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愛国金沢(金沢)飛行場跡地 [├空港]

   2010年7月、2018年5月訪問 2020/8更新  

無題9.png
1946年11月(USA M323-A-6 7)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
(埋立てが進み、当時とは大分地形が変化しています)


石川県にあった「愛国金沢(金沢)飛行場」。

1939年、大坂―金沢―富山―長野―東京 という形で定期便の運航が始まりました。

金沢~東京を3時間30分で結んだのだそうです。

現在では北陸新幹線が金沢と東京をたった2時間30分~3時間で結んでいます。

新幹線凄いですね。

しかし戦時体制で民間定期便はほとんど利用されず、飛行場はグライダー練習、遊覧飛行に使われ、

戦後は農地として払い下げられました。

 

防衛研究所収蔵資料「航空路資料 第4 中部地方飛行場及不時着陸場 昭和19年6月刊行 水路部」の中に、

当飛行場の付図があり、先頭のグーグルマップはこの付図から作図しました。

また同資料内に当飛行場に関する情報がありました。

以下引用させて頂きます。

第9 愛国金沢飛行場(昭和17年7月調)

管理者 航空局。
位置 石川県河北郡川北村大字東蚊爪
   (金沢市の北方約9粁、36°38′2N、136°39′6E)。
種別 公共用陸上飛行場。

着陸場の状況
高さ
 平均水面上約1.7米。
広さ及形状
 本場は長さ東西700米、北西-南東670米及北東-南西600米の略梯形地
 域(総面積33萬平方米)なり。
 着陸地域は概ね図示の3條の滑走路(但し舗装せず)を最適とす(付図参
照)。
地表の土質
 主として砂地なるも若干泥土を混ず。
地面の状況
 本場は河北潟の南側一部を埋立整地せるものにして埋立表面の高さは通常
 湖面より約2.3米、周囲の水田より約1米高し・地表は凸凹起伏なき平坦
 地にして中央部に稍高き分水嶺を設け南北両側に向け1/400の下り傾斜を
 成す・中央以南は芝及雑草密生するも北部は概して生育不十分なり・地表
 は土質の関係上載荷力を有する堅硬地なり・降雨後の排水概ね良好なるも
 竣工後尚浅き為長雨続きの際及融雪期には諸処に水溜を生じ且地表軟弱
 となるを免れず。
 滑走路は未舗装にして植芝密生する平坦且堅硬地なり、場内一面に雑草に
 蔽わるるを以て上空よりの識別稍困難なり・12月中旬より翌年3月中旬頃
 迄積雪あり・排水施設は地下に暗渠及場周に幅約2尺程度の排水側溝あ
 り。
場内の障碍物
 場の南側中央に格納庫(高さ12米)、飛行場事務所(夜間は屋上に障碍物
 標示燈を點燈す)及吹流木柱(高さ9米)あり。
適当なる着陸方向
 一般に東方河北潟より着陸態勢を執るを常とす。
離着陸上注意すべき點
 可及的芝生滑走路を主要するを可とす。
施設
 格納庫(間口20米、奥行22米、高さ12米)1・航空局金沢分室及大日本
 航空株式会社金沢出張所・金沢測候所飛行場出張所(目下配員なし)・油
 庫・車庫・倉庫・石炭庫・無線電信受信所(定期航空運航中のみ執務す)
昼間標識 吹流1、飛行場標柱1あり。
 夜間標識 照明設備なし、但し飛行場事務所屋上に障碍燈を點燈す。

周囲の状況
山岳
 本場は河北潟の南岸に在り、西方は約3粁にして日本海に臨み南方は廣濶
 なる石川平野の水田なり・北及東方は直ちに河北潟に面し湖水の周囲3粁付
 近迄は平坦なる水田なるも東方は次第に山地となり約3粁にして石川、富
 山の両平野を縦断する高さ300米内外の倶利加羅峠の麓に達す。
河川及湖沼
 場の西側に接して浅野川あり、更に西方河北潟の湖尻より放出する大野川
 は南西流して日本海に注ぐ、河口に大野港あり此処より同河を遡航して河
北潟に至る舟艇の便あり・南方より本場付近の河北潟に注ぐ灌漑用小河川
多数錯綜す。
堤防
 北及西側に沿う浅野川河岸に高さ1米程度の堤防あるも障碍とならず。
建築物
 場周1粁以内に煙突及建築物等の障碍物なし。
電線
 南方より飛行場事務所に架設せる高さ7米の高圧線及電話線あり。
着目標
 河北潟、大野川、浅野川、道路(本場-金沢市間)、金沢市街。

