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山梨(甲府、玉幡)飛行場跡地 [├空港]

   2010年11月訪問 2022/6更新  


無題4.png
(マップ・1) 撮影年月日1948/09/27(USA M1168 95) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)無題c.png
(マップ・2) 1/50000「甲府」昭和4年三修・昭和7.12.28発行「今昔マップ on the web」より作成

山梨県‎中巨摩郡にあった「山梨(玉幡)飛行場」。

元々は玉幡競馬場がある場所でした。

上の今昔マップ中央上に「場馬競」とありますね。

6.png
(昭和12年5月撮影)高度約1,000米 方位SSW 距離約1,500米無題d.png
(マップ・3)1938年(昭和13年)3月調査資料添付地図 Translation No. 30, 11 January 1945, Airways data: Chubu Chiho (B). Report No. 3-d(28), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上2枚とも)

昭和6年の満州事変勃発により競馬場が閉鎖され、その跡地に「玉幡飛行場」が作られました。

リンク先を見て頂くと分かりますが、当飛行場の頁は「昭和13年3月調」となっていますので、その頃の飛行場です。

飛行場北側の微妙なカーブは競馬場の名残なんですね(o ̄∇ ̄o)

(マップ・2)と比べると、競馬場のトラックの向きが違うんですけど。。。

■国立公文書館デジタルアーカイブ 昭和十四年一月 航空要覧 逓信省航空局編輯 帝國飛行協会発行

の中で、「本邦飛行場一覧(昭和十三年十月現在)」非公共用飛行場 として以下記されていました(9コマ) 

名 称  山梨飛行場
経営者  在郷軍人航空研究会
所在地  山梨健中巨摩郡玉幡村玉川
水陸の別 陸
滑走区域 東西四〇〇米 西北-東南五〇〇米
備 考  (記載無し)


飛行場を建設したのは、元陸軍航空本部嘱託員梅沢義三という人物で、後に日本航空学園の創立者となりました。

梅沢氏は山梨在郷軍人航空研究会を母体とし、玉幡競馬場跡地に飛行場を作ったのでした。

梅沢氏は当初からここを単なる飛行場で終わらせるつもりはなかったようで、

資料には、ここに飛行場だけでなく「航空発動機練習所」、「山梨飛行学校」を設置したとあります。

(マップ・5) 

■防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.10 水路部」に地図があり、

上のマップはこの地図から作図しました。

当飛行場の頁は「昭和18年4月調」とありました。

航空写真の方を優先したため、水路部の地図とは異なっている部分が結構ありますのでご了承くださいませ。

この地図と共に記載されている飛行場情報を以下引用させて頂きます。

面積 東西1,000米、北西-南東930米 南北850米 総面積60萬平方米
地面の状況 植芝密生する平坦地なり、設置後日尚浅き為地盤固まらず・降雨後は置土粘着し乾燥せば風塵立ち昇る
目標 甲府市街、釜無川、開国橋
障碍物 西方に高圧電線、北方に電車用架空電線あり
離着陸特殊操縦法 (記載なし)
格納設備 大格納庫(間口50米、奥行40米)1、其の他5あり
照明設備 なし
通信設備 陸軍無線電信所あり
観測設備 甲府測候所にて毎日1回航空気象を観測す
給油設備 あり
修理設備 兵舎あり
宿泊設備 なし
地方風 全年を通じ北西風多く、夏季は午後より西風定吹するを例とす
地方特殊の気象 7,8月頃雷雨の発生多し、冬季は午前中のみ気流良好なるも午後は比較的不良なり、霧は10-12月間に多く暴風は3月に特に多し
交通関係 釜無川停留所(甲府市至眞秋澤間)北方付近 甲府駅より「バス」の便あり
其の他 本場は岐阜陸軍飛行学校分教場なり 北側に隣接して山梨航空技術学校飛行場あり
(昭和18年4月調)

修理設備の項目に「兵舎あり」と記されています。

他の飛行場の頁を見ると、続く「宿泊設備」の欄にしばしば「兵舎あり」と記されていることから、

ズレちゃったのかもしれません。

 

山梨飛行場? 甲府飛行場?

(マップ・3) のリンク先では当飛行場のことを「山梨飛行場」として扱っているのですが、

Remarks の箇所には、"This field is called the KŌFU airfield by the army."

