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野島掩体壕 [├場所]

   2010年11月訪問 2020/8更新  



神奈川県の日産追浜工場にあった追浜(横須賀第一)飛行場。

そのすぐ西側に「野島掩体壕」(黄色マーカー)があります。

2010年5月に飛行場跡地には行ったのですが、掩体壕の方は一身上の都合でスルーしていて、

半年後に改めて行って来たのでした^^;

追浜(横須賀第一)飛行場跡地については下記リンクをご参照ください。

掩体壕のあった周辺は現在「野島公園」として整備されており、BBQのいい匂いがあちこちからしてました。

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「野島掩体壕」入口。

通常の掩体壕は盛り土をして造り、一基につきヒコーキを一機格納するのに対し、

こちらは山をトンネル状にくり抜いて造っているため、規模が桁違い。

国内最大級と言われており、「秘密基地」を地で行くスケールです。

 

説明板が設置されていました。

説明板より: 野島の掩体壕(全文) 野島掩体壕は、横須賀市夏島町にあった旧横須賀海軍航空隊基地の戦闘機を空襲から守る施設として建設されました。この掩体壕は、標 高約55メートルの野島山の東西をトンネル状に貫通しており、長さは約260メートル、両側に出入り口があります。出入り口の部分は、幅約20メートル、 高さ約7メートルで、トンネル状にコンクリートが打設されており、中央部分は、幅約10メートル、高さ約8メートルで、素掘りの状態です。作業に当たった 横須賀海軍の「第三〇〇設営隊戦時日誌」には、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月15日から6月30日までの掘削工事が進められていた記録が 残されており、同時に掘削されていた夏島掩体壕とあわせて、海軍の小型機約100機を格納する計画でしたが、終戦で実際に使用されることはありませんでし た。通常の掩体壕は、戦闘機1機を格納する程度の大きさが一般的で、この野島掩体壕は、現存する掩体壕の中でも国内で最大規模と言われています。第三〇〇 設営隊は、横須賀海軍施設部第一部隊を改編した部隊で、海軍の将兵に技術者を加えた精鋭部隊でした。日吉台(横浜市港北区)の旧日本海軍連合艦隊総司令部 地下壕や松代大本営地下壕(長野市松代町)などの建設にも加わっていました。平成22年3月 横浜市

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説明板にあった見取り図。

全長258.5m。。。

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説明板より: 「野島作業風景 昭和20年6月30日」

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反対側の入り口。


      神奈川県・野島掩体壕      

野島掩体壕 データ

設置管理者:旧海軍
所在地:神奈川県‎横浜市‎金沢区‎野島町‎
座 標:N35°19′38″E139°38′09″
(座標はグーグルアースから)

沿革
1945年3月15日から6月30日まで掘削工事が実施されたという記録あり
終戦のため使用せず

関連サイト:
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