津市の成満寺の南側で山国川の流れに沿うような形で建設が進められていたようです。
海軍が作成した青写真が防衛研究所に収められており、それによれば、長さ600mの滑走路1本及び誘導路が建設される予定だったようです。

三重陸軍飛行場は、正式名称「陸軍豊後南飛行場」です。
こちらも座標が分からないのですが、現在の豊肥本線三重原駅の北側、大分少年院から農業大学校にかけての辺りが、飛行場になります。
陸軍が作成した史料では、東西に1500mX60mの転圧した滑走路が1本あったとのことで、戦後に撮影された米軍の空中写真でも滑走路跡が一応確認できます。

あと、「豊後南飛行場」近くにあった「陸軍豊後北飛行場」についてもお伝えいたします。こちらは上記のコメントで既出の飛行場になります。
場所は、現在の千歳総合運動公園の東側で白鹿山との間になります。
ほぼ東西に1500mX60mの転圧した滑走路が1本あったとのことで、米軍の空中写真でも滑走路跡及び誘導路跡が薄っすらと確認できます。

「豊後南飛行場」及び「豊後北飛行場」ともに、陸軍が作成した手書きの簡略(?)な報告書が防衛研究所に収められております。
by PUTIN (2013-05-29 00:59) 

とり

■PUTINさん
詳細な情報をありがとうございますm(_ _)m
なんとお礼を申し上げればよいか。。。(;´Д⊂)
週末にじっくり調べさせて頂きます。
本当にありがとうございました。
by とり (2013-05-30 06:36) 

PUTIN

島根県の直江基地について分かったこと。

設営に当たったのは、舞鶴鎮守府所属の第338設営隊と第3311設営隊、美保空の予科練生。
当初の基地名称は、「第二新川基地」。
完成したのは、7月15日(建設を始めたのは6月26日?)。当初は第一新川基地(のちの大社基地)の諸施設完成後に直江基地の設営に取り掛かる予定であったが、戦局の悪化(沖縄の失陥)に伴い、予定を繰り上げて直江基地を完成させた模様。
最終的には、大社基地と直江基地の滑走路を繋ぐ誘導路を完成させる予定であったが、昭和20年7月31日の時点で完成しておらず。

以上は、第338設営隊の日誌より適宜抜粋しました。
by PUTIN (2013-06-01 17:37) 

とり

■PUTINさん まとめて失礼致します。
頂いた情報調べさせて頂きました。

・津屋崎飛行場
>津屋崎の東南東1.2マイル、福間の北東1マイル
オイラの調べ方だとこの二点は交差せず、別々の地点を指すのですが、おおよその場所特定をすることができました。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M279&photono=23
↑画面左下の辺りに、Lが少し左に傾いたような白い形がありますが、もしかしてコレがそうでしょうか?
他の航空写真でも周辺を随分探したのですが、オイラにはコレしか見つかりませんでした。
仮にコレが飛行場だとすると、滑走路の方向についての記述の一部に
>1本は北東から南東方向
とありますが、北「西」から南東方向 ではないでしょうか?

・中津秘匿飛行場
具体的な場所と滑走路長の情報ありがとうございました。
おかげで「恐らくここだろう」という場所を見つけることができました。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M180&photono=9

・陸軍豊後南飛行場
正式名称ありがとうございました。
教えて頂いた場所情報から正確な滑走路位置特定できました
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=R177&photono=3

・陸軍豊後北飛行場
記事中の「三重陸軍飛行場」のことですね。
こちらも正式名称ありがとうございました。
南北の位置関係が理解しやすい名称ですね。
こちらもおかげ様で場所確定しました。
航空写真で確認すると、滑走路方向は東西というよりも、南西~北東のような気が致します。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M198-2&photono=97

・直江基地
ここはほとんど情報がなくて、「本当にあったのかしらん」と思い始めていました。
完成していたのですね。
具体的な情報ありがとうございます。

重ねて感謝致します。
貴重な情報の数々、本当にありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2013-06-01 20:54) 

PUTIN

津屋崎飛行場の場所はとりさんが探し当てられた場所で合っております。
滑走路に関する記述は、私の書き誤りでした。
確かに、基になった史料に「北西から南東方向」とありました。
間違えてしまい申し訳ございませんm(_ _)m

中津秘匿飛行場の場所も合っております。

豊後北飛行場については、基にした陸軍史料の記述が適当なこともあって、実際には南西から北東方向が正しいのですが、あくまで史料に沿った記述をしてしまいました^^;

直江基地は滑走路のみ完成していたようで、7月31日付の日誌に「今後、九三式中練30機分の掩体を滑走路周辺に構築予定」とありました。なので、基地の跡地もすぐに元の農地に戻されてしまって、航空写真では見つけづらくなっているのだろうと思います。

あと、佐賀県の小城航空基地ですが、佐世保鎮守府所属の第5211設営隊が建設に従事していたようなのですが、それ以上の委細は不明です。確か防衛研究所に基地の青図があったような気はしますが・・・
by PUTIN (2013-06-04 20:45) 

とり

■PUTINさん
またまた貴重な情報を感謝致しますm(_ _)m
陸軍が制作した飛行場見取り図は文献等でいくつか拝見したことがあるのですが、
ピンポイントで場所を特定しようとすると結構アバウトなことがありますよね。

今回PUTINさんから基地の青図等を基にした貴重な情報を多数頂きましたが、
防衛研究所に直接お出掛けになったのでしょうか?
by とり (2013-06-05 05:59) 

PUTIN

今回提供しました史料のうち、米軍に関するものは国立国会図書館の憲政史料室に籠って得た成果の一部です。ちなみに、今年からネット上でも多くの資料閲覧が可能になりましたので、わざわざ国会図書館へ行く手間が省けるようになっております。

ご参考までに
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009289/1

基地の青図に関しては、東京在住の時に防衛研究所に何回か行って存在を確認したものになります。

海軍設営隊の戦時日誌については、インターネット上からでも閲覧可能な「アジア歴史資料センター」で公開されているものを基にしていますが、まだネット上で非公開のものも多々ありますので、直接防衛研究所に行かれることをお勧めします。
by PUTIN (2013-06-05 23:53) 

とり

■PUTINさん
自ら足を運んで調べた情報を頂いていたのですね。
本当にありがとうございますm(_ _)m
国会図書館の資料がネットで閲覧出来るようになったのは知りませんでした。
沖縄の離島には来春行く予定でした。
どうもありがとうございました。
by とり (2013-06-06 06:57) 

T

三重駅の北側に飛行場は確かに造られたそうです
三重陸軍飛行場はそちらの方でしたね
聞いた人の話だとこちらの方には飛行機が一度も降りてないのではないか
と言っていました
by T (2013-06-25 14:37) 

とり

■Tさん
おかげ様でPUTINさんから豊後の南北飛行場の詳細を頂き、航空写真で滑走路確認して場所特定することができました。
貴重な情報ありがとうございました。
by とり (2013-06-27 06:32) 

kai

こんにちは。検索でやってまいりました。
大野川滑空場の場所ですが大分市下戸次地区の大野川右岸。舟本大橋のすぐ上流河川敷だと思います。
私自身は滑空場の存在を知らないのですが検索でみつけた画像から判断しました。
現在はラジコン飛行機の舟本飛行場として使われてます。たまにパラグライダーも飛んでます。

グーグルマップ
http://goo.gl/maps/ZCxzV
地元の者であればわかる特徴的な地形。後方の橋脚は舟本大橋のものです。
http://www.oct-net.ne.jp/~uesyo/glidono/oonogawasyo/rensyuhukei.JPG
動画だともっと確実。着陸時左手に見える土手の特徴的なV字型スロープは今でもあります。
なお眼下に広がる田んぼのやや広い農道は旧・戸次海軍飛行場跡です。
http://www.youtube.com/watch?v=TAOUPdz7Yow

by kai (2013-08-05 11:28) 

とり

■kaiさん いらっしゃいませ
貴重な情報ありがとうございましたm(_ _)m
すっかりなくなってしまったと思っていたのですが、
現在はラジコン飛行場になっていたのですね(@Д@)
場所について非常に分かりやすく教えて下さり感謝です。
今秋九州にお邪魔する予定なので、行ってみます。

このところ大分県中心に物凄い勢いで情報頂いております。感謝。m(_ _)m
by とり (2013-08-06 05:29) 

再生おじさん

こんばんは。
秘匿飛行場関連の情報検索をしていたら、こんなページが出てきました。
http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2011/03/post-c90e.html

アーカイブとグーグルアースを見比べてみたら、おおよそ以下の場所かと。

①善久・山田 陸軍秘匿飛行場は、新潟市西区善久の新潟日報社の辺りかと思われます。(写真USA-1810-B-48)

②八色原 陸軍秘匿飛行場は、座標37°10’10.89”、N138°56’38.86”が滑走路端部っぽいです。
写真USA-R446-70の上側中央やや右から55分の方向に転圧の跡っぽいのがあります。
by 再生おじさん (2013-09-17 23:08) 

とり

■再生おじさんさん
情報ありがとうございましたm(_ _)m
善久・山田の方は先日地元の方から教えて頂いていたのですが、
八色原は初めて知りました。
まさか雪国まいたけの所に飛行場があったとは!
後日お邪魔してみます。
ありがとうございました!
by とり (2013-09-18 06:06) 

再生おじさん

こんばんは
またもや情報を見つけてしまいました・・・・
愛媛県の壬生川飛行場です。
(ネット調査なので確信は持てませんが・・・・・・)

まずは、wikiの「吉井村(愛媛県)」を見てください。
「1938年~1940年にかけて沖合の干拓が行われ飛行場が設置された」と書かれています。
wikiの記述が正しいならば、アーカイブ写真はUSA-R30-1-117です。
この写真に写っている埋立地が飛行場かと思われます。
(近隣を見ましたが他に埋め立てが完成している場所がありません)

現在の、愛媛県西条市氷見戊、小松ゴルフ場が隊舎群のあった場所かと思われます。
by 再生おじさん (2013-09-19 21:21) 

とり

■再生おじさんさん
またまたありがとうございますm(_ _)m
愛媛県西条市氷見戊、小松ゴルフ場の場所、またWiki情報の飛行場は、恐らくココの事ではないかと思います。
http://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/saijyou-airfield

壬生川飛行場については数年前から場所が特定できなくてずっと気になっておりました。
「壬生川飛行場」で検索すると、跡地に杭が立っていると出ていますね。
オイラが調べた範囲では、中山川左岸、南北1,200m級とのことで、
今治小松道路と県道149号の交差部が怪しいのではないかと考えております。
また何かありましたら是非ご教授下さいませ。
いつも本当にありがとうございますm(_ _)m
by とり (2013-09-20 06:40) 

再生おじさん

うっひゃ~ 大外れをやらかしちゃいました・・・m(_ _;)mゴ゙メンネ...

検索で、ふるさとこみち44番の杭の写真を確認しました。
杭の○○地区生涯学習推進委員会は読み取れたのですが・・・
肝心の地区名が不明瞭とは・・・・トホホヽ(;´Д`)ノ
画像処理で○○地区の○○が読み取れれば・・・・・

別なブログのも確認しました。1200mで幅60m・・・(*-゙-)ウーン…

別件ですが、写真番号USA-R30-1-78に写っている転圧跡って滑走路なのではないでしょうか? 
見奈良駅前から台形地形で、やや上方に55分の方向に滑走路の様な細長い転圧跡が見えるのですが・・・・
田窪駅も近いですし・・・ひょっとして????
by 再生おじさん (2013-09-20 23:12) 

再生おじさん

連コメ、すみません。

検索で、陸軍横河原飛行場と見奈良滑空訓練場に関する記事が出てきました。このページをご覧ください↓
http://www.digi-mori.com/morilog/ume05201/019-28.html
隣接していた様です。

場所は先にコメントさせて戴いた位置で合っていると思います。
by 再生おじさん (2013-09-21 00:08) 

あ

アドレスわからないのでここへ

地図と戯れてたところ、軽井沢飛行場っぽいものをみつけたのですが、もう特定はされましたか?
記事はなさそうに見えましたので、一応確認を…
すでに特定されてましたら、流して下さい。
by あ (2013-09-21 01:41) 

とり

■再生おじさんさん
いえいえ。こういうことはオイラなんてしょっちゅうですので^^;
同一地名の場所に隣接していたのですから紛らわしいですよね。
杭の写真は確かに仰る通りで、肝心のものが見えないんですよね。。。

陸軍横河原飛行場と見奈良滑空訓練場の情報もありがとうございますm(_ _)m
リンク貼って頂いた記事は拝見しておりました。
具体的な辿り方が記されているので、地図と見比べながら場所を特定しようとしたのですが、
おおよそこの辺りとまでは分かるのですが、
オイラには「ここ!」という場所を特定することができませんでした。
でもこの記事が最も具体的なんですよね~。
ご指摘の航空写真でもそれらしい箇所はあるのですが、本当にここかどうかは
不明のため、「教えてください」記事にリストアップした次第です。

■あさん いらっしゃいませ。
メルアドは公開しておりませんので、こちらでコメント頂いております^^
軽井沢飛行場に関しましては、残念ながら未だ特定できておりません。
こちらの記事と記事のコメント欄の内容が、現在把握している情報の全てです。
http://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/karuizawa-airfield
もし情報頂けましたら幸いです。m(_ _)m
by とり (2013-09-21 11:25) 

あ

1948年9月14日撮影(整理番号USAコースM1161番号18)中央下
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=156634&isDetail=true
1948年10月19日撮影(整理番号USAコースM1200-A番号12)右下中央寄り
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=160524&isDetail=true

これらには黒い長細いものが映っています。
周辺の道路と比較すると黒いものは600mくらいでしょうか…
米軍接収時には荒れていたのを復旧させたとの話もありますが、確認お願いします。

ちなみに1947年8月13日撮影(整理番号USAコースM407番号70)
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1178579&isDetail=true
1948年1月4日撮影(整理番号USAコースM777-1番号12)
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=193318&isDetail=true
これらには跡が見られません…(時期的には進駐軍の使用前?)

1971年5月26日整理番号KT7111YコースC5番号22
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=363232&isDetail=true
現場はゴルフ場造成中。そして現在は72ゴルフ場の北コースor西コース?のようです

素人なので別のものの間違いかもしれませんけど!笑
by あ (2013-09-21 15:01) 

とり

■あさん 
情報ありがとうございました。
じっくり拝見させて頂き、ここが滑走路だった可能性が高いと思いました。
記事を全面改訂致しましたので、宜しければご覧くださいませ。
http://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/karuizawa-airfield

どうもありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2013-09-22 08:55) 

再生おじさん

こんにちは
画像処理をしたところ、壬生川の例の「杭」の地区名が「周布」だと判明しました。
恐らく、西条市中央公民館の生涯学習推進委員会が立てた杭かと思われます。

by 再生おじさん (2013-09-22 10:04) 

とり

■再生おじさんさん
情報感謝ですm(_ _)m
「画像処理」なんて、凄いワザをお持ちなのですね!
周布地区内で、周辺に田んぼが広がっている所。
という条件で現地で地道に探そうかと思ったのですが、かなり広いですね^^;
ご教示頂いた公民館さんと連絡とってみます。
どうもありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2013-09-23 04:27) 

あ

(補足)同じ日ですが、この3枚にも映ってます
USA,M1161,19(1948/09/14)
USA,M1200-A,13(1948/10/19)
USA,M1200-A,49(1948/10/19)

少しお役に立てたようで嬉しいです。
これからもがんばってください!
by あ (2013-09-23 10:31) 

とり

■あさん
少しどころか、大変です。
本当にありがとうございました。
また何かありましたら是非教えてくださいm(_ _)m
by とり (2013-09-23 16:56) 

とり

■再生おじさんさん
先日教えて頂いた八色原飛行場について調べてみました。

リンクを貼って頂いた米軍撮影の写真を拝見しましたが、
確かに仰る緯度経度のところから滑走路らしきものが伸びていますね。

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2011/03/post-c90e.html
教えて頂いたサイトには、滑走路位置が言葉で説明されています。
そこで航空写真の滑走路らしきものと、文章の位置情報がきちんと重なるかどうか調べてみました。

記事では
「一本杉の西に一〇〇㍍くらい離れたところから直線に、大崎村(大和町)方谷(ぼたん)に向かって、
幅五〇㍍、全長は水無川まで約一五〇〇㍍ほどであった。」
と、説明されています。

一本杉は、E37°10’28”、N138°57’04”
そこから西100mは、E37°10’28”、N138°57’00”
大崎村は、E37°07’51”、N138°56’41”
なので、滑走路方向はほぼ南北ということになります。
北側の起点から1,500mの場所は、
E37°09’39”、N138°56’55”
となります。
この場合、滑走路が川を渡ってしまうことになるのですが、
記事の中で、「水無川の滑走路は川底をコンクリートで固め~」という説明があるので
問題ないと思いました。なにしろ「水無川」ですし。

で、肝心の位置合わせなのですが、互いの滑走路位置が「ハ」の字のようにズレてしまいました。
写真の滑走路が「ハ」の左側の棒だとすると、文章の滑走路は、右側の棒が下に落ちてしまったような
感じです。
どうしたことかと悩んだのですが、市報うおぬまの2pに飛行場の地図が出ていました。
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%85%AB%E8%89%B2%E5%8E%9F%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4&ie=utf-8&oe=utf-8&aq=t&rls=org.mozilla:ja:official&hl=ja&client=firefox-a#hl=ja&q=%E5%85%AB%E8%89%B2%E5%8E%9F%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4&rls=org.mozilla:ja:official&safe=off&start=10
この地図では滑走路の長さがすんごいことになっているのですが、
水無川の北側部分は航空写真とピッタリ一致しています。
写真の位置情報が地元の地図で(北側部分が)裏付けられたわけで、
再生おじさんさんから教えて頂いた航空写真に見えているのが滑走路の位置なのだと思います。
by とり (2013-09-23 17:33) 

再生おじさん

こんばんは。
裏付け資料の発見、おめでとうございます。
すかさず、ダウンロードしました(笑)
確かに長さがすんごい状態ですね・・・( ゚Д゚)y \_ ポロッ

アーカイブ写真ですと水無川の南側は伐採&転圧痕が無く、また、水無川の川底をコンクリート云々は、工事未着手だったと載っていたので・・・・・
写真の通りで合っていると思います。

ひょっとして、計画自体はすんごい長さだったのかも・・・・・(*・゙・)ウーン…

さて、他の不明飛行場についても、色々判明した事があるのですが・・・
文字だけですと伝え難いので、私のブログの「遺跡探訪」書庫に順次アップしていきます・・・・・マッテテネm(_ _;)m

(八色原の位置検討結果はこのページ↓)
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9376930.html

ちなみの、アーカイブ写真は東西南北が入れ替わっていたり、角度が微妙にズレていたりしますよぉ~ (;^ω^)
by 再生おじさん (2013-09-23 21:33) 

あ

先日は偶然見つけたのですが、ちょっと面白くなってきてしまったので、ネットで入手できる情報だけ
既に入手済みでしたら、スルーして下さい。しかも上で挙がってる空港は一つもないのはたぶん気のせい

赤穂原(竈門・山鹿)秘匿飛行場
http://www.city.yamaga.kumamoto.jp/www/contents/1364259731559/files/yg121001.pdfの15ページに解説
菊水町(現和水町)の町史でも触れられているようです
http://rnavi.ndl.go.jp/mokuji_html/000009184302.html
数百メートルの直線を確保するにはgoogleearth33.007242,130.610812周辺と妄想
植木秘匿飛行場他県内の飛行場については
「戦後65年熊本の戦争遺跡」にまとめられている可能性がhttp://blog.livedoor.jp/tatsutayama/archives/52758222.htmlにて示唆

御勅使河原飛行場跡の南アルプス市調査結果
http://www.city.minami-alps.yamanashi.jp/kurashi/manabu/shiseki-bunkazai/files/rotako.pdf/at_download/file

陸軍屋島秘匿飛行場、陸軍国分秘匿飛行場、陸軍丸亀秘匿飛行場のおおよその位置を書いてるブログ(量多いです)
(その他の飛行場にも言及があり、ネタ元の「高松空襲戦災誌」には地図もある模様)
http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2011/09/index.html

久世橋の滑空場跡地
http://blogs.yahoo.co.jp/takamino55/815772.html
久世橋は桂川に架かる橋なので、記事中の桂川飛行場は、久世橋の滑空場跡地と同一だと思われます。
記事は「日本民間航空史話」の大正編からの抜粋の可能性
http://www.aero.or.jp/syuppan/shuppan_siwa_mokuji.htm
しかし、1940年の航空写真でも既に跡を見つけられず
これは暇ができたら京都府の資料館にでも行ってみます…
by あ (2013-09-24 23:09) 

再生おじさん

玉造水上基地に関するHPがあり、
http://www.geocities.co.jp/HiTeens-Penguin/8108/sub3.htm
その写真の「撮影位置」を特定してみました。
苦肉の策です。(笑)

こちらに載せておきましたのでご参照ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9400738.html


by 再生おじさん (2013-09-25 00:03) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■再生おじさんさん
まとめてで失礼致します。
八色原飛行場、仰る通りですんごい計画だったのかもしれないですね。
一部爆撃されてもへっちゃら。みたいな。
飛行場位置について文書で載っている場合、アーカイブと突き合わせてみると微妙にズレているのは
あることなんですが、きっと何十年も経て徐々に曖昧になってしまうのでしょうね~。
>「遺跡探訪」書庫
少し拝見させて頂いたのですが、再生おじさんさんの探索能力に脱帽です。
陸軍横河原飛行場と見奈良滑空訓練場は、既に作図まで済ませておられたのですね!
オイラはあの文章読んでもサッパリだったのですが。。。
またじっくりとお邪魔させていただきますね。m(_ _)m
>アーカイブ写真の角度
重要な点ですね!
>玉造水上基地
オイラもまったく同じサイト、同じ仕方で場所特定してました。
まさか同じことをする方がおられるとは思いませんでした(☆Д☆)
オイラが特定したのは水上基地のみだったのですが、
再生おじさんさんが特定された場所と同じだったのでホッとしました。

■あさん 
またたくさんの貴重な情報ありがとうございましたm(_ _)m
後日じっくりと拝見させていただきます。
山鹿飛行場はまったく未知の場所でした。
山鹿出身の友人がいるので、早速ドヤ顔で伝えてみます。
by とり (2013-09-25 06:20) 

とり

■あさん
先日教えて頂いた山鹿飛行場ですが、友人に伝えたところ(ドヤ顔で)、まったく聞いたことないと申しておりました。
今のところ更なる情報は見つけることができないのですが、
滑走路位置については、あさんの仰り通りの場所ではないかと思います。
1947年の写真で見ると、1,700m位直線取れそうですね。
頂いた情報ぼちぼち調べさせて頂きます。ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2013-09-27 19:31) 

再生おじさん

こんばんは。
福島県の旧海軍馬場平航空基地跡地に関する情報をネットで拾いました。

情報ページ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/wmoth155/18220600.html

「いわき地方史研究 第47号」に調査結果が載っている様です。
(福島県立図書館にこの本(雑誌)が所蔵されている事を確認済みです。)

この情報を基にアーカイブ写真をチェックしましたところ・・・
写真番号 USA-M4-7-2-184 と 185 に転圧痕が見えます。
場所は、大玉村馬場平(飛び地)の中でした。
(若干、紙面の記述と異なるのが気になりますが・・・)

アーカイブ写真の撮影高度が高く、長さと幅に多少のずれが生じたかも知れませんが、グーグルアースによる測定では、長さ約650m×幅約70mでした。

近日中に私のブログに画像比較結果をアップしますので、ご参照下さい。

尚、情報元の書籍を私はまだ読んでいないので、多少の違いはあるかも知れません。m(_ _;)m
by 再生おじさん (2013-09-28 21:03) 

とり

■再生おじさんさん
おお、これまたすごい情報ですね!
ここもずっと分からなかった跡地です。
ブログで親しくさせて頂いている方に、この近くに実家がある方がいます。
記事ができましたら参照させて頂きます。
ありがとうございました。
by とり (2013-09-30 05:51) 

再生おじさん

こんばんは
ひょっとして、現陸自出西離着陸場北にあった600m級の秘匿飛行場って、
これの事でしょうか?(長さが違うのですが、転圧痕らしき物が・・・)

http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9445432.html
by 再生おじさん (2013-10-02 01:38) 

再生おじさん

ネットで拾った情報です。(青森県三本木原の件)

このページ↓の県立三本木農業学校の欄に着目です。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/gakutohyo.html

「陸軍第157師団校舎を接収」とあるのですが、
滑走路建設の為の宿舎として接収した可能性もあるのではないかと・・・
(*-゙-)ウーン…

どなたか、第157師団の役割についてご存じの方がおられれば、滑走路の位置特定の手掛かりになるのではないかと・・・・(;^ω^)
by 再生おじさん (2013-10-03 00:58) 

とり

■再生おじさんさん
>現陸自出西離着陸場北
記事拝見させて頂きました。
もしかしてこれのことかもしれないですね!

>青森県三本木原
こちらも拝見させて頂きました。
着目点が凄いです。(@Д@)
仰る通り第157師団の役割が分かればよいのですが。。。
by とり (2013-10-08 06:32) 

PUTIN

群馬県の尾島飛行場の情報が少ないと仰ってらっしゃったので、
役立つのかどうか分かりませんが、下記の情報をお伝えさせて頂きます。

米軍の日本本土の軍事目標に関する偵察写真情報の一部
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4011093
上記の483コマ目に高高度から撮影したOTA飛行場の写真があります。

米軍も飛行場の位置が分かりにくいのか、写真上に"OTA"と書き込んでいますが、
利根川の河川敷の部分が不自然に白くなっていますので、ここが滑走路(?)なのではと思っております。
by PUTIN (2013-10-09 16:15) 

あ

先日京都の総合資料館行ってきました。
交通系の百年史に記述なく、大正時代の地形図、航空写真ともにそれらしい場所は一切ありませんでした。
「日本民間航空史話」に記述ありますが、特定不可能でした。一応報告まで。

そしてネット情報
http://www.warbirds.jp/truth/bokujo.html
このサイトによると城山飛行場は玖珂郡藤沢村となっていますが、藤沢村は存在しませんので、藤河村の誤植だと思われます。
藤河村であるとすると、範囲は岩国市関戸+多田+阿品+田原のようです(http://uub.jp/upd/updind.cgi?N=19079)
これは岩国城周辺の地区になりますので、城山の名前とも整合的です。
以上より藤河飛行場と同一のものではないかと思われますが…

春日原飛行場
http://www.warbirds.jp/airport/fukuoka/kasugabaru.html
TRONさんの言う写真はUSA,R52-2,10と11だと思いますが、
「池を埋め立てた」話は野球場建設の時の話だとも読めるので、やはり飛行場は「野球場とトラック」を潰して作られた。
と、町史側に立った解釈をしてみると…(町史原文探した方が正確なのですが)
3年後の写真ですが、競技場トラックは北東側に比べて南西側は線が見られないまたは曖昧なのは確かです。
しかしこの部分と野球場の西側を足してもが200m程しか長さがありません(完成しなかったとの話も見られるので問題はないのかもしれません)

馬場平飛行場
「いわき地方史研究」47号に情報がありそうなので、暇になったら←

高津飛行場
USA,M628-1,159の中央下部にある石原基地滑走路東端から道路挟んで東南部から右斜め上に伸びる跡がある気がします…
しかし、気のせいの可能性
by あ (2013-10-10 00:45) 

あ

コメント読んだら馬場平はすでに情報がorz
スミマセンでした。。今度からよく読みます…
by あ (2013-10-10 00:53) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■PUTINさん
またまた貴重な情報をありがとうございますm(_ _)m
1つ教えて頂きたいのですが、"OTA"ってどういう意味なのでしょうか?

■あさん 
徹底的な調査をされたのですね!
これだけ探して見つからないとなると厳しいですね。
「大昔の河川敷滑空場」は痕跡なさそうですからね。

城山飛行場については、
城山飛行場=藤河飛行場
というご考察ですね。
昔の地名の範囲特定は非常に骨が折れるんですよね。
こちらも貴重な情報ありがとうございます。

春日原飛行場、高津飛行場については、後日あさんのコメントと資料をじっくり見比べてみます。
このところ忙しくて忙しくて。。。

馬場平飛行場の件は、こちらこそすみません。
皆さまからいろいろ情報頂いて、結構な分量になってますよね^^;
コメント頂いた飛行場については、「○月○日にコメントあり」とか注釈いれようかしらん。
それから今のところ、今月末~来月初めにかけて東北を回る予定しておりますので、
「いわき地方史研究」47号も見てこようと思っております。
沢山の情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2013-10-10 05:46) 

PUTIN

とりさん

"OTA"は「太田」のことを指していると思われます。
米軍は日本本土の飛行場に名前を付ける際に、飛行場の所在地、もしくは近隣の地名から取ってきていますので、尾島飛行場の場合、「太田」から取って名付けていると思われます。

例:相模飛行場←Shimomizo(下溝。近くの駅から)
  万世飛行場←Tojimbara(唐仁原。現地の小字から)
by PUTIN (2013-10-10 09:01) 

再生おじさん

こんばんは♪

いわき地方史研究第47号の部分コピーを取り寄せる事ができました。
近日、私のブログに馬場平の後編をアップする予定です。

内緒コメで送り先を教えて戴けたら、コピーして送りまよ~
ブイ V(=^‥^=)v ブイ

by 再生おじさん (2013-10-10 20:54) 

とり

■PUTINさん
教えて頂いてありがとうございましたm(_ _)m
オイラはまた何かの略号なのかとばかり。。。
確かに米軍からしたら、名称なんて爆撃ポイントの判別だから
正確な地名にこだわる必要はないんですよね。

■再生おじさんさん
おお、入手されたのですか!
コピー欲しいですので早速お邪魔致します。
by とり (2013-10-11 07:23) 

再生おじさん

とりさん&「あ」さん  こんばんは。

春日原飛行場について、広範囲のアーカイブを見ていたら、
1947年の写真では、割と推定しやすいブツ(無蓋掩体壕か爆撃の跡)が写っていました・・・・・
しかもいっぱい・・・( ゚Д゚)y \_ ポロッ

複数枚に写っており、1948年の写真では見えない状態でした・・・

しかしながら、計測してみたところ、滑走路のサイズが幅60m×長さ400m(もしくは550m)で、ちょいと短いような気がしているのですが・・・

これって、離陸や着陸ができる長さでしょうか?

日付が変わったら、私のブログにアップしますので、ご意見を賜りたく・・・
m(_ _;)m
by 再生おじさん (2013-10-11 23:10) 

とり

■再生おじさんさん
オイラもここの飛行場はアーカイブで随分探したつもりだったのですが。。。
早速拝見させて頂きますm(_ _)m
by とり (2013-10-12 05:38) 

PUTIN

福岡県の春日原基地と直方基地はそれぞれ別の基地です。
終戦後に作成された資料に「春日原基地」、「直方基地」として名前が出てきます。
同じく終戦後に作成された別の資料には、多々良基地には弾薬庫(?)が1ヵ所あり、そこに250kg爆弾を45発格納しており、直方基地には弾薬庫(?)が4ヵ所あり、そこへ分散格納した250kg爆弾が計45発格納されていたことが分かりました。

あと、とりさんが触れられていない秘匿飛行場が鹿児島県にあります。
場所は串良飛行場の近くであり、日本側名称は分かりませんでしたが、担当していた海軍設営隊の日誌には「中練用飛行場」と記載されていました。
また、米艦載機の戦闘報告書にも鹿屋地区に鹿屋、鹿屋東(日本名称:笠ノ原)、串良、TAKAYAMAの4飛行場があるといった記述が出てきます。
by PUTIN (2013-10-13 02:57) 

とり

■PUTINさん
直方基地の情報ありがとうございましたm(_ _)m
春日原とは別だったのですね!
記事修正させて頂きました。

鹿児島県の秘匿飛行場の件ですが、今月初めに九州を回って来まして、
その際九州の戦時中の飛行場の一覧表を入手することができました。
これによりますと、記事に挙げた場所確定できていない飛行場と、未知の飛行場が
合計21も出てきました(☆Д☆)
鹿児島で新たに判明した飛行場は、海軍の垂水、二川、そして小原秘匿の3つでした。
「場所は串良飛行場の近く」とのことですから、住所的に「小原」になるでしょうか?
先日PUTINさんから米軍の飛行場の命名について実例を教えて頂きましたので、
TAKAYAMA=小原 かもしれないですね。
今回入手した資料を確認してみたら、確かに春日原と直方はそれぞれ別の秘匿飛行場として
出てました。
今回の九州旅行では、PUTINさんから教えて頂いた飛行場をたくさん回ってきました。
ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2013-10-13 05:46) 

再生おじさん

こんにちは
富江飛行場についての情報です。

特別攻撃隊の記録(海軍編)という本のP80に、昭和20年3月時点の「九州・沖縄地区の陸海軍飛行場配置図」という概略図が載っています。
(但し、位置が正確では無いかも・・)

アジア資料センターのネット閲覧では、No. 90.36: Sasebo, Japan; No. 90.39: Tsushima, Japan, 18 July 1944 Report No. 1-d(31), USSBS Index Section 7 の36コマ目に米軍の爆撃ターゲット地図があり、そこにTOMIE NAVAL AIR STAIONと矢印が・・・・
Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)

これの36コマ目です。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4011080

転圧痕調査結果を近日中にアップしま~~~~す。m(_ _;)m
by 再生おじさん (2013-10-13 10:55) 

PUTIN

素早いご対応、ありがとうございます。
とりさんの仕事ぶりには頭が下がる思いです。

九州に行かれてきたんですね。お疲れ様でした。
さらに未知の飛行場が出て来たんですね!
西日本への空襲記録を調べている私としては、かなり興味が惹かれる内容ですね。

地図で確認しましたが、「小原」は串良飛行場の南側ですよね?
そうであれば、TAKAYAMA=小原で間違いないですね。
米軍の史料にTAKAYAMA飛行場の座標が記載されていたので、確認した際に飛行場跡地らしき地割を既に発見していたのですが、今日までそれを裏付ける日本側史料に出会えていなかったので、私の中で存在自体を疑問視していた飛行場だったんですよ。

あと、再生おじさんさんも言及されている富江飛行場ですが、1945年8月作成の米軍史料によれば、以下の通りになります。

飛行場名:富江(深江)
位置:OHAMA(大浜か?)の東南東0.5マイル、深江の南南東3マイル
座標:N32-39、E128-50
滑走路の長さ(飛行場の面積):3000フィート X 1000フィート
写真撮影日:1944年6月18日(第21写真偵察戦隊1944年任務番号339)

ついでにもう一つばかり^^;
七尾水上機基地についてですが、たまたま史料の整理を整理していたところ、これに関する記述のある本が出てきました。それによれば、急造の木製スロープを設けて水上機を海面に降ろしていたということです。
by PUTIN (2013-10-13 18:50) 

PUTIN

追加情報

1.直方飛行場について
既述の米軍史料の中に直方飛行場と思われる記述がありました。
下記の通りになります。

飛行場名:NAOKATA(米軍史料によくある地名の読み間違いだと思われる)
位置:直方の北1マイル、植木の南東1マイル
座標:N33-45、E130-44
滑走路の長さ:2700フィート X 150フィート 北北西から南南東向き
格納庫等:なし
航空機用掩体等:滑走路の西側によって存在する
航空機:確認できず
写真撮影日:1945年8月7日(第3写真偵察戦隊1945年任務番号385)

2.淺川飛行場らしき記述について

飛行場名:沢田
位置:a)滑津の南東1.5マイル、川原田の東北東2マイル、b)赤羽の北東0.5マイル、十三塚の北西0.5マイル
座標:N37-08、E140-23
滑走路の長さ:5000フィート X 150フィート 東北東から西南西向き
格納庫等:なし
航空機用掩体等:なし
航空機:確認できず
写真撮影日:1945年7月25日(第3写真偵察戦隊1945年任務番号355)

3.以前にブログ内の記事にて触れられていた王城寺原演習場内にあった秘匿飛行場について

飛行場名:OJOJIHARA(米軍史料によくある地名の読み間違いだと思われる)
位置:中新田の南3マイル、三本木の西南西5マイル
座標:N38-30-30、E140-51
滑走路の長さ:5500フィート X 200フィート 西北西から東南東向き
格納庫等:なし
航空機用掩体等:なし
航空機:確認できず
写真撮影日:1945年7月24日(第3写真偵察戦隊1945年任務番号351)

4.小城飛行場について

飛行場名:小城
位置:a)小城の西1マイル、牛津の北北西3マイル、b)DEBUNの東0.5マイル、小城の西1マイル
座標:N33-17-30、E130-11
滑走路の長さ:3000フィート X 150フィート 東北東から西南西向き
格納庫等:滑走路南側に施設あり
航空機用掩体等:掩体地区は滑走路の北と南側にあり
航空機:確認できず
写真撮影日:1945年8月7日(第3写真偵察戦隊1945年任務番号385)

5.秘匿飛行場と思われる熊本県の飛行場について

飛行場名:免田
位置:免田の南東1マイル、多良木の南西3マイル
座標:N32-13、E130-54-30
滑走路の長さ:5000フィート X 200フィート 東北東から西南西向き
格納庫等:なし
航空機用掩体等:なし
航空機:確認できず
写真撮影日:1945年7月5日(第3写真偵察戦隊1945年任務番号317)

以上です。
by PUTIN (2013-10-13 20:55) 

PUTIN

正誤について

直方飛行場の部分
誤―航空機用掩体等:滑走路の西側によって存在する
正―航空機用掩体等:滑走路の西側に沿って存在する

すみませんでしたm(_ _)m
by PUTIN (2013-10-13 21:16) 

再生おじさん

もしかして・・・
富江の飛行場って、陸軍と海軍(水上機?)の両方別々にあったりしませんか?

神雷部隊始末記P180の地図には、陸海軍両方記載されていて、海軍は水上基地とあるのです。(。・_・?)ハテ?

PUTINさんのコメント(座標:N32-39、E128-50)を見て・・・
傷みの激しいアーカイブ写真で爆撃痕は確認しましたが・・・
導き出された転圧痕は7の字形状・・・・Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)ソンナアホナッ

只今、あれれれれ????? ってな状態に陥ってマス orz・・・・
(爆撃ポイントと地図の位置とが違うのです。(。・_・?)ハテ?)

地図=海軍
爆撃=陸軍  かも?

富江?、トミエ?、フクエ?、フカエ?、福江?

大混乱中なため(笑)、当方のブログへのアップは暫らく保留しやす。
m(_ _;)m サキノコメント、アジアデハナク、コクリツコッカイデジタルカノホウデシタ・・orz*2
by 再生おじさん (2013-10-13 23:34) 

PUTIN

>再生おじさん様

初めまして。

まず始めに謝らないといけないのですが、米軍史料の誤記に気付かずに地名を書いてしまっておりました。
×「深江」→○「福江」です。

佐世保鎮守府作成の史料によれば、福江島には海軍の陸上機用飛行場(南松浦郡本山村?)と水上機用基地(南松浦郡富江町?)の2つが存在していたようです。私が指摘しました飛行場は前者の方になります。

他の米軍史料にも当たってみたのですが、1945年7月と8月に作成された日本本土の飛行場に関するものには五島列島の飛行場に関する記述は全く出てきませんでした。

1945年1月に作成された大日本帝国領土内(千島・樺太から台湾に至るまで)の飛行場に関する報告書には、陸上機用飛行場としてTomie飛行場が出てきます。この報告書では、滑走路の形状をV字型としています。
飛行場の座標は私が前述したものと同じで、飛行場の位置はOhama-Fukae間の道路の東側で、Saki-yamaの西南西となっています。
by PUTIN (2013-10-14 01:09) 

再生おじさん

>PUTIN様 

初めまして。

なるほど!やっぱり2ヶ所あったのですね・・・・

Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) 滑走路がV字!!!

(((゚Д゚;)y-~ ソワソワ ((( ;゚)3y-~ ソワソワ (((゚Д゚;)y-~ ソワソワ

近日中に2つとも転圧痕結果をアップします。m(_ _;)m
by 再生おじさん (2013-10-14 01:55) 

PUTIN

>とり様

TAKAYAMA飛行場の座標が分かりましたので、下記に記載させていただきます。

Takayama(Koyama)飛行場
位置:Koyama(Takayama)の北北西1.75マイル、鹿屋の東南東5マイル、鹿児島湾の東8.5マイル
座標:N31-22、E130-56
発見時期:1945年1月

by PUTIN (2013-10-14 03:32) 

PUTIN

>とり様

TAKAYAMA飛行場の座標が分かりましたので、ご連絡させて頂きます。

飛行場名:Takayama(Koyama)
位置、Koyama(Takayama)の北北西1.75マイル、鹿屋の東南東5マイル、鹿児島湾の東8.5マイル
座標:N31-22、E130-56
発見時期:1945年1月

以上です。
by PUTIN (2013-10-14 03:37) 

再生おじさん

とりさん&PUTINさん こんにちは

浅川らしき飛行場(沢田)、アーカイブ写真 USA-M627-A-104にバッチリ写ってます~ 
ゴシゴシ(-дゞ三 ゚Д゚)スッスゲ-!!

PUTIN様
ところで、茨城県の葛城と大畑の秘匿飛行場、並びに桜花に関する米軍の資料って何かありませんでしょうか?m(_ _;)mオシエテクダサイ
by 再生おじさん (2013-10-14 12:31) 

PUTIN

>とり様、再生おじさん様

しっかり滑走路跡が写っていますね。
現在の沢田小学校にあたる場所にも学校らしき建物があるので、ここを本部として使用していたんでしょうかね?

>再生おじさん様

大体で構わないので、葛城と大畑両飛行場の座標を教えていただけませんでしょうか?
米軍と日本軍の呼称名が違っている場合が多々ありますのでお願いします。

桜花に関してはどのような資料をお探しなのでしょうか?

by PUTIN (2013-10-14 23:02) 

再生おじさん

直江について郷土史「川の中の飛行場」を読み答えが出てきました。
USA-R514-4-45に写っている転圧痕です。
(PUTINさんも言及しておられる、埋め立てた旧新川の中です)

ですが・・・・嗚呼またもや謎がぁぁぁぁぁぁぁ~


ご参照戴ければ幸いです。m(_ _;)m
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9439708.html
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9517095.html
by 再生おじさん (2013-10-14 23:26) 

PUTIN

再生おじさん様からの依頼で茨城県内の秘匿飛行場を探していたところ、こんな物が出てきました。

飛行場名:真壁
位置:KADOIの南東2マイル、YOKOTSUKAの東北東2.5マイル
座標:N36-19-30、E140-03-30
滑走路の長さ:4800フィート X 160フィート 北西から南東向き
格納庫等:なし
航空機用掩体等:なし
航空機:確認できず
写真撮影日:1945年7月25日(第3写真偵察戦隊1945年任務番号356)

飛行場名:丸亀
位置:丸亀の南東3.5マイル、坂出の南3.5マイル
座標:N34-16、E133-51
滑走路の長さ:3700フィート X 200フィート 東から西向き
格納庫等:なし
航空機用掩体等:なし
航空機:確認できず
写真撮影日:1945年7月5日(第3写真偵察戦隊1945年任務番号316)

飛行場名:須賀川
位置:須賀川の南南西2.5マイル、鏡石の東1マイル
座標:N37-15、E140-22
滑走路の長さ:4000フィート X 350フィート 西北西から東南東向き
格納庫等:なし
航空機用掩体等:掩体地区は滑走路の南東にあり
航空機:確認できず
写真撮影日:1945年8月7日(第3写真偵察戦隊1945年任務番号389)

再生おじさん様が調査中の八色原飛行場?
飛行場名:浦佐
位置:浦佐の東北東1.5マイル、KOIDEの南南西3.5マイル
滑走路の長さ:6000フィート X 250フィート 北北西から南南西向き
格納庫等:なし
航空機用掩体等:なし
航空機:確認できず
写真撮影日:1945年7月27日(第3写真偵察戦隊1945年任務番号360)


>再生おじさん様

お探しの飛行場はこれでしょうか?

飛行場名:大曽根
位置:大曽根の南西1マイル、今鹿島の東南東2マイル
座標:N36-07-30、E140-05
滑走路の長さ:4000フィート X 150フィート 北から南向き
格納庫等:なし
航空機用掩体等:なし
航空機:確認できず
写真撮影日:1945年7月28日(第3写真偵察戦隊1945年任務番号360)

しかし、この座標だと葛城と大畑秘匿飛行場の中間地点ぐらいになってしまいますね・・・
by PUTIN (2013-10-15 00:22) 

とり

■再生おじさんさん
まとめてで失礼します。
富江飛行場についての情報ありがとうございますm(_ _)m
よくこんな資料探し出せるものですね~!

浅川飛行場のアーカイブ写真、オイラも見ました。
バッチリ写ってますね!
オイラが探した時は全然見つけられなかったのに。。。^^;
再来週の東北旅行までに作図して行ってみます<(`・ω・´)

■PUTINさん
まとめてで失礼します。
PUTINさんは西日本への空襲記録を調べておられるのですね。
「小原」は仰る通り串良飛行場の南側ですので、TAKAYAMA=小原と思います。
TAKAYAMA飛行場の座標情報ありがとうございましたm(_ _)m

七尾水上機基地は急造の木製スロープだったのですか。
これだと文献に頼らないと、写真で場所特定は難しそうですね。

免田飛行場について
オイラが先日入手した九州飛行場一覧には免田という飛行場は出てきませんでした。
別名なのか、新たな飛行場なのか、非常に気になります。

富江の飛行場は二つで、V字なのですね! 
てっきり水上機用の小規模なものだけだとばかり思っていました。
そんな大規模なものだったとは。。。

また沢山の情報をありがとうございます。
このところ忙しくて、頂く情報になかなか追いつけません。
申し訳ないです。
by とり (2013-10-15 06:39) 

再生おじさん

>PUTIN様

取り急ぎ、教えて戴きました座標の転圧痕調査結果です。
(概ね1947年10月頃の写真にて調査)

真壁
該当座標付近に転圧痕無し。
尚、筑西市門井の地名はありましたが、YOKOTSUKAの地名は発見できませんでした。(。・_・?)ハテ?

丸亀
すみません。香川県の讃岐富士のふもとです・・・・・(;^ω^)
転圧痕は見当たらず・・・・

須賀川
これは、「浅川」の事と思われます。座標が一緒でした。
(*・ω・)-ω-)・ω・)-ω-)ゥィゥィ♪

八色原
地名と位置、サイズからして、浦佐=八色原だと思います。
(浦佐は名の通った地名。八色原はマイナーな地名ですので・・)
(*・ω・)-ω-)・ω・)-ω-)ゥィゥィ♪

大曽根
今鹿島と大曽根の地名はあり、各地からの距離も一致しましたが、
該当座標付近に転圧痕はありませんでした。
恐らく、窪地にある田圃の土?水分?が反射により滑走路に見えたのかも・・・
(ちょうど長さが1200m位の長方形っぽく見える形状でした・・・)
ウ・・ ウ~ン(-ω-`;。)

葛城の座標
 36° 5'16.33"N 、140° 4'26.39"E
 (この点を中心に半径2km以内かと考えています)

大畑の座標
  36° 7'12.04"N 、140°10'31.03"E
 (この点を中心に半径3km以内かと考えています)

桜花に関しては、戦後2~3年してから秘匿基地が米軍に知られ爆破されている場所もある事から、1947年以降に占領軍が爆破処理した場所で、「カタパルト」、「2つの格納壕」、「レール」のキーワードが入っている記録が無いか知りたいのです。

以上よろしくお願い申し上げます。・・・・・・・m(_ _;)m
by 再生おじさん (2013-10-15 21:30) 

PUTIN

>再生おじさん様

確認作業ありがとうございます。

手元にある米軍資料を確認してみたいのですが、葛城と大畑の両秘匿飛行場に該当するような記事は確認できませんでした。アメリカ本国にある偵察関連史料には何らかの記述があるかもしれません…。

私が確認している米軍史料は戦中作成のものばかりであり、戦後に関するものは全くない状況です。ご期待に応えられず申し訳ございません。
by PUTIN (2013-10-16 00:41) 

とり

■再生おじさんさん
横からスミマセン。
丸亀飛行場については以前何処のサイトだったか、実際の建設の様子をご存じと思しき方の地図が載っていたことがあります。
滑走路位置は、讃岐富士の南側の県道18号沿いで、県道の南側にありました。
県道18号すぐ北側にあるハート形の池の辺りが西端で、そこから東に伸びており、
国道438号を越えて、飯山北小の少し先が東端です。
明らかに曲がってますが、こんな感じで作図されていました。
この場所のアーカイブは1947年が最古と思いますが、オイラにはここに滑走路があったようにはまったく見えません。
「中学生らが石のローラーで砂利をならしていました」という説明が付いていました。
by とり (2013-10-16 04:37) 

再生おじさん

とり様

丸亀飛行場・・・・
(*-゙-)ウーン… ・・・・・・慣れでしょうか?
どうも最近、転圧痕の見落としが増えてきているおじさんです・・・

も、一回、アーカイブを探索してみます・・・・コッチヵ?(・ω・。)(。「・ω・)ァッチヵ?
by 再生おじさん (2013-10-16 20:41) 

再生おじさん

とり様、PUTIN様

こんばんは

丸亀飛行場について、ちょいと広域で探ってみたら、1947年4月12日の写真が出てきました。(USA-M203-41 と 42)

驚きです。わずか5か月で畑?田圃?に戻っているなんて。

こちら↓にアップしましたので、ご参照下さい。m(_ _;)m
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9483571.html
by 再生おじさん (2013-10-16 22:27) 

あ

ネット上の情報
岩津飛行場
http://blog.goo.ne.jp/skv_2006/e/c925347477b51532ae3e1dfc6c34b54d
http://www.geocities.jp/heritagefromwar/top-sennsouisekikenngaku.htm

京都市堀川通の臨時飛行場?の話
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000057480

山形県前森牧場付近
USA,M638,108~110に黒い細長いものがあるのですが、これはなんでしょうか?
by あ (2013-10-17 01:54) 

とり

■再生おじさんさん
丸亀は本当に不思議ですね~。
本当にココにあったの?? って位跡形もないですね。

■あさん 
今月初めに九州に行ってきまして、赤穂原(竈門・山鹿)秘匿飛行場、
植木秘匿飛行場見てきました。
「戦後65年熊本の戦争遺跡」がまたすごい資料で、ここに九州内の戦時中の飛行場の一覧が出ており、
未知の飛行場が沢山出てきました。
山鹿飛行場についてはあさんの予想がビンゴでした。
どうもありがとうございましたm(_ _)m

そして今回も情報ありがとうございます。
岩津飛行場のリンク先は以前拝見したことがあるのですが、
場所特定ができませんでした^^;
(コメント欄で場所の質問している「つる」は、実はオイラです)

京都市堀川通の臨時飛行場については初耳でした。
情報ありがとうございます。

山形県前森牧場付近
この黒いもの、周辺では一際異彩を放ってますよね。
滑走路跡なんでしょうか??
by とり (2013-10-17 06:01) 

あ

下のサイトでは岡崎市仁木町と出ており、googlemapで周辺を探すと、35.011372,137.165733辺りから北を撮影すれば下の、南に撮影すれば上のサイトと同じように撮れるのではないかと思いました。
ただ、どちらも「周囲より土が盛り上がっている」とさらっと書いてますが私には見えませんので、現地に行けばあるいは。くらいです。

航空写真としては、USA,M198-A-1,53などには、当該地に白い帯状のものが見え、その後USA,R1078,107などには同地に矩形の田が見られます。
by あ (2013-10-17 18:28) 

とり

■あさん 
またまたありがとうございます。
次現地に行く機会があったら見てみますm(_ _)m
by とり (2013-10-18 05:43) 

再生おじさん

とりさん こんばんは

丸亀について、とりさんの見たサイトってこれの事でしょうか?
(検索してみたらヒットしました)
http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2011/09/post-acde-6.html

先のコメントに貼り付けた私のリンク先が違っておりました。
m(_ _;)mモウシワケゴザイマセン こちらです。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9528220.html
by 再生おじさん (2013-10-18 22:20) 

再生おじさん

北海道の厚岸について。

米軍資料では、43°02’N、144°50’E
This is a navy station.
There is a sandy bottom with landing on the beach possible.
Water is calm in the immediate vicinity of the base.

「これは海軍ステーションです。近くに水が穏やかで着陸可能なビーチがある」と書かれています。(翻訳:おじさん)

意味は・・・
「ここって、海軍ステーションに近くて、着陸(着水)できる場所だから爆撃しとけよっ」って事かと。(;^ω^)

USA-M509-78に写っている砂浜の事を指しているのかと思います。
by 再生おじさん (2013-10-19 01:10) 

とり

■再生おじさんさん
>見たサイト
それです! この方はなにげにすごいですよね。
それとどこかのサイトで滑走路を描いた地図も見たのですが。。。
>リンク先
ご親切にありがとうございました^^

>厚岸
貴重な情報ありがとうございます。
よく見つけてくるものですね~。
>「爆撃しとけよっ」
当時はそういう事なのでしょうね。オソロシヤ…
by とり (2013-10-20 08:51) 

再生おじさん

とりさん こんばんは。

小樽水上機基地の位置に関する米軍資料情報です。

これ↓の13コマ目の地図をご参照ください。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4002389

残念ながらアーカイブでは痕跡が見つかりませんでした。

下のURLサイトの方も水上基地があったと記載してますので、
何か情報をご存じないか聞いてみては如何でしょうか?

URL↓
http://ararano-ra.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_4f6c.html
by 再生おじさん (2013-10-21 20:08) 

とり

■再生おじさんさん
おはようございます。
小樽水上基地、米軍もちゃんと認識していたのですね!
この絵は…スリップが二つ並んでいるということかしらん。
教えて頂いたサイトの方にも訪ねてみたいと思います。
いつも貴重な情報ありがとうございますm(_ _)m
by とり (2013-10-22 05:55) 

再生おじさん

とりさん こんばんは。

ネットで海軍設営隊一覧表がヒットしました。
http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rikukaigun56.html

茂浦
第577設営隊、編成20年6月1日、解隊同年8月22日、主設営任務:青森県茂浦で特攻基地
(私見ですが、他のネット資料でも「飛行場建設」ではなく「軍工事」とありますので、もしかしたら水上機ではなく、水上特攻基地(震洋基地)である可能性が有るのではないでしょうか?)

小城
PUTINさんもコメントしておられますが・・・
第5211設営隊、編成20年6月15日、解隊同年8月22日、主設営任務:佐賀県小城で白菊特攻基地設営
(白菊とある以上、滑走路の設営だと思います。)
by 再生おじさん (2013-10-26 02:09) 

とり

■再生おじさんさん
>海軍設営隊一覧表
これはすんごいですね!(@Д@)
今後の調べものに活用させて頂きますm(_ _)m
少し拝見したのですが、編成から解隊までほんの数か月の部隊が結構ありますね。
固定的なものではなく、「飛行場が完成するまでの部隊」ということだったのでしょうか??

>茂浦
これは水上機の基地だとするサイト様があるんですよ。
http://www.warbirds.jp/airport/aomori/
「震洋基地の可能性」という発想はありませんでした。
今後の調査の際、頭に入れておきたいと思います。

>小城
情報ありがとうございます。
やっぱり飛行場ということで間違いないのですね。
アーカイブで「ここが怪しい」という場所は見つけたのですが、
場所特定には至りませんでした。
いつも貴重な情報をありがとうございますm(_ _)m
by とり (2013-10-27 18:05) 

とり

■あさん 
コメント(2013-10-10 00:45)の春日原飛行場の件、じっくり拝見させて頂きました。
・城山飛行場
あさんの推察通り、藤河=城山 と思いました。
藤河牧場記事修正させて頂きました。ありがとうございましたm(_ _)m
http://airport1111.blog.so-net.ne.jp/fugikawa-airstrip

・春日原飛行場
仰る通り、競技場トラックは南西側は線が見られないまたは曖昧になってますね。
よく観察されてますね。
あさんの推察通りだとすると、滑走路端の一方が池に向かうことになり、
池に向かっての離着陸で失敗があると即水没の危険があるため、
如何に戦時中の滑走路でもそういう事例は見たことがないのですが、
リンク先の飛行場の説明の中に、「その他:離着陸1方向」とあり、
もしかしたら水没の危険を考慮の入れての措置なのかもしれないと思いました。

・高津飛行場
あるようにも見えますね~。
建設中止して畑に戻したので、石原飛行場の東側のどこかにあることは間違いないのですが。。。
by とり (2013-10-27 18:06) 

とり

■PUTINさん
・直方飛行場
「ここかなぁ」という場所は見つけたのですが、場所特定には至りませんでした。

・淺川飛行場らしき記述
こちらは場所特定することができました。
…が、これは棚倉飛行場と同一みたいですね。

・王城寺原演習場内にあった秘匿飛行場
場所特定できました。早速来週お邪魔してみます。
「以前にブログ内の記事にて触れられていた」とありますが、
これはどちらのブログのことでしょうか?
教えて頂けると嬉しいです。

・小城飛行場
「ここかなぁ」という場所は見つけたのですが、場所特定には至りませんでした。

・免田飛行場
「多分ここ」という場所を特定できました。

・真壁の秘匿飛行場 ・須賀川飛行場 ・大曾根飛行場
未知の飛行場だったため、当記事のリストに追加させて頂きました。

場所特定に至らなかった跡地についてはファイルしておき、資料として今後に役立てさせて頂きます。
いつもたくさんの貴重な情報ありがとうございます。
by とり (2013-10-27 18:06) 

再生おじさん

とりさん こんばんは。

設営隊の件
「設営隊の数か月で解隊」は、戦争末期に何らかの工事の為に現地へ赴任し、終戦となったため解隊されたと解釈しております。
(実は、おじさん・・・・・
どこそこの部隊が何処に駐留していてとか、何処の設営隊が工事に来ていたとかは・・・・・・・全く詳しくありませんm(_ _;)mソコマデハキョウミガナイノデス)

茂浦の件
「桟橋工事」ならば「軍工事」でも辻褄が合います!
ひょっとして、そうかもしれません・・・・(*-゙-)ウーン…

でも、他の設営隊の主任務が「航空基地」と「特攻基地」と書き分けてあって、他のネット資料でも飛行場は「飛行場建設」とあり、震洋格納壕の工事は「軍工事」と書かれているのが殆どなのです。(。・_・?)ハテ?
何か、他に情報があると良いのですが・・・・・ウ・・ ウ~ン(-ω-`;。)

大畑秘匿飛行場
①新治村史P238に「対空監視哨」の位置が掲載されていました。
(藤沢村役場の屋上(後に大畑の鷲神社の西側台地に移転。)で、旧役場敷地内に石碑があるらしいです。)
②他の郷土資料(すみませんが、現時点では書籍名は非公開とさせて下さい)P426に「霞ヶ浦基地の北西、山ノ荘村(現新治村)大畑地内にも新設基地工事が始まった。その場所は元々草競馬などを行った平坦地だったので、作業は順調に進んだ。」とあり、最寄基地及び方位距離は、「霞ヶ浦ノ北西二一粁」(海軍航空本部が8月1日現在でまとめた資料)とあります。

葛城秘匿飛行場
上記②の資料に、「霞ヶ浦ノ西北西十二粁」と書かれていました。

再度チェックしてみます・・・・汗 ━(il`・ω・´;) ━タラァァ~ン
by 再生おじさん (2013-10-27 20:58) 

とり

■再生おじさんさん
貴重な情報ありがとうございます。
オイラもぶっちゃけ「滑走路の位置さえ特定できればいい」という感じなので、
軍の知識はゼロに等しいです。
再生おじさんさんのブログ少し拝見してのですが、何やらたくさんブツを仕入れたご様子ですね^^
by とり (2013-10-28 05:24) 

PUTIN

とり様

王城寺原演習場内の秘匿飛行場の記事は、とりさんが2012年1月に記述された岩手県の小山(水澤)飛行場に関する記事の中で確認させていただきました。

さて、各地の飛行場の情報をお知らせさせて頂きましたが、どうも基にしていた米軍史料に誤りがあったようです…
地元の「加古川北」飛行場について調べていたのですが、米軍史料に記載されている座標と高知の藤原氏がブログ上に挙げられていた場所が離れすぎておりました。さらに、米軍史料の示す座標は祖父の実家の目と鼻の先であるにも拘らず、生前祖父の口から座標の位置に飛行場の設営が行なわれていたと聞いたことが一度もありません。

基にした米軍史料のURLを挙げておきますので、今後のご参考にして頂ければ幸いです。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009764
by PUTIN (2013-10-28 10:23) 

再生おじさん

とりさん、PUTINさん こんばんは。

大畑、葛城等について、ご意見を賜りたく・・・・・m(_ _;)m
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9591199.html


by 再生おじさん (2013-10-29 01:03) 

PUTIN

再生おじさん様

アジア歴史資料センターにてネット上で公開されている一次史料上では、これらの当該航空基地に関するものを発見できませんでした。
しかし、再生おじさん様が出典として挙げておられます書籍には、航空基地に関する詳細(?)な記述があることから、防衛研究所には何らかの史料が存在していると考えられます。

今後、私の方でこれらに関する発見がありましたら、またご連絡させていただきます。
by PUTIN (2013-10-29 11:44) 

あ

いつも通りネット上の情報+私の目だけですが
慶野水上偵察機基地
http://www.wind.sannet.ne.jp/shimada/sab4.html
このサイト以外に記述見つけられませんでしたが、現場は砂浜なので存在した可能性はあるかもしれません。

直方秘匿飛行場
33.767565,130.727814周辺。空中写真と地図見ただけなのですが…
戦前の地図には特に区割りはなさそうですが、USA-R211-43などの戦後の航空写真から矩形の田畑が出現してます。
区画整理(圃場整備)かもしれませんが一応。

多々良飛行場
http://www.warbirds.jp/airport/fukuoka/tatara_a.html
この話はUSAwide-R542-37中央のことのようですが…どうなのでしょうか
by あ (2013-10-29 20:07) 

とり

■PUTINさん
>小山(水澤)飛行場
本当だ。書いてありますね !
書いた本人がすっかり忘れていたという。。。^^;
実は小山(水澤)飛行場記事を書いた際、オイラが考えていたのは
王城寺原演習場内の秘匿飛行場のことではなく、山形県・玉野原飛行場でした。
http://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/tamanhara-airfield
どこでどう勘違いしてしまったのか分かりません。
失礼致しましたm(_ _)m

以前東京在住の時期があったと仰っていましたが、加古川が地元なのですね。
三角形の飛行場は有名ですが、加古川北飛行場というのは初耳ですΣ(゚Д゚;)
早速調べてみたいと思います。
米軍資料が間違っていることもあるのですね~。

米軍史料のURL拝見致しました。
こんな膨大で、無味乾燥なアルファベットと数字の羅列の中から情報拾い出して紹介して下さっていたのですね。
大変な労力だったと思います。
本当にありがとうございましたm(_ _)m

■再生おじさんさん
場所特定できていない所についてはなんとも言えないのですが、
ご指摘通り全然違う所がありますね。
戦時改描かよっ!ヽ(#`Д´)ノプンプン
by とり (2013-10-29 20:08) 

再生おじさん

「母島の旧海軍飛行場 1,000mx60m 現在は荒地らしい」の件、

現在は荒地・・・・もしかして、父島の飛行場の事なのでは?
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4004323
27° 4'19.55"N、142°11'27.56"E
どこかのサイトに、長さは600m?と書かれていたと、うっすら記憶しています。

日本海軍史 第11巻 P169には、父島航空基地は存在しますが、母島には存在しません。母島に展開していたのは、西浦の第三震洋隊、東港の第四震洋隊です。(*-ω-)。O○

もしも、長さが1,000mという事なら、南鳥島の事では?
同史P169に南鳥島航空基地とあり、その座標は、
24°17'10.98"N、153°58'53.22"E です。

※母島の南にある、姉島の南側の小さな島も「南鳥島」なので、混同している可能性があるのではないでしょうか?(母島には60m幅で1,000mの直線を作れる平地はありませんで。(*-゙-)ウーン…)

by 再生おじさん (2013-10-29 23:43) 

PUTIN

私の祖父の地元は加古川なのですが、私自身は隣の姫路の出身です。

仕事の関係で全国を転々としており、現在は東北地方に住んでいます。
ちなみに、研究の拠点は大分県なので、本業の合間を見てほぼ隔月で通っています^^;

「加古川北」飛行場については、1945年7月30日付の米海軍艦載機の戦闘報告書の中でも触れられています。その中の記述を要約すると、「神戸地域には姫路、三木、加古川、社、明石、湊(日本名:由良)、加古川北、繁昌の8つの飛行場が存在し、それらの写真偵察を行なった」とありました。

「写真偵察を行なった」という記述から、米国立公文書館にはこの日に撮影されたこれらの飛行場の写真が存在していると思われます。

米軍史料内の飛行場ですが、写真偵察を行なって判明した飛行場と日本軍から押収した書類に記載されてあった飛行場の2パターンがありますので、確認する際には気を付けてください。
あと、タイプミスによる間違いもありましたので、これも要注意です。

最後にもう1件だけ^^;
とりさんが触れられおりました『熊本の戦争遺跡』を購入して確認したところ、秘匿飛行場の一部にダブりがありましたので、またの機会にご連絡させて頂きます。
by PUTIN (2013-10-31 15:03) 

再生おじさん

とりさん、PUTINさん こんばんは。

須賀川の件・・・・・・・・

すみません。m(_ _;)m
私がPUTINさんの情報↓の「座標」を見間違いしておりました。ヽ(;´Д`)ノ

飛行場名:須賀川
位置:須賀川の南南西2.5マイル、鏡石の東1マイル
座標:N37-15、E140-22

ありましたっ!この場所に転圧痕らしきものが・・・・
写真 USA-R1185-20
幅100m×長さ1130m

当方のブログに比較結果をアップしておきます。(;^ω^)
by 再生おじさん (2013-11-01 23:40) 

とり

なぜかログインできないのですが、とりです。
(本人が言っているのですから本当です)

■再生おじさんさん
まとめてで失礼致します。
>母島の飛行場
情報ありがとうございます。
様々考え合せると、母島に飛行場はなかった。という可能性がグッと高まりますね。

>須賀川飛行場
ブログ拝見しました。
いつもながら再生おじさんさんの跡地発見能力には脱帽です。
実は今週水曜日に福島県にお邪魔しまして、馬場平、棚倉の跡地見てきました。
特に馬場平を見ることが出来たのは、ひとえに再生おじさんさんのおかげです。
本当にありがとうございました。
記事は12月中旬にアップ予定しております。
福島空港にも久しぶりにお邪魔したのですが。
すぐお隣に本当に飛行場があったのですね(@Д@)

■PUTINさん
PUTINさんは姫路のご出身なのですね。早合点で失礼致しました。
現在は東北在住なのですね。
昨日まで東北地方お邪魔しておりました^^
やっぱり東北は冷え込みが早いですね。
防寒の準備をしたつもりだったのですが車中泊した場所の朝の気温が6℃で寒かったです。
でも紅葉が素晴らしかったです。

米海軍艦載機の戦闘報告書からの情報ありがとうございます。
資料確認の際のアドバイスも感謝致します。

確認させて頂きたいのですが、「姫路飛行場」は初耳なのですが、
姫路航空隊のあった鶉野飛行場のことでしょうか?
それから繁昌に飛行場があったというのも初耳です。
ザッと検索してみたのですが、出てきませんでした。
繁昌の飛行場について何か情報ありましたら教えて頂けないでしょうか?

>『熊本の戦争遺跡』
おお、購入されましたか!
ダブりについての情報ありがとうございます。
お手すきの時にでも教えて頂けると嬉しいです。
by とり (2013-11-02 06:36) 

再生おじさん

とりさん&PUTINさん こんばんは。

気になって調べてみました
「姫路飛行場」の米軍の識別名は、himeji(nakano)で、座標は34.53N、134.52E。
どうやら鶉野飛行場の事を指しているみたいです。

参考URL。これの11コマ目に書かれています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009735
by 再生おじさん (2013-11-02 23:37) 

とり

■再生おじさんさん
情報ありがとうございますm(_ _)m
by とり (2013-11-03 09:44) 

PUTIN

とりさん

先日まで東北に来てらっしゃったんですね!
紅葉が綺麗なのは良いんですが、冬でも温暖な瀬戸内海性気候で育った身にはかなり寒さが応えますよ。
とりさんはお身体の具合、大丈夫でしたでしょうか・・?

「姫路飛行場」は再生おじさん様も指摘していらっしゃるように、姫路海軍航空隊が置かれていた「鶉野飛行場」のことです。
繁昌の飛行場は、現在の陸上自衛隊の青野ヶ原演習場内に設けられていた陸軍の秘匿飛行場のようです。
以前にご紹介した下記資料の57コマ目に情報が出ております。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009764

ダブりの件ですが、現時点で確認できたものは下記の通りになります。

福岡県:筑後=八女(=船小屋?)
     行橋=築城
大分県:草地=雷原
     臼杵=家野

しかし、この飛行場一覧表は抜けているものも多いですね。

太平洋戦争開戦後、特に終戦直前に国内に山ほど飛行場を急造で作ったために、人々の記憶にほとんど残らずに埋もれてしまっている飛行場があるので、こんな不正確な一覧表になってしまっているんでしょうね…
by PUTIN (2013-11-03 15:50) 

とり

■PUTINさん
瀬戸内海の気候とではかなり違うでしょうね^^;
今年は日本海側は大雪とか。どうぞ体調ご留意下さいませ。
先週は東北にお邪魔致しました。
オイラの方はちょっと寒い思いをしただけで大丈夫でした。
お気遣いありがとうございます。

「姫路飛行場」=「鶉野飛行場」なのですね。ありがとうございました。
繁昌の飛行場もリンク先で確認致しました。こちらもありがとうございます。

ダブりの件、ありがとうございました。
なかなかこの表まで手が回らないのですが、
解析の際に頂いた情報使用させていただきますm(_ _)m

この一覧表、確かに抜けているものがありますが、
とにかく広く浅くのオイラにとってはひれ伏してしまうような書籍でした。
by とり (2013-11-04 10:58) 

とり

■あさん 
折角コメントを頂いていたのに、ウッカリ見落としておりました。
何ぞとご容赦をm(_ _)m

>慶野水上偵察機基地
初耳でした。
当記事のリストに含めさせて頂きました。

>直方秘匿飛行場
仰る通り地割がそれっぽいですね。
教えて頂いた航空写真で見ると、最短でも1,330mの直線であり、
長さは十分です。
ここなんでしょうか。

>多々良飛行場
リンク先には
「滑走路と エプロンらしきものが1943年米軍偵察機からの撮影写真で見ることができます。」
と書かれていますね。
USAwide-R542-37中央 というのがどうやったら閲覧できるのかわかりません。
質問に質問で申し訳ないのですが、これはどうやったら閲覧できるのでしょうか?
by とり (2013-11-05 05:50) 

NO NAME

こんばんは。
川棚工廠内の滑走路について。

米軍の爆撃レポート?ターゲット写真?に川棚ファクトリーの写真がありましたが、これの白く写っている道路がひょっとして??(。・_・?)ハテ?

1945年02月1日撮影?これ↓の240コマ目
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4011093

1945年6月16日撮影(爆撃後の写真) これ↓の6コマ目
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3984547


by NO NAME (2013-11-05 21:36) 

再生おじさん

(/||| ̄▽)/ゲッ!!! 名前を入れ忘れました・・・・orz
by 再生おじさん (2013-11-05 21:39) 

再生おじさん

連コメすみません・・・・・m(_ _;)m

グーグル書籍検索で断片情報がヒットしました。

三本木原の情報

出典:十和田市史 第1巻 P904
「当時大深内村八斗沢の軍馬補充部三本木支部の三十町歩に及ぶ採草地に秘匿飛行場が造られていた。」

https://www.google.co.jp/search?tbm=bks&hl=ja&q=%E5%BD%93%E6%99%82%E5%A4%A7%E6%B7%B1%E5%86%85%E6%9D%91%E5%85%AB%E6%96%97%E6%B2%A2%E3%81%AE%E8%BB%8D%E9%A6%AC%E8%A3%9C%E5%85%85

現在の十和田市八斗沢(結構、エリアが広いです)

ちなみに都立中央図書館が所蔵している模様・・・
(郵送コピーサービスは都内在住者のみとの事・・・・ガ━(;゚д゚)━ン!!)
by 再生おじさん (2013-11-06 01:25) 

再生おじさん

今市に戦後(S37年)に滑走路(ヘリポート)があったなんて驚きです。


東武今市飛行場跡地について、ヘリポートの位置ならばアーカイブに写っていました。

CKT764-C12-16、1976年9月29日撮影(カラー)
この写真にヘリポートが写っています。
グーグルアースでは、現在の栃木県立今市特別支援学校の隣、丸山公園の一部。(座標: 36°44'18.13"N、139°40'15.31"E)

遡りアーカイブは、KT633YZ-C1-12、1963年11月4日撮影(白黒、広域)で、同じ位置に少し太めの長方形がありますので、この位置の事ではないでしょうか?
by 再生おじさん (2013-11-06 20:52) 

とり

■再生おじさんさん
こんばんは。
またまた情報ありがとうございます。
>白く写っている道路
そうなのかもしれないですね。
地図上にナンバリングしてあって、5コマでそれぞれの数字の位置の説明をしていますが、
どうしてそんなに知ってるの??って位よく把握していますね。
見る人が見ればおおよその推測ができるのか、それとも情報が漏れたりスパイでもいたのかしらん。
ざっと米軍の報告書を見た感じでは、滑走路について臭わす記述はなさそうですね。
米側にここに滑走路もあるという認識があったのかどうか。。。
以前の記事でここの滑走路位置についてぐだぐだ書きました。
http://airport1111.blog.so-net.ne.jp/kawadana-airstrip

>三本木原
今回はハッキリと、「秘匿飛行場が造られていた」と出ていますね!
都内在住者のみかぁ。ぐぬぬ。
by とり (2013-11-06 21:03) 

あ

見れないとのことでしたので、リンクを…
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USAwide&courseno=R542&photono=37
の中央部分です。

十和田市史は近所にありそうなので、急ぎでなければそのうち見てきますが、どうでしょう?
by あ (2013-11-07 01:30) 

とり

■再生おじさんさん
>東武今市飛行場
写ってますね!
オイラも探したつもりだったのですが、探し方が足りませんでした。
東武が飛行場建設開始、1962年に誘導路の一部完成を受けてヘリポートとして使用。
その後はあまり進展せず。
と社史に載っていて、当飛行場計画についてはそれ以上の記述がないので、
恐らく飛行場については構想止まりだったのではないかと考えています。
再生おじさんさんの写真とも辻褄がピッタリです。
ここで間違いないと思いますので確定したいと思います。
情報ありがとうございましたm(_ _)m

■あさん 
先日は大変失礼致しましたm(_ _)m
リンク貼りありがとうございました。
やっぱり国土地理院でよかったのですね。
「そんなデータない!」とはねられてしまいました。
オイラの入力ミスだったのかしらん^^;

>十和田市史
ありがとうございます!
まったく急ぎませんので、機会がありましたら是非!
お手数お掛けしますm(_ _)m
by とり (2013-11-08 05:41) 

再生おじさん

こんばんは

七尾について。
これ↓の85コマ目にNANAO ASS(AUXILIARY SEAPLANE STATION)
とあり、座標は37°03′N、136°59′Eとあります・・・・
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4002359

ですが・・・・
アーカイブが1948年のしか無いので、PUTINさんのコメントにありました、木製のスロープらしき物が見えませぬ・・・ガ━(;゚д゚)━ン!!
by 再生おじさん (2013-11-08 23:55) 

とり

■再生おじさんさん
情報ありがとうございます。
もっと詳細な写真があると助かるんですけどねぇ^^;
七尾って範囲が非常に広いので、今まで範囲の絞りこみができませんでした。
座標情報はありがたいです。m(_ _)m
by とり (2013-11-09 07:53) 

とり

■あさん 
多々良飛行場について、教えて頂いたリンク先のUSAwide写真をじっくり眺めてみました。
「飛行場かも」と思える怪しい場所が二か所あります。
1、西鉄千早駅から南東に伸びる道路
あさんの写真「中央」という説明と、もう一つのリンク先
http://www.warbirds.jp/airport/fukuoka/tatara_a.html
の住所的にはここが怪しい

2、香椎宮前駅~名島駅の西側で、国道3号線に挟まれた細長い部分
リンク先の「旧国道3号線に並行して滑走路と エプロンらしきものが~」
という説明だとこちらが怪しい

あさんはどちらと思われますでしょうか?
若しくはこの二つ以外をお考えかも知れませんが、ご意見頂けると嬉しいです。
by とり (2013-11-09 13:20) 

再生おじさん

とりさん こんばんは。

「岩内郡共和町に戦時中あった飛行場(名称不明)」について、米軍資料が見つかりました。

これ↓の72コマ目に岩内着陸場?の座標と基準点からの距離が載っています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4002356
(「LG」とあるので、ランディンググランド(着陸場)の事かと・・・・)

ちなみに、これ↓の45コマ目に基準となる岩内村・市街の座標が載っています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4010991

by 再生おじさん (2013-11-09 19:48) 

再生おじさん

とりさん こんばんは。

「岩内郡共和町に戦時中あった飛行場(名称不明)」について、米軍資料が見つかりました。

これ↓の72コマ目に岩内着陸場?の座標と基準点からの距離が載っています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4002356
(「LG」とあるので、ランディンググランド(着陸場)の事かと・・・・)

ちなみに、これ↓の45コマ目に基準となる岩内村・市街の座標が載っています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4010991
by 再生おじさん (2013-11-09 19:49) 

とり

■再生おじさんさん
おはようございます。
情報ありがとうございました。
ここは情報がほとんどなくて、本当にあったのかしらん。と思っていたのですが、
米軍からちゃんと認識てされていたのですね!
帰順となる詳細な地名まで用意されていたとは恐れ入ります。
早速調べてみました。
複数の座標と方位は、おおよそ岩内郡共和町発足‎のあたりを指しており、
アーカイブだと、
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M469&photono=98
の辺りだと思うのですが、残念ながらオイラには滑走路を見つけることが出来ませんでした。
着陸帯になりそうな場所は数か所あるのですが。。。
リストに含めさせて頂きましたm(_ _)m
by とり (2013-11-10 08:58) 

再生おじさん

こんにちは。

岩内の件・・・
そうなんですよね・・・転圧痕らしきものが全く見つからないのです。
ウ・・ ウ~ン(-ω-`;。)ナゾダナァ・・・

七尾の件・・・
米軍も写真撮影をしていないのかもと・・・・
残念ながら現時点ではアーカイブの1948年の写真しか無い状態・・・
(T□T)OMGっ

多々良の件・・・
気になって、お二人のコメントにあった物とアーカイブを見比べました。
アーカイブは、USA-M121-39(1947年3月13日撮影)の物ならば、
道路と線路の間の細長いエリアに転圧痕らしき長方形が写っています。
距離計測していませんが、見た感じ800m程度かと・・・
それと、近くにスリップらしきものが写っていますけど・・・
(船用なのか水上機用なのかはわかりませんが・・・)

「こんな感じ」ってのが必要でしたら、私のブログに載せますが・・・・
(。・_・?)どうします?
by 再生おじさん (2013-11-10 13:07) 

とり

■再生おじさんさん
こんにちは
またまたありがとうございますm(_ _)m
>岩内
オイラが参照した資料では一応「転圧滑走路」とありました。
転圧のみであっという間に畑と化してしまったのかもしれないですね。。。

>七尾
>米軍も写真撮影をしていない
ここは軍港として有名ですからあり得ますよね。

>多々良
USA-M121-39だとまた違った見え方をしますね!
多分再生おじさんさんが仰っているのは、写真左上の海に面したハート形の貯水池?のすぐ右下で、
名島駅~西鉄千早駅と国道で挟まれた
非常に細い部分に見える長四角のことではないでしょうか?
そしてスリップはハート形のすぐ上にちょこんと飛び出ている部分ではないでしょうか?
これで合ってましたらブログ載せの件はお気持ちだけ頂きます。
いつもご親切にありがとうございますm(_ _)m
オイラはあさんから教えて頂いた写真から、滑走路はもっと北側にあったのではないかと
考えていたのですが、ここはモロに滑走路跡っぽいですね。
ここと、スリップっぽい二つが陸軍/海軍の多々良飛行場なのでしょうか??
ワカラン~(XДX)
by とり (2013-11-10 13:57) 

再生おじさん

こんばんは♪

七尾の件
全部をチェックしたわけではありませんが、米軍は七尾をASS(水上機補助ステーション)としている事から、あまり重要視されておらず、そのためコメした資料(1945年5月時点)でも写真が無いと考えております。
(-_★)キラーン!!(ASSでも爆撃対象ならば偵察写真を残すはず・・・)

どこかから写真が見つかると良いんですけどねぇ・・・(*-゙-)ウーン…

岩内の件
ガチガチに転圧してしまうと開墾に数年かかりますが、芝貼りとか草原?とかなら、半年もあれば畑に復帰させるのも容易かもしれませんねぇ・・・
(;^ω^)

多々良の件
M121-39において、スリップはハートの上右のちょこんと出ている物。
転圧痕らしき長方形は、位置はとりさんの思っているところと同じ、名島と千早駅と国道3号で挟まれたところなのですが・・・・
(。・_・?)ハテ? 「非常に細長い」ではなく、長さに対しては結構幅広なのですが・・・・(3号線の橋の太さの2倍ほど)

計測してませんが・・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9657220.html



by 再生おじさん (2013-11-10 17:52) 

とり

■再生おじさんさん
>転圧だと開墾に数年、芝貼りとか草原?とかなら、半年もあれば
なるほどそうなのですかφ(..)メモメモ
前回コメントに含め損ねたのですが、教えて頂いた「基準点から岩内飛行場までの方位と距離」
の中で、基準点に"racecourse"が入ってますね。
これが競馬場のことなら、「競馬場の南0.5マイル」となり、かなりピンポイントで場所特定できるのですが、
写真で周辺を探しても競馬場はみつからず(;´Д⊂)
競馬場さえ見つかればこっちのものなのですが。。。

>3号線の橋の太さの2倍ほど
分かりやすい表現でハッキリしました。
「非常に細長い」というのはアバウトでしたね。失礼しました。
by とり (2013-11-10 20:27) 

PUTIN

とり様、再生おじさん様

岩内の件ですが、米軍史料の元情報は戦前の情報を基にしていますね。
戦前に岩内に飛行機が着陸した何らかの記述を基にしている可能性が高いです。例えば、当時の新聞やら現地に関連する捕虜の証言等ですね。

川棚の件ですが、川棚工廠は地下工場への疎開をしている最中に終戦となったはずです。日本海軍が秘匿飛行場の設営のため、特に注力したのは沖縄失陥後であることから、上述の偵察報告書には載っていないものと考えられます。
おそらく、7月中旬から終戦までに撮影された偵察写真には、飛行場に関する何らかの情報が出ているのではないかと思われます。

七尾の件は、雑誌『丸』に飛行場の簡単な見取り図が載っていたことがありました。私の情報はそれを基にしているのですが、それを作成した人物も何らかの史料を基にしているはずです。恐らく防衛研究所には何らかの図面があるのではと推測しております。
by PUTIN (2013-11-11 01:32) 

再生おじさん

そうなんですよね・・・・レースコースが無いんです。(´;ω;`)ウッ…
あの近くには・・・・・・・・

そう・・・・

あの近く以外には・・・・・

あったりしちゃう。( ゚Д゚)y \_ ポロッ


現在の岩内高等学校の校庭が、当時も何かの校庭で・・・・・
「レースコース」ってな位、オーバル状の跡があったりします!

嗚呼・・・謎が謎を呼ぶ米軍情報・・・・・Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)
by 再生おじさん (2013-11-11 01:32) 

再生おじさん

とりさん、PUTINさん

こんばんは。

初期の頃の米軍偵察?結果で、面白い事例があるのですが・・・・

米軍情報で茨城県水海道に飛行場があったと記されていますが、
気になって調べてみたら、①水海道に飛行部隊が一時駐留していた。そのため、日本側の一部資料に飛行場があったと誤記している資料もある。
②当時水海道中学校では、学生によるグライダー練習が行われていた。(水海道市史にて確認済み)
ってな具合です。

他の場所もサンデーエアフィールドと書かれている場所もあり、
私的には、「サンデーエアフィールド」って、滑空機訓練の事を米軍が誤認したんだろうなぁと。

どうです?この推論、面白いっしょ??
by 再生おじさん (2013-11-11 01:50) 

とり

■PUTINさん
ご教授感謝です。
ここまでくると当時の背景等も頭に入れておかないとダメですね。
戦前のヒコーキは割とお手軽にどこにでも降りちゃうことがありますから、
そういう事例まで含まれている可能性も考慮に入れておかないといけないということですね。
そのうち防衛研究所に行ってみなければ。。。

話は変わりますが、
TAKAYAMA=小原飛行場 についての以前のコメントで
「飛行場跡地らしき地割を既に発見したと書いておられましたが、
これは国土地理院のアーカイブのことでしょうか?
オイラはアチコチ探したのですがちっとも見つからなかったのですが。。。

■再生おじさんさん
おはようございます。
まとめてで失礼します。
競馬場ってすごく目立つので目印にはうってつけなんですよね~。
有って欲しい場所にはないという。。。(;´Д⊂)

再生おじさんさん、PUTINさんに示して頂いている米軍の資料、
表紙は物々しいですが、絶対ではない可能性もあり得るんですね。
サンデーエアフィールドなんてあるんですね。
面白い^^
by とり (2013-11-11 05:44) 

とり

■PUTINさん
以前のコメント(2013-10-13 20:55)で教えて頂いた米軍資料の「免田飛行場」は、
PUTINさんお買い上げの「熊本の戦争遺跡 戦後65年」86p
「陸軍人吉神殿原飛行場」と同じみたいですね。
by とり (2013-11-11 06:42) 

再生おじさん

旧海軍網走市能取水上基地について

どうやら、「水上機停泊地」のようです。
アップしましたのでご参照ください♪
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9665343.html

アーカイブはUSA-M574-152、1947年10月18日に桟橋らしき物が写っています。(下の方に、とりさんが訪問した桟橋が写っていますが、米国陸軍の地図では、上の方の桟橋の位置でした。)

地図のページ(テキサス大学のライブラリー)
http://www.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/

網走エリアのアドレスはこれ↓
http://www.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/txu-oclc-6900707-nl54-12.jpg
by 再生おじさん (2013-11-12 00:26) 

とり

■再生おじさんさん
どうもありがとうございましたm(_ _)m
記事修正させて頂きました。
「第五次北海道探索」の際お邪魔させて頂きます。
現在のところ数年後の予定ですが。。。

この地図で探せば七尾の場所も特定できるかも。
…と思ったのですが、七尾の地図はないみたいですね。残念。
by とり (2013-11-12 06:09) 

再生おじさん

こんばんは

七尾の地図もあるのですが、戦前?の地図などをベースに1945~1946年に作成されたみたいで、ASSの記載がありませんでした。

インデックスのURL
http://www.lib.utexas.edu/maps/ams/japan_city_plans/

七尾の地図のURL
http://www.lib.utexas.edu/maps/ams/japan_city_plans/txu-oclc-6542602.jpg

まだ九州地区や関西地区等の地図をチェックしきれていませんので、もしかしたら、不明飛行場の何かしらの情報が載っているかもしれません。
((((o゚▽゚)o))) ドキドキ♪
by 再生おじさん (2013-11-12 19:43) 

再生おじさん

熊本北秘匿飛行場について

おじさんの偏見ですが・・・・(;^ω^)

本の著者が「基準点」を間違えているかと思えます・・・(-_★)キラーン!!

当時、米軍の「ターゲットNo2522 KUMAMOTO」は、とりさんが訪問している「健軍飛行場」です。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4002389 の6コマ目、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4002356 の60コマ目

で、アーカイブはM171-28では無く、USA-811-1-102(1948.3.2撮影)を見て下さい。(-_★)キラーン!!

健軍飛行場の右45°上に長方形の転圧痕らしき物が写っています。
(*・ω・)-ω-)・ω・)-ω-)ゥィゥィ♪

どうでしょうか? これが「熊本北秘匿飛行場」だと思うのですが・・・
by 再生おじさん (2013-11-12 22:36) 

とり

■再生おじさんさん
おはようございます。まとめてで失礼します。
>七尾
おお、載ってますね!
港から伸びる方形が水上機用スリップに見えてしょうがないです^^;
でもPUTINさん情報では急造の木製スロープらしいから違いますね。
地図、オイラも時間見つけて調べてみます。

>熊本北
(@Д@)本当だ! 滑走路らしき転圧痕がありますね!
「現在の飛行場ではなく、当時の飛行場が基準点」という発想、恐れ入りました。
規模の大きな飛行場に近接してサブ的な滑走路を設ける事例は他にもありますし、
「滑走路東端から東西方向」という説明ともまあまあ合致しています。
資料では700mとされているのですが、その位は十分長さありそうですね。
PUTINさんのご指摘にもあったのですが、この本、詳しく調べると幾つか疑問点が出てくるんですよ。

ただ、資料の中では「小字名から高遊原飛行場とも呼称」と説明されています。
健軍飛行場と現熊本空港は距離的に近い訳ですが、
「高遊原」は現熊本空港周辺を指しています。
「小字名から高遊原飛行場とも呼称」という一文が、
本当に地元の方々からそう呼ばれていたものなのか、
それとも著者が考え出したものなのかハッキリしないのですが、
これは看過できない情報です。

ということで、現時点では再生おじさんさんの「健軍飛行場右45°上」を最有力候補とさせてください。
ここはググっても出てこないので、後日地元でも調べてみたいと思います。
いつも本当にありがとうございますm(_ _)m
by とり (2013-11-13 06:54) 

再生おじさん

こんばんは

(*-゙-)ウーン…
ここはひとつ、件の本(熊本の戦争遺跡 戦後65年)を入手して、その著者が参考文献としたものを検証してみる必要がありそうですね・・・・・・
(たぶん、巻末に記載されているであろう、「参考文献」一覧を見れば、情報の信用度(正確度)も解る(推察できる)ハズと考えております・・・・・)

おじさん、今度の休み(あれば良いけど・・・)に本屋さんへ注文しに行ってみます。(*・ω・)-ω-)・ω・)-ω-)ゥィゥィ♪
by 再生おじさん (2013-11-13 19:04) 

再生おじさん

青森のおいらせ町木ノ下の・・・・
更に下に、なにやら不思議な物があります。
(カワヨグリーン牧場滑走路から東へ約2km、第二みちのく有料道路の東側)

座標は、 40°37'40"N、141°24'15"E
USA-M1011-132 と 133

細長い直線距離がキッカリ1000mで、飛行場跡の様にも思えるのですが・・・・・  (。・_・?)ハテ?

三沢基地の関係施設?・・・それとも、木ノ下飛行場??
by 再生おじさん (2013-11-13 22:48) 

とり

■再生おじさんさん
おはようございます。まとめてで失礼します。

>熊本北
せっかく教えて頂いたのに申し訳ありませんm(_ _)m
「熊本の戦争遺跡 戦後65年」については、図書館で必要箇所だけコピーしたので、
巻末の「参考文献」一覧は残念ながら不明です。この部分もコピーしてればよかったのですが。。。^^;

>おいらせ町
ありますね。
コレなんでしょうか。。。

話は変わりますが、今まで行った飛行場/跡地と、場所確定済みで今後行く予定の飛行場/跡地をカウントしてみたところ、
699でした。
この1年で一気に40も増えました。
たくさんの方から情報頂いたのですが、特に最近は再生おじさんさんはじめ、PUTINさん、あさんから頂いた情報が
非常に大きかったです。
本当にありがとうございますm(_ _)m
by とり (2013-11-14 05:40) 

再生おじさん

記念すべき700ヶ所目となれば良いですけれど・・・・

七尾についての追加情報です。(-_★)キラーン!!

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4002356
これの32コマ目。

具体的な基準点からの距離が書かれております・・・・・
(検証してませんけれど・・・・(;^ω^))
by 再生おじさん (2013-11-14 23:54) 

とり

■再生おじさんさん
情報ありがとうございます。
早速調べてみました。

「七尾湾内の東側の Yatashin-dszakiである」という説明に従って探すと、
丁度チョキの形の部分が矢田新出崎でした。
また、1mi.ENE of Nanao
は、七尾市役所、七尾駅から正確にこの矢田新出崎を指していました。
この部分はアーカイブ1947年でもほぼ現在と同じチョキの形でした。

ということで、七尾水上基地はこの場所と確定致しました。
700箇所目です。
まさか700の大台に乗ることなんてないと思っていたのですが。。。
オイラ1人ではとてもムリでした。
再生おじさんさん本当にありがとうございました\(^o^)/

800台までいくことはあるのでしょうか??

それから一昨日教えて頂いた
「カワヨグリーン牧場滑走路から東へ約2km、第二みちのく有料道路の東側」
ですが、現在でも地割がしっかり残っているんですね。
現地で直接お尋ねしてみればハッキリしそうですね。
by とり (2013-11-15 06:00) 

PUTIN

とりさん

私が飛行場らしき地割を確認した写真は、国土地理院のアーカイブです。
その写真の情報は以下の通りです。

整理番号:USA
コース番号:M11
写真番号:77
撮影年月日:1947年1月25日

ただ、今再度確認したのですが、私の見間違いだったのかもしれません^^;

あと、私の趣味の研究関連で現在、『熊本の戦争遺跡』の編者の方と連絡を取り合っております。
本業の方が忙しいので、どこまで対応できるかは分かりませんが、伺っておきたいことがあれば、取り次ぐぐらいのことはできると思います。
by PUTIN (2013-11-15 11:37) 

あ

報告が遅くなりましたが…
1.十和田市史について。
上巻第三章 第一節 護弘部隊 第二節 秘匿飛行場
場所については再生おじさんの2013-11-06 01:25コメントにある以上の説明はありませんでした。
全文は、googlebooksで検索→末尾の語句を再検索で芋づる式に全部読めちゃいます。
その他の情報としては、護弘部隊=第百五十七師団との記述があり、県立三本木農業高校接収とは関係がないようです。
(複写してきましたので、必要でしたらスキャンしてお送りしますが…?)

軍馬補充部三本木支部の場所については別に記述があり、終戦で解放された後、すぐに開発され、現在は官庁街などになっているようです。
http://books.google.co.jp/books?id=EPU_AQAAIAAJ&q=%22%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%B9%B4%E3%81%AB%E3%81%AF%E7%A8%8E%E5%8B%99%E7%BD%B2%22&dq=%22%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%B9%B4%E3%81%AB%E3%81%AF%E7%A8%8E%E5%8B%99%E7%BD%B2%22&hl=ja&sa=X&ei=R_eFUvWMBoXhkAXbjICwCw&ved=0CC8Q6AEwAA
十和田市役所周辺の碁盤の目のようになった地区周辺がそのようです。

USA-R1407-101の中央上に細長い土地もありますが、 詳細な場所は不明です。

2.多々良飛行場について。
個人的には秘匿飛行場は再生おじさんの場所ではないかと思ったりしたのですが、
陸軍の基地もそれっぽいと言えばそれっぽいので、プロの目で見てもらおうと思いまして…

700個おめでとうございます!しかし未確認空港が大幅に増えてる…笑
by あ (2013-11-15 19:58) 

再生おじさん

笠置原と千軒原について・・・・・

アーカイブで、大分県玖珠郡玖珠町日出生952−62(小野原簡易郵便局) で検索してみると・・・・・・

地名が何と!! 笠置原!(-_★)キラーン!!
そして、その隣が・・・・千間原!!Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)

「千軒」ではなく「千間」なのではないかと・・・(;^ω^)

USA-M868-10 1948.03.30撮影 では痕跡が確認できないのですけれどね・・・(*-゙-)ウーン…

しかしながら、何やらこの一帯、不思議な跡があります。(。・_・?)ハテ?
例:33°18'52.06"N、131°18'51.73"E

演習場?牧草地? 謎です・・・・・・

by 再生おじさん (2013-11-15 20:17) 

再生おじさん

あさん こんばんは。

三本木農業学校校舎の接収と157師団は、思いっきり関係がありますよ。
(-_★)キラーン!!

あさんの方法で十和田市史を見てみたら、

P315
また三本木&学校には陸軍護弘部隊の本部があり、・・・・
P902
護弘部隊が編成された。この部隊は第百五十七師団であったが、師団長は山形県出身の・・・・
P903
三本木農学校に護弘部隊の本部が駐留し・・・

と出てきましたので、2013-10-03 00:58のコメのリンク先の通り、第157師団(護弘部隊)が校舎を接収したのは間違いないですなぁ。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/gakutohyo.html
(*・ω・)-ω-)・ω・)-ω-)ゥィゥィ♪

さて。P904には・・・・・

外地へ派遣される百五十人余りの港湾設定部隊が・・・かたわら飛行場作りに専念していた。この他・・・・・あるいは県立三本木農業学校生徒が勤労奉仕をしたが、やがてビルマ方面から三十数機の双発戦闘機が到着して待機していた。こうしてあと一カ月で完成という時終戦を迎えたが故障の・・・・

まとめ
大深内村八斗沢の(軍馬補充部の)牧草地に秘匿飛行場が作られていた。
150人くらいの港湾設定隊が食料耕作のかたわら飛行場を作った。
飛行場作りには、附近各部落民や県立三本木農業学校の生徒も参加した。
(1945年7月?には)三十数機の双発戦闘機が到着して待機していた。

導き出された答えは・・・・
三本木秘匿飛行場は、意外とデカイ!!∑(・∀・;ノ)ノ
ってことは・・・・・・・・・・建屋がいっぱい建っている、あそこかなぁ?
by 再生おじさん (2013-11-15 21:15) 

再生おじさん

連コメ失礼しますm(_ _;)m

三本木原はこれ↓かと・・・・・

http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9685548.html
by 再生おじさん (2013-11-15 23:34) 

あ

すみません。説明不足でした。
接収と師団は関係あるのですが、、「秘匿飛行場は隷下にない」らしいので秘匿飛行場と接収は関係がないと言いたかったのです…

ちなみに、第一節の護弘部隊は、"戦争もいよいよ末期に近づいた昭和"から始まります。
by あ (2013-11-16 00:15) 

再生おじさん

あさん

おじさんは、ちゃーんと戦前からある軍馬補充部についても(ざっとですが)調べてからコメを書いてますよ~(*゚ー゚)

通称ナマクラ部隊?と揶揄された、一連の部隊の一部という認識は過去からあります。(*・ω・)-ω-)・ω・)-ω-)ゥィゥィ♪

おじさんの勝手な推測ですが・・・・
大した火器や武器も装備していない最終防衛部隊(157師団)が、意味無く校舎を接収し駐留するかなぁと。(*-゙-)ウーン…
(軍馬補充部本部に駐留すりゃあええのにって思う(笑))

それともう一つ、当時労働力が不足していたから学徒動員する訳で、この地域、戦前から開拓事業を行っている場所なのですが、開拓よりかは戦時急務の方を優先するはずと考え、学徒動員先の載っている物を探し当てました。(*・ω・)-ω-)・ω・)-ω-)ゥィゥィ♪

結果は、十和田市史にもありますように、三本木農学校の生徒も飛行場造りにかり出されていたので、やはりなぁと。リストでは開拓作業となっているのですけれど・・・(*・゙・)ウーン…

「護弘部隊の隸下ではなかったが・・・・・港湾設定部隊が・・・・飛行場作りに専念していた。」と書かれています。

「隷下ではなかったが」とわざわざ書いてある事から・・・・
ぢゃあ、隷下なら飛行場をこしらえる作業をするのかなぁ・・・・とも読み取っちゃうおじさんは妄想病が再発しているのかも知れません(爆)

もう寝ます・・・(・ω・` ) (-ω-` )) (-ω-` )...zzZZZオヤスミナサイ・・・
by 再生おじさん (2013-11-16 01:03) 

再生おじさん

こんばんは

御代田秘匿飛行場について情報が取れました。

出典「土門拳が封印した写真」、著者:倉田耕一氏

P219~221に「”砂利道”人生」の事が書かれています。
(おそらく、例の新聞記事内容とほぼ一緒かと思います。)

抜粋すると・・・・

郡山と須賀川の中間にある福島県御代田村の小学校に疎開し、隠れ滑走路などの土木作業に従事させられた。・・・中略・・・郡山空から十数キロ離れた御代田小学校校舎に疎開させられた特攻隊予備要員の多くは、避難滑走路や不時着場などの造成工事を日課とした。小学校の裏山で雑木林を伐採し、起伏の激しい荒れ地を連日、二人一組となって土砂を入れたモッコを担ぎ、整地のための土砂を運び入れる土木作業だった。・・・中略・・・望月自身が測量図面を引き、避難滑走路などの縦断図なども作成した。
(注:文中の名前「望月」とは、全国建設業協会副会長などを歴任された望月茂さんの事です。)

御代田小学校の沿革
http://www2.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=0710038&frame=frm4c0466f2b3a0b
確認していませんが、小学校は当時から今の場所にあったのだろうと思います。

アーカイブはUSA-R357-62、1947.10.24が最古・・・

痕跡は・・・・・・・・・・・?????(。・_・?)ハテ?ムズカシイ-
後日、推定位置をアップする予定です。(;^ω^)
by 再生おじさん (2013-11-16 19:14) 

とり

■PUTINさん
ご返信ありがとうございます。

>整理番号:USA
>コース番号:M11
>写真番号:77
拝見しました。
多分写真真ん中付近で現在も道路になっている 北西~南東方向のものだと思うのですが、
確かに長さといい幅といい滑走路っぽいですね。
ここだけ不自然に斜めになっているのはいかにも滑走路っぽいし、地形的にもいかにもな感じです。
写真左端に笠之原飛行場が見えているので、この斜めの部分が滑走路だとすると、
すぐ西隣にあったことになりますね。
オイラには「これは滑走路だ!」と断言することはできませんが、最有力候補としてファイルさせて頂きます。
誘導路の跡でもあれば一発なんですけどね~。
ありがとうございました。

>編者
おお、すごいですね。
それでは被ってるかもしれませんが、もし可能でしたら、23pの一覧表でお聞きしたい点があります。
・鹿児島県の海軍垂水飛行場
→鹿屋の分教場で滑走路はないらしいのですが、いかがでしょうか。
・福岡県行橋陸軍飛行場
→以前PUTINさんが「=築城飛行場」とご指摘でしたが、
築城飛行場は一覧表で海軍飛行場の欄に入っており、
行橋は陸軍飛行場の欄に入っています。
表からは海軍の「築城」、陸軍の「行橋」、二つの飛行場があるように見えます。

また、これは再生おじさんのご指摘なのですが、
85pで熊本北秘匿飛行場について、現熊本空港の東隣にあると書かれていますが、
当時の写真では当該地に滑走路を確認することができません。
一方、西隣に位置している旧熊本空港(健軍飛行場)の東隣には滑走路らしき地割があります。
現熊本空港の東隣にあったとする根拠を伺いたいです。

なんだかあげつらうような感じになってしまいましたが、
九州のこれだけまとまった一覧表は初めて拝見しましたし、
熊本県内の詳細な調査内容には感服しました。
もし機会がありましたらその点だけでもどうかお伝えくださいませ。
拙ブログを少しでもあの本のようにしたいです。
by とり (2013-11-17 06:37) 

とり

■あさん 
ご返信ありがとうございます。
十和田市史の情報確認させて頂きました。
感謝致します。m(_ _)m
スキャンの件はお気持ちだけ頂きます。ご親切にありがとうございました。

>多々良飛行場
再生おじさんさんの場所とお思いでしたか。
オイラからしたらあさんも十分プロなんですけど^^
700個までいったのはあさんはじめ皆様のおかげです。
場所確定できていない飛行場は増える一方ですね(XДX)
これでも精度の高そうなものを選んで載せているんですよ。
怪しげな情報まで含めると、本当はもう少しあります。
by とり (2013-11-17 06:53) 

とり

■再生おじさんさん
おはようございます。まとめてで失礼します。

>千軒原
確かにこの地名だと検索しても出てこないんですよね~。
「千間」ならザクザク出てくるのですが。
昔はこの字だったのかもしれないですね。
この本の一覧表では、福岡県の「席田飛行場」のことを
「筵田」と難しい字を使っている例もあります。

>33°18'52.06"N、131°18'51.73"E
まるで誘導路のような不思議な地形でビックリしました(@Д@)
ここ、現在は日出生台演習場内なんですね。
ご指摘の地点の南東3.3kmに日出生台飛行場^^

>三本木原飛行場
あさん、再生おじさんさんのおかげで大分場所が絞り込めてきましたね。
本当にありがとうございますm(_ _)m
>三十数機の双発戦闘機
Σ(゚Д゚;)これはもう秘匿ってレベルじゃないような。。。

御代田秘匿飛行場の情報もありがとうございますm(_ _)m
by とり (2013-11-17 08:10) 

再生おじさん

★笠置原&千間原&日出生台
演習場なんですね・・・・グーグルアースで見たら、あちこち陣地?着陸場?を移動している様に見え、全部で5か所痕跡が写っていますね・・・・・
(*・゙・)ウーン…

アーカイブは1947年のが1枚しか無く1948年のに頼らざるを得ないのですが、先にコメントした33°18'52.06"N、131°18'51.73"Eは、1947年には写っておらず、1948年には写っているので戦後の物なんだろうなぁと思いました。

[壁]ω-)ジー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
チェックした限りでは、以下の場所が怪しぃと思います・・・

小野原ダムの西側(笠置原?)
USA-M868-11 1948.03.30
①33°19'5.98"N、131°14'55.48"E
②33°18'58.88"N、131°15'49.16"E

小野原ダムの東側(千間原?)
④33°18'53.35"N、131°18'35.73"E
⑤33°19'31.05"N、131°17'24.60"E

★千町無田(住所の確認です)
千町無田水田公園(大分県玖珠郡九重町田野2415−451 ‎)の一帯ですよね?
USA-M742-127(1948.01.19)、USA-M867-1-135(1948.03.30)を見ましたが、難しいーーーーーーーーーーっ(;^ω^)

★三本木
「三十数機の双発戦闘機」とあり、びっくりしています。
これ、秘匿レベルとちゃいますよね・・・・(;^ω^)
秘匿飛行場が複数あったのかもと考えております。

★御代田
おじさんの推定結果です。
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9691108.html


以下余談ですが・・・・彡(-ω-;)彡ヒューヒュー

★淋代飛行場(とりさんが訪問済みですが・・・)
米軍の戦前の写真を基に作ったスケッチ図が出てきました。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009571 (12コマ目)

★土浦海軍航空隊秋田基地(秋田の残1ってここの事でしょうか?)
石碑の位置  40°10'6.27"N、140°21'10.61"E
by 再生おじさん (2013-11-17 12:31) 

再生おじさん

長崎ベイサイド場外離着陸場(尾上町)について

座標: 32°44'57.66"N、129°52'3.58"E

期間限定のヘリコプター用場外離着陸場です。

参考URL
http://nimas2288.blogspot.jp/2013_10_01_archive.html
by 再生おじさん (2013-11-17 14:42) 

とり

■再生おじさんさん
こんにちは
☆小野原ダムの東西
じっくり拝見させて頂きました。
うーん。いずれも怪しい感じですね。
アーカイブの小野原ダム、グーグルマップでは日出生ダムになってますね。
(☆Д☆)ドユコト??

☆千町無田
ここについては、大分県に「千町無田陸軍着陸場」があった。
という情報しか知らないんですよ。
(玖珠郡九重町というのは、ググった結果オイラが付け足したものです)
オイラも千町無田水田公園がヒットするので、ここのことではないかと思うのですが。。。

☆三本木
新旧二つ説ですね。
その発想はなかったです。
オイラはアタマがカタクテカタクテ(XДX)

☆御代田
再生おじさんさんのご考察、じっくり拝見させて頂きました。
43乙用の基地とはこれまたすんごい!(@Д@)
実はオイラはこの飛行場の位置について、もっと北側だと考えていました。
(USA-R413-24)に広大な畑地があるので、ここかなぁ。と思っていました。
が、「小学校の裏山で雑木林を伐採し」ての造成工事ですから、
再生おじさんの示す位置が正しいですね。

ここからはアタマのカタイオイラの考えですけど。
「隠れ滑走路」と「避難滑走路」と「不時着場」
3つ出てきますが、
「郡山空から十数キロ離れた御代田小」とありますから、
位置的にここは郡山飛行場の航空機にとっての「隠れ滑走路」、「避難滑走路」、「不時着場」
と考えるのが一般的と思います。
当御代田飛行場の滑走路は800mx60mとするサイト様もあります。
飽くまで一般論ですし、滑走路のサイズについては食い違いはよくありますから、
確たることは分かりませんが、もし本当に再生おじさんさんの仰る通り
43乙用の基地だったらすごい話だと思います^^

ご紹介された本の中では「避難滑走路や不時着場などの造成工事」とありますから、
少なくとも2つ作った可能性がありますね。(@Д@)

☆淋代飛行場
ま、まさか淋代が米軍の資料に出てくるとは!(☆Д☆)
すごい資料をありがとうございました。
複数のアメリカ人飛行家のために現地の人たちはじめ献身的な援助をしたわけですが。。。
まあそんなことは含めないでしょうね~^^;

☆土浦海軍航空隊秋田基地
ここは全く未知の場所でした!(@Д@)
これが御代田の43乙と繋がるわけですね。
オイラの「残:1」は、「田代菜の花飛行場」のことでした。
また行く場所が増えました^^
情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2013-11-17 15:28) 

とり

■再生おじさんさん
長崎ベイサイド場外離着陸場の情報ありがとうございました。
てっきり滑走路があると思っていたのですが、ヘリポートだったのですね。
どうもありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2013-11-17 15:35) 

再生おじさん

こんばんは

御代田の答えあわせをする方法が、一つだけあります・・・・・・・

まだまだお元気でいらっしゃる(現在86歳?)ハズですから、直接(望月茂さんに)聞くのが確実かと・・・・・・汗 ━(il`・ω・´;) ━タラァァ~ン

おじさんには(実績が無いので)無理なのですが・・・・・・
きっと、とりさんならば、「飛行場だった場所を研究している者です」と胸を張って言える実績(「空港探索」HP)がありますし・・・・・

とりさん、ρ(′▽`o)ノ゙ ファイトォ~♪
by 再生おじさん (2013-11-17 20:06) 

再生おじさん

日本國際航空工業の飛行場について

参考URL
京都工場に併設された飛行場ならば、検索で以下がヒットしました。
http://shinkokunippon.blog122.fc2.com/blog-entry-1176.html
http://shinkokunippon.blog122.fc2.com/blog-entry-1175.html

国立国会図書館デジタル化資料では・・・・・
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112221?tocOpened=1

米軍資料では平塚工場(平塚製作所)の事もターゲットにしています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4011029
220~227コマ目

参考ページで平塚製機体の写真が数枚ありますので、完成機を平塚から空輸したとも思えるのですが・・・・・・・・(*・゙・)ウーン…
怪しい場所としては南側の田圃?畑?のエリアでアーカイブ写真にて白く反射している部分かと。
米軍資料225コマ目の写真で”STORAGE”としている場所の右側?

難しーーーーーーーーーーーっ(;^ω^)
(。・_・?)ハテ?

by 再生おじさん (2013-11-19 01:43) 

とり

■再生おじさんさん
おはようございます。
そうですよね。直接お聞きするのが確実ですね。
まずは本を読んでからですね。

>日本國際航空工業の飛行場
情報ありがとうございます。
後ほどじっくり拝見させて頂きます。
by とり (2013-11-20 07:44) 

マー坊

日本國際航空工業  京都工場に併設された飛行場は、たぶん北の長い部分だとおもいます。  大型輸送用滑空機を造っていましたから。
 
 下の四角な部分が昔の規格の飛行場で逓信省の乗員養成所の飛行場だと思います。

 なお日本國際航空工業  京都工場には当時、日本最大の木造建築がありました。  間口600m、奥行き200mの大組立工場、別な本では日本一の木造建築で格納庫と書いていました。 日本一の木造建築ということは変わらないようです。

by マー坊 (2013-11-26 09:32) 

のぶさん

 愛媛県松山市在住で、愛媛の戦時史を調べているアマチュア史家です。
 「土浦海軍航空隊秋田基地」という名称ではないと思います。恐らく、元々あった逓信省の滑空訓練所を海軍が接収したもので、部隊は土浦海軍航空隊大野台派遣隊であったかと思います。長野県の野辺山(三重空野辺山派遣隊)や滋賀県の滋賀海軍航空隊などと同様で、各航空隊から甲飛14期や15期の予科練生の選抜者を集めて、グライダーによる滑空訓練を行っていたと思います。
by のぶさん (2013-11-26 17:00) 

のぶさん

 あと、壬生川飛行場について記します。
 壬生川飛行場は、愛媛県周桑郡周布村大字吉田に日本陸軍が設置した秘匿飛行場で、米軍の記録では、TAMBARA AIRFIELD」(丹原飛行場)と記されています。中山川の堤防とほぼ平行で、全長は4400フィート、幅180フィートで、1945年8月6日に空中写真が撮影されています(survey report No244に掲載)。
 戦後にアメリカ極東空軍が撮影した空中写真では、中山川河口の旧西条海軍航空基地跡、中山川上流の旧田野海軍秘匿飛行場跡は、明確に確認できますが、壬生川飛行場跡は画像処理をしない限り確認は困難だと思います。
 
by のぶさん (2013-11-26 17:18) 

のぶさん

 最近、国会図書館のデジタルライブラリーなどを拝見していますが、未収集の資料がとても多い事が分かります。日本本土の飛行場記録など、収集されているものは、ほんのわずかではないかと思います。
 
by のぶさん (2013-11-26 17:46) 

再生おじさん

とりさんすみません・・・・コメント欄をお借りしますm(_ _;)m

のぶさんへ・・・

ご参加、お待ちしておりました。(笑)
「土浦海軍航空隊秋田基地」とは、「阿見と予科練」(確か、阿見町教育員会編だったと思います)という郷土史のP124に載っている石碑(石碑に刻まれている)による名称で、正式名称ではないかも知れません。
尚、同ページに土浦海軍航空隊第十四期第十三分隊第四班が昭和20年6月下旬に大野台へ移転し訓練を再開し、終戦まで訓練をしていたとあります。(場所が秋田なのは、マリアナ基地発B29の爆撃圏内から逃れるため)

私見ですが、滑空機訓練ですので、神龍?による特攻を行うための訓練だったのではないかと推察していおります。

とりさんへ
御代田は、桜花ではなく滑空機(神龍?)特攻基地であった可能性がでてきました。(調べてみたら、桜花の次に開発していたのがグライダー特攻機(名称:神龍?)だということがわかりました・・・もうちょい調べてみます・・・m(_ _;)m)
by 再生おじさん (2013-11-26 22:18) 

とり

■マー坊さん
情報ありがとうございますm(_ _)m

■のぶさん いらっしゃいませ
情報ありがとうございますm(_ _)m
壬生川飛行場は、地元公民館の主事の方から詳しい説明を頂けることになっております。
国会図書館のデジタルライブラリーの件は同感です。
まだまだ調べることが埋もれていそうですね。

■再生おじさんさん
グライダー特攻機ですか(@Д@)
そんなものがあったのですね!
by とり (2013-11-27 05:44) 

マー坊

  神龍は神竜?  運輸省航空試験所が発案
 群馬県の美津濃製作所で製作、霞ヶ浦で試験飛行となっています。
 よくは分かりません。

 私はミズノの養老工場で造っていて美津濃の養老飛行場で試験飛行をしていたと思っていました。

by マー坊 (2013-11-27 09:22) 

再生おじさん

コメント欄お借りします・・・m(_ _;)m

とりさん&マー坊さん
漢字がどっちだったか・・・うろ憶えです。たぶん「竜」かも・・・
申し訳けないです。

のぶさんへ
あの杭の写真の撮影場所を教えて下さい。
(私ととりさんは、のぶさんのHP(http://blog.livedoor.jp/ehime1945/archives/50730977.html)の写真を手掛かりにしていました。
当の本人に撮影場所をお聞きした方が早いので。(笑)
(この米軍情報による基準点からの位置に、アーカイブではうっすらと転圧痕らしき長方形が見えるのですが、杭の位置と合っているか答えあわせをしたいのです。)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009764
(これの354コマ目に基準点からの位置情報が載っています)
by 再生おじさん (2013-11-27 21:35) 

とり

■再生おじさんさん
杭の場所について、現地にお邪魔するのは今のところ来年の4月以降を予定しております。
オイラも杭の位置が気になります^^
by とり (2013-11-28 07:45) 

PUTIN

とりさん

ご無沙汰しております。

『熊本の戦争遺跡』に記載されてある秘匿飛行場の記事を執筆された方と12月8日にお会いする予定になっておりますので、その際にとりさんからのお問い合わせ内容を伺ってみたいと思います。

さて、1945年8月10日に空母「バターン」から発艦した攻撃隊が青森港の港湾施設や周辺の船舶に対して攻撃を行なった際に、双子島近くに係留されてあった7機の零式三座水偵に機銃掃射を加えています。
また、同日に空襲を受けて茂浦島沖に沈没した亜庭丸とは位置が区別されて記載されておりました。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4002952
3コマ目の記事参照

これらの点から、未確認の茂浦水上機基地は現在の双子保育所がある集落付近にあったと推定します。
by PUTIN (2013-11-28 16:06) 

とり

■PUTINさん
こちらこそご無沙汰しておりました。
私の質問は本当に時間があったらで構いませんのでm(_ _)m
『熊本の戦争遺跡』に明示されている場所で未だお邪魔していない箇所は
来年全て実際に行ってみます。
執筆者の方にどうか宜しくお伝えください。

>茂浦水上機基地
こちらも情報ありがとうごさいました。
実は先月ここにお邪魔したのですが、「現在は漁港化」という情報があり、
PUTINさんの仰る場所のもっと南側、
双子島の反対側の漁港かと思ってました^^;
双子保育所の前も同じような漁港ですね~。
報告書には「双子島の北」とあるからやっぱりこっち側なのかしらん。
by とり (2013-11-29 06:36) 

再生おじさん

余談ですが・・・

神龍(レプリカ)
http://www.japan-soaring.org/index.htm
by 再生おじさん (2013-11-30 21:56) 

とり

■再生おじさんさん
おお、こんなだったのですね!
初めて見ました。
by とり (2013-12-02 07:22) 

再生おじさん

岩津飛行場

http://www.geocities.jp/heritagefromwar/sennsouisekikenngaku-aiti-a-iwatu.htm
↑この写真の撮影位置は、 35° 0'36.27"N、137°10'1.04"E だと思われます。(橋脚とボックスカルバートの位置、あぜ道、緑色の建物、土手等の相対位置から割り出し。)

アーカイブは、
USA-M198-A-1-52、53 (1946年7月18日)
または
USA-M443-169 (1947年9月1日)

目印は、マルサンアイ(株)(愛知県岡崎市仁木町字荒下1。敷地形状を留めているかも。)
ここから北に延びている白い物体が滑走路だと思われます。
by 再生おじさん (2013-12-03 01:34) 

再生おじさん

大分県の大原秘匿飛行場とは、豊後南(三重)の事なのではないでしょうか。(地名も三重大原)

アーカイブにて、大分県の「大原」と名の付く場所で、滑走路跡が見えるのは豊後南(三重)だけですし・・・・・(*・゙・)ウーン…

by 再生おじさん (2013-12-03 21:49) 

とり

■再生おじさんさん
>岩津飛行場
実はオイラも同じ写真で場所特定を試みようとしたことがあったのですが、
挫折したのでした。
再生おじさんさんの解析力には敬服致します。
後日お邪魔してみますね。

>大分県の大原秘匿飛行場
この本は飛行場名のダブりを幾つも指摘されていますからね。
その可能性は高いと思います。

いつもありがとうございますm(_ _)m
by とり (2013-12-04 05:49) 

のぶさん

 陸軍の秘匿飛行場の場合、全てを網羅した一覧表が存在してないんですよね。昭和20年7月時点の一覧表はありますが、かなり欠落しています。各飛行師団や飛行団の終戦資料より復元する必要がありますね。
 一方、海軍は詳細な一覧表が有るので物凄く助かっています。
 陸海軍の資料に記載されている名称を正式名として取り扱う必要があると思います。それと通称がありますよね。その辺は整理する必要があると思います。米軍の名称は別として。
by のぶさん (2013-12-04 11:15) 

のぶさん

 とりさん、遅くなりました。
 陸軍壬生川飛行場跡の表示杭は、北緯33度54分18.6秒  東経133度4分35.7秒付近であったと思います。
by のぶさん (2013-12-04 11:34) 

のぶさん

  陸軍の資料によると、終戦後、各飛行師団と飛行団に、管轄区域に所在する飛行場記録を作成、提出するよう命令を出しています。その文面には、「牧場(秘匿飛行場)を除く」とありますが、実際には、大分県の豊後南北飛行場のように、作成された飛行場もあるようです。
 ちなみに、四国は第百飛行団の管轄で、愛媛の4秘匿飛行場、香川の高松飛行場と3秘匿飛行場、淡路島の由良飛行場が所在していましたが、飛行場記録が作成されているのは高松と由良だけで、かつ、第11飛行師団の飛行場記録の中に収録されています。
 このほか、第百飛行団が作成した終戦記録があり、そこには秘匿飛行場(♯記号)が記載されています。この記録では、壬生川、松山(※松山は東西2箇所ありましたが、1箇所しか記されていません)、卯之町と記されています。
 また、別な資料には、第六航空軍の作戦記録として、壬生川、松山東西、宇和島と記されていて、これが戦史叢書に転載されていて、陸軍の正式名称として使用しています。
 前述した昭和20年7月時点の一覧表には、熊本の陸軍秘匿飛行場が多く記載されていることから、第12飛行師団の飛行場記録の中に位置図がある確立は高いと思います。
by のぶさん (2013-12-04 11:59) 

再生おじさん

33°54'23.46"N、133° 4'35.46"E の位置で、
ストリートビューにて杭が確認できました。
(背景の建造物等も一致)

後ほど、私のブログに比較写真をアップします。

by 再生おじさん (2013-12-04 20:16) 

再生おじさん

とりさん、PUTINさん、のぶさん

壬生川はこんな感じかと思います。
(答え合わせは、とりさんの現地レポで!(笑))
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9782341.html

余談・・・
神龍のリンク先の写真が更新されちゃいましたので・・・・
他の方のブログURLを書いておきます。
http://jaimelamusique.blog.fc2.com/blog-entry-344.html
by 再生おじさん (2013-12-04 21:05) 

とり

■のぶさん まとめてで失礼します。
陸軍壬生川飛行場跡の表示杭等含め、情報ありがとうございました。

■再生おじさんさん
仕事早過ぎッス!!(☆Д☆)
リンクもありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2013-12-05 06:22) 

のぶさん

再生おじさんの検証に脱帽!
by のぶさん (2013-12-05 08:45) 

のぶさん

 戦後に撮影された壬生川飛行場跡の空中写真は、痕跡の判読が困難なので、文章では使えないですね。とはいっても、戦時中に撮影された米軍の空中写真は手元に無いし‥。愛媛の4陸軍秘匿飛行場のうち、判読が困難であるのは、壬生川だけですね。残念!
by のぶさん (2013-12-05 17:38) 

のぶさん

 史料「第六航空軍決号基本展開配置」(戦史叢書にも記載)によると、第30戦闘飛行集団の所轄飛行場は、熊本、隅ノ庄、黒石原、玉名、山鹿、植木、熊本北、大津、知覧、万世、上別府、種子島、都城西、都城東、都城北、木脇、新田原、唐瀬原、小林。第12飛行師団の所轄飛行場として、大刀洗南、目達原、筑後、福島、甘木、小目、防府、芦屋、雁ノ巣、曽根、津屋崎、豊後北、豊後南が記されています。
 
 また、昭和20年7月頃の陸軍飛行場一覧には、西部地区(九州地区)の陸軍秘匿飛行場として、津屋崎、福島、山鹿、飯野、小林、甘木、人吉、熊本北、豊後第一、豊後第二が記されています。

 後の資料より前の資料の方が、網羅されていて、完成度は高いように思います。
by のぶさん (2013-12-05 21:56) 

再生おじさん

桂川飛行場(京都桂川久世橋の河原一帯を整地して開設)

あさんのコメントにある参考URLの通り、久世橋=通称桂川飛行場だと思います。

こちらの参考URL(京都教育大学のレポ)に経緯が掲載されています。
http://lib1.kyokyo-u.ac.jp/kiyou/kiyoupdf/no110/bkue11002.pdf#search='%E6%84%9B%E6%A9%9F%E3%80%8C%E9%9D%92%E9%B3%A5%E5%8F%B7%E3%80%8D%E3%81%A8%E6%A1%82%E5%B7%9D%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4'

これによりますと、1919年に開場したが1920年の台風により「石ころ河原」になってしまい、京都練兵場に機体を移したとあります。
by 再生おじさん (2013-12-06 22:41) 

とり

■のぶさん まとめてで失礼します。
壬生川については再生おじさんさんがリンク先で場所特定された通りだと思いますので、
現地の主事さんに確認しようと思います。
ありがとうございましたm(_ _)m

史料「第六航空軍決号基本展開配置」に出てくる「上別府」とは、青戸(まのひ)飛行場のことでしょうか?
また、「福島」はどこの飛行場なのでしょうか?
ご存知でしたら教えて頂けると嬉しいです。

■再生おじさんさん
情報ありがとうございましたm(_ _)m
後日じっくり拝見させて頂きます。
by とり (2013-12-07 05:45) 

のぶさん

上別府飛行場は、青戸飛行場のことです。
福島は、米軍の記録にある「FUKUSHIMA  SOUTH AIRFIELD」ではないかと思います。現在の福岡県八女市にあったようです。
by のぶさん (2013-12-07 18:37) 

のぶんさん

 1945年2月に作成された、米軍記録によると、「FUKUSHIMA」(CHIKUGO)と「FUKUSHIMA SOUTH」があり、位置的にも近接しています。
by のぶんさん (2013-12-07 18:46) 

 マー坊

 八代陸軍飛行場が分かりません。  昭和小学校のあたりとか? 聞いたような、聞かなかったようなきがします。
by  マー坊 (2013-12-08 10:22) 

とり

■のぶさん
教えて頂きありがとうございました。
感謝ですm(_ _)m

■マー坊さん
「戦後65年熊本の戦争遺跡」という書籍の中で八代飛行場の滑走路位置が明示されていました。
昭和小学校よりもっと北側で、当ブログ記事内にある通り、北新地‎に南北に伸びていました。
来年お邪魔する予定です。
http://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/yatushiro-airfield
by とり (2013-12-09 07:12) 

マー坊

 とりさん、ありがとうございました。 八代飛行場は分かりました。

 福島飛行場は多分、筑後飛行場、岡山飛行場だと思います、近くに福島高校が地図にでていました。  S19年秋に特幹が甘木生徒隊を卒業して筑後教育隊にいつていました。
 
 私の知ている飛行場でリストに出ていない?のはミズノ養老工場のの養老飛行場、これはすぐわかります(日経の私の履歴書)。

 後は、千葉県五井の水上機基地、これは古い航空写真に出ています、今は工場地帯になっています。

 富江の海軍水上機基地スベリ(斜路)が航空写真から見えます。富江湾に面しています、その対岸が福江の海軍の飛行場がありました、福江海軍飛行場は当時としては、大きな飛行場なのに戦記には私が知っているかぎり出てきません、どうゆう使われ方をしたのか知りたいです。



 
 
by マー坊 (2013-12-09 10:33) 

のぶさん

 佐世保鎮守府管轄で、長崎県内の海軍秘匿飛行場は、相ノ浦(731)、川棚(732)、島原(733)、雲仙(734)、竹松(新大村、735)の5カ所です。
 終戦時に、長崎県に配備されていた甲航空隊は、大村飛行場(353空、352空、光州空)、諫早飛行場(諫早空、光州空)、島原飛行場(釜山空)、雲仙飛行場(釜山空)、天草飛行場(天草空。天草空は丙航空隊)です。
 光州空の本隊は諫早飛行場、釜山空の本隊は雲仙飛行場、光州空の本隊は諫早飛行場でした。
by のぶさん (2013-12-09 22:46) 

のぶさん

 誤記がありました。大村基地配備の353空は、343空の間違いです。訂正します。
by のぶさん (2013-12-09 22:47) 

再生おじさん

熊本の大津秘匿飛行場は、これですかねぇ?
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9808436.html
by 再生おじさん (2013-12-10 00:43) 

とり

■マー坊さん
>養老飛行場
1945年の写真で見ると、工場の西側に更地がありますが、ここのことでしょうか?
長さ約500m、滑走路端に建物があって不向きそうなのですが。。。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=39A1&courseno=C1&photono=27
>千葉県五井の水上機基地
下記の白く見えている部分のことでしょうか?
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M50&photono=115
富江の海軍水上機基地は位置確認済みです。ありがとうございました。

■のぶさん
情報ありがとうございました。

■再生おじさんさん
記事拝見しました。
オイラは1947年11月の写真で探して全然見つからずに挫折していたのですが、
1947年12月の写真だとまた違って見えますね!
難易度かなり高いですが、確かに滑走路っぽい。。。ここなんでしょうか。
オイラはもっと国道県道に近い箇所を探してました。
by とり (2013-12-10 05:48) 

 マー坊

  多分そこだと思います。 養老飛行場は体育館になつていると聞いています。 日経の私の履歴書に昔からグライダーを作っていた関係で大きなグライダー作り出したというようなことを書いていたと思います、坪数も書いていました。
by  マー坊 (2013-12-10 10:27) 

のぶさん

 率爾ながら、小生もご教示を賜りたい飛行場があります(笑)
 岡山県の、当時の和気郡、現在の瀬戸内市長船町に、陸軍が造った秘匿飛行場「行幸飛行場」です。米軍資料も含めて、位置を確認できていません。このブログ内にある可能性は大きいのですが…。お願いします。
by のぶさん (2013-12-10 14:26) 

再生おじさん

余談です・・・・
(かほく市の「完成した日に終戦」を検索していて、他の飛行場がヒットしました。タイムリー過ぎて・・・・・・Σ┗(0Д0lll)┛ヒィィィ!!!!)

(グーグルブックスによる検索結果)

熊山町史 通史編(下巻)

P872
「勢力河原に陸軍飛行機の滑走路」との記述有り。
(赤磐市勢力(旧:熊山村勢力)地区の河原の事だと思います。)

P369
飛行場は八月上旬にはほぼ完成した。そのころ状況観察のため陸軍小型戦闘機が飛来して着陸し、飛行士(少佐)が降りて周囲の地形.山形をながめ、滑走路.掩体壕を確認して飛び去った。ここの飛行場は安全で有効というのがそのときの判定であつたという。ところが、八月十五日の終戦日がきて、完成と同時廃棄という皮肉なことになってしまった。終戦直後、突然 0 式戦闘機一機が降り立ち、なかから一人の飛行士(下士官)が飛び降りて、持参したガソリンを乗つてきた飛行機にふりかけ炎上させた。飛行士は深刻ゆううつそのもので、村人が何を問うても答えず、熊山駅から汽車で去った。

偶然にも、のぶさんの探している長船町の行幸飛行場(小学校の校庭の事かなぁ?)の近くでした。しかも当時は和気郡?・・Σ┗(0Д0lll)┛ヒィィィ!!!!
by 再生おじさん (2013-12-11 00:47) 

とり

■マー坊さん
情報ありがとうございました。

■のぶさんさん
残念ながらその場所の飛行場は存じ上げません。
お役に立てず申し訳ありません。
拙ブログで地図から飛行場検索する場合は、こちらをご覧くださいませ。
https://www.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&msa=0&msid=113575651520429140854.000468fc916c2d945e71b&ll=36.031332,134.472656&spn=33.870655,56.25&z=4&source=embed

…と思ったら↓再生おじさんさんのあまりにもタイムリーな情報が!
同じ陸軍同志ですし、ここのことじゃないでしょうか?

■再生おじさんさん
すごい偶然ですね。
しかし次から次へと出てくるものですね~。
やっぱり軍の資料に当たらないとダメですね。
それから県別の記事も作らないとダメですね。
こちらは年末~年始にかけてアップを始める予定です。
by とり (2013-12-11 05:31) 

のぶさん

 小生の手元にあります史料で宜しければ、史料名と記載内容をここへ記入したいと思いますが、構いませんでしょうか?

 再生おじさん、ありがとうございます。
 行幸飛行場については、ネットではヒットしませんでした。やはり、地元市町村史誌にまず当たらないとダメですね。基礎中の基礎でした(笑)。

 場所は長船町に行幸という地名がありましたので、そこかなと思いましたが、赤盤市勢力ですから、瀬戸町万富の対岸ですね。
 松山に駐屯していた第三航空教育隊が昭和20年7月に復帰(部隊の解散を、海軍サンは解隊、陸軍サンは復帰といいます)をして、松山から行幸飛行場の飛行場大隊に転属した元大尉殿が「万富駅から歩いて行った」と回想されていました。

by のぶさん (2013-12-11 09:37) 

のぶさん

 愛媛県内に所在した旧軍用飛行場は、次のとおりです。名称は軍の史料に記載されているもので、終戦時の状況です。
 海軍は、松山航空基地、西条航空基地(逓信省愛媛航空機乗員養成所と併設。乗員養成所の一部を海軍が使用)、長野飛行場(秘匿、周桑郡田野村。通称「田野飛行場」とも)、竹ノ下飛行場(秘匿、温泉郡拝志村。通称「拝志飛行場」とも)、上村島飛行場(秘匿、通称「菅田飛行場」とも)の、合計5箇所です。
 陸軍は、東西へ、壬生川飛行場(秘匿、周桑郡周布村)、松山東飛行場(温泉郡北吉井村)、松山西飛行場(温泉郡久米村)、宇和島飛行場(東宇和郡宇和町)の、合計4箇所です。

 高知県内の軍用飛行場は、全て海軍で、東西へ、高知航空基地(別名「高知第一」。通称「日章飛行場」とも)、仁井田飛行場(秘匿、別名「高知第二」。通称「浦戸飛行場」とも)、窪川飛行場(秘匿、別名「高知第三」。通称「宮内飛行場」とも)の3箇所です。このほか、宿毛に水上機基地がありましたが、宿毛航空隊解隊後は、特殊潜航艇の訓練基地になっていましたので、除外しました。

 徳島県も全て海軍だけで、徳島航空基地、市場飛行場(秘匿、別名「徳島第二」)、小松島航空基地(水上機)の3箇所です。

 香川県は、海軍が観音寺航空基地、詫間航空基地(水上機)の2箇所、陸軍は高松飛行場、屋島飛行場(秘匿)、国分飛行場(秘匿)、丸亀飛行場(秘匿)の4箇所です。
by のぶさん (2013-12-11 13:27) 

とり

■のぶさんさん
詳しい情報ありがとうございました。
by とり (2013-12-12 05:27) 

マー坊

七尾水上基地、詫間空(横浜空)の二式大艇が疎開していたと、いうから大きい場所だと思っていました、チョキの形の部分だと思っていましたが、みんなの記事を読んでいたら仮設の木造のスベリ二基だと分かりました。よく調べなをして見ました、チョキの形の部分の付け根の右の小さい部分だと思いました。
by マー坊 (2013-12-13 11:14) 

マー坊

七尾水上基地はチョキの形の部分の右の付け根の小さい部分だと思います。
by マー坊 (2013-12-13 11:35) 

のぶさん

 「帥作命丙第119号別紙」(1945年7月22日付)記載の陸軍飛行場一覧は次の通りです。
 東北軍管区は油川、三本木(秘匿)、八戸、能代、眞室川、岩手、六郷(秘匿)、金ケ崎(秘匿)、水澤(秘匿)、王城寺(秘匿)、増田、原町、矢吹、棚倉(秘匿)。
 東部軍管区は那須野、金丸原、矢板(秘匿)、宇都宮、壬生、今市(秘匿)、結城(秘匿)、眞壁(秘匿)、西筑波、下館、水戸北、水戸南、誉田、八街、下志津、藤ヶ谷、越ヶ谷、印旛、松戸、竜ヶ崎(秘匿)、柏、成増、調布、多摩、所澤、立川、相模、狭山、修武台、高萩、坂戸、桶川、松山、熊谷南(秘匿)、館林、稜威原、児玉、太田、豊鹿島、新田、前橋、小千谷、八色原(秘匿)、新潟、新潟南(秘匿)、村松、長野、長野北、上田、松本、伊那、北富士、甲府、勅使河原(秘匿)、大島、新島。
 東海軍管区は富士、浜松、三方原、天龍、老津、本地原、小牧、清洲、関(秘匿)、各務原、大垣(秘匿)、菰野(秘匿)、鈴鹿(秘匿)、北伊勢、明野、富山、金沢。
 中部軍管区は三國、八日市、佐野、由良、大阪、粉河(秘匿)、加古川、神野(秘匿)、青野原(秘匿)、明石、伊丹、三木、京都、■津(判読不能)、福知山(秘匿)
 中国軍管区は米子、行幸(秘匿)、倉吉(秘匿)、岡山、広島、防府、埴生(秘匿)、小月。
 四国軍管区は高松、丸亀(秘匿)、国分(秘匿)、松山東(秘匿)、松山西(秘匿)。
 西部軍管区は芦屋、雁巣、福岡、曽根、大刀洗南北、目達原、津屋崎(秘匿)、福島(秘匿)、山鹿(秘匿)、飯野(秘匿)、小林(秘匿)、甘木(秘匿)、人吉(秘匿)、菊池、熊本、隅庄、知覧、万世、上別府、都城西、都城北、都城東、木脇、新田原、唐瀬川、熊本北(秘匿)、筑後、黒石原、玉名、豊後第一(秘匿)、豊後第二(秘匿)。
by のぶさん (2013-12-14 21:15) 

とり

マー坊さん、のぶさん、情報ありがとうございました。
by とり (2013-12-24 05:21) 

  マー坊

 甘木(秘匿)は、特幹の甘木教育隊の練兵場をS19年二倍にして中練が降りれるようにしています、多分このことだと思います。   

なお中練は主翼の長さが上下違っていて、なんでもできたそうです。海軍の零戦は安定しているので乗るだけなら中練なみだと書いていました。
 また中練でなかなかできなかった宙返りが零戦だとすんなり、できたそうです、やはり馬力が必要なのでしょう。

 ただ、爆弾を抱いて離陸速度95kmにするにはそれなりの距離が必要だと思います、あくまでも素人考えですが。
by マー坊 (2013-12-24 09:33) 

マー坊

福島(秘匿)は、福島飛行場は多分、筑後飛行場、岡山飛行場だと思っていましたが、福島(秘匿)とは、別なんですね。

by マー坊 (2013-12-25 09:22) 

再生おじさん

笠置原&千間原について記載されている書籍を見つけました。

「九州の戦争遺跡」 江浜 明徳著(海鳥社、2012/8発行)
P179に地図が掲載されています。(推定図かもしれませんが・・)

それによると、
千間原は、11/17のコメントの⑤のちょい南。
笠置原はダムのすぐ西側、 33°19'19"N、131°16'53"E附近らしい。
(・・・orz・・・本を買ってくればよかった・・・・(|||i'・ω・`)ウロオボエ )

グーグルアースの「地面レベルのビュー」で確認した限りですと、どちらの場所も付近よりかは「平面」で、長さも600mは確保できそうな場所・・・
(*・゙・)ウーン…

正解は、本をご覧くださいませ~~~m(_ _;)m
by 再生おじさん (2013-12-26 21:54) 

のぶさん

 「帥作命丙第119号別紙」(1945年7月22日付)は、決号作戦準備のために各飛行場へのアルコール燃料の集積予定表です。
 このほか、終戦までに機体が配備された陸軍飛行場の一覧表として、防衛研究所史料室所蔵の「帝国陸軍飛行機現況表」があります。
 また、終戦後に占領軍へ引き渡すべき陸軍航空部隊の軍需品集積地として、東北軍管区18カ所、東部軍管区89カ所、東海軍管区38カ所、中部軍管区30カ所、中国軍管区10カ所、四国軍管区3カ所(高松、松山、由良)、西部軍管区34カ所が数字(一部は地名記載)で記されています。これは各飛行場のほか、航空廠、航空補給廠出張所などです。

 海軍航空基地及び秘匿飛行場の一覧表は、防衛研究所史料室所蔵「海軍航空基地現状表 内地の部」(史料番号、⑤航空基地4)が一番詳しいと思います。
by のぶさん (2013-12-31 22:17) 

再生おじさん

こんばんは

真壁秘匿飛行場(南)の痕跡らしきものを見つけました。
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9957864.html

同(北)  (1/11にアップ予定)
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9958027.html

浦和緊急着陸場(米軍名。越谷岩槻とは別な場所です。)
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9953086.html
by 再生おじさん (2014-01-10 01:12) 

再生おじさん

真壁秘匿飛行場が特定できました。
大和村史P521 「金敷飛行場」 
巻末の年表では昭和20年1月に作られたとあります。

※1月22日に自動アップします ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9981866.html

笠置原&千間原
書籍を購入し地図を比較してみましたが謎が増えました(笑)
※1月23日に自動アップします↓
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9996634.html
by 再生おじさん (2014-01-20 21:34) 

再生おじさん

こんばんは
大曽根FLGが写っている写真が出てきました。
※1月30日に自動アップします↓
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/10036022.html

by 再生おじさん (2014-01-25 01:42) 

再生おじさん

富江の水上機用はこれの事かも・・・・
※2月4日に自動アップします↓
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/10061991.html
by 再生おじさん (2014-01-30 20:23) 

再生おじさん

川西粟津飛行場に関する米軍資料を見つけました。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009482
これ↑の131~134コマ目に載っています。

by 再生おじさん (2014-02-12 00:33) 

再生おじさん

こんばんは

絵葉書チェックで、昭和4年の民間飛行場が出てきました。

愛媛県松山市の梅津寺飛行場です。
http://www.pocketbooks-japan.com/index.php/manufacturers_id/38/filter_id/3300/page/1/sort/3d

愛媛県生涯学習センター
http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=2&P_SNO=45&P_FLG1=16&P_FLG2=3&P_FLG3=7&P_FLG4=0

愛媛県史 社会経済3商工からの抜粋
昭和四年(一九二九)における松山の発着場は、当初温泉郡三津浜町広町(現松山市)の海岸だったが、同年八月から梅津寺の伊予鉄道埋め立て地北隅に事務所・格納庫が完成、移転した。梅津寺の飛行場は、当時松山周辺で唯一の民間飛行場として親しまれた(今治の基地については旅客扱いがなかったせいもあってか不詳)。

絵葉書とグーグルアース、アーカイブUSA-M220-120と比較したところ、
座標は 33°52'36.23"N、132°42'16.15"E だと思われます。

by 再生おじさん (2014-03-03 23:43) 

とり

■再生おじさんさん
こちらもありがとうございますm(_ _)m
ご紹介頂いた愛媛県生涯学習センターの記事に出てくる愛媛飛行場も現在の愛媛空港とは別のものですね。
再来週四国なのでその前に知れて良かったです^^
未知の飛行場がザクザク出てくる~!
場所の特定も本当にありがとうございます。
by とり (2014-03-04 05:32) 

再生おじさん

こんばんは

茨城県大畑海軍秘匿飛行場の情報が書かれている郷土史が出てきました。

にいはり物語
P105
集落の東から北に掛けての広い里山には、昔は馬捨て場があったり、また草競馬場が設けられて、住民の娯楽の地にもなっていたが、戦争激化とともにそこに、海軍航空隊の仮設飛行場が建設されて、赤トンボといわれた二枚羽根の練習機がたまに降りたり、グライダーの練習場にもなっていた。
また小学校の農業実習農場や、海軍飛行予科練生と陸軍さんによる、芋畑などに耕されたりした。
そこに新治広域簡易水道事務所が設けられて、昭和50年(1975)4月から、新治全域を対象に給水が開始された。

著者の方に電話で確認してみたところ、新治広域簡易水道事務所とは、現在の新治浄・配水場との事でした。

アップしておきます。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/10208626.html
by 再生おじさん (2014-03-05 20:21) 

とり

■再生おじさんさん
おはようございます。
記事拝見しました。
もう凄すぎです^^
by とり (2014-03-06 05:20) 

再生おじさん

こんばんは

勢力河原の飛行場は、熊山町史P368に位置情報が載っていました。

飛行場の設営はすべて整備隊の指示によって行われた。
滑走路は勢力の中村と吉井川の間で、吉井川の岸辺に沿うて幅約一〇〇メートル、長さ約一〇〇〇メートルであった。
先のグライダー連留置を基本に桑畑、畑、水田(一部)をつぶして造成された。
掩体壕は中村の両端辺りに一つずつ造られた。


熊山町史の飛行場関連テキストはこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/10219777.html

推定位置↓
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/10232601.html
by 再生おじさん (2014-03-08 05:07) 

とり

■再生おじさんさん
またまたありがとうございます。記事拝見致しました。m(_ _)m
プレビュー機能便利なのですね。
推定位置の記事は見ることが出来なかったのですが自動アップなのでしょうか。
再生おじさんさんの「こんばんわ」とオイラの「おはようございます」が
ほぼ重なっているという。。。(o ̄∇ ̄o)
by とり (2014-03-08 06:02) 

再生おじさん

あちゃ~、勢い余ってしまいました。
すみません。
後編は9日に自動アップされますので、しばしお待ちください。

追伸:今、起きました(笑)(;^ω^)
by 再生おじさん (2014-03-08 11:00) 

とり

■再生おじさんさん
オイラは夜9時を過ぎるともう難しいことは考えられなくなります。羨ましいです。
明日の記事を楽しみにしております~^^
by とり (2014-03-08 14:22) 

再生おじさん

こんばんは

新潟の「村松」は、とりさんが既に訪問している「愛宕原の飛行場跡地」なのではないでしょうか? 住所が同じ石曽根ですし・・・
by 再生おじさん (2014-03-08 20:25) 

再生おじさん

こんばんは

粉河秘匿飛行場ですが、このページ(KOKAWA.JP)の質問者、のぶさんなんですね・・・・∑(・∀・;ノ)ノ
http://www.kokawa.jp/cgi-bin/resbbs4.cgi

参考情報URL
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000108690
http://www.arakawa-momo.noen.biz/kigen.html

和歌山県風土記のP119に桃山町関連の事が書かれていますが、
残念ながらプレビュー機能だけでは・・・・(|||i'・ω・`)全部読めにゃい・・

思わせぶりな文言が載っているんですけどねぇ~・・・(|||i'・ω・`)
「第二次世界大戦中飛行場用地として伐採されたが、現在では樹数十数万本を数え、昭和五十六年における生産高は・・・」

これらの資料を見る限り「粉河秘匿飛行場」って、「安楽川飛行場」(未完成?、場所は桃山町段新田)の事なのではないでしょうか?
(座標: 34°14'52.50"N、135°21'27.45"E)


by 再生おじさん (2014-03-09 00:45) 

とり

■再生おじさんさん
おはようございます。
再生おじさんさん仰る通りでした(@Д@)
「村松」=「愛宕原の飛行場跡地」でした。
お手数とらせて申し訳ありませんm(_ _)m

>粉河秘匿飛行場
参考URLありがとうございます。
のぶさん、出てますね~(o ̄∇ ̄o)ニヤ
仰る通り、「粉河秘匿飛行場」=「安楽川飛行場」ぽいですね。
改めてよく調べてみます。
いつもありがとうございます。
by とり (2014-03-10 07:21) 

のぶさん

 粉川飛行場は、日本陸軍、米軍の呼称です。
 地元の方に伺うと、「粉川飛行場、何?」の如き反応で、地元では「安楽川」または「桃山」飛行場なんですよね。
 ちなみに、米軍の空中写真は、工藤洋三さんの著作に掲載されています。
by のぶさん (2014-03-11 17:05) 

のぶさん

とりさんは、四国へおいでですか?歓迎します!
梅津寺飛行場や今治飛行場は、昭和初期にあった民間航空の水上機発着所です。愛媛飛行場は、丁度、重信川と松山自動車道の交点付近に所在した、民間飛行場です。確か、跡地に碑があったと思います。
by のぶさん (2014-03-11 17:09) 

とり

■のぶさんさん
粉川飛行場情報ありがとうございましたm(_ _)m
早速「安楽川飛行場」でググったら、再生おじさんの考察記事がトップに来てた(@Д@)
相変わらず仕事がマッハ。

来週四国にお邪魔する予定ですm(_ _)m
愛媛の飛行場についてはおおよそ場所特定済みなのですが、今治飛行場だけ場所が分かりません。
もしご存知でしたら教えて頂けると嬉しいです。
by とり (2014-03-12 05:31) 

再生おじさん

とりさん こんばんは

千住、草加間 国道秘匿滑走路の件、

草加市史 通史編(2001年3月発行、草加市史編さん委員会)
(たぶん下巻だったと思います)

時期が違うと思ってコピーを取りませんでしたが、
昭和12~13年ごろに国道4号の改修工事が完了したとの記述がありました。改修後の道幅が15mなので、当時としてはやたらと広い道路だったそうです。(嗚呼・・記憶がウロオボエ~(T□T)コンドコピーシテキマス)

とりさんの探している「国道滑走路」ができた「時期」の手掛かりがあれば、なんとか特定できそうなのですが・・・・
by 再生おじさん (2014-03-13 19:55) 

とり

■再生おじさんさん
情報ありがとうございますm(_ _)m
実はここにつきましては、「地図と愉しむ東京歴史散歩 都心の謎篇」という本で
つい先日場所が判明しておりました。
それによれば、昭和20年に十三間道路(24m)に拡幅工事をして滑走路としたとのことでした。
「昭和12~13年ごろ」の改修工事で15mになっていたということですから、
段階的に道路が拡幅されたことになりますね。
この件については本には書かれておりませんでした。
当滑走路の記事を作るときには含めさせて頂きます。
どうもありがとうございましたm(_ _)m

余談ですが、この本で東京の大井飛行場の場所も確定できました。
by とり (2014-03-14 05:21) 

のぶさん

 終戦後に作成された陸軍の史料で、秘匿飛行場の設定方法として、既設道路を拡幅する方法が記されています。陸軍の秘匿飛行場は、かなりこの方法で設定されたものが多いようです。
by のぶさん (2014-03-14 12:52) 

とり

■のぶさんさん
情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-03-15 05:14) 

再生おじさん

こんばんは

アジア歴史資料センターに 東海軍管区航空兵器現状表 がありました。
レファレンスコード A03032135000

昭和20年9月30日時点の現況表です。
これによると、大垣と関には飛行機は無く、装備品(弾薬・航空燃料・他)があった事が記されています。

大垣と関所属の部隊(同一部隊、「大垣ハ関ニ移動の予定」)が書かれていますが、飛行場というよりも「秘匿場所」っぽい様に思えます・・・・・
ウーン(。・_・?)ハテ?


by 再生おじさん (2014-03-30 01:44) 

とり

■再生おじさんさん
おはようございます。
初めて見ました(@Д@)
確かに大垣と関はページによっては出てこなかったりしますね。
貴重な情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-03-31 05:44) 

のぶさん

大垣と関は秘匿飛行場で間違いありません。
機体の展開が無かったのではないかと推測されます。
小生の手元にある航空本部の記録を見てみます。
東海軍管区は、詳細な記録が残されていますから、信頼性は高いと思います。
ちなみに、東海軍管区司令官は、映画にもなった岡田資中将ですね。
by のぶさん (2014-04-03 08:40) 

再生おじさん

コメ欄お借りします。m(_ _;)m

のぶさんへ

確かに未展開もしくは終戦時には飛行機が無かった可能性もあるとも思っているのですが・・・・
帥作命丙第119号別紙を入手していないのでハテナ状態なのです。
載っている秘匿飛行場は全て完成していたのでしょうか?
ゥ─σ(・´ω・`*)─ン…
by 再生おじさん (2014-04-03 20:00) 

とり

■のぶさんさん、再生おじさん
コメントありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-04-04 06:20) 

あ

いつも通り、ネット情報を適当に投下

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2010/07/post-6ee0.htmlによると(原本は帥作命丙第40号の模様)
・神野秘匿飛行場は「兵庫県加古川東北方約四粁加古川河原」のようです。
・行幸秘匿飛行場は「岡山県和気町西南方約十二粁」のようですので、瀬戸内市長船町とした先の情報と合致します。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/3836/donnduru/donndureubou3.htm
図の丸印は飛行場と名称を示してるものと思われますが、よくわかりませんので、情報の取り出しは詳しい方お願いします。

http://dansa.minim.ne.jp/CL-Suiriku-index.htm
真偽はわかりませんが、ページ中ほど日東航空路線図中、串本(民間)はここの索引にカウントされていなさそうです。
by あ (2014-04-07 20:50) 

とり

■あさん 
いつもありがとうございます。
後日じっくり調べさせて頂きます。m(_ _)m
by とり (2014-04-09 05:39) 

のぶさん

再生おじさん様

帥作命丙第119号別紙に記載されている飛行場は、ほぼ完成した飛行場のみが記載されていると思われます。

大垣、関の秘匿飛行場は、航空総軍編成時の文書(帥作命丙第1号別紙)に既に記載されていますので、陸軍の秘匿飛行場としては、初期に計画されたものと思います。(四国では松山西、松山東のみ)
by のぶさん (2014-04-09 13:08) 

のぶさん

中部地方の占領を管轄したアメリカ第1軍団の参謀第二部定期報告書です。
大垣・関飛行場も出てくると思います。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009614
by のぶさん (2014-04-09 13:13) 

のぶさん

上記資料52~55コマにかけて、近畿・中部地方に展開した陸軍航空部隊の一覧表があります。
by のぶさん (2014-04-09 15:26) 

のぶさん

65コマ~68コマにかけて、近畿・中部・東海地方の各陸軍飛行場に所在した各種航空機の一覧表です。
by のぶさん (2014-04-09 15:35) 

再生おじさん

コメ欄、お借りします・・・

のぶさん
貴重な情報、有り難うございます。
ほぼ完成していたっぽいのですね・・・( ・∀・)ノシ∩へぇ~へぇ~

では早速・・・・・・・∑(・∀・;ノ)ノ エ、エイゴ・・
ガ━(;゚д゚)━ン!! シカモ544ページ (T□T)

がんばって読んでみます・・・・(;^ω^)
by 再生おじさん (2014-04-09 19:50) 

再生おじさん

なるほど・・・とりあえず、55コマ目に 80th A/Fld Co 、コマンダー:トミナガタツオ、AIRFIELD:OGAKIとありますね・・・・
(*-゙-)ウーン…

80th A/Fld Co=(日本側のコードで)80ac って事っぽいですね・・
日本側のコードを部隊名に直すと何になるのでしょうか?
第80飛行中隊(パイロット部隊)?
それとも飛行場中隊(後方支援部隊)?
(。・_・?)ハテ? オジサンサッパリワカリマセン・・・

[壁]ω-)ジー・・・・・・
ところで・・・・・
同じ表の一番上にある「TADO」という飛行場も気になります。
何処の事なんでしょうねぇ? (。・_・?)ハテ?
by 再生おじさん (2014-04-11 02:12) 

のぶさん

 80th A/Fld Co は80th airfield companyの略だと思いますので、第80飛行場中隊です。飛行場中隊は日本陸軍の符号で、acです。飛行場の警備・補給部隊です。

 あと、先述の航空総軍発足当時の作戦命令ですが、帥作命甲第2号別紙です。秘匿飛行場として、水澤、王城寺原、棚倉、小千谷、矢板、真壁、結城、龍崎、今市、熊谷南、北富士、勅使川原、関、大垣、菰野、鈴鹿、松山東、松山西、豊後東、豊後西、人吉、熊本北、某が記されています。
by のぶさん (2014-04-13 13:46) 

再生おじさん

コメ欄お借りします。

のぶさん
有り難うございます。
なるほど~ 「警備・補給部隊」って事は、その場所もしくは近くに飛行場がありそうですね~ ジックリと探してみます。

ところで、「結城」(現在の茨城県結城市、もしくは当時の結城郡全域が捜索対象)なのですが、郷土史等から興味深い事が(単なる偶然かもしれませんが)出てきました。
「結城町(現在の結城市)」に師団本部があった納部隊が、海老が島のすぐ隣で戦車や航空燃料の隠匿壕を作っていた様です。
しかも、この結城の部隊、ガソリンが貴重となった末期において、連絡を密にするため宇都宮(陸軍)へ毎日車で往復していた様子なのです。

↓仮説なのですが・・・どう思います?
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/10281833.html
by 再生おじさん (2014-04-14 19:52) 

再生おじさん

とりさん こんばんは

大原秘匿飛行場について、レファレンス共同データベースがヒットしました。

「おおいたの戦争遺跡 要塞化された大分の全貌」 大文協Books 神戸 輝夫/編 大分県文化財保存協議会 2005.8 p17 「三重町の陸軍秘密飛行場」によると、「旧三重町(現在の豊後大野市)百枝に建設され、大原飛行場とも言われた。現在飛行場の一部は大分県農業大学校の耕地になっている。」
「大分県三重町誌 総集編」 三重町企画商工観光課/編 三重町 昭和62年 p651~652 「大原飛行場の建設」によると、「正式名称豊後秘匿飛行場。三重町駅裏の丘陵地帯で、通称大原といわれる一帯。4月から建設を開始し、8月初め完成したが、一機も配備されなかった。」とあるそうです。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000140139


by 再生おじさん (2014-04-14 20:35) 

とり

■再生おじさん
以前再生おじさんが仰っていた通りだったのですね。
ありがとうございました~! m(_ _)m
後日記事修正致します。
by とり (2014-04-15 05:55) 

のぶさん

終戦時に各陸軍飛行場に所在した種類と機数については、防衛研究所所蔵の「帝国陸軍飛行機現況表」しか、まとまった一次資料は無いと思います。
by のぶさん (2014-04-18 17:22) 

PUTIN

ご無沙汰しております。

仕事で青森に行ったついでに青森県立図書館へ寄って郷土史関連の書籍を幾つか見てきました。その中に茂浦水上機基地に関する記述を見つけましたので、ご連絡いたします。

出典:平内町史編さん委員会編『平内町史 上巻』(平内町、1977年)。

第1章 軍事
○敗戦目前の平内
(前略)
東田沢大島に大湊海軍の一部が駐屯し、小湊港湾附近、茂浦方面にも陸軍部隊が駐屯した。
(後略)

資料4
昭和二十年小湊町事務報告書
(前略)
七月十五日ノ空襲ヲ初メトシテ八月九、十両日ニ亘リ敵機ノ銃爆撃ヲ受ケ重ナル損害ヲ挙グルト、七月十五日浜子海岸繋留ノ第九〇三海軍航空隊水上機四機ハ爆焼ノ危ニ遭ヒ
(後略)

小庶第二〇一二号
昭和二十年九月二十六日
(前略)
戦争開始以来空襲被害状況調査ノ件
(中略)
外大字浜子海上ニ繋留シアル大湊海軍航空隊水上機四機空襲ノタメ炎上セリ。
(後略)

以上です。

大湊警備府の史料にも当たる必要がありますが、上記資料から推測されることは空襲での纏まった被害を避けるために、第903海軍航空隊の一部を茂浦に分散・待避させていたのであろうと思われます。そのため、しっかりとした水上機基地を構築するのではなく、簡易な施設のみに頼った水上機基地であったと思われます。

最低限のきちんとした施設の確保が必要な陸上機基地と比べ、水上機を繋留する所さえ確保できれば、あとはなんとかなるのが水上機基地ですので、現地では当時の遺構はまず残っていないと思われます。

あと、とりさんが県不明として分類されている神野飛行場は、米軍が加古川北飛行場と読んでいるものと同一であろうと思われます。
by PUTIN (2014-04-23 02:50) 

とり

■PUTINさん
こちらこそご無沙汰しております。
貴重なお話をありがとうございました。
仰る通り、この周辺は航空写真でいくら探してもそれらしいものは見当たらないんですよね。
スリップがクッキリ写っているケースは多々あるのですが。。。
再来週当飛行場について記事をアップする予定なのですが、
コメントいただいたお陰でどんな扱いにするか決まりましたm(_ _)m
神野飛行場の件もありがとうございます。
by とり (2014-04-23 05:41) 

のぶさん

 水上機基地についてですが、正規の基地以外はスリップなどの施設は存在していないと思います。福山航空隊や詫間航空隊でも、島影などに分散退避させています。
 似たような状況として、特殊潜航艇蛟龍があります。回天や震洋が基地を造って、隧道式格納壕へ格納する必要がある反面、蛟龍は港に係留しておくだけで済みました。
by のぶさん (2014-05-13 17:08) 

とり

■のぶさんさん
情報ありがとうございました。
by とり (2014-05-14 06:39) 

PUTIN

とりさんや再生おじさん様が挙げていらっしゃる「旧海軍厚岸水上飛行場跡(厚岸郡厚岸町)」ですが、第903海軍航空隊の分遣隊が基地として使用していたようです。

なお、下記にURLを添付しました「厚岸防備隊戦時日誌」の10コマ目の略地図に「航空基地」の位置が記載されています。
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C08030456200?IS_LGC_S35=AND&IS_STYLE=default&IS_TAG_S35=InfoFolder&IS_LGC_S12=AND&IS_KEY_A1=%E5%8E%9A%E5%B2%B8&IS_TAG_A1=InfoD&IS_TAG_S12=InfoFolder&IS_KIND=MetaSummary&IS_KEY_S12=F2006090101382792715&

「第903海軍航空隊厚岸基地派遣隊戦時日誌」
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C13120404600?IS_KIND=MetaDetail&IS_STYLE=default&
by PUTIN (2014-05-17 19:45) 

PUTIN

工藤洋三『米軍の偵察写真と日本空襲』(私家版、2011年)の150~151ページに米軍が1945年8月5日付で作成した「飛行場報告第144号」に登場する秘匿飛行場の一部が写真付きで記載されています。

「空港探索」のHP上で取り上げられていない飛行場が1ヵ所あったのでご連絡致します。

書籍中の航空写真のキャプションは以下の通り
「佐渡・原黒畑の飛行場 佐渡島の加茂湖と両津湾に挟まれた場所にあった.米軍は佐渡島(Sadoshima Airfield)と呼んだ.」

以上です。
by PUTIN (2014-05-17 20:14) 

とり

■PUTINさん
厚岸と佐渡島の情報ありがとうございましたm(_ _)m
両方とも、ハッキリ特定は出来なかったのですが、
恐らくここであろうという場所を見つけることが出来ました。
オイラのブログの抜けを確認するのも大変な手間だと思うのですが…
本当に感謝です。
by とり (2014-05-18 04:53) 

とり

■のぶさんさん
以前コメントで教えて頂いた「帥作命丙第119号別紙」は、
何かの付録なのでしょうか?
資料室で閲覧するためにはどうやって検索したらいいか教えて頂けると嬉しいです。
by とり (2014-05-19 06:38) 

のぶさん

 帥作命第119号別紙は、史料「航空総軍後方関係命令綴」の中に収録されています。同史料の番号については、防衛研究所史料室のHPにPDFファイルにて所蔵史料の一覧が公開されていますので、探してみてください。
 なお、防研の史料については、史料題名と部隊名が一致していて、単一部隊についての史料綴は、把握が比較的容易ですが、「航空総軍後方関係命令綴」などのような雑文綴も多いので、そういったものは、多くの史料に目を通さないといけないため、難儀です。(そこが快感といえば、快感なのですが(笑))
 陸軍飛行場については、全体を網羅した一覧表は、奇異なことですが、恐らく、存在していません。帥作命第119号別紙は、昭和20年7月末のものなので、まだ欠落はありますが、最も完成度の高い一覧表ではないかと思っています。
 
 PUTINさんご指摘の903空の分遣隊について、これは「分遣」ではなく「派遣」の誤記ではないかと思います。よく混同しがちですが、分遣隊と派遣隊は全く異なるものです。「分遣」は海軍大臣の権限による命令、「派遣」は鎮守府司令長官による命令によるものであったかと思います。
by のぶさん (2014-05-19 09:13) 

とり

■のぶさんさん
早速の情報どうもありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-05-19 20:16) 

のぶさん

「分遣」と「派遣」の違いは、海軍航空隊令を参照してください。
by のぶさん (2014-05-20 08:51) 

のぶさん

うろ覚えで申し訳ありませんが、終戦後、陸軍は各飛行師団、航空団等へ飛行場記録の作成を下命しています。この飛行場記録は、現在、防衛研究所史料室に収録されています。飛行場記録作成の命令書には、「牧場を除く」と記されています。ここで、陸軍も海軍と同様に、秘匿飛行場を「牧場」と呼称していたことが分かります。この命令書によって、秘匿飛行場の飛行場記録は作成されないようになっていますが、豊後南北飛行場のように、例外的に(?)幾つか作成された秘匿飛行場もあるようです。
by のぶさん (2014-05-20 08:58) 

とり

■のぶさんさん
情報ありがとうこざいましたm(_ _)m
by とり (2014-05-21 05:44) 

再生おじさん

とりさん こんにちは~

茨城県・多賀町河原子地方滑空訓練所は米軍資料に載っています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009475
(15~21コマ目です)
※地図は21コマ目

尚、前にコメントしました「川西粟津」は31日に考察を自動アップします。
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/10633967.html



by 再生おじさん (2014-05-24 11:26) 

とり

■再生おじさん
(☆Д☆)今回も瞬殺でしたね。
ありがとうございました。
地図が日本語でビックリしました。
なんでこんなに早く見つけることが出来るのでしょうか??

川西粟津も楽しみにしてます~^^
by とり (2014-05-24 14:34) 

とり

↑米軍資料の39~45コマ目に未知の滑空場(厚木滑空場)発見!!

「川西粟津」のリンク先、我慢できずにクリックしたら、「権限がない」と怒られちゃいました。(XДX)
大人しく待ちます。。。
by とり (2014-05-24 17:16) 

再生おじさん

まだまだ未知の飛行場がありそうですねぇ~♪
この分ですと、800ヶ所を突破するのではないでしょうか♪

デジタルコレクションで、「airfields」とか「airdrome」とかで検索ヒットする米軍資料は一応目を通して、東日本(除く東京都)の怪しいところは、すぐに米軍資料に飛べるようにリンクを作っているのです。(-д☆)キラッ

川西粟津、すみません。
自動アップされる31日まで待ってください・・・m(_ _;)m
28日から筑波山系桜花基地(未成基地)公開版を自動アップするので、
その流れを切る訳に行かず、川西粟津のアップ日が31日となってしまいました・・・
(;^ω^)


by 再生おじさん (2014-05-24 18:49) 

とり

■再生おじさん
おはようございます。
>デジタルコレクション
そういう風にしておられるのですね。
教えて頂き感謝です。オイラも真似してみよう。
川西粟津の件、すみません。
流れ大事ですよね。
オイラも馬場平の記事では延々数か月お待たせしてしまいましたし。
楽しみにお待ちしております^^

場所確定できた飛行場の最新の数は721となっております。
当記事に挙げた未確認の飛行場が65。
突然新たに未知の飛行場が見つかることもありますし、
コリャ、本当に800いくかもしれませんね(@Д@)
by とり (2014-05-25 05:26) 

再生おじさん

こんばんは。

恐らく、湊町海岸滑空場は現在の那珂湊漁港(USA-M518-214)の事で、
水戸市吉田村の滑空場は水戸南飛行場の事では?(;^ω^)
(水戸市元吉田町=吉田村だった場所です)


by 再生おじさん (2014-05-25 23:24) 

とり

■再生おじさん
おはようございます。
早速調べて下さりありがとうございますm(_ _)m
>那珂湊漁港
名称が「海岸」滑空場で、地名が湊町で、1947年の写真も合わせると、
確かに仰る通り「もうここしか」って感じで限定されるんですよね~。
>水戸南飛行場
この発想はなかったです。
住所的に合ってますし、陸軍の飛行場を地方滑空訓練所としても併用していたということなのでしょうか。
by とり (2014-05-26 05:38) 

のぶさん

滑空場とは、大日本飛行協会の滑空訓練所のことでしょうか?
陸軍飛行場と滑空訓練所が併用というのは、昭和19年以降であれば、管轄が異なりますから、ほぼ有りえないと思います。

松山の場合、昭和18年までは、陸軍松山兵営の練兵場で滑空訓練を行っていましたが、駐屯部隊の関係などから、新たに温泉郡北吉井村へ滑空訓練所を設置して、移転しました。その後、昭和20年2月には、滑空訓練に隣接して、陸軍が松山東飛行場を建設しました。

併用という点では、逓信省の航空機乗員養成所は廃止されたものを除き、陸海軍航空隊と施設を併用する形で、終戦まで存続しています。便宜上、管轄が異なるため、建物は別であったようですが…。
by のぶさん (2014-05-26 08:38) 

再生おじさん

こんばんは~

なんだか、おじさん・・・
受験生になった気分です(笑)

wikiの陸軍航空通信学校+竜ヶ崎市史の件のページの次の文、「さらに模型航空機大会が中央と地方で企画された。中央では9月19日に陸軍航空通信学校で・・・・」=水戸南。

滑空大会の事までは載ってないとは思いますが、
今度じっくりと、水戸市史を見てみます。(;^ω^)
by 再生おじさん (2014-05-26 23:42) 

とり

■のぶさんさん
おはようございます。
市史には「地方滑空訓練所にて滑空大会」としか書かれていないので断言は出来ませんが、
名称からして、多分大日本飛行協会のことだと思います。
ただ、滑空大会実施日は昭和19年以前でして、昭和18年9月19日に行ったという記録があるのみです。
19年以降も同施設で同様の大会を実施したという記録があれば、
併用という線は消えるのかもしれませんが、昭和18年だけで記録が止まっていますので、
時期的な観点で見ればまだ併用の可能性は残ると思います。

■再生おじさん
おはようございます。
確かにこれだと水戸南でやったっぽいですね。
受験生みたいに調べて頂いてありがとうございますm(_ _)m
by とり (2014-05-27 05:22) 

再生おじさん

古くて短命な飛行場情報です。
(旧直方飛行場(民間飛行場)の情報)

日本航空史(明治大正編)P695

「福岡県直方の遠賀川畔に伊藤飛行場出身の弘中正利三等操縦士が、直方飛行場を開いて練習生養成に乗り出さんとしており、・・・・」

丸ごとpdf(容量155MB)でダウンロードできます↓
http://www.aero.or.jp/isan/archive/Japanese_Aviation_Histroy_upto_taisho-era/History_of_Japanese_Aviation_Meiji-Taisho_v2.pdf

米軍資料で、「A civil airfield with two large hangers and night flying facilities. A new Army airfield was reported being built in this vicinity as of March 1942.」と書かれているのは、黎明期に旧直方飛行場(民間飛行場)が存在したからなのかも・・・・・
by 再生おじさん (2014-05-29 01:38) 

とり

■再生おじさん
これまたドエライ資料をありがとうございます:(;゙゚'ω゚'):
未知の飛行場がザクザク出てきそう。
直方陸軍飛行場の近所に民間飛行場と。。。φ(..)メモメモ
by とり (2014-05-29 05:54) 

再生おじさん

こんばんは。

(藤原さんのブログに載っている下記情報で)
「帥作命丙第四十号 航空総軍の命令 五月二十八日一〇・〇〇 東京」
 一、航空総軍ハ秘匿飛行場ヲ増設セントス
 二、第一航空軍司令官ハ六月末概成七月末完成ヲ目途トシ左記秘匿飛行場ヲ整備スヘシ
     左  記
 三本木(青森県三本木町附近)
 六 郷(秋田県六郷町附近)
 金ケ﨑(岩手県金ケ﨑西方約四粁高谷野原)
 青野原(兵庫県北條東南方約四粁)
 神 野(兵庫県加古川東北方約四粁加古川河原)     
 行 幸(岡山県和気町西南方約十二粁)」

とあるのですが、位置関係の検証をしてみると・・・・・
金ヶ崎=距離は合っている
青野原=北条中学校から、PUTINさん情報の「繁昌」の座標迄約8km
神野=加古川駅~神野駅まで約4.5km
行幸=勢力河原? ちなみに和気駅から約6km

何故か距離1/2で青野原と行幸(=勢力河原?)がピッタリだったりするこの不思議・・・
(*-゙-)ウーン… まさかの戦時改描??
by 再生おじさん (2014-05-30 00:06) 

とり

■再生おじさん
おはようございます。
情報ありがとうございますm(_ _)m
米軍の位置情報も結構アバウトですけど、日本軍の情報もビックリするほど合わない事がありますよね。
どういうこっちゃ??
by とり (2014-05-30 05:28) 

とり

■あさん 
(2014-04-07 20:50)コメントありがとうございました。
大分遅れてしまいましたが調べさせて頂きました。
・神野秘匿飛行場は「兵庫県加古川東北方約四粁加古川河原」のようです。
→飛行場の場所、「多分ここだろう」という場所を特定できました。ありがとうございました。
・行幸秘匿飛行場は「岡山県和気町西南方約十二粁」のようですので、瀬戸内市長船町とした先の情報と合致します。
→地図で確認しました。
図の丸印
→判別できる範囲でですが、全て調査済でした。
串本(民間)
→ここは水上機の運用が出来る場所が非常に限られているため、
戦後、漁港化した箇所を復活させたのだろうと考え、リストから除外しておりました。
が、折角なので不明リストに含めておきます。
情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-06-03 06:04) 

とり

■のぶさんさん
(2014-04-13 13:46)に頂いたコメントについて質問です。
コメント内で「豊後東、豊後西、」とありますが、
豊後は南北以外に東西もあったのでしょうか?
by とり (2014-06-03 06:05) 

のぶさん

陸軍の豊後飛行場は2か所で、陸軍内で複数の名称が使用されていたものと推定します。でも、正式な名称は、固定していないと混乱するのではないかと思いますが。陸軍航空本部の規定では、どうなっていたのでしょうか?
by のぶさん (2014-06-03 12:53) 

しげ

山口県の埴生飛行場ってのは津布田のR190の事じゃないかなあ・・・・。長くて真っ直ぐな道は飛行場の名残と聞いております
by しげ (2014-06-03 15:04) 

とり

■のぶさんさん
>陸軍内で複数の名称が使用
そうなのですか。ややこしいですね~。
どうもありがとうございましたm(_ _)m

■しげさん
>津布田のR190
その話自体初耳でした。
地名的にはお隣ですし、あり得る話ですね。
情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-06-04 06:39) 

再生おじさん

こんばんは~

水戸市史をジックリ見ましたが、旧吉田村の飛行場は水戸南(陸軍航空通信学校=吉田飛行場)しかありませんでした。
(水戸は歩兵第二連隊がメインなので、水戸南に関する記載が数行しかないという・・・!Σ( ̄Д ̄;)がーんっ! )

大日本飛行協会と航空日と陸海軍の関係、アーカイブ写真、昭和18年の航空日での事から、吉田村の地方滑空訓練所とは水戸南飛行場の事を言っていると思いますよ~ 

ところで・・・・
豊後は、単純に考えて、南か北の着工日(完工日)の早い方が「第一」なのではないでしょうか?(;^ω^)

追伸
既にご存じでしたらすみません。
滑空場に関しては、この方のHPに情報満載です。↓
http://www.vsha.jp/page41.php
(概ね、とりさんが訪問済みの場所かと思いますが・・・・)
by 再生おじさん (2014-06-08 01:40) 

とり

■再生おじさん
こんにちは~

・吉田村の地方滑空訓練所
市史をじっくり調べて下さり、本当にありがとうございますm(_ _)m
総合的に見て、やはり水戸南のことのようですね。
記事修正致します。

・豊後
ですよね~。
少し前に再生おじさんから頂いたデータから、豊後南の方は、
1945年4月着工、8月初旬完成と分かるのですが、
もう一方の豊後北の方が調べてみたのですが残念ながら不明の状態です。

・HP
ここは凄いですよね。
このサイト様からは以前幾つか滑空場を特定させて頂いておりました。
でも実は未だ全体を確認していません。
ああ、調べ物が増えてゆく~(@Д@)
どうもありがとうございました。
by とり (2014-06-08 16:29) 

再生おじさん

こんばんは~

米軍資料で長野北を探していて佐渡島が出てくるという不思議・・・・∑(・∀・;ノ)ノ ナンデジャ?

( ´∀`)つ これの51コマ目に・・・

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4002387

SWPA places this at 38-00N 138-19E,states naval air base with both drome and seaplane station is located here.
(おじさん訳:SWPAでは座標の位置に、広場と水上機基地の両方を有した海軍航空基地があると述べられています。)

グーグルアースやアーカイブ(1948年)でも桟橋があり、グーグルアースのストリートビューでも、広場の中に何かの石碑が建っている様子ですが、
本当に基地があったかどうかは調べてません・・・・

m(_ _;)mマチガッテイタラゴメンナサイ

by 再生おじさん (2014-06-09 23:24) 

とり

■再生おじさん
おはようございます。
てっきり以前PUTINさんから頂いた場所のことだろうと思っていたのですが、
島の反対側ですね!(@Д@)
民間飛行場があったとも書かれてるし。。。
こっ、これはいつか行ってみなければ。
情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-06-10 06:10) 

再生おじさん

再びこんばんは~

PUTINさん情報の「佐渡島」は・・・・

( ´∀`)つ ↓これの299コマ目に出てました。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009764

2100×250フィートだそうです。
by 再生おじさん (2014-06-10 22:36) 

とり

■再生おじさん
おはようございます。
おお、長さ、方向も出てますね!
かなり絞り込めます。
これはPUTINさんから頂いた情報の原黒で確定かな。
どうもありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-06-11 02:32) 

再生おじさん

こんばんは

茨城県岡部飛行場についての考察結果です。
正解なのか間違いなのかは・・・ワカリマセン・・m(_ _;)m

http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/10771842.html
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/10773904.html

by 再生おじさん (2014-06-25 21:14) 

バラモンキング

はじめまして。長崎県五島市(福江島)の以下2つの飛行場についてであれば情報提供できると思います。

1.富江・小浜水上基地
  場所 南松浦郡富江町
  飛行場 75×30
  収容施設 士官20 兵員150
2.福江海軍作戦基地(野々切飛行場)・・・建設途上で終戦
  場所 南松浦郡本山村
  飛行場 1500×150、1200×150
  収容施設 士官200 兵員900

どのようにしたらよいですか?
小浜水上基地のスリップは現存しており、メアドわかれば現状の写真送れます。

by バラモンキング (2014-06-26 00:10) 

とり

■再生おじさん
記事拝見しました。
凄過ぎです(☆Д☆)

■バラモンキングさん いらっしゃいませ
福江海軍作戦基地は、福江空港すぐ南側のV字滑走路のことだと思います。
野々切飛行場という名前があること、海軍の飛行場だったこと、
その他詳細不明でした。
情報感謝致します。
お手数で申し訳ありませんが、こちらまでメール頂けますでしょうか。
(削除しました)

メール、どうもありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-06-26 20:14) 

バラモンキング

●とりさま
今後ともよろしくお願いします。

●再生おじさんさまへ
はじめまして。福江の飛行場調査について貴殿のブログがとても参考になりました。ありがとうございました。ここの掲示板を利用してお礼させていただきます。
ここに情報を送ると同時に貴殿にも情報を送ろうと思ったのですが、私もブログを立ち上げないとメッセージが送れないシステムだったのでやめてしまいました。ここ(とりさま)のHP掲示板に書き込んだら隣接した書き込み貴殿の書き込みがあり驚きました。

●とりさま、再生おじさんさま

せっかくの機会ですので私の知りえた範囲で補足しておきます。
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9523273.html
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/10061991.html

まず、福江には終戦時2か所の飛行場がありました。

1.富江・小浜水上基地について
再生おじさんの予測とおりでお見事です。

2.福江海軍作戦基地(野々切飛行場)について
場所は大浜になります。
V字型滑走路の交差した付近の北側に大型の格納庫があって、戦後、何機かのゼロ戦と97艦上機があり、地元のガキたちの探検場所であったらしいです。
また、管制塔や無線施設もほぼ出来上がっており、進駐軍がくるまですべての建物が残っていたようです。

米軍の地図で「TOMIE NAVAL AIR BASE」となっている部分は、小浜水上基地の関連施設、および、逓信省管轄の「富江(航空)無線電信局」、気象測候所であると考えられます。なお、その場所には小浜水上基地の兵舎があり、戦後、その兵舎が富江病院に引き継がれ病棟して利用されていました。
http://ritouken.net/ritouken/schedule/2013/7.pdf#search='%E5%AF%8C%E6%B1%9F%E7%97%85%E9%99%A2'
再生おじさんが富江半島の中を「透視(?)」した部分に飛行場はありません。しかし、戦後に福江島に飛行場開設気運が高まった際に、現在の福江APの場所と富江が候補に挙がり、富江にAPを整備するとすればそこになったでしょう。地元の建設反対運動で立ち消えになったそうです。(郷土史にもどこにも出てきませんが地元住民の談話です。)

福江島における戦時中の航空ネタとして、油山事件で斬首されたB-29墜落機搭乗員が拘束された場所でもあります。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/B24-44-50958.html

なお、陸軍は沖縄が米軍に陥落した次は福江島が侵攻されると読み、台風の過ぎ去った9月あたりから侵攻されるだろうと予測し島全体を要塞化しようとしていたようです。終戦間際は独立混成107旅団が島全体の要塞化を進めていました。

by バラモンキング (2014-06-27 10:08) 

再生おじさん

バラモンキング様

はじめまして&有り難うございます。m(_ _;)m

正解が判り、ほっとした反面・・・「やっちまったかぁ~」ってな感じです。
後日、記事(天然迷彩柄の部分)を修正したいと思います。
m(_ _;)mゴメンナサイ・・・・・・・・

ポカッ(._+ )☆ヾ(-.-メ) ォィォィ シュギョウガタリネエゾ

え~っと・・・
修行を積むために・・・・再び北方方面を・・・(笑)

ところで、その水上基地のスリップなんですけれど、水上飛行機用なのかダイハツ用(船用)なのかが判断できないでいるのです・・・
(*-゙-)ウーン…ドッチナンダロウ?

御存じありませんでしょうか?
by 再生おじさん (2014-06-28 00:45) 

バラモンキング

再生おじさんさま

お返事ありがとうございます。
貴殿のブログはとても参考になっていました。
改めてありがとうございます。

さて、小浜海軍航空基地のスリップが水上飛行機用なのかダイハツ用(船用)なのかがわからないということですが、私もわかりません。
水上偵察機がいたと伺っているので、水上飛行機用と思い込んでいますが・・・。
http://dansa.minim.ne.jp/a8310-1-Fukue-KohamaNavy.htm
http://dansa.minim.ne.jp/00000002-memo.htm
 日替わりメモ 6/16 6/17
この画像はHP「ひこーき雲」の佐伯さまに別件で連絡を取り合った際に小浜海軍航空基地の話を出したところ、佐伯様のご厚意で情報提供の呼びかけをしていただきました。
他の画像はとりさまに送っています。私と直接連絡とる手段があれば他の画像を送ります。とりさまに先日送りましたので転送していただいてもかまいません。

もしよければ伺いたいのですが、米軍の写真(特に野々切飛行場の USA-M415-2-65(1947.08.18撮影)の入手方法が知りたいのですがどうしたらよいのでしょうか?

よろしくお願いします。
by バラモンキング (2014-06-28 06:33) 

再生おじさん

バラモンキング様 おはようございます

リンク先をクリックしてみました。
お爺様の「水上偵察機がちょっとあった」との証言!
( ・∀・)ノシ∩へぇ~へぇ~
水上偵察機用で確定ですねぇ。有り難うございます。

さて、写真ですが・・・・
国土地理院のこのページ↓に入って戴いて(最初のポップアップ画面で「同意する」をクリック)
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do

住所やら撮影時期やらを絞り込み検索すると出てきます。
写真を選んで、「高解像度表示」をクリックすると別画面で出てきますので、
後は、スクリーンショット(パソコンのプリントスクリーン機能)でコピーし、ペイントを立ち上げて「貼り付け」です。

え~っと・・・すみません。
資料を送って戴きたく宜しくお願い申し上げます。
saisei_ojisan@yahoo.co.jp

by 再生おじさん (2014-06-28 10:42) 

バラモンキング

再生おじさんさま

お返事ありがとうございます。
先ほどメールを送信しました。届いていますでしょうか?

国土地理院のページの件もありがとうございます。
とても参考になる情報が手に入りそうです。


by バラモンキング (2014-06-28 21:59) 

再生おじさん

バラモンキング様

早速メールを戴きまして、誠に有り難うございます。

[壁]ω-)ジー・・・・・・・・・・

(ノ´∀`)ノ゚。*オォオォォォ♪。*゚+ なかなか良い感じのスリップですねぇ~♪

機会があれば行ってみたいです・・・m(_ _;)m
by 再生おじさん (2014-06-29 00:47) 

再生おじさん

こんにちは~

下田水上飛行場の写真が載っているHPを見つけました↓
http://shimoda100.com/hana-rekishi-kankou/

写真の文字が小さく判読が厳しいのですが、「柿崎」の様です・・・

写真の背景とグーグルアース、アーカイブとの比較してみたら・・・・
① 34°40'21.87"N、138°57'50.65"E ② 34°40'10.44"N、138°57'37.89"E のどちらかではないかと思われます。

by 再生おじさん (2014-06-29 11:23) 

とり

■再生おじさん
よくこんな小さな写真一枚から。。。
いつもありがとうございます~m(_ _)m
by とり (2014-06-30 06:43) 

再生おじさん

こんばんは~

清水水上の情報を探していて、下田の確定搭乗場所が判明してしまうという・・・(T□T)ナンダカナァ

残念ながら、おじさんの先のコメントは外れが確定した様です・・・・
!Σ( ̄Д ̄;)がーんっ!

本日(7/1)発行の「みなとしみず」116号に下田の搭乗場所(確定場所)情報が出てます・・・( ・∀・)ノシ∩へぇ~へぇ~

116号↓
http://www.shimizu.pa.cbr.mlit.go.jp/kouhoushi/pdf/minato_s/No116.pdf

バックナンバー↓
http://www.shimizu.pa.cbr.mlit.go.jp/kouhoushi/minato_s.html

この広報誌をロックオンしていると、他の水上飛行場の確定場所情報もゲットできるかも知れません・・・・[画面]ω-)ジー・・・・

尚、記事を寄稿した山口博史さんという方が詳しい調査をしている様です。
by 再生おじさん (2014-07-01 22:39) 

再生おじさん

連コメすみません・・・・m(_ _;)m

追加情報です。

「みなとしみず」に出てくる蓬莱館の場所
下田市4丁目6-9 、座標 34°40'25.17"N、138°56'29.92"E

搭乗場所は武ガ浜附近とあり、広報の写真と29日にコメントしたHPのリンク先写真(下田空港)に写っている島(毘沙子島?)がキーポイントになりそうです。

http://shimoda100.com/wp-content/uploads/2011/12/2804b161af2b40f1b8c72bc4cd981bcd.jpg

2つの写真とグーグルアースの写真やストリートビューとを比較すると、 34°40'31.33"N、138°57'14.96"E 辺りかとも思えますが・・・・・・
現地の砂浜に立って2つの写真の背景(山の形)を見比べないと詳細位置がわかりませぬ・・・・・(*・゙・)ウーン…
by 再生おじさん (2014-07-01 23:39) 

とり

■再生おじさん
いつもながらの探索能力ですね!
シリーズものになってるみたいですね。今後チェックし続けるようロックオンしておきます。
いつもありがとうございますm(_ _)m
by とり (2014-07-02 05:35) 

とり

■しげさん
(2014-06-03 15:04)に頂いたコメントの件です。
調べるのが遅くなってしまい申し訳ありませんm(_ _)m
「津布田のR190の事じゃないかなあ・・・・。長くて真っ直ぐな道は飛行場の名残と聞いております」
しげさんの仰る「R190の長くて真っ直ぐな道」とは、原田外科医院~津布田のことだと思います。
1947年の航空写真でこの場所を確認してみました。
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=2647&isDetail=true

現在は立派な道路になっていますが、当時は滑走路に使えるようには(少なくともオイラは)見えませんでした。
お隣になってしまいますが、当時の写真で見る限り、前場交差点~上市交差点なら可能性はあると思います。
飛行場跡地についての口伝はこれまでの経験上非常に信憑性が高いので、とても気になります。
今後とも気を付けておきたいと思います。貴重な情報頂き、どうもありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-07-05 13:24) 

とり

■のぶさん
先日四国にお邪魔しました^^
のぶさんから、愛媛飛行場について、「跡地に碑があったと思います」と教えて頂いていたので、
現地で一時間近く探し回り、行きかう人に片っ端から聞いて回ったのですが、
結局発見することが出来ませんでした。つД`)・゚・。・゚゚・*:.。
見つけたかったのですが残念です。。。
もし碑の正確な場所が判明しましたら、教えて頂けると嬉しいです。
by とり (2014-07-05 13:30) 

再生おじさん

こんばんは

ちょいと確認なのですが、「蓑原」が大分県となっていますが、
宮崎県都城市蓑原町(=都城西飛行場)の事なのではないでしょうか??
都原町の左下に蓑原町ってありますし・・・・(。・_・?)ハテ?
by 再生おじさん (2014-07-10 01:00) 

とり

■再生おじさん
おはようございます。
本当だ!
大分県に「蓑原」という住所はないんですよね。
大分県の蓑原飛行場というのは、記事に書いた通り、
「熊本の戦争遺跡 戦後65年」九州各県旧軍飛行場一覧が資料で、
この中で秘匿飛行場に分類されているのですが、
この資料はちょっとアレな部分があるんですよね。
地元の通称で「蓑原飛行場」なんて呼ばれてないかな~と思ってググってみたのですが、
残念ながらなし。
それでも個人の方のブログで「蓑原の西飛行場」と表現されているものがありました。
もしかすると都城西飛行場のことかもしれないですね。
いつもありがとうございますm(_ _)m
by とり (2014-07-10 08:19) 

再生おじさん

埴生秘匿について

町史に「かくし飛行機」という記述が出てきました。
---------------------------------------------------------------
山陽町史(山陽町教育委員会、1984年)
P751
昭和二十年八月十五日、太平洋戦争は日本の無条件降伏という形で終わった。人々は激しい疲れの中でただぼう然とした。
大道畑の防空監視哨や小月の飛行隊の兵士の中には、「絶対に負けたのではない。これから軍は最後の攻撃をする」と町へ出て意気まく者もあった。
しかし滑空訓練場や海軍通信学校及び埴生地区内のかくし飛行機はそのまま放棄され、訓練生や兵士はそれぞれあわただしく帰郷した。
すべての軍事色を一掃しておけという通達があり、一般家庭の刀や銃は警察に差し出し、青年学校にあった歩兵統は打ちこわされ、
役場や各学校の軍事的な文書や器具はことごとく焼却された。中には軍服姿の自分や家族の写真まで焼いた者も多かった。

by 再生おじさん (2014-07-14 21:29) 

とり

■再生おじさん
>かくし飛行機
小月飛行場のヒコーキを隠したのか、それとも秘匿飛行場のヒコーキなのか。。。
「滑空訓練場」が新たに出て参りましたね。
情報ありがとうございました。
by とり (2014-07-16 05:51) 

再生おじさん

こんばんは

グーグルブックスでの限界がありますが、山陽町史の続きです。

①滑空訓練所について

P645
しかし航空兵が実戦に参加できるようになるまでには長期の訓練が必要であった。これを少しでも早くするため、軍の要請で大日本飛行協会が青少年にその要員としての基礎教育をすることになり、昭和十八年、同協会山口県支部は防府市に第一、東部に第二、西部の厚狭に第三地方滑空訓練場の開設を計画した。

P818
その結果昭和二十八年に山口県営厚狭林業苗圃の設置が決まり、翌年一月、町有地約三、七〇〇坪のほか私有地約一、八〇〇坪を買収して県に貸し、四月に開設された。
この土地は戦時中滑空訓練場であった場所で、戦後旧地主に売り渡したが、中央を東西に貫通する道の南側は町有地として残しておいたものである。

→山口県営厚狭林業苗圃の場所が・・・・
コッチヵ?(・ω・。)(。「・ω・)ァッチヵ? わかりませぬ・・・

②秘匿飛行場?or秘匿場所?
文面からして「秘匿飛行場」では無く「秘匿場所」の事だと思います。
もしかしたら、埴生地区に隠した飛行機と埴生秘匿飛行場とは別の事かも知れません。

(*-゙-)ウーン…
熊谷県立図書館が山陽町史を所蔵していますので、見てこようかなぁ・・
by 再生おじさん (2014-07-17 20:53) 

再生おじさん

連コメ失礼しますm(_ _;)m

続きを出すことが出来ました。(苗圃が見つからない訳です(;^ω^))

P818
苗圃では、当初造林用の杉、ひのきの苗木を生産したが、三十二年からは庭園や生垣用の苗木も生産するようになった。
のち、四十年三月になって一応目的は終えたとしてこの苗圃は廃止された。この土地は四十三年に山口県住宅供給公社が買収して分譲住宅を建てた。これが現在の西善寺住宅団地である。

座標では 34° 3'18.33"N、131°10'35.81"E の辺り。

当時の事を知る人の証言↓ (議事録の一番下にあります)
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=SC4NGIJ7zaEJ&p=%E8%A5%BF%E5%96%84%E5%AF%BA%E4%BD%8F%E5%AE%85+%E6%BB%91%E7%A9%BA%E5%A0%B4&u=https%3A%2F%2Fwww.city.sanyo-onoda.lg.jp%2Fuploaded%2Fattachment%2F10704.doc

隠し場所として「怪しそうな」場所
1947年5月と10月の写真比較で、下記座標のところが伐採?されています。
34° 2'40.18"N、131° 4'5.34"E
何故かギリギリ下関市・・・・ウ・・ ウ~ン(-ω-`;。)ムズカシイ-
by 再生おじさん (2014-07-17 23:22) 

とり

■再生おじさん
苗圃だった時期は十年ちょいだったのですね^^;
第三滑空訓練場の場所を確定することができました。
どうもありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-07-19 04:34) 

再生おじさん

こんばんは~

またしても・・・・
清水水上を探していて、別な水上機基地が判明するという・・・
(|||i'・ω・`)ナンダカナァモウ

↓これのP5~6
http://fish-exp.pref.shizuoka.jp/04library/4-7/pdf_hekisui/hekisui_038.pdf

と、↓これのP5
http://fish-exp.pref.shizuoka.jp/04library/4-7/pdf_hekisui/hekisui105.pdf

現在の「三保飛行場」の事なのかどうかはワカリマセン・・(*-゙-)ウーン…


by 再生おじさん (2014-07-20 02:03) 

とり

■再生おじさん
またまた貴重な情報をありがとうございますm(_ _)m
頂いた資料によりますと、昭和4年以降、三保を基地に運用したのですね。
清水海軍航空隊が三保に来たのは昭和19年で、
現在の三保飛行場が開設したのは昭和43年なので、
魚群探見飛行はずっと前の出来事ですね。
(実は清水海軍航空隊は飛行場があったのかなかったのか、イマイチはっきりしないです)
水産試験場で運用していたのは水上機で、頂いた資料の写真では砂浜っぽい所に係留してますから、
海軍や現在の飛行場とは関係ないのかも。
場所が気になる~。
by とり (2014-07-20 06:45) 

とり

■再生おじさん
後から気が付いたのですが、
教えて頂いた水産試験場の三保での水上機基地運用開始時期(昭和4年半ば~)は、
清水水上飛行場(東京航空が昭和4年8月から大井鈴ヶ森線運航)
と時期が丁度重なるんですね。
もしかしてこの二つは同一。なんてことは。。。
by とり (2014-07-20 08:12) 

再生おじさん

おはようございます。

そうなんですよ~
時期が重なってるんです。(*・ω・)-ω-)・ω・)-ω-)ゥィゥィ♪
東京航空の路線は観光目的も含まれていたはずですから・・・・
「三保の松原」の近くに「清水水上飛行場」で、試験場の基地と同一だったのではないかと期待しています・・・・・
(((゚Д゚;)y-~ ソワソワ ((( ;゚)3y-~ ソワソワ (((゚Д゚;)y-~ ソワソワ

by 再生おじさん (2014-07-20 10:23) 

再生おじさん

こんにちは~

情報ヒット!! キタ━(゚∀゚)━!!

コピペします。

静岡県においては、私設の三保飛行場を開設した根岸錦蔵(明治35年~昭和58年)の熱心な働きかけにより、昭和3年度、4年度に、八丈島三根海軍飛行場を基地にして実用試験が行われました。払い下げの陸上練習機
(複葉索引式)を転用した白龍号は状態が悪く、天候不順、故障や事故による機体破損などで当初の予定どおりには探見飛行が行われませんでしたが、『昭和四年度静岡県水産試験場事業報告』には、「機上ヨリハ完全ニ魚群ノ遊泳状態ヲ認メ得ルヲ以テ盛漁期ニ完全ナル飛行機ヲ使用セバ本事業ハ充分ニ好成績ヲ挙ゲ得ルル確信ヲ得タリ」と記され、探見飛行の有効性が報告されています。
昭和5年度以降、海防義会から静岡県に無償貸与された義勇8号、9号(中島式3座水上機)2機を中心に、三保真崎を基地にして探見飛行は継続されます。しかし、県費や水上機貸与の交渉などで当局に疎んじられた根岸は、
次第にこの事業から遠ざけられ、代わって、事業は日本飛行学校事業部定期航空(後に東京航空輸送社と改称)に委託されることになりました。

静岡県立中央図書館だより 平成19年1・2月号(No306)
http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/info_back_old/infor/tayori/no306.pdf#search='%E9%AD%9A%E7%BE%A4%E6%8E%A2%E8%A6%8B%E9%A3%9B%E8%A1%8C'

東京航空と繋がりましたよー (*・ω・)-ω-)・ω・)-ω-)ゥィゥィ♪
エリアは「三保真崎」で確定です♪


by 再生おじさん (2014-07-20 14:06) 

とり

■再生おじさん
こんにちは。
おお、繋がりましたね! 場所は真崎!\(^o^)/
早速国土地理院の写真で確認したのですが、このエリアは1947年からしか見られるものがないですね~。
「真崎」は現在の三保飛行場よりもっと北側ですね。
真崎海水浴場が目につきますが、住所的には突端部分も真崎なのと、水上機の運用であること、
また当時の写真で見るとこの周辺に水上機の基地らしきものが見当たらないことなどから、
湾内になる半島の西側に水上機基地があったのではないかと勝手に想像しました。
1947年の写真で見ると、現在の三保マリーナの北側部分に海岸ギリギリの建造物と、極短いですが桟橋らしきものが見えますね。
こ、これかしらん。
いつも感謝です。
by とり (2014-07-20 16:52) 

再生おじさん

こんばんは~

静岡県立中央図書館のレファレンスデータに関連書籍名が載っていました。

https://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/licsxp-opac/WOpacRefDetailDispAction.do
(↑リンクエラーになる場合は、「魚群探見」で検索して下さい)

タイトル:魚群探見飛行について
①『静岡県/水産時報』(SZ66/7)   静岡県水産時報社 
   当館所蔵 9巻1号(昭和9年1月)-15巻12号(昭和15年12月)
9(10) 「三保格納庫便り」p11~p14

「三保格納庫便り」とありますので、「格納庫」が写っているハズと思い・・・
コッチヵ?(・ω・。)(。「・ω・)ァッチヵ?とアーカイブ(USA-R1807-2 1948.09.25)を見てみたら・・・・

格納庫(1948年まで残存していたらの話ですが・・)っぽい建物は・・・
(とりさんの思っている場所と同じだと良いのですが・・・)
35° 0'56.07"N、138°31'9.12"E なのではないかと思います・・・・・・
(;^ω^)

正解は、資料を取り寄せるか静岡県立中央図書館に見に行くしか無さそうです・・・・・((((;゚Д゚)))ダ、ダレカミテキテー!!

by 再生おじさん (2014-07-20 19:50) 

再生おじさん

こんばんは・・・・

ややこしい米軍情報が出てきちゃいました・・・!Σ( ̄Д ̄;)がーんっ!

海軍水上機基地(格納庫有)、軍隊飛行場(格納庫有)、seaplane ramp(水産試験場?=清水水上機基地?)の3ヶ所です。ゥ─σ(・´ω・`*)─ン…

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009985
(↑19~22コマ)

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4010876
(↑1コマ)

東側の「MILITARY AIRDROME」は確定だとして、西側(湾内)のが・・・・・ゥ─σ(・´ω・`*)─ン…
米軍の通りだとすると、4010876の1コマ目が試験場の水上機基地(=東京航空)????

うおぉ~~~~ わかりませぬぅ~ (-д`-!l)ゞ

こうなったら、先に沼津を探しに・・・・・・(-_★)キラーン!!
by 再生おじさん (2014-07-20 22:21) 

とり

■再生おじさん
おはようございます。
よく次々に資料を見つけられるものですね~!(@Д@)
まず東側のMILITARY AIRDROMEですが、これはまさに現在の三保飛行場の場所!
これはきっと昭和19年開設の清水海軍航空隊なんでしょうね。
「ここに当時飛行場はなかった」と思っていたのですが、あったのですね!
過去記事修正しなきゃ!

真崎にある「海軍水上機基地(格納庫有)」
オイラはこれが水産試験場の清水水上機基地だと思います。
「真崎に水上機基地を設けた」というのは水産試験場ご本人が語っていることですし、
使用機は軍からの払い下げでしたから、アメリカから見れば海軍の基地と思ったのではないかと思います。
(オイラの予想位置よりずっと北側でしたけど)

seaplane rampについてですが。
19コマを見ると、seaplane rampの辺りは「本村」と地名が付されています。
本村は現在の住所には無いようですが、少なくとも当時ここは真崎ではないということかと思います。
seaplane rampは水上飛行機の進水路のことで、seaplane base ではないところがミソではないかと。
(ハンガーもあるのが非常に気になりますが。。。)
ともかくこれで2箇所確定です。
凄い情報をありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-07-21 06:55) 

再生おじさん

おはようございます

(*-゙-)ウーン… アーカイブをもう一度見てみると・・・
seaplane rampって漁港の所ですから、米軍が漁船用のランプを飛行機用と誤認しているあるかも知れませんねぇ~♪♪
海軍=試験場=東京航空清水って事で良いかと思います。(*・ω・)-ω-)・ω・)-ω-)ゥィゥィ♪
(おじさんも先の座標が格納庫だと思ってたんですけどね・・ガ━(;゚д゚)━ン!!)
最終的には、図書館で資料を確認しておいた方が良いかも・・・(*-゙-)ウーン…
(図書館近くにお住いの方、情報宜しくお願い申し上げますm(_ _;)m)

※沼津
↓ これの2コマ目を拡大し・・・・
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009985

[壁]ω-)ジー・・・・・・・・・っと見てみると・・・・・∑(・∀・;ノ)ノ

狩野川の下(黒瀬橋の下辺り)に「Aero Fl」と載っています。
(検証用の田子浦飛行場の位置がちょいとズレているのが気になりますが・・・)
狩野川の河原にあったのかもしれません・・・・

by 再生おじさん (2014-07-21 11:10) 

とり

■再生おじさん
こんばんは。
>飛行機用と誤認
それはあるかもしれないですね~。
>図書館
現地にお邪魔する機会があれば、まずは図書館に行ってみようと思います。
でも当分行く予定ないからな~。
オイラからも近くの方お願いしますm(_ _)m
>Aero Fl」
(@Д@)ありますね!
ここだったのかも。
どうもありがとうございました~m(_ _)m
by とり (2014-07-21 21:01) 

再生おじさん

ちょくちょくお邪魔してすみません・・・・

東京航空の「伊東」なのか、それとも他の航空会社の「網代」なのかは不明ですが、米軍資料から伊東の近くの「網代」が出てきました。

↓これの39コマ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009571
座標 35° 0'N、139° 5'E が珍しく海岸です。( ゚Д゚)y \_ ポロッ

「日本航空史」等に載っている他の航空会社のはどうします?(。・_・?)
「浜名湖の館山寺」と「広島の宮島海岸鼓が浜」とかがあるんですけど・・・
---------------------------------------------------------------------
ところで、未訪問の旧隠岐空港とは日本海航空の黒木飛行場の事でしょうか?
余談ですが大峯山に擬装飛行場もあった様です。(´・∀・`)ヘー
http://www.oki-geopark.jp/documents/uploads/okinobunkazai27a.pdf#search='%E5%A4%A7%E5%B3%AF%E5%B1%B1+%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF+%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4'
by 再生おじさん (2014-07-21 23:16) 

再生おじさん

訂正:36コマです。m(_ _;)m
by 再生おじさん (2014-07-21 23:21) 

とり

■再生おじさん
おはようございます。
返事が遅くなってしまってすみませんm(_ _)m
>他の航空会社
「飛行場」と名の付くものは全て調べるつもりでおります。
「日本航空史」はオイラも後日調べようと思っております。
「日本民間航空史話」とか、高かったんですけど購入したものの、
積読になっている資料もあります。。。^^;
>黒木飛行場
旧隠岐空港は、現空港のすぐ北側にあった空港のことです。
グーグルマップだと、使用不可の滑走路が未だ残ってます。
黒木飛行場は地元自治体に問い合わせメールを出した物件でした!
こんな名称があったのですね~。
>擬装飛行場
これも初耳でした。
隠岐に行ったらあちこち見るところが出来た^^
いつも情報ありがとうございますm(_ _)m
by とり (2014-07-23 07:55) 

アギラ

こんにちは、ご存知かもしれませんが「土木史研究22号:首都圏に
おける飛行場と都市研究」を見ていたら1921年のところに民間飛
行場(面積~20万坪以下)で津田沼、三本霞、鶴見と云うのが
ありました。
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00044/2002/22-0281.pdf#search='%E6%B5%A6%E5%92%8C%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4'
(P284 首都圏における飛行場分布の変遷の1921年のところです。)
津田沼とは鷺沼海岸にあった伊藤飛行機研究所の津田沼飛行場?の様
な気がします。
鶴見に3つあった飛行場(片岡、宗里、玉井)の内2つは以前私もよ
く行っていた沖縄や南米の店の多い地域にあったようです。
尚、三本霞も神奈川県の様ですが分かりませんでした。


by アギラ (2014-07-25 12:49) 

とり

■アギラさん
おはようございます。
この資料は以前見たことがあるのですが、
未知の飛行場のことは気が付きませんでした。
後日じっくり拝見します。
情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-07-26 08:15) 

アギラ

追伸です。検索で「鶴見日記」さんのブログに鶴見の3飛行場につい
ての詳しい記述がありましたので引用させて頂きます。

①玉井飛行場…大正10(1921)年12月開設。玉井照高氏が自作の飛行
機で後輩たちを指導していた。大正12年4月に潮田町が誕生した時に
は「祝町制施行」のビラをまいた記録もある。大正12年9月の関東大
震災後に閉鎖され,その跡地にキリンビールの工場が建設された。

(1926年に生麦工場操業:アギラ記)

②宗里飛行場…大正12(1923)年5月、宗里悦太郎氏が末広町に第一航
空学校を開設。宗里飛行場と呼ばれた。飛行機は7機。訓練のほか一般
の人も料金15円で横浜上空一周遊覧を楽しめた。宗里飛行場には,日
本で2番目の女流飛行家として注目を浴びた19才の木部シゲノもい
た。木部は「男装の麗人」と呼ばれ,海軍機で高等飛行も行い,航空
界の女性ではただ一人,宝冠章を贈られた。スマートな姿でプロペラ
の音も勇ましく,大空に銀翼をひる返して飛ぶ勇姿に男性飛行士は見
ほれ,プロマイドも売り出されるほどの人気者であった。借地期限の
迫った大正15年2月に千葉県船橋に移転して、昭和14(1939)年まで存
続した。

(宗里飛行場は船橋へ移ったとありましたが松本(西崎)キクさんは
昭和 6年 東京州崎の第一飛行学校に入学(第一期生)と上里町で先日
いただいたダイジェスト版パンフの年譜にはありました。学校は洲崎
と船橋2か所にあったのかそれとも船橋は間違えなのか?:アギラ記)

③片岡飛行場…大正13(1924)年2月に片岡文三郎氏が片岡飛行学校を
開設。練習機のほかに偵察機や戦闘機など8機で飛行士の養成をしてい
た。借地期限の切れた大正15年3月に閉校。

ご参考まで。
by アギラ (2014-07-27 10:12) 

とり

■アギラさん
おはようございます。
おおお、三つも!(@Д@)
詳しい情報ありがとうございます。
後日じっくり拝見させて頂きますm(_ _)m
by とり (2014-07-28 05:33) 

アギラ

度々すみません。拡大してよく見たら三本霞でなく三本葭でした。
これで検索をすると川崎にあったことがわかりました。
「馬込文学マラソン」さんのHPに川崎にあったという記述が
ありました。
「今日の馬込文学 玉井清太郎の墜落死」という欄に以下の記事も
ありました。

「前年(大正5年)、玉井清太郎は初飛行に成功したが・・・ ※1946年12月31日以前に作成された写真(旧著作権法により著作権の保護期間が満了している)を使用しました。 
出典: 『写真でみる郷土のうつりかわり(風景編)』 より
大正6年5月20日(1917年。 97年前の5月20日)
午前7時5分、場所は羽田の多摩川を挟んだ対岸の 三本葭さんぼんあし
(現・川崎)(※1)」
風が少しありましたが、空は一点の雲もなかったといいます。前年
(大正5年)の11月5日、自作飛行機での初飛行に成功した玉井清太郎
(24歳)は、愛機で意気揚々と飛び立ったことでしょう。
目指すは東京中心部。
日本飛行学校を宣伝するのが目的でした。
芝浦の埋め立て地に一度降りたあと、再び離陸して東京の町にビラを
撒きながら飛行を続けました。
ビラには飛行機が国防上いかに重要かが書かれていました。
愛国の士よ!!! 若き人は征空の士たれ!!!と。
3度目の飛行のおり、異変が起きます。 突然、左の翼が折れたのです。
機体は墜落し、爆発。玉井は同乗した東京日日新聞の記者とともに命
を落とします。
惨事になりましたが、彼らが羽田の地に残した第一歩は、後の羽田空
港(東京国際空港)へと連なっていきます。
※1 : この年の初め、玉井清太郎(24歳)と相羽有(21歳)が羽田
に設立した日本飛行学校の飛行場

本文と写真のキャプションを抜き出しました。
この記事ですと1917年の初めに三本葭の飛行場が
日本飛行学校の飛行場としてできたようです。 
1921年12月に生麦に作られた「玉井」飛行場との関連も気にな
るところです。
お手すきの時にご査収願います。


by アギラ (2014-07-28 09:21) 

とり

■アギラさん
おはようございます。
情報どうもありがとうございました。
この穴守稲荷にあった飛行学校は羽田空港のルーツとされていますが、
当時は地盤が軟弱だったため、
飛行場は対岸の川崎側につくったと以前本で読みました。
その川崎側を探したのですが、見つけられなかったんですよ。
今週は忙しくて。。。
来週じっくり拝見させて頂きますm(_ _)m
by とり (2014-07-29 06:00) 

再生おじさん

こんばんは

戦時中のオートジャイロ用飛行場が吉島しか載っていない様子?ですので、ご存じかも知れませんが、他の2ヶ所をお知らせしておきます。

壱岐:筒城浜飛行場(基地)・・・ネット情報有
対馬:厳原飛行場・・・ネット情報無し(名称のみ情報有、詳細場所不明)


by 再生おじさん (2014-07-31 20:45) 

アギラ

御暑ございます、さすが8月です。

習志野市史第1巻通史編を見ていたら次の様な文章がありました。
津田沼の鷺沼に伊藤飛行機研究所(大正7年稲毛より移転)
鷺沼には東亞飛行學校(川辺佐見)帝國飛行學校(鈴木菊雄)
日本軽飛行機倶楽部(会長奈良原三次)も開設された。

船橋海岸には第一航空學校(宗理悦太郎)

東京洲崎には小栗飛行學校(小栗常太郎)
東京飛行學校(遠藤辰五郎)
亞細亞飛行学校(飯沼金太郎)
田中飛行学校(田中不二雄)などが開設され格納庫が建ち並んだ
とありました。

習志野市史第4巻資料編(ⅲ)には
東亞航空興業株式會社の1940年7月の広告がありました。
そこには本社は東京市小石川區大塚上町20番地となっていました。(大塚上町は現在の文京区大塚5丁目or6丁目)
関連はありませんが国産初の飛行機を明治時代に作った林田商会の場
所まで(新宿区西五軒町12-10)歩いても20分位です。
営業所と東亞航空技術員養成所は津田沼町鷺沼127番地となってい
て操縦や整備だけでなく中国語も教えていたようです。

そして1941年7月の伊藤飛行機株式會社の広告もありましたが本
社は千葉郡津田沼町鷺沼1440番地でした。
同じ所在地で伊藤飛行機靑年學校も生徒募集と書いて有りました。(篠崎への移転申請はどうなったのでしょう?)