地方の状況
軍隊及憲兵
金沢師団司令部(金沢市西町)、東部第49部隊(金沢市旧城内)南方約8粁、
 東部51,52,53,55部隊(金沢市田町)南方約11粁・金沢地方海軍人事
 部(金沢市出羽町)南方約9粁・金沢憲兵隊(金沢市西町)南方約8粁。
警察署及役場
 玉川警察署(金沢市宗叔町)南方約8粁、大浦駐在所(河北郡川北村字大
浦)南方約2粁・川北村役場(同村字松寺)南方約4粁。
医療
 川北村字蚊爪及同村字松寺に医院1あり・金沢陸軍病院(金沢市石引町)
 南方約9粁、金沢医科大学付属病院(同市茶畑町)等の外金沢市内に病院
 22あり。
宿泊
 金沢市内に金沢「ホテル」其の他主なる旅館11あり。
清水
 場内に上水道の設備なきも付近の民家に水質良好なる井戸あり。
応急修理
 場内に修理設備なし・金沢市下提町に株式会社北陸自動車商会あり、同社
 は旋盤及溶接器の設備を有す。
航空需品
 航空用燃料及潤滑油の補給は困難なり。

交通、運輸及通信
鐡道及電車
 金沢駅(北陸本線)南方約7粁・金沢駅前より本場の南西方を経て西方栗
ヶ崎海岸に至る浅野川電気軌道株式会社経営の電車便(30分毎に発車)あ
り、最寄停留所は蚊爪停留所(南西方約2.5粁)なり。
道路
 本場の南西隅より幅員7米の飛行場専用道路あり、同道路は南西方約1.5
 粁にて金沢市に通ずる県道に連絡す。
舟運
 大野川河口より同河を遡航し河北潟に連絡する水運の便あり。
運送店
 金沢市内に金沢合同運送株式会社あり・付近の村落に貨物自動車2あり。
電信及電話
 蚊爪郵便局(川北村東蚊爪)南西方約2粁、電信及電話を取扱う・飛行場
 事務所内に電話(金沢5750番)あり、郵便局との間に電話にて電文托送の
 便あり。

気象
測候所
 金沢測候所(金沢市■生町)南方約10粁・定期航空運航中は場内の金沢測
候所飛行場出張所にて航空気象を観測す。
地方風
 金沢測候所に於ける2546-2600年55箇年間の月別統計次の如し(以下月ごとのデータ省略)
天候
 同上55箇年間の月別統計次の如し(以下月ごとのデータ省略)
地方特殊の気象
 7,8月頃雷雨多し、低気圧が日本海を通過する際は偏南西風著し。
気象予察の俚諺
 南方約54粁の白山(日本アルプス)が雲に覆わるるときは南西の風強く
天候次第に険悪となる前兆なりと言う。

其の他
本場は昭和14年6月公共用陸上飛行場として設置せられ爾来大日本航空株式
会社経営の東京-金沢-大阪間定期航空路の中継飛行場として運航を実施せる
も最近同航空路の休止に伴い目下金沢市に管理を委託しあり。


DSC_0117.jpg

グーグルマップ赤マーカー地点。

飛行場跡地は現在こんな感じ。

当飛行場について扱うサイト様(下記リンク参照)によりますと、

建設費を主に出費したのが前田家であったこと、建設の背景に既に1934年に富山に飛行場ができたこと
(今の富山空港とは違うもの)への金沢の政財界の対抗意識があったらしいこと、
飛行場の場所は河北潟南端の東蚊爪、いま免許センターがある付近であったこと、
1938年に開業してから大坂―金沢―富山―長野―東京という定期便が組まれたものの、
ほとんど飛行機が飛んでいなかったらしいこと、などが注目される。
なお、定期便が飛ばなくなった後のこの飛行場は、グライダーなどの練習用途に使われたらしいが、
敗戦後の1946年に閉鎖された。軟弱地盤だったことを理由にあげる説もある(以上、配付資料参照)。
と記されていました。

「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)の中にある「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、当飛行場が金澤高等工業學校航空研究會に使用されていたと出ています。アギラさんから情報頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m