という一文があります。

残念ながらオイラはこの資料の水路部原本を確認できていないのですが、

其ノ他 「陸軍ハ本場ヲ甲府飛行場ト称ス」なんて書かれているんでしょうか。

それはともかく、陸軍は当飛行場を「甲府飛行場」としていたんですね。

そういう目で改めて資料を見返してみれば、

創設者の梅沢氏は当飛行場を一貫して「山梨飛行場」、陸軍は一貫して「甲府飛行場」としていました。

 

飛行場、飛行学校として発足した山梨飛行場でしたが、

昭和15年4月、熊谷陸軍飛行学校甲府分校が設置され、飛行場を共用するようになります。

それで、この時から「山梨飛行場」と軍との結びつきが始まったのかと思っていたのですが、

アジ歴で検索すると、

・昭和11年12月23日 甲府飛行場飛行機庫新築其他工事の件
・昭和14.8.3~8.31 陸軍航空本部第10課 甲府飛行場整地其他工事の件

がヒットします。

昭和14年の工事は、「第三期航空要員急遽養成に伴い在来の未整地区を整備するものとす」

とあり、分校設置以前のかなり早い時期から、陸軍が当飛行場に深く関わっていたことが分かります。

時代背景もさることながら、当飛行場創設者の肩書からして、これは当然のことなのかもしれません。

 

熊谷?  岐阜?


ということで、当飛行場には「熊谷陸軍飛行学校」の甲府分校が設置された訳なのですが、

資料を見ると、「岐阜陸軍飛行学校甲府分校」もちょいちょい登場します。

前述の防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」の中でも当飛行場について、

「本場は岐阜陸軍飛行学校分教場なり」

と記しています。

前述の通り、当飛行場に「熊谷陸軍飛行学校甲府分校」が設置されたのは昭和15年4月なのですが、

同年同月、「熊谷陸軍飛行學校各務原分教所」が開校しています。

そして同年8月、この「各務原分教所」は独立して「岐阜陸軍飛行學校」と改称(下記リンク参照)し、

甲府分教所が付属します。

そんな訳で、当「甲府分校」の所属が熊谷から岐阜に変更になったのでした。

 

(マップ・6)  

■「日本海軍航空基地要覧(陸軍航空基地含む)」(1945年3月訳)に出てくる甲府飛行場地図を元に作図しました。

こちらも1948年の航空写真、グーグルマップを優先したので、形がちょっと違います。

恐らくこれが最終形態。

南側に大きく拡張しましたね。

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  甲府
位 置   山梨県中巨摩郡玉幡村
規 模   要図(南北1800 東北東-西南西1100)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 一,一〇〇名分
 格納施設 飛行機庫四棟 掩体中三ヶ所
摘 要   施設軍有一部官有

(マップ・7) 作図した3つを重ねるとこんな感じ。

 

D20_0129.jpg

2014/9/14追記:アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、甲府中學校滑空部、甲府工業學校校友會滑空部が当飛行場を使用していたという記録が残されています。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m


      山梨県・山梨(甲府、玉幡)飛行場跡地     

山梨(甲府、玉幡)飛行場飛行場 データ
設置管理者:山梨航空機関学校と旧陸軍の共用
種 別:陸上飛行場
所在地:山梨県中巨摩郡玉幡村(現・中巨摩郡‎昭和町‎)
座 標:N35°37′49″E138°30′51″
・1938年3月調べ
標 高:270m
飛行地区:北西-南東450m 東西250m
面 積:16.5ha
・1943年4月調べ
飛行地区: 東西1,000m、北西-南東930m 南北850m
面 積:60ha
(座標はグーグルアースから)

沿革
1928年   山梨県、玉幡村に玉幡競馬場建設
1931年   玉幡競馬場閉鎖
1932年10月 甲府在郷軍人航空研究会を母体とし、航空発動機練習所開設
1933年02月 40万平方メートルの飛行場を開設
1936年08月 財団法人 山梨航空研究会を設立し山梨飛行場を設置
    12月 陸軍、飛行場飛行機庫新築工事
1939年07月 山梨航空技術学校設立認可
    08月 陸軍、 飛行場未整地地区の整地工事
1940年04月 熊谷陸軍飛行学校甲府分校開設
    08月 岐阜陸軍飛行學校甲府分教所に改称
    10月 この頃、甲府中學校滑空部、甲府工業學校校友會滑空部が当飛行場を使用
1942年01月 山梨航空機関学校と改称。航空整備士養成の専門校となる
1945年   終戦により閉校。戦後国有地から県に払い下げられ、山梨農林高、警察学校となる

関連サイト:  
日本航空学園/日本航空学園の歴史  
アジ歴・昭和11年12月23日 甲府飛行場飛行機庫新築其他工事の件  
アジ歴・昭和14.8.3~8.31 陸軍航空本部第10課 甲府飛行場整地其他工事の件  
アジ歴・岐阜陸軍飛行学校令・御署名原本・昭和十五年・勅令第五〇〇号  

この記事の資料:
航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」
韮崎・巨摩の歴史
玉幡村史
防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.10 水路部」
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


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