尚、奇しくも千葉毎日新聞1931年5月23日の記事にはオート
ジャイロの記事もありました。
「滑走路を要さない直昇飛行機製作 奈良原男爵発明のオートヂャイ
ロン器を津田沼伊藤民間飛行場で 
津田沼町伊藤飛行機製作所にて目下奈良原男爵の発明に依る直昇飛行
機 組立を急いで居るが、右はオートヂャイロンと言って従来の如く
大面積の滑走場に 滑走する必要なく機上翼上に十字形の相互に内面
へ回転する装置のプロペラが備え付けられエンヂンを掛けタランクを
ふみローに入れるとエーヤ圧搾にて回転し直ちに機は直昇離陸するの
であって、目下イスパノ三百馬力機に取付中であるが又た同機には是
れも同男爵の妙案なる重心安定器を機体中心へ取付けてゐるので機体
の動揺等を防ぎ昇降等にも非常に便よく是に依り墜落も防止されると
のことでおそくとも七月初めには試運転の初飛行を行う由である。」
と言う記事がありましたがオートジャイロというと萱場式と言うイ
メージがあるのでこの記事の機体は期待外れだったのでしょうか?
(長文失礼しました。)
by アギラ (2014-08-01 14:29) 

とり

■アギラさん
おはようございます。まとめてで失礼します。
津田沼飛行場、ご指摘の資料と開設日が合っていますから、多分伊藤飛行機研究所の滑走路のことですね。
「津田沼飛行場」という名称があることも初めて知りました。
各記事にて名称追加させて頂きましたm(_ _)m

三本霞、鶴見の三飛行場、おおよその場所特定出来ました。
教えて頂いたサイト様が非常に役立ちました。

松本(西崎)キクさんの件ですが、アギラさんの意図を正確に捉えているか自信ないのですが、
第一飛行学校、安藤飛行機研究所を経て水上機の免許を取得後、
洲崎で陸上機の免許を取得したと資料にありました。

>「玉井」飛行場との関連
三本葭飛行場→玉井清太郎が開設
玉井飛行場→清太郎の弟が遺志を継いで開設
兄想いの弟ですね~。

船橋海岸に移転した第一航空學校の場所特定が出来ませんでしたので「教えて下さい」にリスト入り致しました。
なんか検索すると船橋のヘルスセンター飛行場ばかり出てきますね^^;

>洲崎飛行場
小さな飛行場で情報も乏しく、今まで印象の薄い存在だったのですが、
本当に沢山の飛行學校が使用していたのですね!
東上線ときわ台駅の遠藤飛行場の遠藤氏、1933年頃に遠藤飛行場閉鎖した後どうしただろうと
思っていたのですが、こちらに移っていたのですね。
洲崎飛行場記事、遠藤飛行場記事、それぞれ情報追加させて頂きましたm(_ _)m

>東亞航空興業株式會社
津田沼飛行場記事に情報追加させて頂きました。

>伊藤飛行機靑年學校、津田沼で生徒募集の件
「篠崎に移転」の新聞記事が1935年
津田沼で生徒募集が1941年
普通に考えると計算が合いませんね。どうしたことでしょうか??

>オートジャイロ
奈良原氏、こんなものまで手掛けていたのですね。
検索しても萱場のオートジャイロばかりが出てくるので、出来はそれなりなのかもしれないですね^^;
こちらも津田沼飛行場記事に追加させて頂きました。
それからKYBにこんな歴史があったことも知りませんでした!
カヤバといえば「サスの会社」というイメージだったのですが、
零戦用のショックも作っていたのですね!
イメージ変わりました。
沢山の貴重な情報をありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-08-03 06:04) 

とり

■再生おじさん
おはようございます。
>筒城浜飛行場
再生おじさんの筒城浜飛行場についての記事拝見しました。
一体ドコの国の砂浜かと思うほど美しいですね(@Д@)
リンク先の手記の中で、
「筒城浜の飛行場には滑走路は造らず、筒城浜の原っぱをそのまま利用し、
風向きにより4方8方に離陸することが出来ました。兵舎も新設せず付近の民家に宿営しました。」
という一文がありました。
http://www.geocities.jp/ikikansai2/hurusatokonjyaku/yomoyama.html
この説明からしますと、砂浜背後の草原一面を臨機応変に使用していたものと思われます。
別の手記でも跡地について、サッカー場、モトクロスコース等、かなり広範な場所を挙げているのはそのせいかと思います。

>厳原飛行場
http://www.geocities.jp/ikikansai2/hurusatokonjyaku/tabatayosio.html
↑こちらに厳原飛行場について少し説明がありました。
「厳原飛行場は海面より50m程の高台にあり、周りは山に囲まれている。
飛行場は平坦でなく、高低差は3m位はあったと思う。」
また、隊長以下操縦士以外に50名程駐屯したようですので、ある程度の規模と思われます。

http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=32051&isDetail=true
↑ここであちこち探したのですが、50m程の高台で周囲を山に囲まれて、ある程度の規模…この条件でも厳原は広いし結構怪しい箇所が沢山ありますね。
34.13.41N 129.17.44E ここなんて怪しいと思うのですが如何でしょうか。
後ほど各記事修正させて頂きます。
いつも情報ありがとうございますm(_ _)m
by とり (2014-08-03 08:55) 

アギラ

とりさんありがとうございました。
7月27日の拙書き込みに
>玉井飛行場…大正10(1921)年12月開設。玉井照高氏が
という文がありましたが大田区史下巻には「弟藤一郎」と書いてあり
ましたので「照高と藤一郎?」と思っていましたが改名をしたことが
判りましたので「な~んだ」でした。
さらに同書には藤一郎と分かれた相場有(日本飛行学校自動車科創設
者)は立川の陸軍飛行場西地区に大正12年6月に日本飛行学校練習
場を設けともありました。


by アギラ (2014-08-03 12:02) 

再生おじさん

こんばんは

松波飛行場が場所をアップしておきました

( ´∀`)つ 
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/10956943.html

厳原は今の駐屯地の事かなぁ?と考えております。(*-゙-)ウーン…

by 再生おじさん (2014-08-05 00:04) 

NO NAME

訂正

が=× の=〇
by NO NAME (2014-08-05 00:05) 

とり

■アギラさん
おはようございます。
改名というのが後年調べる側にとっては紛らわしいですね^^;
相場有氏情報ありがとうございました。

■再生おじさん
おはようございます。
松波飛行場の場所情報ありがとうございましたm(_ _)m
厳原は駐屯地。確かに可能性はありますね。
by とり (2014-08-05 06:41) 

アギラ

手元のコピー資料を整理していたら1枚、岐阜県の關飛行場に関する
資料がありました。
関市史(1967年11月15日発行)「昭和十九年食糧増産のため
西田原字佐賀理の原野十三-十四ヘクタールを開墾して耕地整理が行
われたが陸軍において飛行場の爆撃を避けるための分散化が図られ同
年暮れより関町周辺の町村から弁当を持ちの勤労奉仕隊が毎日千人以
上動員され、ここに双発飛行機の陸軍飛行場造りが行われた。
(中略)昭和二十年四月に飛行場の完成を見たが、事実上「関牧場」
と称され雑草の種を播いたため付近の農作物に大被害を受けた。ここ
に双発飛行機が発着し始めたが空腹にあえぐ兵隊の付近農家への食糧
乞いも頻繁で批判が高かった。」とありました。

「関市西田原字佐賀理」近年までこの住所はあったようですが今は関
市西田原の後の佐賀理が無くなり番地になってしまったようです。
関係があるかは分かりませんがゴルフ場を挟んだ反対側には中日本航
空専門学校があるようです。

尚、東京陸軍航空補給廠の「1號アルコール(作戦用)集積計画表」
には飛行場名が「關」と旧漢字で記載されていました。

牧場の読み方は「マキバ」「ボクジョウ」どちらでしょう?
ご存知ですか。
by アギラ (2014-08-07 10:57) 

とり

■アギラさん
貴重な情報をありがとうございます。
記事修正させて頂きましたm(_ _)m
関飛行場は秘匿なので、小規模なものを想像していたんですが、
双発用だったんですね。
牧場の正しい読み方は考えたこともありませんでした^^;
なんとなく「ぼくじょう」かと思ってました。
by とり (2014-08-08 07:35) 

アギラ

ありがとうございました。
またお伺いしたいことができてしまいました。
>関飛行場は秘匿なので
今回ふと気になったのですが「秘匿飛行場」が確認できる資料という
のは時々出てくる「帥作命丙第119号別紙」ですか?
それとも他にあるのでしょうか。
というのも今回引用した資料のタイトルは
>東京陸軍航空補給廠の「1號アルコール(作戦用)集積計画表」
でしたが以前書き写した資料の為気付きませんでしたが横に小さく
「帥作命丙矛第119号別紙」と書いて有りました。
これは「矛」が1文字多いので別資料でしょうか?
この資料は「關200」等とアルコール量の書いて有る資料で大きな
飛行場も立川100 所沢300と載っていたので秘匿飛行場の資料
ではないと思っていました。
時間の関係で資料全てを正確に写しておらず省略部分も多くなってしまいました。
この資料には秘匿の文字が無かったので気が付きませんでした。

by アギラ (2014-08-08 10:30) 

とり

■アギラさん
「秘匿飛行場」が確認できる資料は、のぶさんからコメント頂いた「帥作命丙第119号別紙」だけです。
この飛行場は検索しても情報が出てこないんですよね。
>「矛」
どういうことなのか、オイラには全く分かりませんm(_ _)m
アルコール量で比較すると確かに「秘匿」という感じがしないですね~。
どういうことなのか。。。

それから先日頂いたコメントの「佐賀理」は、現在の関バイパスの大杉交差点の周辺みたいですね。
1947年の航空写真でこの周辺を見てみると、如何にも滑走路っぽい東西に伸びる白い線が目を引くのですが、
これは長さ100mもない小さなものでした。
周辺には滑走路になりそうな場所が多く広がるのですが、コレという決め手がなく、絞り込みが出来ない状態です。
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=224672&isDetail=true
by とり (2014-08-09 05:47) 

アギラ

お早うございます。いろいろありがとうございました。
お手数をおかけしましたが航空写真わかり辛いですね。
滑走路を草で隠したまま、、、でしょうか?
他の資料も探してみます。
尚、同資料には、現大杉公民館の南東にあるカナクズ山北部に百八十有余
の横穴をつくり
司令部・無線局・兵舎・各種倉庫も造ったとありました。
時代は違いますがまるで吉見の百穴の様です。
by アギラ (2014-08-09 09:23) 

アギラ

連続ですみません。
大刀洗の資料でしたのでよく目を通しておらず改めて見直しましたら
新たな発見が2つありました。
「生徒隊(立石村一ツ木)には少年飛行兵が全国から集まり約2千人
の生徒がいた。グライダー操縦訓練を主として将来戦闘機乗りになる
べき要員を教育していた。そのため高射砲隊の敷地を南に拡張し長さ
1000メートルに及ぶ滑走路が造られ校舎や整備工場が県道甘木、
田主丸線沿いに並んでいた。(中略)
下三奈木(三奈木村)の出ぬけには4月初めから滑走路工事が行われ
県下の農学校勤労隊が動員されていた。甘木市史下巻(1981年)
という事で甘木の滑走路が2つ出てきてしまいました。
朝倉市一ツ木付近に1000mの滑走路。
そして朝倉市下三奈木の「出ぬけ?」にも滑走路があったようです。
念のため「1號アルコール(作戦用)集積計画」を見ると「甘木200」
とありました。
「飛行場配當要図」の方も見てみると「と號専用秘匿飛行場」となっ
ていました。
当初はこの地図の飛行場名を縦に甘木と小さく書いて有ったので
「某」と読んでしまいなぜここだけ名前を隠しているのだろうと不思
議に思っていました。
旧甘木市の2つの滑走路が2つ出てきてしまいましたがグライダー用
を秘匿飛行場としたのでしょうか、それとも下三奈木の方をしたので
しょうか。また疑問が湧いてしまいました。
by アギラ (2014-08-09 21:45) 

とり

■アギラさん
おはようござます。
まとめてで失礼します。
>まるで
凄いことをしたんですね(@Д@)
>甘木市の2つの滑走路
またまた情報ありがとうございます。
秘匿飛行場の位置付けも謎ですね。
後ほどじっくり調べさせて頂きます。
甘+木=某 には笑ってしまいました。
あるあるですね。
by とり (2014-08-10 07:04) 

とり

■アギラさん
・少年飛行兵の滑空場
http://blogs.yahoo.co.jp/asamin_sdf/archive/2009/05/17
↑何故か上下が逆になってますがコチラの地図に「新滑空場」が出ていました。
ただしこの地図を見ても、滑走路位置は明確には分かりませんでした。
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=188414&isDetail=true
↑1947年の写真と照らし合わせると、県道甘木田主丸線(r33)
の、一ツ木交差点~鳩胸交差点の少し南側までが敷地のように見えます。

全然知らなかったのですが、高射砲隊が移転した後、その施設を少年飛行兵が利用したんですね。
敷地を南に拡張し長さ1000メートルに及ぶ滑走路が造られた。
とのことですが、県道に沿って南北に、或いは県道から東西方向に滑走路を造ったとすると、
とても1,000mとれません。
敷地の建物の無い部分で対角線(北東~南西)
にすると、どうにか1,000mになります。
確証は持てませんが、こんな感じの滑走路だったのではないかと。

・下三奈木に造られた滑走路
↓三奈木には大刀洗東飛行場があります。
http://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/higashi-airfield
これと同一ということはないでしょうか?
建設時期について、「出ぬけ」の滑走路は4月からとなっており、
一方、大刀洗東飛行場が何月に着工したのか不明なのですが、
大刀洗飛行場がやられてしまったため建設されたとのことです。
大刀洗飛行場は、1945年3月27日、31日の2回の空襲で基地は事実上壊滅しました。
それで、東飛行場の建設は、4月かそれ以降に始まったと考えられます。
大刀洗が壊滅して翌月すぐに東飛行場の建設を開始していたとすれば、
両者の着工のタイミングは同一ということになります。

ただし食い違う点もあり、「出ぬけ」の滑走路は農学校勤労隊が動員された。とのことですが、
東飛行場の方は「男手がなく、細々と造っていた」と説明を受けました。
地図で見る限り、三奈木は非常に狭い範囲なので、ここに二つというのは
ちょっと考え難いのではないかと思いました。

どちらかが秘匿と号とするならば、オイラは下三奈木に造られた滑走路の方ではないかと思います。
少年飛行兵の滑空場は古くから軍事関係の敷地で大刀洗飛行場に近いですが、
三奈木の方は、「まさかこんな所に」という位置だから。というそれだけのことですけども。
by とり (2014-08-10 20:06) 

アギラ

またかなりお時間をとらせてしまい申し訳ございません。
「大刀洗東」と言う名称がありましたので甘木は別とはなから思っておりました。
今回もとりさんご指摘のとおりかもしれません。

アレッ!この生徒隊の「配置図」は見たことがあると思い手元の複写
資料を探しましたら、ありました。
ご紹介いただいたブログには「全景図」となっておりましたが手元に
あるのは「配置図」となっており「Aコープ」等は書いて有りませんでした。
当方のはA4判の上部にこの図があり下部には水戸陸軍飛行学校配置
図がありました。(ただ出典を書くのを失念しておりました。)
甘木市史には「高射砲隊監視塔あと」というコンクリート3階建ての建物が平屋の建物のすぐ横に写っている写真がありましたが図の方は庭の中央に対空監視塔としてありますのであまり正確な図ではないよ
うです。
by アギラ (2014-08-11 03:20) 

とり

■アギラさん
飛行場探しが本業ですので、こうして情報が頂けるのは本当に感謝です。
>アレッ!
民間機がお好きなのに、こんな配置図まで頭に入っているとは、驚異的な記憶力ですね(@Д@)

話は変わりますが、アギラ氏監修夏休み推薦図書「人の砂漠」本日読了しました。
非常に興味深かったです。
海に流す大きな草履、台湾出稼ぎ、国境の意味等々、子供のころから聞いていた断片情報が一つにまとまった気がします。
狭い島内の島民同志の、台湾との、内地との人間関係、ケイキ、大国に振り回される宿命等、
ほとんど知らない事ばかりで、オイラはキレイな部分しか聞かされていなかったということが分かりました。
戦後の混乱期を潜り抜け、やっと俯瞰して語ることが出来るようになった時期の
島民の話が非常に生々しく、それが内地の目で語られるのが非常に良いです。
島出身の父に見せてみます。
余談ですが、クブラ・バリの話は与那国に付き物なのですが、与那国在住の九十代の親戚のオバーに言わせると、
「あんなこと、本当にやらせるはずない。アレはただのお話!」と言ってます。
それから、オイラの親戚もチラッと出てました。本当にチラッとですけど。
by とり (2014-08-11 20:48) 

アギラ

おはようございます。
夏休みの読書感想文に毎年苦労した事を思い出してしまいました。
お知り合いが載っていてよかったです。(誰だろう~)
私は親類に振武隊がいたことを知ってからどこで訓練を受け、そして
殺されたのか、真相を知りたかったのがきっかけでした。
ですから海軍関係は少ないのです。
資料を集めていると家族や親類に関する思いがけない資料や写真が出
てきて驚いたこともありました。ニューギニアで玉砕した親類、終戦
後なのに満州で亡くなった親類等々も調べておりますと付随する色々な事まで分かりました。
>ただのお話
先島ではやまとぅによる収奪が激しく、直訴で、やっと明治36年に廃止されるまで人頭税があったことは先島の他の島でも同じような悲
劇がありましたので多分本当なのでしょう。(今年宮古に行ったらや
はり人頭石がありました)ですからきっと言いたくなかったのではな
いでしょうか。
私の親はB29の空襲で家も家族もやられてしまいました。
人間は酷すぎる体験をすると思い出したり人に話すことも嫌になるのだと思いました。そのため近年まで親から話を聞いたことはありませ
んでした。(空襲後の家族の遺体処理の話はさらに悲惨でした。)
若い優秀な人たちがもし生きていたらもっといい社会になった、、、かな?

資料整理中、宇部の戦前の地図(複写)が出てきたので眺めていたら
面白そうなのがありました。
また次の機会?にお知らせできたらと思っています。
by アギラ (2014-08-12 09:57) 

とり

■アギラさん
ご親戚にそんな方々がおられるのですか。
戦史がぐっと身近になりますね。
オイラのお得意先に満州からの引き上げの方がおられ、
どうして引き上げに何年もかかったのか、孤児がいるのか、
満州での様子など毎回お邪魔する度に当時の貴重な話を伺っております。
その方自身も生きて本土に戻れたのが奇跡で、数奇な運命を辿っていて、
お聞きする度に戦後の方のご苦労が偲ばれ頭の下がる想いです。
>酷すぎる体験をすると
そうなのかもしれませんね。
あちこちで話を伺っていると、時々そんな雰囲気になることがあり、
芸能レポーターのようになってしまわないようにしなければ。
と思います。
本に出てくる知っている人は、163pの池間栄三で、既に亡くなっていますが
オイラの叔父です。
>宇部の戦前の地図
楽しみにしております。
by とり (2014-08-13 20:34) 

アギラ

「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)の中に「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)がありましたがかなり端折って名称:所在地・滑空場だけを抜き出してみました。(所在地は学校・滑空部・倶樂部等のものです。除:臺南高工グライダー部)
1新潟醫科大學グライダー部・新潟醫科大學内・「新潟市海岸線」
2新潟高等學校グライダー部・新潟高等學校内・「新潟市學校町濱滑空場」
3北海道帝國大學學生航空研究會・北海道帝國大學学生課・「札幌飛行場」
4東京帝国大学滑翔研究會・東京帝國大學工学部航空科教室・「記入無し」
5金澤高等工業學校航空研究會・金澤高等工業學校内・「金澤市野村練兵場」「金澤市外栗ケ崎砂丘」「金澤飛行場」
6熊本高等工業學校グライダー倶樂部・熊本高等工業學校内・「熊本市帶山練兵場」
7松山高等學校航空研究會・松山市持田町松山高等學校内・「松山城北練兵場」
8松山高等商業學校航空研究會・松山市淸水町松山高等商業學校内・「松山練兵場」
9神戸高工航空研究會・神戸高等工業學校内・「校庭」
10神戸商業大學航空研究會・神戸商業大學内・「グライダーは本學運動場」「飛行機は大阪盾津飛行場」
11甲南高等學校グライダー倶樂部・甲南高等學校グライダー倶樂部内・「本校庭」「武庫川滑空場」
12九州帝國大學航空會・九州帝國大學工学部航空學教室・「福岡市外香椎滑空練兵場」「和白村砂濱」「熊本縣阿蘇山」
13廣島高等工業學校滑空部・廣島市千田町廣島高等工業學校内・「廣島市東練兵場」
14仙臺高等工業學校校友會滑空部・仙臺高等工業學校内・「宮城野原陸軍練兵場」
15茨城縣立工業學校グライダー部・茨城縣東茨城郡吉田村茨城縣立工業學校・「校庭」「練兵場」
16一關中學校滑空部・岩手縣立一關中學校・「校庭」「熊野原練兵場」
17生野中學校滑空部・大阪市東成區南生野町府立生野中學校・「校庭」
18今宮職工學校滑空研究會・大阪市西成區西四條二丁目府立今宮職工學校・「淀川滑空場」「西成摂津守町津守神社南方地区」
19池田師範學校校友會滑空部・大阪府池田師範學校・「校庭」
20石橋中學校グライダー部・栃木縣下都賀郡石橋町縣立石橋中學校内・「栃木縣河内郡本鄕村(鬼怒川河原)」
21新潟中學校滑空部・新潟市關屋新潟中學校内・「新潟市學校町濱滑空場」
22新潟商業學校グライダー部・新潟縣立新潟商業内・「新潟市學校町濱滑空場」
23日新商業學校滑空部・日新商業學校・「有津陸軍飛行場(盾津?)」「本校農園場」
24西野田職工學校グライダー部・大阪市此花區大開町西野田職工學校・「淀川滑空場」
25北海中學校グライダー部・北海中學校内・「札幌飛行場」
26北陽商業學校グライダー部・大阪市東淀川區下新庄町北陽商業學校・「東淀川區長柄滑空場」
27平安中學校滑空部・平安中學校・「京都深草練兵場」
28兵庫縣米田町青年學校滑走部・兵庫縣印南郡米田町青年學校・「加古川下流米田滑空場」
29兵庫縣立工業學校々友會滑空部・兵庫縣立工業學校・「明石滑空場」
30東奥義塾航空部・弘前市下白銀町二東奥義塾内・「弘前練兵場」「岩木村常盤野東奥義塾農園内滑空場」
31東京府立第一商業學校々友會滑空部・東京府立第一商業學校・「東京市板橋區戸田橋滑空場」
32東京府立第六中學校校友會滑空部・四谷區内藤町東京府立第六中學校内・「戸田橋滑空場」「(豫定地)世田ケ谷區八幡山町」
33東京府立電気工業學校航空部・東京府立電気工業學校・「戸田橋滑空場」
34東京高工帆走飛行倶樂部・東京市芝區西芝浦三の一東京高等工學校・「深川浦飛行場」(浦?杉並工業も使用)
35豐橋中學校滑空部・愛知縣豐橋中學校・「高師ケ原滑空場」
36豐橋第二中學校グライダー部・愛知縣豐橋第二中學校・「豐橋市高師原陸軍演習場」
37豐橋市立商業學校滑空部・豐橋市立商業學校・「高師原演習場」
38豐岡中學校グライダー部・兵庫縣城崎郡豐岡町県立豐岡中學校内・「豐岡滑空場」
39豐岡商業學校學友會・兵庫縣城崎郡豐岡町常盤字隈中「大日本飛行協會豐岡滑空場」
40鳥取第二中學校校友會滑空部・鳥取市立川町五丁目鳥取第二中學校「鳥取第四十聯隊練兵場」「鳥取砂丘」
41德島縣師範學校滑空隊・德島市常三島町德島縣師範學校・「德島市冲ノ洲飛行場」
42虎姫虎姫中學校滋賀縣立虎姫中學校・「本校運動場」
43千葉中學校滑空部・千葉市葛城町縣立千葉中學校・「學校運動場」
44銚子中學校滑空部・市立銚子中學校・「銚子中學校校庭」
45銚子商業學校滑空部・銚子市三軒町銚子商業學校・「銚子陸軍飛行場」
46中外商業學校滑空部・兵庫縣川邊郡立花村塚口中外商業學校・「本校校庭」
47立命館中學校商業學校滑空科・京都市上京區室町頭小山上總町立命館中學校商業學校・「京都深草練兵場「上京区上加茂」
48小千谷中學校グライダー部・新潟縣立小千谷中學校・「中越飛行場」
49小田原中學校報國團・神奈川縣立小田原中學校・「神奈川縣足柄下郡酒匂滑空場」
50尾道中學校校友會滑空機部・尾道市十四日町廣島縣立尾道中學校・「本校運動場」
51大分中學校航空部・大分市上野縣立大分中學校内・「大分川廣瀨橋下流大中滑空場(假稱)」
52大村中學校滑空部・縣立大村中學校・「長崎縣大村町竹松」
53大阪貿易學校滑空部・大阪市北區東野田町九丁目大阪貿易學校・「淀川滑空場」
54大阪市立工藝學校校友會滑空部・大阪市立工藝學校・「淀川滑空場」
55大阪商業學校校友會滑空部・大阪市此花區上福島北二丁目大阪商業學校・「淀川滑空場」
56大阪城東商業學校グライダー部・大阪府布施市御厨大阪城東商業學校・「淀川滑空場」
57大阪桃山中學校グライダー部・大阪市住吉區昭和町中三丁目大阪桃山中學校・「校庭」
58大宮工業學校グライダー部・埼玉縣大宮工業學校内・「校庭」
59鳳中學校校友會滑空部・大阪府立鳳中學校・「校庭」「信太山練兵場」
60岡山工業學校學友會グライダー部・岡山市南方岡山縣立岡山工業學校學友會・「岡山市福濱岡山滑空場」
61帶廣中學校グライダー部・帶廣市東五條南二の一廳立帶廣中學校・「帶廣市緑ケ岡公園飛行場
62和歌山中學校滑空隊・和歌山市豐原町和歌山中學滑空隊・「校内運動場」「六十一聯隊練兵場」
63和歌山縣立海草中學校航空部・和歌山市太田縣立海草中學校航空部・「學校運動場」「森田部隊練兵場」
64和歌山商業學校滑空訓練團・和歌山市西濱縣立和歌山商業學校・「校庭」「陸軍射撃場」「陸軍練兵場」
65神奈川縣聯合學校報國團滑空部・神奈川縣学務部学務課・「横濱市中區北方横濱滑空場」「足柄下郡酒匂村酒匂滑空場」
66加古川中學校々友會滑空部・兵庫縣加古川町縣立加古川中學校・「加古郡尾上村飛行場」
67柏崎中學校滑空部・新潟縣立柏崎中學校・「校庭」
68關西工業學校滑空部・大阪市東淀川區南方町關西工業學校・「淀川滑空場」
69淀川職工學校々友會滑空部・大阪市東淀川區橋寺町淀川職工學校・「校庭」
70米澤高等工業學校滑空研究會・米澤市・「米澤市外八幡原飛行場」
71米子中學校グライダー部・米子市勝田町縣立米子中學校・「米子飛行場」「米子公設グラウンド」
72吉野工業學校滑空部・奈良縣立吉野工業學校・「奈良縣吉野町美吉野運動場」
73大聖寺中學校滑空訓練部・石川県立大聖寺中學校・「校庭」
74大成中學校航空部・東京市神田區三崎町大成中學校・「板橋區戸田橋練習場」
75第一關西工學校滑空部・大阪市東淀川區豐里町第一關西工學校・「校庭」
76第一神港商業學校グライダー部・神戸市兵庫區會下山町三丁目・「明石郡林崎村藤江滑空場」
77第三神戸中學校々友會滑空部・神戸市林區池田村兵庫縣立第三神戸中學校・「兵庫縣明石滑空場」
78谷中航空部・京都市東山區今熊野池田町大谷中學校・「京都深草練兵場」
79高岡中學校滑空部・高岡市中川富山縣立高岡中學校・「高岡中學校運動場」
80高田中學校グライダー部・縣立高田中學校・「市内舊騎兵聯隊跡」「中田ケ原練兵場」
81高津中學校々友會滑空部・大阪府立高津中學校・「本校運動場」「大阪陸軍飛行場」
82高崎中學校々友會滑空部・群馬縣立高崎中學校・「高崎飛行場」?
83添上農學校滑空部・奈良縣廳體育聯盟・「奈良聯隊練兵場」
84津市立工業學校滑空部・津市外神戸村半田津市立工業學校・「校庭」「市内下部田錦華毛織物會社空地」
85逗子開成中學校報國團・神奈川縣逗子町逗子開成中學校内・「逗子海岸滑空場」
86奈良中學校グライダー部・奈良中學校・「奈良練兵場」
87奈良縣立郡山中學校航空部・奈良縣立郡山中學校内・「歩兵第三十八聯隊練兵場」
88直方商業學校滑空部・福岡縣直方市大字新入・「直方市大字新入大日本飛行協會直方滑空場」
89畝傍中學校滑空部・奈良縣立畝傍中學校内・「校庭」
90上野中學校滑空部・三重縣上野町上野中學校・「本校第二運動場」
91浦和中學校滑空部・埼玉縣立浦和中學校内・「入間郡宗岡村秋ヶ瀬浦和飛行場」
92熊本中學校グライダー部・熊本中學校・「熊本市外帶山練兵場」
93熊本縣立商業學校學友會滑空部・熊本縣立商業學校・「熊本市外帶山練兵場」
94倉敷實業學校グライダー部・倉敷市日吉町岡山縣倉敷實業學校内・「倉敷市四十瀨地内高梁川廢川地」
95山形工藝學校グライダー研究會・市立山形工藝學校・「城南練兵場」
96松江商業學校學友會グライダー部・松江市西津田町島根縣立松江商業學校・「安濃郡佐比賣村三瓶滑空場」
97松山中學校滑空部・縣立松山中學校・「松山市城北練兵場」
98松山商業學校グライダー部・縣立松山商業學校・「城北練兵場」
99京畿公立中學校學友會・京畿公立中學校内・「京城飛行場」(?)
100福知山中學校グライダー部・京都府立福知山中學校・「歩兵第二十聯隊練兵場」
101福岡中學校學友會グライダー部・福岡市潟洲町福岡中學校・「校庭」「福岡市外香椎潟滑空場」
102福岡縣朝倉中學校一原會滑空部・朝倉中學校内・「大刀洗陸軍飛行場」
103小牧中學校々友會滑空部・愛知縣小牧中學校・「愛知縣東春日井郡鷹來村」
104高知工業學校グライダー部・高知縣立高知工業學校・「高知郡新居村新居滑空場」「第四十四聯隊練兵場」
105甲府中學校滑空部・西山梨郡千塚村山梨縣立甲府中學校内・「甲府市外玉幡村山梨飛行場」
106甲府工業學校校友會滑空部・西山梨郡千塚村鹽部市立甲府工業學校・「中巨摩郡玉幡村飛行場」
107此花商業學校々友會滑空部・大阪市東淀川區長柄中通三丁目此花商業學校・「淀川滑空場」
108愛媛縣師範學校滑空部・愛媛縣師範學校・「松山城北練兵場」
109帝國商業學校航空部・東京市牛込區山吹町帝國商業學校・「板橋區戸田橋滑空場」
110安房中學校航空部・千葉縣立安房中學校・「物色中」
111青森縣立木造中學校々友會航空部・青森縣立木造中學校内・「學校第二校庭」
112青森縣立商業學校滑空部・青森市造道字浪打商業學校・「青森飛行場」
113赤穂中學健兒團滑空部・兵庫縣立赤穂中學校・「赤穂郡千種川尻滑空場」
114愛知一中滑空部・名古屋市東區新出來町愛知第一中學校・「同市外小幡ヶ原」
115明石中學校滑空部・兵庫縣立明石中學校・「明石滑空場」
116厚木中學校グライダー部・神奈川縣立厚木中學校・「神奈川縣愛甲郡依知村金田新河原」
117佐原中學校滑空部・縣立佐原中學校・「香取郡佐原町粉名口滑空場」
118佐渡中學校グライダー部・新潟県佐渡郡二宮村縣立佐渡中學校・「國府川尻滑空場」
119佐倉中學校滑空部・千葉縣佐倉町鍋山佐倉中學校・「校庭」
120酒田航空研究會・酒田市役所學務課・「山形縣西田川郡袖浦村大字宮浦」
121酒田商業學校滑空部・酒田商業學校・「酒田市外宮ノ浦滑空場」
122札幌工業學校グライダー部・札幌工業學校・「札幌飛行場」
123木更津中學校致芳會滑空部・千葉縣木更津町縣立木更津中學校内・「木更津町鳥居崎埋立地」
124京一工グライダー研究部・京都市下京區唐橋大宮尻町京立第一工業學校・「深草練兵場」「木津川滑空場」「鳥取砂丘」
125京都第一中學校學友會航空研究部・府立京都第一中學校・「深草練兵場」
126京都第三中學校學友會滑空部・京都府中等學校體育聯盟内・「京都深草練兵場」
127京都府中等學校グライダー部・京都府學務部學務課内・「伏見區深草練兵場」
128京都市立第二工業學校々友會二工グライダー部・京都市立第二工業學校内・「京都深草練兵場」
129明治中學校々友會航空部・東京市神田區猿樂町二の二・「東京市板橋區戸田橋滑空場」
130見付中學校グライダー部・静岡縣立見付中學校・「校庭」「磐田郡於保村一色海岸」
131三島商業學校滑空部・静岡縣三島商業學校・「三島野戰重砲兵旅團練兵場」「十國峠滑空場」
132宮城縣工グライダー部・仙臺市米ヶ袋廣丁宮城縣工業學校・「宮城野原練兵場」
133都工グライダー研究會・大阪市北區都島本通三丁目大阪市立都島工業學校機械科・「淀川滑空場」
134滋賀縣航空聯盟・滋賀縣廰學務部學務課・「大津市別所」
135商工實習學校報國團グライダー部・神奈川縣立商工實習學校・「校庭」
136静岡工業學校々友會々友會滑空部・静岡市太田町縣立静岡工業學校・「同市與市右衛門新田滑空場」
137城西學園中學校グライダー部・城西學園中學校・「東京市板橋區志村町戸田橋滑空場」
138東葛飾中學校滑空部・千葉縣立東葛飾中學校・「校庭」「柏航空隊」
139姫路中學校學友會滑空部・姫路市伊傳居姫路中學校・「姫路市城北練兵場」
140姫路商業學校校友會滑空部・姫路市船町兵庫縣立姫路商業學校・「姫路城北練兵場」
141弘前中學校航空部・弘前市新寺町弘前中學校・「校庭」「弘前市桔梗野陸軍練兵場」
142弘前工業學校々友會航空部・縣立弘前工業學校内・「弘前練兵場」
143本巢中學校々友會滑空部・岐阜縣本巢中學校・「本巢郡糸貫川滑空場」
144西海中學校滑空部・佐世保市西海中學校・「佐世保市山ノ田練兵場」
145正氣書院商業滑空部・奈良縣體育課航空部・「奈良歩兵三十八聯隊練兵場」
146仙臺工業學校々友會技藝部グライダー研究會・仙臺市二十人町通り仙臺工業學校・「仙臺市外宮城の原」
147巢鴨學園校友會航空部・巢鴨學園内・「千葉縣津田沼滑空場」
148杉並工業學校航空部・東京市杉並區中通町二七二東京市立杉並工業學校・「東京市板橋區戸田橋滑空部」「深川浦飛行場」
149住吉中學校滑空部・大阪市住吉區北畠中一丁目住吉中學校・「校庭」「淀川滑空場」

★大垣市史より「大垣市西尋常小学校沿革史から1944年9月18日市設グランドに於けるグライダー飛翔大会に有志児童参加す」というのもありました。
そして「オートジャイロ用ガソリン機関を1945年に月産5台、神鋼兵器工業(株)大垣工場が作っていた」と書いていたページもありました。

尚、ご指摘のように宇部スカイロードの少し下、航空写真で見ましたら右側に白いタンクが2つ並んでいるところまでが当時は宇部油化工業會社でしたのでその下がゴルフコースと飛行場の様です。

by アギラ (2014-08-15 07:37) 

とり

■アギラさん
ひえ~!
ドエライ資料をありがとうございますm(_ _)m
打ち込みにどれだけ時間が掛かったことかつД`)・゚・。・゚゚・*:.。
これ、きっと延べ数日はかかってますよね。
こうしてみると、当時練兵場、校庭の活用が多かったのが分かりますね。
未知の飛行場、滑空場も多数ありますし、既存の飛行場を利用しているケースもあり、
これからじっくりと記事に追加修正させて頂きます。
本当にありがとうございました。
それから、このデータはコメント欄だけでは勿体ないので、
「資料」として一つの記事にさせて頂きたいのですが、如何でしょうか?

