SSブログ

旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕 [├場所]

   2012年4月訪問 2021/1更新  



東京都‎府中市‎白糸台‎2丁目にある「旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕」。

調布飛行場の西約1.5kmに位置しており、甲州街道と西武多摩川線の交差部南側の住宅地の中にあります。

事前にグーグル等で調べた際には畑と駐車場に挟まれている状態だったのですが、

お邪魔した時にはご覧の通りでキレイに整備されていました。

D20_0029.jpg


D20_0011.jpg

説明版が設置されています。 一部抜粋してみます。

■掩体壕
 アメリカ軍による本土空襲の激化に伴い、残り少ない貴重な戦闘機を空襲から守り、隠しておくための格納施設が、全国の軍用飛行場周辺に作られました。この施設のことを一般的に「掩体壕」と呼んでいます。コンクリート製の屋根のあるものを「有蓋掩体壕」、周囲を土堤で囲ったのみで屋根がなく、上は木や草で作った覆いをかけたものを「無蓋掩体壕」と呼び、区別しています。調布飛行場周辺では、昭和19(1944)年6月から9月にかけて、有蓋約30基・無蓋約30基、あわせて約60基の掩体壕が作られました。建設は陸軍と建設業者が中心となり、地元住民や中学生も作業に動員されました。有蓋掩体壕は、①饅頭のように土を盛り、よく固める②その上に紙やムシロ、セメント袋などを敷き、柱や梁の部分は板枠で型をとる③鉄筋を置いてコンクリートを流し込む④コンクリートが
固まったら、内部の土を掘り出して上にかぶせ、草木などで偽装する という手順で構築されたと考えられます。労力も物資も乏しい戦時下に、粗悪な資材を用いてきわめて短期間のうちに造られたものである、といえます。また、こうして造られた掩体壕だけでは数が足りず、格納しきれなかった飛行機は、浅間山や多摩霊園、下石原八幡神社、調布市飛田給方面などの樹木の茂った場所に設けられた「分散秘匿地区」まで運ばれました。かつて全国に1000基以上作られたといわれる掩体壕ですが、その多くは既に取り壊され、現存しているものも、経年による劣化や開発工事などによって、消滅の危機にあるものが少なくありません。

■旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕
 終戦後、調布飛行場周辺の掩体壕も、多くは取り壊され、現在は三鷹市の都立武蔵野の森公園内に2基(大沢1号・2号掩体壕)、府中市内に2基、計4基の有蓋掩体壕が残るのみとなりました。そのうちの1基がこの旧陸軍調布市飛行場白糸台掩体壕(以下、「白糸台掩体壕」といいます。)です。白糸台掩体壕は、旧所有者が繰り返し補修を行ってきたことから、これまで良好な状態で保存されてきました。府中市では平成18(2006)年の平和都市宣言20周年を機に、白糸台掩体壕の保存・公有地化を決定し、平成19年12月から平成20年3月まで、その構造などを確認するための調査を実施しました。その結果、戦闘機「飛燕」とほぼ同じ規格で造られて
いたことが判明したほか、排水設備や砂利敷き、誘導路、実際に機体を収納していたことを示すタイヤの痕跡などが発見され、平成20(2008)年に市の史跡に指定しました。その後、コンクリートや鉄筋の保存修理工事を経て、平成23(2011)年度に保存整備を実施し、平成24(2012)年3月より一般公開を開始しました。終戦から長い年月が経過し、戦争の記憶が風化していくなか、戦争遺跡を文化財として保存・活用していく気運は全国各地で高まっています。戦争の悲惨さや平和の尊さを次の世代へと語り継いでいくための貴重な歴史遺産として、市民の皆様と共同で白糸台掩体壕を永く保存・活用していくため、今後ともご理解・ご協力をお願いいたします。平成24年3月 府中市教育委員会

