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沖縄渡航 1970 [■ブログ]

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先日の沖縄復帰記念日に出せればよかったのですが、

我が家にはこんなものがあります。

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オイラの父が東京から沖縄に行くために作った身分証明書です。

昭和44年末に作成し、翌年1月に渡航していますから、復帰2年前ということになります。

 

オイラの両親は先祖代々沖縄の人間で、両親とも沖縄で終戦を迎えています。

その後東京に移住し、その後復帰前の沖縄に渡航したため、

「日本人○○は沖縄へ渡航するものであることを…」

というなんとも不思議な文言になっています。

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こんな大袈裟なことをしないと沖縄に行けない時代があったのですね。

今では考えられないことです。


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コメント 17

鹿児島のこういち

ペリーが浦賀に来るより先に那覇に来た事からも、今と昔とでは意味合いが多少は変わってもアメリカにとって沖縄はアジア進出の重要拠点なんですよね。
ペリーは大統領から琉球が開港を武力で抵抗した場合、占領してもかまわないと許可を受けてます。薩摩藩と幕府がアヘン戦争の事実を考え開港を許可し琉球アメリカ通商条約を結んでます。もし、武力抵抗していたら沖縄はアメリカの州になっていたかもしれませんね。
by 鹿児島のこういち (2012-05-30 07:08) 

Takashi

今の感覚で見ちゃうと、おかしな手続きですね。
貴重な物を見せていただきました。
by Takashi (2012-05-30 07:36) 

夢空

貴重な品のご紹介、ありがとうございます。
歴史、、ですね。
by 夢空 (2012-05-30 07:38) 

カンクリ

パスポートが必要だった、とは聞いてましたが、正確にはこの身分証明書が必要だったのですね。


by カンクリ (2012-05-30 09:25) 

雅

同じ日本なのにこんな時代があったんですね。
貴重な品を見せていただき、ありがとうございます
by (2012-05-30 21:07) 

guchi

凄いです、とりさん。
凄すぎる感動でした。
全く知らないなかった事実です。
パスポートではない、日本人の沖縄行向けだから
でも、沖縄専用パスポートの時代があったんですね。
ホント、学校でも一切教えてくれ無かった史実です。
by guchi (2012-05-31 00:26) 

OLDMAN

お久しぶりです。
私も、復帰寸前に出かけました。渡航証明書を発行してもらう時に、
銀行の通帳(残高証明書??)がいりました??
転居の繰り返しで、私は、紛失!!懐かしい!!観光客はいなかった。
鹿児島から船で入国。以後航空機ですが・・
多分ですが、当時国道58号線は、
今ほど信号機(ほとんど無し)も無く軍用車が走っていました。
お~これがアメリカ(外国に行った事がなかった)だ~!
二十歳すぎの私には、あまりにも刺激が多すぎた、強すぎた!!
復帰3年後にも出かけましたが、車が増えて、
信号機の数が急激に増えていましたね・・
当時普通に闇タバコが売られていてビツクリした事が有ります。
万博の前後複数年間は、仕事が忙しくて??出かけていませんが・・
色々、思い出してくれる一枚の写真でした。
あれから何回沖縄の地を踏んだ事やら??
by OLDMAN (2012-05-31 07:56) 

miffy

話には聞いたことがありますが見たのは初めてです。
貴重な品物を大切に保管されていたんですね。
by miffy (2012-05-31 18:08) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
沖縄がアメリカの州の1つだったら…一体どうなっていたんでしょうか。
中国、日本、アメリカと、沖縄は位置的に大国に翻弄され続けることを宿命づけられているのかもしれないですね。

■Takashiさん
ホントにおかしな手続きですね。

■夢空さん
こんな時代もあったんですね~。

■カンクリさん
オイラもパスポートで~と聞いたことあります。
もしかしたら、パスポートでもオッケーだったのかもしれないですね。

■雅さん
世が世なら、雅さんもこれを使って沖縄と行き来してたのかもしれないですね。

■guchiさん
>沖縄専用パスポート
その表現がピッタリですね。
中身もパスポートを簡易にした感じです。

■OLDMAN様
こちらこそご無沙汰しておりますm(_ _)m
よく沖縄に行かれるのは知っていましたが、こんなに筋金入りだったとは!
沖縄の移り変わりをずっと見てこられたのですね!

■miffyさん
なぜかオイラの部屋から出てきました^^
by とり (2012-06-01 05:40) 

pica

当時のご両親は複雑な心境だったでしょうに…と
勝手に想像しております。
こんな時代もあったんですね。
by pica (2012-06-03 18:36) 

とり

■picaさん
どんな心境だったのか。。。
今度聞いてみます。
by とり (2012-06-04 20:48) 

NAO

琉球島民は、アメリカ国籍ではありませんでした。
国籍は、あくまでも日本国籍です。
施政権だけが米国民政府でした。ヨ

この身分証は、復帰が決まった頃に日本政府(南島連絡事務所)に移管されました。場所は、今の那覇警察署です。北側に記念碑があります。
その前は、日本渡航証明書だったかな、現物は、近いところでは、奥武山球場の野球博物館に展示されています。

そんな時代もありました。もう40年も経ちました。 

                       nao



by NAO (2012-06-05 19:13) 

とり

■NAOさん いらっしゃいませ。
勘違いしておりました。
記事修正致しました。
貴重な情報ありがとうございました。
by とり (2012-06-07 18:22) 

NAO

深い意味はありません。

皆様、パスポートの話しをされますが
厳密には、パスポートとは、外務省が発行するものです。
この身分証は、総理府発行(南島連絡事務所)です。
色々、調査しましたら、当時の琉球政府の担当者に会う事ができました。
米国民政府の布令や琉球政府の規定なども出てきました。

そんな時代もありました。
ちなみに私は、琉球列島から旅行に出た事はありませんでした。
関連資料は、沖縄公文書館に行くと簡単に手に入ります。よ

                    NAO




by NAO (2012-06-07 18:45) 

とり

■NAOさん 
貴重な情報ありがとうございました。
こちらも返事が遅くなってしまい大変申し訳ありませんでした。
by とり (2013-03-09 06:32) 

AS

北方領土に墓参などで旧住民として行く方は、今でも専用の身分証(≠旅券ではない)を、外務省から取得し、団体で行く必要があります。部外者が行くことは出来ません。
沿海州の町経由で行くと政府に渋い顔されますから。
by AS (2015-11-23 21:36) 

とり

■ASさん いらっしゃいませ
北方領土では現在でもそんな状況なのですね~。
ありがとうございました。
by とり (2015-11-24 06:31) 

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