大垣市史情報もありがとうございます。いろいろ出てきますね~。

それから宇部市藤曲の飛行場の件ですが、オイラ勘違いしてました。
右側に白いタンクが2つ並んでいるところより北側が飛行場なのだと思い込んでました。
タンクの南側の埋め立て地のことだったのですね。ちゃんと「埋め立て地、点線」と
書いて頂いていたのに。。。失礼しました。
この埋め立て地部分ですが、完成まで相当かかったようで、
地形図では1959年までここには何もないことになっており、
1969年の地形図でやっと埋め立て地が出現しています。
1970年代になって埋め立て地北部に宇部製鋼が出来ますが、南部は「埋め立て中」の表記が。
その後の動きを航空写真で追ったのですが、2000年代までゴルフ場や飛行場らしい用途は確認出来ませんでした。

昭和15年の地図に飛行場という記載があったということは、
当時の宇部市?はそのような計画があったものの、その後立ち消えになってしまったのではないかと
思いました。
ネットで検索しても藤曲の埋め立て地に飛行場の計画は発見できませんでしたので、
これは超幻の飛行場計画ということなのかも。
by とり (2014-08-16 06:33) 

アギラ

おはようございます。多くの場所を使用してしまい申し訳ございませんでした。
コピペを多く使ったので思ったよりも早く1日半で終わりましたが1つ抜けていました。
150津山中學校滑空部・岡山縣津山市椿高下・「津山八出磧滑空場」これも河原のどこにあったかわかりませんでした。
>一つの記事
私がとりさんのところにお邪魔しておりますのでお任せいたします。
宇部の埋め立て地でもお手数をおかけいたしました。
翌年の開戦の影響もあるのでしょうか。

さらに「航空年鑑昭和10年」にも珍しそうなのがありましたので4つ抜き出しました。
・舘山寺飛行場(水上) 靜岡縣濱名郡南庄内村(滑走区域:長二二〇〇米・幅一一〇〇米)
・宮島飛行場(水上)廣島縣佐伯郡大野村字鼓ヶ濱(滑走区域:長五〇〇米・幅300米)
・高知飛行場(水上)高知縣吾川郡長濱町大字横濱孕小脇三番地ノ五(滑走区域:東西七〇〇米・南北650米)
・中島大井飛行場(水上)東京市品川區大井南濱町1900ノ4(滑走区域:所在地先水面)
さらに「航空年鑑昭和6年」には
・北海タイムス社飛行場(陸)札幌市北二十四・二十五條西六・七・八丁目(東西一九〇南北三六〇)

ついでと言っては何ですが京都の大久保飛行場を造った日付が日本國際航空工業株式會社の冊子(昭和17年12月5日発行)にありました。
昭和15年4月16日に日本國際工業京都工場及び付属飛行場建設起工式(京都府久世郡大久保村)昭和16年7月25日公共用飛行場設置認可とありました。
京都工場は工員養成所でもあるため指導教官もおり私立國際工業靑年學校(京都)昭和16年5月31日設立認可 ともなっていて施設紹介の中には「滑空機格納庫には乙種滑空機4台を格納」という1文もあって飛んでいるところと校庭のような所に並べられた2枚の写真もありました。

by アギラ (2014-08-16 09:51) 

再生おじさん

こんにちは~

アギラさんの資料凄い!! 三 ゚Д゚)スッスゲ-!!
これ、全国のを洗い出したら、900ヶ所を軽く突破しそうな勢いですね・・・・
( ゚д゚)ポカーン

91番に秋ヶ瀬が出てる~
15番に吉田村!! 盲点でした・・・(|||i'・ω・`)
吉田村の滑空場って、水戸工業高等学校の事かも知れませんね(;^ω^)

by 再生おじさん (2014-08-16 10:05) 

とり

■アギラさん
おはようございます。
>多くの場所
そのためのブログですからこちらとしては非常に有難いのですが、
アギラさんの労力に見合うブログになっているかが心配です。
一日半費やされたのですね。
本当にありがとうございます。
明日の記事にさせて頂きますm(_ _)m
>開戦の影響
多分それが大きいのではないかと思います。
「山口県版夢の島」といったところではないでしょうか。
藤曲の件はこれはこれで非常に珍しい情報なので、
次山口県にお邪魔するときは立ち寄ってみようと思います。
水上機飛行場と大久保飛行場の貴重な情報も感謝致しますm(_ _)m
これは忙しくなってきた!

■再生おじさん
おはようございます。
ホント、スッゲーですね。
>91番に秋ヶ瀬
正式な資料からも裏付けられましたね^^
>吉田村
確かにそうなのかも。^^;
by とり (2014-08-17 05:55) 

あるく

おはようございます。
年表を見ていたら(熊谷歴史年表1993.4.1発行)
1933年(昭和8年)7月15日河原松山公園できる
と載っていました。

年表には昭和3年に熊谷競馬場ができたともありました。
そこには場所は書いてありませんでしたが
数年でなくなったそうなので
もしかしたらその跡に出来たのかなとも思いました。
資料が少ないですが調べてみようと思います。

by あるく (2014-08-18 03:54) 

とり

■あるくさん 
おはようございます。
あるくさんが調べようとしておられるのは熊谷競馬場
のことでしょうか?
どうぞ良い資料が見つかりますように。
by とり (2014-08-18 06:52) 

あるく

1つ書き忘れました。上記年表を見終わり
熊谷県立図書館の棚の中にに船橋市史史料編六もありました。
その中に昭和二年 船橋町勢要図覧も採録されていて
P874に船橋町略図がありました。
海岸近くの海の中に飛行機マークがありました。
このマークの説明は飛行場となっていました。
これって船橋に移ってきた宗里飛行学校ではないですかね。
マーク以外何も書いてなかったのでこれ以上わかりませんが。
お暇なときに行ってみてください。
by あるく (2014-08-18 11:21) 

アギラ

忙しくさせてしまってすみません。
「資料記事」ありがとうございました。
これですともっと資料が集まりそうな気がします。
さらに「民間飛行學校練習所其他」{航空年鑑昭和六年)というのもあり興味深そうなのが並んでいました。
・長谷川飛行機研究所(飛行場:松本市外笹部 事務所:松本市大柳町)
・日本飛行学校 (學校:東京府荏原郡蒲田町蒲田新宿十番 飛行場:東京府北多摩郡立川町東京飛行場)
・西田飛行機研究所(事務所:大阪市東區今橋三丁目三〇 飛行場:大阪市港區船町大阪飛行場 創立時は關西飛行協會:大阪市東淀川區三國本町)
・日本中央飛行學校(靜岡縣濱松市外三方ヶ原)
・日本軽飛行機倶樂部(千葉縣千葉郡津田沼町 伊藤飛行場)
・北海タイムス社航空場(大正十五年八月一日創立)
・東亞飛行専門學校(千葉縣津田沼町)
・德島航空學校(德島縣名東郡加茂名町)
・大利根飛行場(千葉縣銚子町今宮通三軒町八の三六番地)
・第一航空學校(千葉縣船橋町)
・名古屋飛行學校(事務所:名古屋市東區葵町二十三番地 學校:名古屋市外守山町小幡ヶ原)
・根岸飛行場(靜岡縣淸水市三保の松原)
・宇部航空輸送研究所(宇部市東區草江海岸)
・馬詰飛行研究所(研究所:靜岡縣駿東郡原里村富士裾野飛行場 事務所:東京市外代々木一一八六)
・秋田飛行學校(秋田縣河邊郡新屋町)
・御園飛行學校(北多摩郡立川町)
・鈴木飛行研究所(千葉縣津田沼字鷺沼海岸)
・安藤飛行機研究所(飛行場・工場:愛知縣知多郡旭村大字日長海岸 事務所:愛知縣知多郡新舞子 沿革大正九年壱月十日古見海岸飛行場設置 大正拾三年新舞子海岸に移轉 昭和二年名古屋新宮線 昭和三年新舞子蒲郡二見線)
この「新宮」は和歌山県?でしょうか?

そして「航空年鑑昭和13年」では先日の舘山寺飛行場の滑走区域に内浦が加わっていました。 
濱名湖水面 長二二〇〇米
      幅一一〇〇米
内浦水面  長一二四〇米
      幅 四〇〇米

「千葉県の歴史通史編近現代2」の中にも興味深いものがありました。
P994「県下の飛行場としては東金・銚子・香取・茂原・太東・八街・千葉・下志津・第二香取」
P1008「五式噴進射出機~基地が建設された。三芳村(南房総市)下滝田」
P1019「館山では2月5日に館山・豊戸飛行場が爆撃された」
「八街・成東・木更津・館山・洲崎(館山市)・松戸・船穂(印西市)の飛行場」」

飛行場としては知らなかった名前の豊戸・千葉・第二香取・洲崎が四つ載っていました。
そして桜花のカタパルトはNGでしょうか?
by アギラ (2014-08-19 00:27) 

とり

■あるくさん 
>宗里飛行学校
タイミングは合ってますから可能性ありますね。
海の中というのがちょっと引っ掛かりますが。。。
図書館に行く時に見てみます。
貴重な情報をどうもありがとうございました。

■アギラさん
またたくさんの情報ありがとうございました。
後日じっくり調べさせて頂きます。
新宮は和歌山なんじゃないかと思います。
>桜花のカタパルト
これも悩みどころですが、オイラは「その他ヒコーキ関連の場所」として分類しております。
http://airport1111.blog.so-net.ne.jp/2013-04-27-4
by とり (2014-08-19 05:23) 

アギラ

>海の中
そういえば鶴見区史P414に「船橋の干潟飛行場に移転し」という1文がありました。
同じくP411には「1923年5月5日潮田末広町、安善町付近(現在の日本ヒューム管辺り)の埋立地に開設された~大きさは東西350間(636.3メートル)南北300間(545.4メートル)」という少し詳しい資料もありました。
工場地帯の安善駅でなぜ安全という字でないのかと以前は思っていましたが人名略だったと今回分かりました。

by アギラ (2014-08-19 08:49) 

アギラ

カタパルトありがとうございました。
今回一番気になったのが銚子の猿田氏が作った大利根飛行場でしたが
「続銚子市史Ⅰ」によると遊覧だけでなく銚子と「佐原」間の定期輸
送もあったそうです。(佐原のどこかは未記載)三軒町三五番地(航
空年鑑には八の三六番地となっていました)清水川の東側で現在の市
役所と銚子大橋の中間に飛行場はあったそうです。大正15年10月開設。滑走路として5万坪の河面専用許可も千葉県から得たそうです。
ですが1934年(昭和9)3月に大利根飛行場は閉鎖になりました。
これは銚子漁港改修工事で飛行場前面の川岸が埋め立てられ道路が造
られたからでした。
そのため猿田氏は昭和11年愛知県高浜町の高浜水上飛行場長となり
また昭和17年に県営千葉県魚群探見飛行場長として銚子に戻って来
ました。今度は猿田氏の故郷、小見川に近い銚子港に格納庫はあった
ようです。
この記事では銚子に2か所そして佐原、愛知県高浜にも水上機飛行場
があったようです。
by アギラ (2014-08-19 23:56) 

とり

■アギラさん
またまた詳しい資料をありがとうございますm(_ _)m
週末にこれまで頂いていたものも含めてじっくり調べさせて頂きます。
by とり (2014-08-21 05:54) 

とく

初めまして。
「旧海軍厚木第三飛行場」って横浜の海軍道路ではないでしょうか。厚木基地と平行に作られた直線道路で、旧海軍の物資輸送のための道路(昔は鉄道も敷かれていた)ですが厚木が使えなくなった場合の滑走路転用も考えられていたという話しはよく聞きました。相模鉄道の瀬谷駅から北に伸びている道路です。

by とく (2014-08-21 12:27) 

とり

■とくさん いらっしゃいませ。
情報ありがとうございますm(_ _)m
厚木第三飛行場は、海軍の秘匿飛行場で、綾瀬市大上~海老名市東柏ヶ谷の農道にあったとされ、未完成です。
秘匿飛行場は戦争末期の時期に建設が進められましたから、
教えて頂いた海軍道路とは場所も時期も異なります。
残念ながら別物のようですが、海軍道路のことは全く知りませんでした。
イザという時は滑走路として使用するつもりだったのですね。
次神奈川に行く時にお邪魔させて頂きます。
貴重な情報と、リンクもありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-08-22 05:04) 

アギラ

おはようございます。
以前、飛行機からヒントを得て造ったという熊野川のプロペラ船を調べようと集めていた資料「新宮市史年表」をよ~く見たら
・1925年7月18日「安藤飛行研究所(愛知県知多郡)が申請していた愛知・新宮間の郵便飛行便に認可おりる。さらに名古屋港を起点として鳥羽、尾鷲を経由、新宮にいたる紀州航空路(水上飛行機)の構想表面化」
・1926年1月7日「熱田・新宮間定期空路(水上飛行機)が有志により計画される」
・1927年8月29日「西村飛行士新宮上空で冒険飛行」
・1928年7月13日「新宮飛行艇会社(社員四〇名)従業員代表が会社側に二割加給を申し入れる」
などの飛行機関係項目も見受けられたのですがプロペラ船を当初は飛行艇と呼んだのでこの年表には熊野川飛行艇(株)や新宮飛行艇会社という名前が出てきます。
・1935年2月16日「安藤飛行研究所(愛知県知多郡)が名古屋・新宮間の航空路を再び取り上げる」
郵便飛行便の認可がおりるという項目はありましたが実際に飛んだという事が年表では確認できなかったのが残念でしたが「王子浜」の滑空機についてはありました。
・「1941年1月17日新宮商業學校では卒業生からグライダー2機の寄付を受け王子浜で滑空訓練を始める。」
念のため「和歌山県史」も見てみると「戦前の水上飛行機が大阪の木津川飛行場と白浜間の航路を開設したのは昭和十年一月一日のことである。この航空会社は日本航空輸送研究所で定員六人乗りの水上飛行機を用いて1週3回往復した。」と「新宮」ではなく「白浜」便の事が載っていました。尚、この白浜便も1年ほどで廃止となってしまったそうです。
by アギラ (2014-08-23 09:07) 

とり

■アギラさん
おはようございます。
現在頂いたコメントを解析中です (2014-08-15 07:37 のエベレストを除く)。
ここまでの中間報告を。

・舘山寺飛行場→場所特定できました。
・宮島飛行場→場所特定できました。
・高知飛行場→6月に現地にお邪魔して来ました。記事内に頂いた情報含めさせて頂きます。
・中島大井飛行場→未訪問の場所。情報ファイルさせて頂きました。情報は記事にする際活用させて頂きます。
・北海タイムス社飛行場→この名称は初めて知りました。各記事修正させて頂きました。
・大久保飛行場→建設された日付の情報ありがとうございました。ここはてっきり米軍が造ったのだと思い込んでいたのですが、
そうではなかったのですね(汗)。記事修正させて頂きました。
・長谷川飛行機研究所→該当記事に追記させて頂きました。
・日本飛行学校→立川飛行場に「東京飛行場」という名称があったとは知りませんでした。各記事修正させて頂きました。
・西田飛行機研究所→該当記事に追記させて頂きました。
・日本飛行学校→該当記事に追記させて頂きました。
・日本軽飛行機倶樂部→該当記事に追記させて頂きました。「伊藤飛行場」という名称は初めて知りました。各記事修正させて頂きました。

非常に濃い情報を頂き感謝ですm(_ _)m
by とり (2014-08-24 04:36) 

アギラ

お手数をおかけいたしております。
かつての複写資料のため忘れていたものも多く、出てきたらすぐに書かないと忘れてしまうため連日ご迷惑をお掛け致しております。
先ほど再度航空年鑑を見直しました。
前回、大學高專學生航空硏究會(昭和一五年)には飛行機操縦部とグライダー部両方がある部が多く、既出の飛行場も多かったので省きましたが2校未記載の場所がありました。そして新聞社と民間航空機發動機部分品製作所欄の中にもありましたので書かせて頂きました。
・濱松高工修練報國團國防部滑空班
 「濱松市中田島」(砂丘?)
・岐阜藥學專門學校航空硏究會
 「名古屋市外小幡ヶ原」「同本地ヶ原練兵場」「本校グランド」
・高知新聞社航空部「高知市外浦戸灣内横濱」
・愛知時計電機株式會社
 陸上飛行場「愛知縣西加茂郡保見村」
 水上飛行場「名古屋市港區築地町八」
by アギラ (2014-08-24 11:50) 

とり

■アギラさん
おはようございます。

・大利根飛行場→未知の飛行場でした。詳しい情報のおかげで場所確定致しました。
http://www.asahi.com/special/wrightbrothers/TKY200401200247.html
http://homepage3.nifty.com/airhistory-nippon/jyosetsu.html
↑こちらでも大利根飛行場について出てました。
・第一航空學校→情報をファイルさせて頂きました。
・名古屋飛行學校→該当記事に追記させて頂きました。
・根岸飛行場→未訪問ですが、この飛行場名は知りませんでした。ファイルさせて頂きました。
・宇部航空輸送研究所→未訪問です。ファイルさせて頂きました。
・馬詰飛行研究所→富士裾野飛行場は未知の飛行場でした。場所不明のため当記事にリスト入りしました。
・秋田飛行學校→未知の飛行場でした。場所不明のため当記事にリスト入りしました。
・安藤飛行機研究所→該当記事に追記させて頂きました。
>この「新宮」は和歌山県?でしょうか?
→安藤飛行機研究所の新舞子水上飛行場跡地の記事の中で、
「1926年09月 名古屋港~和歌山県新宮間に1週間の定期航路を開設」という記録がありました。
やはりアギラさんご推察の通りと思います。
・舘山寺飛行場の滑走区域に内浦→現地にお邪魔した際、ここも撮ってきます。

「千葉県の歴史通史編近現代2」
・千葉飛行場→場所不明のため当記事にリスト入りしました。
・第二香取飛行場→場所不明のため当記事にリスト入りしました。
・豊戸飛行場→これは洲ノ埼海軍航空隊(「千葉県の歴史通史編近現代2」に出てくる「洲崎」)のことだと思います。
そして洲ノ埼海軍航空隊は教育機関で飛行場は特にないと思います。
当時の航空写真でもそれらしいもの確認出来ません。
県史の中でここが飛行場として扱われているのが非常に気になるのですが、
舘山航空基地と隣接していることと、「海軍航空隊」という名称から、ここも飛行場のはずだと考えてのことではないかと想像します。
・成東飛行場→これも初耳なのですが、位置的に豊成(東金)飛行場のことなのでしょうか?
・鶴見区史→日本ヒューム管の場所が確認出来ません^^;

「続銚子市史Ⅰ」
・佐原→場所不明のため当記事にリスト入りしました。
・高浜水上飛行場→場所不明のため当記事にリスト入りしました。
・県営千葉県魚群探見飛行場→場所不明のため当記事にリスト入りしました。

「新宮市史年表」
・愛知・新宮間の郵便飛行便→該当記事に追記させて頂きました。
・新宮の水上機飛行場→場所不明のため当記事にリスト入りしました。
・王子浜→場所特定出来ました。後日お邪魔させて頂きます。
・白浜飛行場→六月にお邪魔しました。情報記事に含めさせて頂きました。

・濱松高工修練報國團國防部滑空班
・岐阜藥學專門學校航空硏究會
・高知新聞社航空部「高知市外浦戸灣内横濱」
・愛知時計電機株式會社
→こちらの4つは、學校グライダー部一覽(昭和15年10月現在)記事に含めさせて頂きました。

しかし凄い資料を沢山お持ちなのですね(@Д@)
ここまでアギラさんから頂いた情報は、「學校グライダー部一覽」以外解析追いつきました。
本当にどうもありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-08-25 07:21) 

アギラ

早!!とり師匠さすがです。どうもありがとうございました。

今回、名古屋の事が多かったので中日新聞の本を見ていたら名古屋港の古いエピソードがありましたので抜き出してみました。
・明治44年4/22~4/24の3日間1日3回から5回米国ボールドウイン飛行サーカス団の飛行士マースが興業飛行をし名古屋港二号築地(現中央埠頭付近)を飛行場代わりに使用。
・大正5年5月1日には名古屋港六号地で米人飛行士アートスミスの曲芸飛行を実施。
・大正6年1月14日にも米国人女性飛行士の曲芸飛行を同六号地でというのがありました。

尚、今日の新聞記事に超軽量動力機(ウルトラライトプレーン)が24日午前、北本市高尾の荒川河川敷で離陸直後に墜落して重傷という残念な記事がありましたがULP関連も調査をされていますか。

by アギラ (2014-08-25 22:19) 

再生おじさん

こんばんは~

第二香取について・・・・
横芝が怪しいと推察している件、ビンゴかも知れません。

謎を解く鍵らしき情報がこちらに↓
http://www015.upp.so-net.ne.jp/checkertail/atsugi/atsugi_1.html
(第7項の部分を見てください)

この改正された航空隊の名称付与に関する法律のルールだと、横芝は教育部隊(訓練部隊)であったため、第二香取では無く「横芝」という名称になったかも???

ひょっとしたら、「流れ星」さんなら何かご存じかもしれません。
http://www16.plala.or.jp/nagarebosi_s1/F2.htm
by 再生おじさん (2014-08-26 01:26) 

とり

■アギラさん
おはようございます。
いやいやいや、誰がどう見たってアギラさんが師匠です。
曲芸飛行の情報ありがとうございましたm(_ _)m
アートスミスは全国そこここの市史で登場しますね。
スミス氏以外にもいたのですね~。
>ULP関連
また事故が起きてしまいましたか…。
ULP用飛行場も「全国の飛行場リスト」の対象にしておりますので、
何か情報ありましたらどうぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m

■再生おじさん
おはようございます。
航空隊の名称付与にこんなルールが途中から出来たのですね!
それで第二だったり横芝だったりする可能性があるわけですね。
「流れ星」のご紹介もありがとうございます。
確かにこの方ならご存知そうです。
早速お尋ねしてみます。
情報ありがとうございました<(`・ω・´)
by とり (2014-08-26 06:53) 

アギラ

お早うございます。
米人飛行士繋がりで淋代海岸のタコマ号の資料をみていたら今度は「木ノ下」の事が載っていました。三沢市史によるとゲッティは淋代に決める前に下田町の「木ノ下の原野」にも下見に来ていたとありました。

そして昭和5年9月24日立川陸軍飛行隊機が北海道の演習参加にあたり臨時飛行場(上北郡下田村古間木付近)として使用したとあります。
さらに昭和13年12月15日には民間航空の東京札幌間航路の冬期間の飛行場(夏は青森油川飛行場使用)として木ノ下飛行場が完成したそうです。「下北郡木ノ下平臨時飛行場(古間木駅東方一里)の竣工式は昭和13年12月22日だった」と翌日の東奥日報の記事もありました。(場所は現在の三沢駅東方約4キロだったそうです。)札幌からの「試験飛行は昭和14年1月17日に無事着陸、雪上飛行に備えて橇を据付けて」とありましたが本格的な定期航路は昭和15年6月15日から16年10月までで航路停止となってしまいました。

それ以前にも場所は異なるようですが大正13年に立川陸軍飛行第五大隊の少佐が三澤村に立川―旭川間の飛行演習の中継飛行場の調査に来たとありました。7月16日付で三澤村に飛行機着陸場を設けることが決まりその場所は小田内東南側の牧場(岡三沢北端より約二五丁〔約2700メートル〕北方、本道の西側)飛行機の到着は8月10日と8月20日の2回。創設してほどなく日本陸軍航空隊の長距離飛行演習の飛行機着陸場となったともありました。

昨日引用させて頂きました中日新聞の書籍には愛知時計電機の滑走路の事もあったのですが書き忘れました。「はじめは木造の格納庫1つと1000m足らずの滑走路1本だけで16年10月霞ヶ浦海軍航空隊分遣隊が派遣され2000mと800mの2本になりました。」とありましたが3本目には触れていませんでした。

そしてこの場をお借りしまして遅くなりましたが再生おじさん様ありがとうございました。以前から今は旭で元共和村なのになぜ離れた香取名を付けたのかず~と疑問でした。

by アギラ (2014-08-26 09:38) 

再生おじさん

とりさん、アギラさん こんばんは~

木ノ下! 意外な場所過ぎて驚きました。
三沢駅の東4kmとは! ( ・∀・)ノシ∩へぇ~へぇ~

初期の民間飛行場って判別が難しいですね・・・(|||i'・ω・`)

アーカイブ写真(USA-M1011-133(1948.05.15))を見ても全然わかりませんでした・・・(;^ω^)
by 再生おじさん (2014-08-26 20:15) 

とり

■アギラさん
おはようございます。
木ノ下の情報ありがとうございます。
ここはもう迷宮入りするんじゃないかと思っていましたヽ(*´ヮ`)ノ
愛知時計電機の情報もありがとうございましたm(_ _)m
アギラさんの所にはありとあらゆる資料が揃っているんじゃ。。。

■再生おじさん
おはようございます。
本当に思ってもみない仕方で明らかになってビックリです。
雪上だから、雪が解けたら跡形も残らなくなるかも。。。(´・ω・`)
と思っていました。
by とり (2014-08-28 05:57) 

アギラ

こんばんは
まだ調査途中ですが、宮崎県軍用地面積表(‘49県庁文書)に面白そうな事が書かれてありましたのでとりさんの宮崎県の中で判明している飛行場名を「 」で後ろに付けてみました。
・赤江飛行場・赤江町・550町・「宮崎空港」
・海軍水上基地・本城村崎田・1町4反3畝15歩・「崎田海軍航空基地跡地」
・西飛行場・都城市横市・180反・「都城西飛行場跡地」
・東飛行場・都城市川東・330町・「都城東飛行場跡地」
・六〇部隊練兵場・都城市横市・55町・
・飛行場・志和池村森田原・140町・「都城北(志和池)飛行場跡地」
・小林競馬場・小林町堤・6町3反・「小林牧場(小林特攻基地)跡地」
・軍馬補充部・高原町広原・234176町 2畝・   
      ・小林町細野
      ・小林南西方
      ・飯野町末永
      ・加久藤村車永江浦
・岡元演習場・真幸村浦・2040町
・飛行場・飯野町田子ノ原・7町2反「飯野牧場(芋畑特攻基地)跡地」(飯野とあったのでここに置いてみました。)
・軍馬補充部・上穂北村穂北・570町
・飛行場・都於郡村長園・2町3反
    ・三財村上三財・2町8反9畝
・茶臼原放牧場・木城村椎ノ木・885町7反2畝
       ・高鍋町上江・
・上穂北村ノ一部
・飛行場・木脇村三名六野・都於郡村ノ一部・二〇八町八反・「木脇(六野原)飛行場跡地」(木脇、六野とあったのでここに置いてみました) 
・新田原飛行場・新田村新田・四〇〇町・「新田原飛行場」
・海軍基地・美々津町高松・2町2反3畝4歩・
・唐瀬原飛行場・川南村川南・1200町・「唐瀬原陸軍飛行場跡地」
・陸軍通信学校・富田村三納代・60町・
・軍馬補充部・川南村掛迫・977町4反7畝
・富田補充部・川南村番木・704町7反4畝
      ・高鍋町持田・
      ・都農町川北・     
・海軍飛行場・富島町財光寺・208町・「富高飛行場跡地」
・航空基地・富島町日置屋前田・15町・
・富島町日置屋越・5反8畝・
(日置屋は日知屋(日向市)の間違いのようです。)
・海軍基地・岩脇村平岩深田・6反1畝15歩
     ・岩脇村上船入及中船入・3町
(残2「えびの滑空場」「大淀川臨時場外離着陸場」)       
*「飛行場」と書いてある都於郡村長園(現在:西都市)と三財村上三財(現在:西都市)にまたがった場所は西都市の三財川の近くを探してみましたがよく分かりませんでした。2つ合わせても5町余ですから狭い場所のようです。日知屋の航空基地も調査中です。
旧川南村関連資料では軍馬補充部でも大戦末期に空挺部隊の演習場に使われた場所があったそうですので。他にも、、、。

宮崎県史には「県内の軍事配備」の項に米軍が上陸の際、5か所の「特攻艇・水上機基地」への攻撃が計画されていたとありました。1大島(南那珂郡南郷町→現在:日南市)・2大堂津(日南市)・3枇榔島(東臼杵郡門川町)・4細島(日向市)・5宮崎
この文が正しければこの中に「水上機基地」があったかもしれません。(赤江基地は400番台の部隊が4つあったようですから水上機基地も、、、?。)
これらの地名は震洋や回天の基地としてよく出てくる地名ですね。

他の宮崎県関連では第1回民間飛行大会に優勝して第1回京都大阪間郵便飛行にも成功した後藤勇吉が郷土延岡訪問飛行に帰郷したと「延岡の歴史と文化」にありました。その際(大正9年)「延岡・都城」間無着陸飛行をして県民を驚かせたとありましたが離着陸地点について言及はされていませんでした。

>現在の日本ヒューム管辺り
昭和57年発行の鶴見区史に載っていたのでそのまま書いてしまいました。日本ヒューム管のH.Pの沿革を見たら昭和15年鶴見工場移転、川崎工場設置となっていました。すでに移転しておりました。
by アギラ (2014-08-29 23:16) 

アギラ

(すみません途中で切れてしまいました。)
そこで同社の50年誌等を見てみると旧住所は鶴見町大字潮田字荒井耕地2888-1(現在の鶴見区潮田町)となっていました。ですが鶴見区史の中に1928年の小さな地図もありましたので日本ヒュームコンクリート(旧名)を探すと潮田町ではなく現在の「寛政町20」の東芝ジーイータービンの建物(以前ニュースでやっていた原発実験炉が稼働しているところ?怖!!)辺りに書かれていました。
50年誌にはご近所の片岡飛行士が同社のヤードの真ん中に墜落したというエピソードも書かれていました。

前記の航空基地は見難くなってしまいましたが日知屋前田と日知屋越両方にまたがっております。
by アギラ (2014-08-29 23:35) 

とり

■アギラさん
こんにちは
調理済みの情報を有難うございますm(_ _)m
現在、學校グライダー部一覽の解析に取り掛かっておりまして、
今回頂いた情報は後日該当記事に活用させて頂きます。
日本ヒューム管の件もご親切にありがとうございます。
オイラ見当違いの所を「ここが飛行場じゃないかしらん」と考えてました。
by とり (2014-08-31 10:50) 

アギラ

今晩は、前回の県文書は、三股村にあった海軍通信所が無いので県内全部を網羅しているとはいえないようです。
東飛行場の所在地は都城市だけになっていますが
他の資料で「樺山陸軍飛行場」というのを複数回見かけました。
現在の三股町にも樺山という地名がありますが東飛行場にかなり近いのです。もしかしたら東飛行場の別名かもしれません。

宮崎関係では他に昭和10年國民航空思想普及會主催で西都原競馬場を滑走路にして航空ページェントが行われました。ですが飛行機は墜落して失敗に終わったと「目で見る西都・児湯の100年に」ありました。
同書ではさらに高鍋町の蚊口浜でも同年に飛行大会が開かれたという写真もありました。

by アギラ (2014-09-03 21:04) 

アギラ

こんばんわ
以前、馬詰飛行研究所について書かせて頂きましたがその沿革がありました。
大正7年10月1日「東京府下世田ヶ谷村」に創めて中央飛行學校を創設したるも機材補充不充分の爲中止、大正11年4月「東京芝浦海岸」に於いて水上飛行練習所を再開したるも大震災の爲中止。昭和3年2月更に「富士裾野飛行場」に練習部開始。
この沿革では「世田ヶ谷」では飛んだか分かりませんが「芝浦海岸」では1年半近く飛ばしていたようです。
by アギラ (2014-09-05 00:20) 

とり

■アギラさん
こんにちは。
返事が遅れてしまい申し訳ありません。
いつも貴重な情報をありがとうございますm(_ _)m
by とり (2014-09-06 14:30) 

とり

■アギラさん
「學校グライダー部一覽」の解析をちょっとずつ進めております。
現在やっとNo,34に辿り着いたところであります。
No,34と148「深川浦飛行場」についてですが、
こちら↓に昭和九年八月現在の民間飛行学校と、同操縦術練習所の所在地が出ておりました
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1120228/131

この中で所在地が「深川浦」となっているものを抜き出してみると、
小栗飛行学校/小倉雷太郎 亜細亜航空学校/飯沼金太郎 田中飛行研究所/田中不二雄
東京飛行学校/遠藤辰五郎 愛国グライダー研究会/清水緑 となります。
ただし、この資料の中では「深川浦」は飛行場の名称ではなく、「教習所所在地」となっています。
依然飛行場名と場所が不明のままなのですが、アギラさんからいただいたコメント(2014-08-01 14:29)
がカギになりました。
東京洲崎(飛行場)に開設された飛行学校と代表者名を上の資料と付き合せると、
ほぼ一致します。
住所的にもほぼ一致。
ということで、「深川浦」=「洲崎」と思います。
以前頂いたコメントのおかげで助かりました。
どうもありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-09-08 07:29) 

アギラ

こんばんわ。
お手数をお掛けしております。
この資料は見たことがありませんでした。「高崎」にもあったとは知りませんでした。乗附町という事は河川敷か昔カッパピアのあったあたりでしょうか。(船橋ヘルスセンター同様カッパピアのCMも思い出しました)
この昭和17年版を見たらやはりグライダー団体と珍しい滑空場も載っていました。
そして以下はお手すきになったらご覧ください。(書くのを忘れていた事がいくつかありました。、、、最近は物忘れが多くなりました。)
*大正8年に福長飛行場(福長飛行機研究所)が静岡県磐田郡掛塚町の天竜川河口に「第1飛行場」と「第2飛行場」を造ったという記事が日本航空史話にありました。とりさんが行った時にご覧になった地元の史跡案内の中にも第2の事は出てないようですが本には「格納庫前に第1、第2はこれよりずっと川口に近い」と有りました。ここのペラ撮影に関しては文章からも怒りが強く伝わってきました。郷土研究家ならOK云々は時々聞きますね。そんな時用の名刺を作っておくと便利ですよ。全国飛行場(跡)研究会「会長」等々、会員(読者)は全国にいるのですから嘘ではないですよね。そして読者から年会費も集めるともっと調査しやすくなりますし(ウソ)。

*和歌山県史に台地の上にあった「潮岬飛行場」についての記述もありました「陸海軍戦闘機のための緊急着陸用飛行場であった。217万平方フィート(約20万平方メートル)の飛行場はほぼ三角形の形をしており潮岬の台地の西側二方が海に向かう断崖の上に位置していた」とありましたがこれはとりさんが以前書かれたイサデ芝飛行場の事だと思います。

*先日、昭和七年の舩
by アギラ (2014-09-10 22:56) 

とり

■アギラさん
おはようございます。
高崎飛行場は、前橋飛行場のことだと思い込んでました。
アギラさんが取り上げて下さらなければ、そのままスルーしていたと思います(滝汗)
高崎在住の友人にドヤ顔で報告させて頂きますd( ̄∇ ̄*)☆\(--
カッパピアは聞き覚えはあるのですが、ここにあったのですね。
Wikiを見ると、再興の動きがあるみたいですね。
>「第2飛行場
第2もあったのですねΣ(゚Д゚;)
日本航空史話は持っているのですが、なかなか調べる機会がなくて。。。
いずれじっくり調べてみなければ。
撮影の件は残念でしたが、郷土研究家ならOKというのはある事なんですか。
名刺はいいアイディアですね^^
ハッタリ用に作っておこうかしらん。
潮岬飛行場の情報もありがとうございましたm(_ _)m

以下、投稿がうまくいかないみたいですね。
お手数お掛けしてすみませんm(_ _)m
ネット利用者が増える夜~深夜の時間帯はどうしても重くなっていろいろ不具合が出るみたいです。
by とり (2014-09-11 06:06) 

アギラ

4項目ありましたが昨夜も全滅でしたので
1つだけ短文でしたらOKかも。
船橋市宮本3丁目7番の京葉道路近くが
飛行学校のあった場所です。
by アギラ (2014-09-12 10:07) 

アギラ

三本葭の場所は知っていたものの(1932年の地圖では三角の島)埋立で輪郭も無くなり何倍にもなってしまいました。
埋立資料や年毎の地圖も探しましたが発見できず格納庫の位置も
手書きの簡略された地圖のみでしたので
場所を特定することが困難でした。
ですが強いて言うと浮島町の東燃ゼネラル石油。
空港側から赤白のタンクが見えますがあそこです。
格納庫はそのもう少し首都高神奈川6号川崎線寄りではないかと思われます。(このくらいの長さでもOKしょうか?)
by アギラ (2014-09-12 12:25) 

アギラ

今のところうまくいっているようですのであと2つ
宮崎県の旧都於郡村長園と旧三財村上三財にまたがる飛行場があったという記事の場所は離れすぎているのでもしかしたら2か所あったのでは?という事と
秋田県の八郎潟で干拓前の’45年7月にグラマンの攻撃を2式大艇が
受けたという記事がありましたので基地があったのかそれともただの停泊中だったのかということを昨夜も書いておりました。
by アギラ (2014-09-12 13:05) 

アギラ

船橋の判明理由を書き忘れました。書きかけにもある通り昭和7年の地図に飛行学校の建物が載っていましたので同率の’77年の地図を重ねたら分かりました。
そしてとりさんからの「国民年鑑」で17年版に載っていた「埼玉第1飛行場」を調べてみましたが何もわかりませんでした。ですが新聞記事では昭和10年2月最初の空の少年団浦和の青少年によって組織發團式をかねグライダー飛翔「船戸ヶ原」を假離着場として許可を得た。11年5月秋ヶ瀬に民間飛行場建設。13年5月秋ヶ瀬飛行場陸士分校練習場に指定。14年12月浦和飛行場 秋ヶ瀬を改称。と言うのはありましたが結局第1は出てきませんでした。(船戸ヶ原もどこか分かりませんでした)

by アギラ (2014-09-13 00:18) 

とり

■アギラさん
こんにちは。まとめてで失礼します。
投稿に大変なお手数を掛けてしまい、申し訳ありませんm(_ _)m
どうなっているのかしら??