D20_0034.jpg

掩体壕内天井部分

D20_0036.jpg

開口部は北西を向いてます。

D20_0043.jpg

後ろから見たところ。


      東京都・旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕      

旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕 データ

管理者:旧陸軍→土地?所有者→現在は府中市
所在地:東京都‎府中市‎白糸台‎2丁目‎17‎
座 標:N35°40′04″E139°30′47″
(座標はグーグルアースから)

沿革
1944年 6月~9月にかけ、有蓋約30基、無蓋約30基、計約60基の掩体壕が作られる
1945年 終戦。取り壊しが進む中、当掩体壕は所有者により補修が続けられる
2006年 平和都市宣言20周年を機に白糸台掩体壕の保存・公有地化を決定
2007年 12月~翌年3月まで構造等確認調査を実施
2008年 市史跡に指定
2011年度 保存整備を実施
2012年 3月より一般公開開始

関連サイト:
ブログ内関連記事       


コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

コメント 8

tooshiba

パッと見せていただいた感じでは、高さ的に使い物にならなさそうなのですが・・・周りの地面が高くなった(まさか自重で沈んだ?!)からでしょうか。

長らく行政から放置されていた(特段の優遇措置を受けて来なかった)のだとしたら、ひとえに“所有者さんのご尽力の賜物”に尽きますね。
by tooshiba (2012-07-27 12:19) 

まめ助の母

コンクリートの状態とか質はよくなさそうですよね
当時の事を考えてみると
これでめいっぱい頑張ってつくったのでしょうね…

でも、きれいに保存されているのですね
by まめ助の母 (2012-07-27 21:54) 

鹿児島のこういち

ん~、旧所有者、府中市教育委員会、府中市、よく頑張った。えらい!
普通ポルトランドセメントはアルカリ性が10年で表面から1cmずつ中性化してしまいます。中性化してしまうと、中の鉄筋に達したところから鉄筋が腐食を始めて膨張した鉄筋がコンクリートを爆裂破壊してしまいます。
メンテナンスがしっかりしてたのでしょうね(^○^)
by 鹿児島のこういち (2012-07-27 23:21) 

an-kazu

海軍タイプは見たことがありますが、
陸軍タイプをこの目で見たことがありません。

近いから行ってみようっとφ(..)メモメモ
(電車がいいのでしょうか?)
by an-kazu (2012-07-28 06:57) 

me-co

この界隈は、かつて住んでいたところに近いです。
甲州街道の南側の都道だったら、週末には必ず通っていたので、この存在に気付いていたかもしれません・・・
近くにいたのに知らなかったのは=何となく、残念感が漂っています。
by me-co (2012-07-29 10:27) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■tooshibaさん
開口部の前の地面がかなり高くなっています。
開口部前にはスロープが設けてあるんですよ。

■まめ助の母さん
石ころだらけで確かに粗悪に見えますね。
よくぞ今まで保存していたと思います。

■鹿児島のこういちさん
>中性化
そういう事情があるのですか。
勉強になります。

■an-kazuさん
西武線が使えますからan-kazuさんの場合は電車が面倒ないと思います。
車は一台位なら近くに止められるのですが。。。

それからメールの件ですが、今回は急なことで大変申し訳ありませんm(_ _)m

■me-coさん
ここにお住まいだったのですか(@Д@)
掩体壕は非常に地味な扱いですからね。
「ここにそんなものない!」と地元の方からキッパリ言われたことが何度もあります。
by とり (2012-07-29 21:26) 

元山陽ちとせ

白糸台の掩体壕、こんなに綺麗になったんですね。
以前、近所に住んでいたころは、畑の中にひっそり、
という感じでしたが。。。
大切に保存されたことは良いのですが、
綺麗になり過ぎて、当時の雰囲気が損なわれた
気がして、少し残念な気もします。

by 元山陽ちとせ (2012-07-31 01:35) 

とり

■元山陽ちとせさん
この近くにお住まいだったのですか!
当時をご存じだと、確かに雰囲気が違ってしまって淋しいと思います。
しかし都内の住宅地によくぞ今まで残っていたものだと思います。
by とり (2012-08-01 06:03) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0