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滋賀海軍航空基地(滋賀飛行場)跡地 [├空港]

   2010年11月訪問 2022/1更新  


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撮影年月日1947/12/05(USA M681-1-1 8) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

琵琶湖南部、 滋賀県‎大津市にあった「滋賀海軍航空基地(滋賀飛行場)」。

滑走路の跡地が細長い地割でほぼそのまま残っていて、学校、幼稚園、保育園と、

見事なほど子供たちのための施設が並んでいます。

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 舞鶴鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:滋賀 建設ノ年:1944-4 飛行場 長x幅 米:1000x60コンクリート 主要機隊数:予科練習生 主任務:教育 隧道竝ニ地下施設:居住、倉庫、工業場(520平米) 他ニ比叡山ニ工事中 其ノ他記事:叡山ニ射出機装備桜花訓練基地

■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調

には、「滋賀開隊(S19.8.15)(昭19建)」とありました。 

■「航空特攻戦備」第2期 として以下記載がありました(下記リンク参照)。PUTINさんから情報頂きましたm(_ _)m

方面  舞鶴
牧場  滋賀
滑走路 六〇×一,〇〇〇NNE
縣郡村 滋賀、滋賀 下坂本村
記事  七月末既成

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赤マーカー地点

真っ直ぐ奥に向かう道の左側が滑走路のはず。

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青マーカー地点

唐崎駅前のロータリーの中に碑が設置されていました。

平和記念碑(全文)第二次世界大戦中 この地にあった海軍航空隊では、約1万人もの若者が厳しい特別訓練を受け 全国各地の実戦基地に特攻隊要員として配属され 愛する祖国のために 多数のものが帰らぬ人となった。 この記念碑は 戦後50周年を期に若くして逝った人々への哀悼と戦争の空しさ、平和の尊さを後世に伝えんがため、生き残った隊員達の手によって この思い出の地に建立されたものである。1995.8.15

碑の裏側には銅板がはめ込まれていました。

滋賀海軍航空隊年譜(全文)
昭和19(1944)年6月12日 甲飛13期予科練習生 約1,000名 三重海軍航空隊 奈良分遣隊より転入隊。
同年7月1日 三重海軍航空隊 滋賀分遣隊として開隊。
同年8月1日 甲飛14期予科練習生 約2,000名 同じく奈良分遣隊より転入隊。
同年8月15日 滋賀海軍航空隊となる。
同年9月3日 13期練習生の一部 第1次水中特攻隊に転隊。
同年9月30日 飛行専修15期予備学生 約400名 入隊。
同年10月1日 甲飛15期予科練習生 約3,000名 入隊。
同年10月3日 飛行専修2期予備生徒 約200名 入隊。
昭和20(1945)年3月26日 13期練習生の一部 第2次水中特攻隊に転隊。
同年4月1日 甲飛16期予科練習生 約1,000名 入隊。
同年4月24日 14期練習生の約300名 水上特攻隊に転隊。
同年6月1日 15期予備学生 砲術学校館山分校に転出。
同年6月15日 13期練習生の一部 航空特攻伊吹部隊に転隊。
同年6月20日 2期予備生徒 砲術学校館山分校に転出。
同年6月 14期練習生の一部 三重空経由 野辺山秋水特攻部隊に転隊。
同年8月15日 敗戦
同年11月30日 滋賀海軍航空隊 解隊。


      滋賀県・滋賀飛行場跡地      

滋賀飛行場 データ

設置管理者:旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:滋賀県‎大津市‎際川‎3丁目‎
座 標:N35°02′33″E135°51′54″
滑走路:1,000m×60m
方 位:02/20
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1944年07月 1日 三重海軍航空隊滋賀分遣隊開隊
     08月 15日 滋賀海軍航空隊となる
1945年11月 30日 滋賀海軍航空隊解隊

関連サイト:
「航空特攻戦備」第2期(21コマ) 

この記事の資料:
「日本海軍航空史」(終戦時)
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 舞鶴鎮守府航空基地現状表」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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