具体的な情報をいつもありがとうございます。
三本葭の飛行場は、地元の図書館に問い合わせをしたのですが、
イマイチ場所が絞り込めていませんでした。
秋ヶ瀬と浦和は同一のものだったのですね。
どうもありがとうございました。
現在、昭和15年の資料にかかりきりになっておりまして、
やっと84までいきました^^
by とり (2014-09-13 13:12) 

あるく

「船戸ヶ原」は川口市の河川敷「舟戸町」ではないかな?
昔は舟戸ヶ原と言ったようですし。
by あるく (2014-09-14 01:23) 

とり

■あるくさん 
貴重な情報ありがとうございましたm(_ _)m

※先日軽井沢飛行場記事に頂いたコメントの件で、更に返信を追加致しました。
御手すきの時にでもご覧頂ければ幸いです。
by とり (2014-09-15 07:43) 

とり

■アギラさん
「學校グライダー部一覽」の解析が終わりました。
150か所の内訳は以下のようになりました。

ヒコーキ関連の場所:57
既に訪問した場所の記事に情報追記:60
滑空場位置不明のため「教えて下さいリスト」入り:29
新たに場所特定出来た滑空場:7

練兵場、校庭を使用しているケースが非常に多いのですが、
これらは基本的に飛行場としてカウントせず、「ヒコーキ関連の場所」とさせて頂きました。
(ヒコーキ関連の場所も後日お邪魔致します)
貴重且つ膨大な情報をありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-09-21 19:44) 

アギラ

たいへんお手数をお掛け致しました。
by アギラ (2014-09-25 15:17) 

とり

■アギラさん
いえいえ、どうもありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-09-27 20:05) 

再生おじさん

こんばんは

粉河秘匿に関する米軍側の資料が出てきましたので、お知らせしておきます。

これの153コマ↓
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009764
by 再生おじさん (2014-10-01 22:44) 

とり

■再生おじさん
おはようございます。
こちらも情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-10-03 04:37) 

PUTIN

とりさん

こんばんは。

福島県の旧海軍御代田飛行場は既にとりさんが取り上げていらっしゃる郡山飛行場を指しているのではないでしょうか?
Wikipediaの旧田村町に関する記述に、かつて町内に郡山飛行場があったという趣旨の記載がありました。

あと郡山飛行場繋がりで、米軍は第三郡山飛行場をKoriyama West飛行場と呼んでおります。
by PUTIN (2014-12-23 02:21) 

再生おじさん

横からスミマセン・・・・m(_ _;)m

PUTINさんへ・・・
御代田についてはこちらをご参照戴ければ幸いです。
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9691108.html
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/9935821.html


by 再生おじさん (2014-12-24 22:07) 

とり

■PUTINさん
おはようございます。
情報ありがとうございます。
御代田飛行場につきましては、情報が非常にかぎられているのですが、
下記再生おじさんの記事内にあります通り、おおよそこの辺りにあったのではないかという史料があります。
また当飛行場は、秘匿、隠し飛行場等と呼ばれており、「軍都・郡山」の飛行場とは別物ではないかと
考えております。
>Koriyama West飛行場 
情報ありがとうございました。
記事に追記させて頂きますm(_ _)m

■再生おじさん
リンクありがとうございました。
二番目の記事は未知のものでした(汗)
by とり (2014-12-25 06:35) 

たいじ

Googleで飛行場跡を探すのが好きなものです、
千葉の大藪池の畔にもそれらしき地形が有ります。

鹿児島の出水市の県道373号線沿いに掩体壕を見ました。
ゴルフ場辺りが怪しそうです。
by たいじ (2015-03-22 20:49) 

とり

■たいじさん いらっしゃいませ
>千葉の大藪池の畔
池の西側から北西方向に伸びるものだと思うのですが、
確かに太さといい660mの長さといい、戦時中の秘匿滑走路っぽいですね。
この場所の航空写真を年代順に確認したところ、1977年まではこの滑走路状のものは痕跡もなく、
1979年の大規模宅地造成と共に出現しています。
ということで、これは角栄団地造成の際作られた計画道路ではないかと思います。
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=368935&isDetail=true
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=371283&isDetail=true
(「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  

>鹿児島の出水市
ご推察通りゴルフ場の場所は出水海軍航空基地でした。
現在痕跡は残っていないものの、滑走路の地割は判明しております
拙ブログで宜しければご覧くださいませ
http://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/izumi-airfield
また、当飛行場周辺に現存する二基の掩体豪について、地元教育委員会による大規模な調査が昨年実施されており、
今後整備していく方針のようです。

オイラは根性なしなので、たいじさんのようなローラー派の方の根気には本当に頭が下がりますm(_ _)m
また何かありましたら是非教えてくださいませ
by とり (2015-03-23 06:31) 

PUTIN

とりさま

ご無沙汰しております。
御代田飛行場の件、承知致しました。

さて、本日の朝にNHKの九州ローカルで放送されていたニュースの中で小城飛行場が取り上げられていましたので、ご連絡させて頂きます。小城飛行場の場所は以前にご連絡しておりました米軍史料の内容と一致しておりました。

小城飛行場は、現在の国道203号線が県道44号線と交差する交差点から西南西の方向に向けて国道203号線に沿う形で設営されており、道路の北側に向けて拡張工事がなされていたそうです。

これは米軍史料中に飛行場の位置として記載のある「DEBUN(出分)の東0.5マイル、小城の西1マイル」とも合っており、また滑走路の向きも「東北東から西南西」で合っております。

また、国土地理院が公開している1947年に撮影された小城上空の航空写真からも同飛行場らしき跡地が確認できます。

番組中に出てきた地元の人の証言によれば、練習機が1機着陸したこともあるそうです。

以上、取り急ぎご連絡させて頂きます。
by PUTIN (2015-05-27 20:18) 

とり

■PUTINさん
おお、貴重な情報感謝致しますm(_ _)m
それから大変遅くなってしまいましたが、丸2月号購入しました。
凄いお写真をお持ちなのですね(@Д@)
当時の様子が伝わってきました。重ねて感謝です。
by とり (2015-05-28 07:29) 

PUTIN

とりさま

久しぶりに飛行場特定の情報をお伝えすることができて良かったです。
比叡山の桜花基地の写真、ご覧になられましたか!
わざわざ購入して読んで頂き、誠にありがとうございますm(_ _)m

「丸」に掲載したのは原本の動画からキャプチャしてきた静止画です。
米国には日本にない貴重な史料がたくさん眠っておりますので、
今度行って来て色々な史料のサルベージを行なおうと考えております。
by PUTIN (2015-05-28 22:01) 

とり

■PUTINさん
場所特定情報ありがとうございました。
週末に記事修正させて頂きますm(_ _)m

「丸」に掲載してあるのは写真だと思い込んでいたのですが、動画だったのですね!
改めて記事見返してみたら、ちゃんと「静止画」と書かれてますね^^;
>サルベージ
すごいですね~。
このまま埋もれてしまいそうな宝が沢山見つかりますように。
沢山の成果をお祈り致します!
by とり (2015-05-29 06:34) 

バラモンキング

ご無沙汰しております。いつもお世話になります。
先日、そちらのメールアドレスに長崎県の富江陸上飛行場と富江水上飛行場の情報を送りました。みていただけましたか?
もしかして、スパムメール扱いでゴミ箱直行になっていたのかもと思いここにコメント入れました。
m(_ _)m

by バラモンキング (2015-06-02 09:59) 

とり

■バラモンキングさん
メールありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2015-06-03 21:33) 

再生おじさん

既にご存じかもしれませんが、千町無田の手掛かりがありますので連絡しておきます。

アジア歴史資料センター
レファレンスコード C01006128500
レファレンスコード C01006249500
レファレンスコード C01006333900

昭和3年7月28日、「日出生台演習場野矢原飛行場新設工事ノ件」として承認されるが、昭和4年1月22日、「日出生台演習場野矢原飛行場新設ノ予定工事位置変更其他変更ノ件」として、「千丁無田附近ニ好適ノ地ヲ発見シタルニツキ本飛行場ハ同所ニ位置変更」と承認され、昭和5年2月22日 日出生台演習場千町無田飛行場土地買収ノ件 として決裁され、昭和5年5月7日 千町無田陸軍飛行場敷地買収ノ件報告」に敷地買収済みとの報告あります。

肝心の場所ですが、「千町無田」そのものではなく「千町無田付近」と書かれていますから、山岳部も含めて、土地買収の記録や昭和5年頃の出来事が記載されている開拓史を探すしか無いと思われます。
by 再生おじさん (2015-06-13 17:56) 

とり

■再生おじさん
こちらも貴重な情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2015-06-13 22:17) 

のぶさん

海軍の秘匿飛行場については、アジ歴で公開されている設営隊の戦時日誌に結構出てきますよ。
by のぶさん (2015-06-25 14:22) 

とり

■のぶさん
アジ歴、いろいろ調べたのですが、オイラが欲しいのは飛行場の位置情報なんですよ^^;
by とり (2015-06-27 06:57) 

再生おじさん

こんばんは

未完成ですが七尾陸上機用滑走路(30m×600m計画)の情報です。
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/12090345.html
(一次資料:アジ歴の C08030308400 の43コマ、44コマ目。以前メールした田鶴浜計画図が載っている米軍資料です。)

また、ゾルゲ事件の宮城調書に、昭和12年にゾルゲへ報告した内容として「秋田県男鹿半島付近に海軍の飛行場が在る」と記載されており、これは米軍情報の水上機用「HACHIROGATA」の事ではないかと思われます。
(尚、八郎潟の座標問題の解釈について9日に自動アップされますので今しばらくお待ち下さい→ http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/12108532.html )

by 再生おじさん (2015-07-02 20:02) 

とり

■再生おじさん
こんばんは。
おお、陸上飛行場の計画もあったのですね~。
秋田県情報もありがとうございますm(_ _)m
ゾルゲが絡んでくるとは。。。
by とり (2015-07-03 20:45) 

再生おじさん

こんばんは。

二海郡‎八雲町‎に終戦間際に作られた旧陸軍秘匿飛行場について、書籍情報が出て来ました。

八雲町史
第三編 行政>第五章 八雲飛行場と自衛隊>第1節 八雲飛行場の建設の最後の方に、以下2点が記載されています。

付帯工事の設置
工事は、「えん体」、「誘導路」、「隠密飛行場」、「道路・橋・堤防」などで、飛行場の周辺半径4キロメートル余にわたる大規模なものであった。

隠密飛行場
昭和20年の敗戦間近につくられた。牧草地の草をはぎ、土を削って平らにし、その上に小石を敷きつめて地面をかたくし、その上に芝を張った。戦闘機が発着することになっていたが、そのうちに終戦となり使用されなかった。

元資料は、「わたしたちの町八雲・指導資料編」であると思われます。

(;^ω^) 肝心な位置が特定できないんですけどね・・・

by 再生おじさん (2015-08-05 19:46) 

とり

■再生おじさん
貴重な情報ありがとうございますm(_ _)m
現地図書館にお邪魔した際、町史をコピーしたのですが、オイラは第一章「軍事」しか見てませんでした><
第五章にも関連する記述があったのですね。
第一章「軍事」によれば、昭和19年、岡村少佐着任と共に大規模拡幅工事が始まり、隠密飛行場を含む
全工事は11月に完成した。と記されています。
場所が気になる~。
by とり (2015-08-06 22:40) 

再生おじさん

こんばんは

八雲町史は、1957年版、1983(1984)年版、2013年版の3種類存在します。

とりあえず、八雲町HPのデジタル町史をご覧戴ければ幸いです。
http://www2.town.yakumo.hokkaido.jp/history/
by 再生おじさん (2015-08-07 00:32) 

とり(本物)

出先からなのでログアウト状態ですが本物です

再生おじさん
リンクありがとうございました。
資料に出てくる「隠密飛行場」。
拡張工事で造っていますので、
オイラはこれまでずっと、これは八雲飛行場の第二滑走路とか
補助滑走路的なものだろうと考えていて、
八雲町内にもう一つ別の飛行場があるのではないかと思っていたのですが、

・町史の中で隠密飛行場のことは出てくるのに、それ以外の飛行場は出てこない
・八雲のもう一つの飛行場は「秘匿」である
・町内に二つ別個の飛行場という例はそうそうない
・どちらも陸軍の飛行場

以上の点から、この隠密飛行場が八雲のもう一つの飛行場ではないかと考えます。
by とり(本物) (2015-08-08 05:02) 

再生おじさん

南砺市の立野原演習場内にあった飛行場情報です。

「立野原開拓入植50周年記念 ふりかえる50年」

P5
南部市野沢部落
「立野原地区最高の平坦地として陸軍省時代に於てしばしば民間機、軍用機の発着を見たところで、北部と共に入植者一般の求めた場所であった。」

当方の記事は17日か18日頃になるので、先に地図を載せておきました。
(上から9~10マス、左から5マス目辺りが南部市野沢地区)
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/12259614.html



by 再生おじさん (2015-09-06 01:14) 

とり

■再生おじさん
貴重な情報ありがとうございましたm(_ _)m
ここは2011年にお邪魔して監的壕見てきたのですが、
「不時着場として設定されていた」という認識で、「ヒコーキ関係の場所」に分類してました。
民間機、軍用機が「しばしば」利用していたなら、「空港」に昇格させようかしらん。
by とり (2015-09-08 07:20) 

再生おじさん

既出でしたら、すみません。

長野県下諏訪町の赤砂飛行場がリストに見当たらなかったのでコメントを入れておきます。m(_ _;)m

座標: 36° 3'40"N、138° 4'44"E

米軍資料↓44コマ目
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009483

自治体の広報
http://www.town.shimosuwa.lg.jp/magazine/file/201108P14_P15.pdf#search='%E8%B5%A4%E7%A0%82%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4'

by 再生おじさん (2015-09-14 21:22) 

とり

■再生おじさん
情報ありがとうございました。
ここは全く知りませんでした!
松本空港が「日本で1番空に近い空港(657.5m)」
なのですが、ここはグーグルアース調べで768mもあります。
標高ランキングだと、軽井沢の次はここかしらん。
by とり (2015-09-15 19:07) 

再生おじさん

こんばんは

昨日、赤砂現地と下諏訪図書館に行ってきました。
追加情報です。(いずれも下諏訪図書館所蔵)

①「よせなべ随筆」P71~75に赤砂飛行場回想録が載っています。

②「写真が語る 下諏訪の百年」P152に赤砂の格納庫の中にある複葉機の写真が載っています。

③そしてなんと!!「下諏訪赤砂飛行場 複葉機の離発着映像 昭和8年の記録」というDVDが有ります。(個人の方からの映像提供との事でした。)
SUGEEEEEEE(゚Д゚)EEEEEEEEEEEEEE!!!!

DVD、コピーしてきましたけど要りますか?(317MB)(;^ω^)

by 再生おじさん (2015-09-22 00:35) 

とり

■再生おじさん
追加情報ありがとうございましたm(_ _)m
DVDはお気持ちだけ頂きます。ありがとうございます。
by とり (2015-09-22 20:22) 

再生おじさん

こんばんは

青森十和田の三本木秘匿飛行場、意外な情報から位置エリアの絞り込みができましたのでお知らせしておきます。
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/12366119.html

ついでに、厚岸水上基地の兵舎の推定位置も。
http://blogs.yahoo.co.jp/trpys563/12162518.html
by 再生おじさん (2015-09-25 01:04) 

とり

■再生おじさん
情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2015-09-25 05:52) 

織原瑞希

こんにちは、お世話になります。
陸海空、各種軍需施設の跡地を調べていて、たどり着きました。

その中で、一個ふと気になったので、質問として書き込ませて頂きます。

栃木県河内郡上三川町。 日産の栃木工場。
あれだけ広大な敷地で、中島とも縁のある日産。
あの地が、何らかの関係施設だった可能性は無いのでしょうか。
宇都宮の2つの駐屯地それぞれが、関東工業や中島飛行機と関連し、
壬生飛行場、鐺山飛行場に、那須野・金丸原の飛行場…
これだけ数が有るだけに、もう無いとも、むしろもっとあるとも考えてしまいます^^;
by 織原瑞希 (2015-11-24 01:11) 

とり

■織原瑞希さん いらっしゃいませ
確かにこの周辺は軍事施設が多いですよね。
残念ながらオイラはこの日産工場が何かに使われていたかどうか存じません。
申し訳ありません。
既にご覧になったようでしたら申し訳ないのですが、
一応、国土地理院 1946年5月当時の写真だとこんな感じです。
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=2199&isDetail=true
(「同意する」→戻る→再度リンク先へ)
工場のあたりがほぼ中心にきています。
周辺とは明らかに異質な感じがしますが、終戦から一年足らずでもうすっかり開墾されてますね。
地元に詳しい方が居りますので尋ねてみます。またここに返事書きますね。
by とり (2015-11-24 06:43) 

とり

■織原瑞希さん
地元の方から早速回答頂きましたのでお知らせ致します。

御回答します。
わたくしが今まで見聞してきた中で、上三川町上蒲生に軍関係施設があったとは聞いておりません。何年か前にその工場見学した時、地主数名と話がついたので、あの広大な敷地が確保できた=もともと山林だったと聞いたような気がします。

とのことでした。
by とり (2015-11-25 05:46) 

織原瑞希

こんにちは、早速の調査報告ありがとうございます><

簡単にですが、当方でもみなさまの記事や、図書館資料などあたっては見ましたが、
やはり、関係施設が有ったと言える記載を目にすることは出来ませんでした。

関東工業や、南雀宮駅(跡)富士重工専用線路など、今度は鉄道に視野を移して、
資料集めを続けてみたいと思います。
何か、飛行関係の資料、面白いものが見つかったら、報告に上がろうと思います。

この度はお世話になりましたm(_ _)mペコ

by 織原瑞希 (2015-11-25 13:15) 

とり

■織原瑞希さん
問い合わせはme-coさんという方に致しました。
この方は何でもよくご存じなんですよ。
しかし、「ここに何かあったかも」とアタリをつけて調べるというのは凄いですね。
オイラは「ここにあった」という情報を追いかけるのがせいぜいで、まだその域には達しておりません。
何かヒコーキ関連で見つかりましたら、是非宜しくお願い致しますm(_ _)m
by とり (2015-11-26 05:30) 

再生おじさん

竹形の件、「草に寝転ぶあなたが好きだったの - WarBirds」では住所が山形県最上郡八向村で、伊久留区誌P353では神町のNW40km(元資料は航本機密5319号)だから、枡形の事だと思いますよ。

by 再生おじさん (2016-01-27 21:50) 

とり

■再生おじさん
情報ありがとうございます。
竹形と升形は近くにある別々の飛行場だと思いますよ。
件の一覧表の竹形の四つ下に升形が出てますし、
「竹形飛行場」でググれば、
「新庄市郊外には竹形と升形二つの飛行場があった」
的なものが幾つもヒットします
by とり (2016-01-28 05:24) 

再生おじさん

件の表に升形があるのは見ており、検索すると竹形と升形の二つあったと出てくるのですが、あっても良さそうな「竹形」という地名が見つからないので引っ掛かっているのです。
(。・_・?)ハテ?



by 再生おじさん (2016-01-28 21:47) 

とり

■再生おじさん
その理由だけで「竹形」=「升形」とはオイラには思えませんが。。。
by とり (2016-01-29 06:10) 

再生おじさん

①本当に実在したのか不明ですが、面白い米軍地図を見つけました。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8820483
これの4コマ目・・・・・
何と!! 礼文島にもマークが付いています。(;^ω^)

②気仙沼は他ファイルの米軍情報でも「計画」となっていますが・・・
物凄く怪しい情報はグーグルブックスでヒットします。
外村繁全集第五巻1962年を「気仙沼 飛行場」で検索してみて下さい。
小説の一節かも知れませんが。

by 再生おじさん (2016-03-23 21:49) 

とり

■再生おじさん
情報ありがとうございます。
①の地図はオイラも少し前に見たのですが、この中に記載されている
沖縄本島のCHIMUは、米軍が沖縄占領後に新設した飛行場であること、
「川越」等、飛行場があったとはとても考えにくい地名があること
から、純粋に飛行場マップというより、軍施設、駐留地を示したものかと
思いました。

②グーグルブックスでの検索はよくやってます。
気仙沼は外村繁全集しかヒットしないんですよね~。
気仙沼水上基地が出てくる日本海軍航空史は戦後まとめられたものなので、
オイラとしては、「本当にあったのか」ではなく、「どこにあったのか」
が問題です。
by とり (2016-03-24 05:14) 

再生おじさん

地図はタイトルと説明書き通りですからねぇ・・
地名については、米軍が認識していた地名でしょうから、実際の地名と異なっていても不思議ではないでしょう。「川越」は坂戸の事かも。
「CHIMU」については白丸マークの意味次第と言ったところでしょうか。
by 再生おじさん (2016-03-24 21:54) 

再生おじさん

おじさんは未だ日本海軍航空史を読んでいないので大外れしているかもしれませんが・・・・

国立公文書館デジタルアーカイブで「東北地方航路標識位置図」というのがあり、その6ページ目に気仙沼港内には航空標識が8個並んであり、その先が点線で陸地へと続いています。
その点線の先が気仙沼飛行場なのではないでしょうか?
by 再生おじさん (2016-03-24 22:59) 

再生おじさん

先の「東北地方航路標識位置図」のコメント、間違いがあったので取り消します。(「航空」標識ではなく船舶用燈竿でしたので。)
by 再生おじさん (2016-03-25 22:26) 

再生おじさん

今度は間違いなく飛行機関連の情報です(笑)
(日本海軍航空史の気仙沼飛行場とは年代が違うかも?)

気仙沼市史 近代現代編
P634
(大正6年?7年?の)「七月白戸栄之助前浜で飛行機を公開」

※「前浜」は2ヶ所あり、どちらの前浜なのかは不明。只単に飛行機を公開した場所なだけかも知れませんけどね。
by 再生おじさん (2016-03-26 00:06) 

とり

■再生おじさん
いろいろ情報ありがとうございました。
白戸栄之助氏は東北を含め、全国で集中的に展示飛行を行った時期があるので、
その時のことかと思ったのですが、これは大正元年~2年なので時期がずれてました。
気仙沼にも来ていたのですね。
by とり (2016-03-26 04:35) 

危険物Ⅱ

航空標識ってwwバカスwwwwww
着陸進入灯と勘違いしてたんだろコイツwwww
by 危険物Ⅱ (2016-03-28 11:51) 

再生おじさん

コメ欄お借りします。

危険物Ⅱさんからのツッコミキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!

バカスでしょ? 
もうツッコミ通り、おじさん思いっきり勘違いしましたよ・・・・
ええ。(*・ω・)-ω-)・ω・)-ω-)ゥィゥィ♪
しかも思いっきりね!ポカッ(._+ )☆ヾ(-.-メ) ォィォィ
8個も並んでいたら、そりゃぁ上空から飛行場だと一目で判るだろうなぁと。

こんな感じ↓
シンニュウトウカ?? キタ━━━(゚∀゚)━━━ッ!!!! イヤッホォゥ!!
ソノサキニスロープトカクノウコラシキタテモノハッケン!! キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!! 
スイジョウキヨウ! キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!

で、官報も調べていたら、燈竿?燈竿だとぉーーーーーっ!!
船舶用やんけーーーーっ
航空ではなく航路やんけ~っ とね。

そりゃぁ、もうこんな感じ・・・(爆)↓ 
センパクヨウカヨッ ガ━(;゚д゚)━ン!! ヤッチマッター

(^^;)ゞ
by 再生おじさん (2016-03-28 22:11) 

危険物Ⅱ

見苦しい言い訳してた香具師が急にしおらしくなっててクソワロタ>竹形
by 危険物Ⅱ (2016-03-29 18:05) 

再生おじさん

度々コメ欄をお借りして申し訳け御座いません。

ども。香しき臭い(加齢臭)の見苦しく、しおらしくなった??おじさんです。
ポカッ(._+ )☆ヾ(-.-メ) ォィォィイミガチガウカラ、ソレ

竹形の件は、確認した一次資料①「新設航空基地(牧場)」(航本機密5318号、昭和20年7月22日、神町NW40K記載あり)と②「牧場の整備状況表」には「竹形」しか掲載されておらず、新庄市には升形の地名はあるが竹形の地名が無く、ネット検索で多数出てくる「太平洋戦争中には神町海軍飛行場の補助飛行場として新庄市西郊に升形飛行場(600m×30m)、竹形飛行場(800m×60m)と2つの大日本帝国海軍飛行場が存在した。」は、文言が全て同じで(元はウィキの新庄市の記述、またはその逆?)、それ以外にヒットするのは件の「牧場」一覧表だけという事から、今でも真面目に升形と竹形が同一なのでは無いかと考えてまっせ~

もちろんこんなノリで↓(爆)
タケガタノチメイガナイゾ、マスガタノコトダ キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!! イヤッホゥ~!!

竹形の位置が明確な資料が出てくれば別ですが・・・
(きっとこんな感じになる↓)
チガウノカヨッ ガ━(;゚д゚)━ン!! ヤッチマッタ

(^^;)ゞ
by 再生おじさん (2016-03-29 22:38) 

PUTIN

とり様

ご無沙汰しております。
たまたま再読していた書籍に終戦直前に設営されたと思われる水上機基地の名称が出てきましたのでご連絡致します。

・深江基地:第2河和空の零式観測機で編成された特攻隊が1945年7月に進出。当該書籍に場所は唐津湾と記載されており、おそらくは現在の福岡県糸島市の筑前深江駅周辺の海岸に設営された水上機基地と思われます。

・屋代島:第2河和空の水上戦闘機隊が米軍の九州上陸時に河和から九州へ進出する際の中継基地として設営。

・別府湾基地:第801海軍航空隊所属の飛行艇の避退用基地として隠岐諸島に設営された基地。名称から現隠岐郡西ノ島町の別府港周辺に設営されたと思われます。

以上、ご連絡させて頂きます。
by PUTIN (2016-08-21 17:59) 

とり様

連投すみません。

別府湾基地についてアジ歴で検索していたところ、「鹿島航空隊芦沢派遣隊」という部隊の引渡目録が出てきました。

どうも現在の松江市東出雲町(旧八束郡意東村)に鹿島海軍航空隊の派遣隊がいたようですが、それ以上のことは分かりませんでした。
おそらくここも水上機基地と思われますので、ご連絡させて頂きます。
by とり様 (2016-08-21 18:24) 

とり

■PUTIN様
ご無沙汰しております。
貴重な情報をありがとうございました。
いずれも初耳の所ばかりで、リストに追加させて頂きました。
水上機ならではの運用ですね~。
いつもありがとうございます。
また何かありましたら教えてくださいませm(_ _)m

以前PUTIN様からの情報で場所確定した小城飛行場に五月に行ってきました。
その節はどうもありがとうございました。
by とり (2016-08-22 05:20) 

再生おじさん

五井水上基地はUSA-M50-115 (1947.02.22)に写っている埋立地の事です

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9884460 の16コマ目

市原市史(下巻)(市原市教育委員会、昭和57年3月20日発行)
第四章 臨海工業地帯の成立と発展
P537~538 第四項 大規模埋立の本格化
(長いので当該部分のみ抜粋↓)

「市原郡五井町地先(いま市原五井の君塚及び川岸部分)西北方、養老川右岸の埋立約二〇万坪(六六ヘクタール)の造成であった。海軍が航空基地として埋立てたものであるが、ほとんど利用されぬうちに終戦となった(千葉県「京葉工業地帯要覧」昭和二十八年、前掲「京葉工業地帯」)
by 再生おじさん (2016-08-28 12:54) 

とり

■再生おじさん
情報ありがとうございました。
by とり (2016-08-30 05:58) 

再生おじさん

千葉県の「県営千葉県魚群探見飛行場」

続銚子市史Ⅰ昭和前期(昭和58年2月11日発行)

P541
特異な魚群探見飛行事業 

抜粋
「猿田秀文は昭和一七年から千葉県技師の身分となり、千葉県魚群探見飛行場長として開設の準備に当たった。新飛行場の格納庫は本城町地先、現県立銚子水産高等学校の西側に建設され19年に入ってから間もなく業務を開始した。・・・」

P542抜粋
「銚子市本城町地先利根川を埋立てた県有地約二千坪の基地と竹製通信筒三千本は既にでき上がり間口、奥行各十間、高さ二十二尺の格納庫と付属事務所の建設は今月下旬竣工の予定、・・・」
by 再生おじさん (2016-09-03 10:17) 

とり

■再生おじさん
情報ありがとうございました。
by とり (2016-09-03 11:14) 

再生おじさん

綾部秘匿飛行場

一次資料に福知山E4Kとありますから、福知山の第二滑走路の事なのではないでしょうか?

第二滑走路の要図(位置デフォルメ図)はアジ歴に出てます。
C08011074200 (6コマ目と30コマ目)

(USA-M628-1-158を見ると、地形(線路と道路)から位置的には京都協立病院のすぐ西側で、道路北側沿いに細長い痕跡が見えるのですが・・・
郷土史等での検証はしていません。m(_ _;)m )

by 再生おじさん (2016-09-14 22:05) 

再生おじさん

連コメすんません・・・

ちょっと検索したら第二滑走路の詳細位置図が出て来ました
アジ歴 C08011215400

(;^ω^)
by 再生おじさん (2016-09-14 22:34) 

とり

■再生おじさん
情報ありがとうございます。
ここは飛行場があちこちあって情報が錯綜してるんですよね~。
週末にじっくり拝見致します。
>一次資料に福知山E4K
というのはどこ情報でしょうか?
by とり (2016-09-15 06:43) 

再生おじさん

「航本機密五三一九号、新設航空基地(牧場)参考資料」の表です。
(漢字が特徴のある字体なため、五三一八とも読めなくもない・・)
(※資料をメールしておきました)




by 再生おじさん (2016-09-15 20:45) 

とり

■再生おじさん
資料確認しました。
わざわざメールどうもありがとうございます。
この資料書いた方、オイラの仕事用の字に似てます(o ̄∇ ̄o)
by とり (2016-09-16 06:44) 

とり

■再生おじさん
資料じっくり確認させていただきましたm(_ _)m
以前福知山飛行場跡地にお邪魔した際、近隣の日新地区コミセンにお邪魔しました。
ここは敷地内に福知山飛行場の遺構を展示しています。
そこで職員の方から説明を受け、「海軍福知山航空基地(石原飛行場)について」
という19pの資料を頂きました。
改めてこの資料を見返してみたのですが、
福知山飛行場すぐ東側に建設されたのは、「綾部」ではなく「高津飛行場」と記されています。

綾部飛行場についてですが、
防衛研究所収蔵「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和20年8月調)の中に
「福知山」、「高津」、「綾部」の三つが出ていました。
場所についてですが、
福知山→石原駅西1km
高津→石原駅東2km
綾部→綾部駅南1km
となっていました。

メールで頂いた資料内で綾部の位置が「福知山E4K」と記されている件についてですが、
福知山第一飛行場滑走路東端~綾部駅だと7kmもあるのですが、
福知山第二飛行場滑走路東端~綾部駅だとちょうど4kmでした。

第二滑走路の詳細位置図 アジ歴 C08011215400
を使って作図をしようとしているのですが、難しいですね。
アジ歴から地図をプリントアウトして貼り合わせて、グーグルマップと縮尺率の差を出して
…とアナログなことをしているのですが、
位置はオイラも再生おじさん仰っているのとほぼ同じと思います。
by とり (2016-09-17 03:18) 

再生おじさん

∑(・∀・;ノ)ノ

綾部は駅が第二滑走路からE4kmでジャストとは!
高津が石原駅東2kmとの事なので・・・
高津=第二滑走路という事になるのでしょうか?

地図は既に(気合で)合体してあるのでメールしておきますね・・・
(縮小版の地図は当方のブログに26日に自動アップ予定です)
by 再生おじさん (2016-09-17 22:38) 

とり

■再生おじさん
>高津=第二滑走路という事に
そういう事だと思います。

防衛研究所収蔵「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和20年8月調)の
福知山→石原駅西1km
高津→石原駅東2km
綾部→綾部駅南1km
という説明を地図上で確認すると、
福知山の東に高津があり、その東に綾部。という位置関係になりますし、
同一の一次資料上で三飛行場が列記されている以上、
高津=第二滑走路と解釈するのが最も合理的と思います。

メールありがとうございました。
これは力作ですね。
オイラは第二滑走路部分の二枚貼り合わせただけですが、
それでもかなりめんどくさかったです。

「結城」についてですが、残念ながらオイラの資料には含まれていませんでした。
お役に立てず申し訳ないです。
by とり (2016-09-18 05:35) 

再生おじさん

(*・゙・)ウーン…

私の持っている一次資料の方が古くて、とりさんの持っている資料が最終版ですから、
資料の時系列も考慮すると、「以久田村」、「30×600 EW」と書かれている「綾部」が実は「高津」の事を指しており、
その後に「現状表(内地の部)」にある、綾部駅の南1kmの「綾部」が作られた?(計画された?)という事の様ですね・・・・・




by 再生おじさん (2016-09-18 11:14) 

とり

■再生おじさん
そうなのかもしれないですね。
福知山飛行場跡地の南2kmに陸自の長田野離着陸場がありますが、
そのすぐ西隣(福知山IC)の所に陸軍の着陸場があったことを、
昨日コミセンで頂いた資料見返していて気が付きました。
高津、綾部、長田野と、急に見学ポイント増えた!
by とり (2016-09-19 04:41) 

再生おじさん

飛行場だらけですね・・・∑(・∀・;ノ)ノ

長田野の西隣に着陸場があったという事は・・・
その着陸場もしくは長田野(の敷地)も含めて、本土防空作戦記録(中部地区)に出てくる陸軍の と號用福知山 という事かも??
(詳しく調べていませんm(_ _;)m)

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8815681
38コマに と號用福知山 
61コマに と號部隊用飛行場配置図

by 再生おじさん (2016-09-19 11:42) 

とり

■再生おじさん
うーん。どうなんでしょうね。
「飛行場群」という概念はありましたから、
それをと号作戦にも適用というのは
あり得ない話ではないと思いますが。。。
by とり (2016-09-21 04:51) 

PUTIN

とり様

明けましておめでとうございます。

以前にご連絡しました直方海軍飛行場について、同飛行場の設営を行なった海軍設営隊の一中尉の手記を見つけましたので、ご連絡させて頂きます。
以下に、当該部分を一部抜粋して書かせて頂きます。


引用開始

 六月に入り、佐鎮から、遠賀川附近に緊急発進用の滑送路を一ヶ月で設営せよと命令が出た。一ヶ月で作れと云う滑走路は長さ七〇〇米で、幅二〇米位だったと思う。これと共に一〇〇kg爆弾(引用者註-正しくは250kg爆弾。防研史料より)の格納用隧道と、飛行機を格納する場所と、その誘導路である。
 富士の裾野で、実地演習はしていたが、現実となったのである。隊長は自動車を駆って遠賀川方面に乗り込んだ。先ず図上で、遠賀川の日ノ出橋上流の河川敷を選んだ、色々と調査したが、増水時には、水没の恐れがあり附属施設の設営にも具合が悪るい、特攻機が飛び立てなかったら軍法会議ものでる。
 止むを得ぬ、田圃を潰ぶそうと云う事になり、遠賀群小屋瀬地区で、初夏のうららかな田圃に目星をつけた、最後的兵器である特攻基地の建設が初められたのである。毎日、数千人を動員し、隊員も主力を投入して、一ヶ月余りして、どうにか飛び上れる滑送路は出来上った。滑送路の上に田圃の形のように草を植えた箱庭を並べて、滑送路の形を蔽していたのであるが、戦後、米軍の日本軍基地の図集に乗っていたと云う話に、自笑せざるを得なかった。毎日頭上を航空写真を撮る米軍機が、ゆうゆうと飛行機雲をなびかせて、飛んで居たのであるから止むを得ない結果だったと思う。終戦になり、これらの作業地に対する補償を査定して、約二〇万円の支払金を、直方市長に渡した相山中尉(引用者註-この体験記の筆者)は、翌る年その地を尋ねて見たら、元の田圃になっており、戦争の爪跡は殆んど残っていなかった。

引用終わり

出典元:『海軍施設系技術官の記録』刊行委員会編『海軍施設系技術官の記録』(私家版、1972年)。
※なお、本文中の誤字、脱字等の誤りは原著のものをそのまま記載した。

なお、同じ本に春日原海軍飛行場の設営に携わった方の数行だけの回想も載っておりました。それによれば、「野球場を滑走路に造成」する設営作業を行なわれたとのことです。

以上、長くなってしまいましたが、ご連絡させて頂きます。

by PUTIN (2017-01-07 01:51) 

とり

■PUTIN様
返信が大変遅れてしまい、申し訳ありませんでしたm(_ _)m
非常に貴重な情報をありがとうございます。
直方海軍飛行場に関しては、以前PUTIN様から頂いた情報と併せ、
これで場所確定とさせていただきます。
春日原海軍飛行場については、
「野球場を滑走路に造成した」とか、「野球場付近を滑走路に造成した」
という記録があるのですが、某サイト様で某御大が、
「戦後の写真を見ても野球場はそのままだから、『野球場を飛行場に云々』はあり得ない」
と書いておられ、なかなか確定できなかったのですが、
実際に建設に従事しておられた方からハッキリと証言が出ているので、
これは間違いない情報と思います。
今年初確定の貴重な情報ありがとうございました。
今年もどうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m
by とり (2017-01-15 08:26) 

PUTIN

とり様

お忙しい中、返信して頂き誠にありがとうございます。
こちらこそ今年も宜しくお願い致します。

ちなみに、川棚飛行場については、疎開させた川棚工廠の跡地に滑走路を造成したと前出の書籍に記載がありましたので、以前に再生おじさん様が指摘していた「白く写っている道路」がそうなのかもしれません。
また、昭和19年の後半に大隅半島の高山に進出していた設営隊がいたようですので、以前にご連絡した米軍史料に出てくるTakayama飛行場に関連があるのかもしれません。

『海軍施設系技術官の記録』には、秘匿飛行場の設営に関わった技術士官の方々の証言も収録されておりますので、また何か発見があればご連絡させて頂きます。

以上、ご連絡させて頂きます。
by PUTIN (2017-01-17 23:43) 

とり

■PUTIN様
またまた貴重な情報をありがとうございましたm(_ _)m
非常に貴重な書籍をお持ちですね~。
アマゾンで調べたら、数万の値がついていました。
地元県立図書館に蔵書がりましたので、オイラも調べてみようと思います。
どうもありがとうございました。
by とり (2017-01-19 06:15) 

美郷町民

『仙南村郷土誌』P.498によると、後三年競馬場跡が後三年滑空機練習場として使用されていたそうです。場所は後三年競馬場で検索すると出てきます。
by 美郷町民 (2017-04-03 02:01) 

とり

■美郷町民さん
貴重な情報ありがとうございましたm(_ _)m
いつか現地にお邪魔してみます。
競馬場跡地を航空写真で確認したところ、最古の1947年以降既に畑地になっておりますが、
滑空機練習場として使用したのは戦時中のことでしょうか。
練習場として使用していた時期、管理者、使用者等ご存知でしたら
教えて頂ければ幸いです。
by とり (2017-04-03 05:44) 

美郷町民

『仙南村郷土誌』には「後三年競馬場は近隣にない平坦で広い土地であったので、グライダーの滑空訓練場として使用するには格好の場所であった。昭和19年(1944)(月日は不詳)始めてグライダーがはいったといわれている。」と書かれています。
それ以上詳しいことは分かりませんが、このサイトには「後三年滑空機練習所」の空襲被害状況が載っています。
http://mt1985.cocolog-nifty.com/naval_strike/2015/11/89-d1c4.html
by 美郷町民 (2017-04-03 14:12) 

とり

■美郷町民さん
ご親切にありがとうございます。
情報感謝致しますm(_ _)m
by とり (2017-04-03 20:10) 

美郷町民

秋田県立図書館デジタルアーカイブでは、秋田魁新報の見出しを検索することができます。「飛行学校」で検索すると、秋田魁新報1926年9月14日 夕刊 2面に「新屋の新開地へ飛行学校」という見出しの記事があることが分かります。日付と見出しが分かれば、国立国会図書館にインターネット上から遠隔複写を申し込むことができます。
http://da.apl.pref.akita.jp/lib/
by 美郷町民 (2017-04-05 16:52) 

とり

■美郷町民さん
情報ありがとうございます。
調べてみますm(_ _)m
by とり (2017-04-07 04:34) 

美郷町民

次のサイトによると、秋田県には北楢岡飛行場というのもあったそうです。
https://blog.goo.ne.jp/tekutobo-senboku/e/1655fff19983761db477ef52a2cc46dc
by 美郷町民 (2018-11-01 00:12) 

とり

■美郷町民さん
ここはまったく知りませんでした。
情報ありがとうございます。
by とり (2018-11-06 18:00) 

Buruno

すみません。はじめまして。控えたメモを紛失してしまったのですが。
沖永良部空港開港前は、どこか島の砂浜に飛行場があったようです。
与論島に行った時、同町図書館で「沖永良部今昔」の写真集があり、プロペラ機の姿を確認しました。
断片情報ですみません。

by Buruno (2019-02-02 08:10) 

とり

■Burunoさん
いらっしゃいませ
島の砂浜の飛行場ってステキですね~
書籍をググってみたんですが「写真アルバム・奄美の昭和/樹林舎」が近いような。。。
手掛かりを頂きましたので、更に調べてみます
情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2019-02-02 17:52) 

PUTIN

とり様

ご無沙汰しております。

先日、久しぶりに防研へ行った際に入手した史料に記載されていた情報を下記の通りご連絡致します。なお、現在、内容を読み進めておりますので、逐次ご連絡致します。ちなみに、以前にご連絡していた鹿児島県のTAKAYAMA飛行場は、日米双方の戦闘報告書等を照合した結果、串良飛行場であると判明しました。

①葛城飛行場について
年月:昭和20年7月(※日数が空欄)
発:横須賀海軍施設部長
宛:施設本部総務部長
件名:航空基地整備進捗状況ノ件報告

(前略)
一八、霞ヶ浦基地
(中略)
(三)葛城秘匿基地
 (イ)滑走路 六〇米×六〇〇米(開墾地ヲ転圧使用ス) 六〇%ニシテ七月十五日概成見込
 (ロ)分散秘匿 中練二五機分 概成ス
(後略)

②佐世保施設部担当の各飛行場について
件名:佐世保施設部管区航空基地緊急整備推進隊報告

(前略)
(二)新設基地(別紙位置図参照)
多々良基地
概位:現九州飛行機会社南側道路ヲ利用
工事概要:在来道路(巾員二八米)ヲ更ニ一〇米拡張シ之ニ伴ナフ電源ノ移設、飛行機隠匿場、組立場新設

小富士基地
概位:現小富士空練兵場
工事概要:在来地盤ヲ整地 (ママ)圧シ飛行機隠匿場及組立場新設

春日原基地
概位:現春日原運動場
工事概要:在来地盤ヲ整地 (ママ)圧シ飛行機隠匿場及組立場新設

直方基地
概位:直方市北方
工事概要:在来田畑ヲ整地 (ママ)圧シ飛行機隠匿場及組立場新設

小城基地
概位:小城町西方道路
工事概要:在来道路(巾員約八米)ヲ更ニ約二二米拡張シ之ニ伴ナフ電線移設、飛行機隠匿場及組立場新設

相ノ浦基地
概位:現相ノ浦海兵団練兵場
工事概要:飛行機隠匿場及組立整備場新設

川棚基地
概位:旧川棚工廠疎開跡
工事概要:電線移設、既設隧道ノ飛行機格納場トシテノ整備及疎開跡建物利用ノ組立整備場新設

島原基地
概位:島原市西方
工事概要:在来田畑ヲ整地 (ママ)圧シ飛行機隠匿場及組立場新設

雲仙基地
概位:雲仙岳上ノゴルフリンク
工事概要:在来地盤整地

(三)既設基地
(中略)
小富士基地
工事概要:水上機秘匿箇所新設
(後略)

以上、今回は上記の情報をお伝え致します。
by PUTIN (2019-03-20 00:21) 

とり

■PUTIN様
こちらこそご無沙汰しております。
またまた非常に貴重な情報をありがとうございます。
各飛行場の記事に反映させて頂きます。
情報の続編もお送り頂けるとのことで、
いつもありがとうございます。
オイラも昨年末に防衛研究所お邪魔しまして、
要図を中心にたくさん写真撮ってきたんですが、
手持ちの写真で何かPUTIN様に少しでもお役に立てる情報がありましたら、
メール等でお送り致しますのでお声がけくださいませ。
by とり (2019-03-20 20:16) 

Buruno

新日本航空の会社案内パンフレットですが
「昭和44年 京葉航空株式会社、社有飛行場を千葉県茂原市に建設」とあります。

https://www.newj.co.jp/news/pdf/pamphlet.pdf

そんな飛行場は・・・
とりさんのご見識をお聞かせください。
by Buruno (2020-11-18 22:22) 

とり

■Burunoさん
コメントありがとうございます。
「見識」には程遠いですけど当飛行場についての情報は
こちらにまとめてありますので、宜しければご覧くださいませ。

真名(茂原)飛行場跡地
https://airport1111.blog.ss-blog.jp/manna-airfield
Burunoさんが貼って下さったリンク先サイトは知らなかったため、
記事修正させていただきました。
どうもありがとうございました。
by とり (2020-11-19 05:02) 

マー君

 徳島県 冲ノ洲飛行場  グライダーの話に  香川県の愛国飛行場で 1ヶ月合宿して特別滑空訓練を受けました。
 訓練中にこんなことがありました。陸軍の単座飛行機が飛行場に着陸して「ここは岡山ですか。」と聞く。何たることぞ。岡山と高松を間違えるとは。
 昭和20年4月,戦時特別滑空訓練指導員を命ぜられ,沖州の飛行場で滑空訓練の指導をしました。

 福岡県  甘木飛行場は特幹の甘木生徒隊の練兵場を昭和19年に2倍に拡張して、中練が下りれるようにしました、中練なら何でもできたそうです。

by マー君 (2021-04-28 11:40) 

とり

■マー君さん
貴重な情報ありがとうございました。
by とり (2021-04-30 04:57) 

suflyer

こちらの記事( https://airfield-search2.blog.ss-blog.jp/fukuoka-airfield )にコメントさせていただいたURLと重複しますが

こちらの米軍地図に「Najima Seaplane Station」とは別に「Najima Airfield」という名称の陸上飛行場が描かれています。多々良飛行場のことだと思うのですが、なにか参考になるでしょうか。
https://maps.lib.utexas.edu/maps/ams/central_japan/txu-pclmaps-oclc-6613121-kokura-45.jpg

ただ、この地図自体は素人目に見ても幾分か怪しいところがいくつかあります。
例えば、Fukushima Airfieldというものが佐賀に描かれているのですが、八女の地名(八女福島、地図にも出ているFukushimaです)を佐賀に間違って配置してしまったのではという気がしています。

もし既知の情報と重複しておりましたらすみません。ご放念くださいませ。
by suflyer (2021-09-12 02:14) 

とり

■suflyerさん
こちらにも情報ありがとうございましたm(_ _)m
ここは情報が錯そうしていて、不明な点が多いんですよね~。
後日じっくりと拝見させて頂きます。

by とり (2021-09-12 10:58) 

PUTIN

かなりご無沙汰しております。

さて、2年前にご連絡したままになっておりました防衛研究所所蔵の「新飛行基地急速整備の件照会」が防衛研究所のHP上で今年から閲覧可能となっておりますので、お知らせいたします。
http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/DetailMok?id=0080084308

ちなみに、以前から気になっていた鹿児島県の永尾?基地について、下記に記載がありましたので、念のためにご連絡致します。
「航空特攻戦備」第2期 22ページ目
http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/DetailMok?id=0050050941

以上、取り急ぎご連絡致します。
by PUTIN (2021-12-26 20:55) 

とり

■PUTIN様
ご無沙汰しております。
閲覧可能になっていたんですね!
いつも非常に貴重な情報をありがとうございますm(_ _)m

永尾基地、ずっと場所が特定できず気になってました。
(岩川街道)と書いてありますね!
これは新情報でした。
これで作図できないか、挑戦してみます。
今年も大変お世話になりました!!
来年もどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m
by とり (2021-12-27 04:34) 

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