D20_0059.jpg

石川県警ヘリポート。

D20_0068.jpg

跡地の南南西にある「飛行橋」。

D20_0070.jpg

中日新聞によりますと、市中心部と飛行場をほぼ直線で結ぶことを目的として整備された道路は年配者から今でも「飛行道路」と呼ばれていて、

大宮川に架かるこの橋は「飛行橋」と言い、欄干にプロペラ形の飾りがついています。

老朽化のため平成10年7月に架け替えられたのですが、この飾りは地元の強い要望で引き継がれたのだそうです。

かつてこの地に飛行場があったことを示す名残です。


      石川県・金沢飛行場跡地      

金沢飛行場 データ(主に水路部資料昭和17年7月調から)

管理者:航空局(後に金沢市に管理委託)
所在地:石川県河北郡川北村大字東蚊爪(現・金沢市‎湊‎1丁目‎)
座 標:N36°38′2″E136°39′6″
標 高:1.7m
面 積:40ha
滑走路:四の字に三本
着陸帯:700m×620m不定形

沿 革
1936年 建設計画
1938年 金沢蚊ヶ爪に建設着工
1939年 6月 公共用陸上飛行場として設置
     7月15日 大日本航空、東京への定期便開始
1940年 この頃、金澤高等工業學校航空研究會が使用していた
1942年 この頃大日本航空航空路休止し、金沢市に管理を委託
1946年 閉鎖

関連サイト: 
第13回 公共交通と地域経済;小松飛行場その他  

この記事の資料:
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)
「航空路資料第4 中部地方飛行場及不時着陸場 昭和19.6 水路部」 


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コメント 9

鹿児島のこういち

愛國って名前が付くってことは、地域のみなさんがお金を出し合って造った飛行場なのかしら?
戦時下なのに遊覧飛行ってのどかですねf^_^;
写真拡大していくと、携帯でもわかります!はっきりと海のそばに四角い空港!そして街から真っすぐ延びた道!写真の左側、上の方ですよね(^O^)違ってたらゴメンねぇ~f^_^;
by 鹿児島のこういち (2011-04-17 16:30) 

masa

飛行場の名前が橋や道路に残っていたりして
良き思い出となっているんですね。
by masa (2011-04-17 19:39) 

takechan

飛行場の大切さを、今回の震災で改めて知りました。
頑張れJAL、頑張れANA!頑張れ東日本!
by takechan (2011-04-17 22:29) 

tooshiba

今度は石川県ですか?
獅子奮迅ならぬ八面六臂の活躍ですね。
(八面六臂とは、「多方面で、めざましい活躍をすること。また、一人で何人分もの活躍をすること。」という意味とのことなので~goo辞書より~、兄さんに相応しいよね?と思います。)
全国どちらに行かれるにしても、ご無事に取材なさって下さい。m(_ _)m
by tooshiba (2011-04-17 23:55) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■鹿児島のこういちさん
>地域のみなさんが
資料で確認できなかったのですが、「愛国」ですからそういうことだと思います。
今でも橋に名残を残そうとすることもその表れかもしれないですね。
>左側、上の方
ビンゴです^^

■masaさん
多分そういうことなのだと思います。
良き思い出ばかりの飛行場ばかりだとよいのですが。。。

■takechanさん
仰る通りと思います。
新潟地震の時にも実証されましたが、ヒコーキの利点は点と点が健在であれば、極めてフレキシブルな運航が可能なことですからね。
仙台空港、津波被害は大変でしたが、もしも津波の時間帯が数時間前後にずれていたら、
旅客機もたくさん被害に遭っていたのではないかと思いました。

■tooshibaさん
どうもありがとうございます。
単に中部地方を回っただけなんですけどね^^;
by とり (2011-04-18 06:28) 

an-kazu

計画通りに利用されない施設・・・今も昔も多いんですね(^^);
by an-kazu (2011-04-19 22:26) 

とり

■an-kazuさん
本当ですね^^;
by とり (2011-04-20 06:28) 

コスト

一部がヘリポートとして残ってたり、「飛行橋」の欄干にプロペラ形の飾りとか
ちゃんと名残があるもんなんですねー
でも、地元の若い人知ってるでしょうか?^^;
by コスト (2011-04-21 20:21) 

とり

■コストさん
>地元の若い人
どうなんでしょうか。
知るのは地元の年配者のみ。というのはよくあるパターンですが。。。
by とり (2011-04-22 07:48) 

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