SSブログ

岩村田飛行場跡地 [├空港]

    2010年5月訪問 2023/12更新  


無題i.png
撮影年月日1947/08/13(USA M407 48) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

 

長野県佐久市内で建設が進められていた「岩村田飛行場」。

海軍の秘匿飛行場として建設中に終戦を迎えています。

飛行場の場所についてですが、県立駒場公園内の「創造館」南側一帯が飛行場だったとする情報があります。

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:岩村田 建設年:1945 飛行場長x幅 米:1200x50方向NW 主要機隊数:小型 主任務:避退場 隧道竝ニ地下施設:工事中 其ノ他記事:工事中

■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調

には、「岩村田(昭20建)工事中」とありました。

■「航空特攻戦備」第2期 として以下記載がありました(下記リンク参照)。PUTINさんから情報頂きましたm(_ _)m

方面  横須賀
牧場  岩村田
滑走路 五〇×六〇〇NNW
縣郡村 長野、南佐久 岩村田町
記事  八月末既成

先頭のグーグルマップは、上に貼った1947年の航空写真から作図しました。

うっすらと斜めに走る地割が滑走路だったのではないかと思います。

上記資料では、滑走路の長さは1,200mx50mとありますが、

作図して測ってみたら、750mx115m でした。

大分違いますΣ(゚Д゚;)

あと450m足りないのですが、伸ばすとしたら、南側の畑地だったのではないかと。

 

(2023/12 追記)

小諸の風さんから情報頂きました。

地元文化センターにて企画展示があり、今回の企画展にあたっての調査で、

南側民地を含めた計画であったことがわかったとのことです。

企画展のリンクも貼ってくださったのですが、そこには「滑走路工程図」があり、

先頭のグーグルマップの作図に近い図がありました。

相違点は、滑走路を囲むようにキチンと方形の飛行地区が設定されていること、

滑走路北端にターニングパッドがあること、

飛行地区南端はグーグルマップの作図と同じ長さですが、滑走路南側は作図よりかなり短いことです。

情報頂けて非常にありがたかったのは、滑走路の向きがハッキリした点です。

上述の3つの資料のうち、2つの資料には滑走路の向きが記されており、

それぞれ、"NW" "NNW"(北西、北北西)とあり、作図とは異なります。

オイラにはどう考えても、滑走路は北北東にしか見えないのですが、

ご丁寧に2つの資料で「西」としているということは、オイラ何か重大な勘違いをしてるんだろうか、

実は滑走路は別の場所なんだろうか。と思っていたのですが、

地元でこんな図が出てきたということは、前出の資料の誤記。ということのようですね。

リンク先含め、詳しくはコメント欄をご覧ください。

小諸の風さん、貴重な情報をありがとうございましたm(_ _)m 

D20_0017.jpg

赤マーカー地点

「創造館」南側。

ここから奥に向かって滑走路が伸びていたはずです。


       長野県・岩村田飛行場跡地        

岩村田飛行場 データ
設置管理者:旧海軍
種 別:秘匿飛行場
所在地:長野県佐久市猿久保
座 標:N36°15′08″E138°29′04″
標 高:692.5m
滑走路:1,200mx50m
方 位:03/21
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
        長野種馬所の牧草地に飛行場着工
1945年08月 終戦により工事中止

関連サイト:
「航空特攻戦備」第2期(21コマ) 

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調


コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー