SSブログ

高野尾(第三鈴鹿)海軍航空基地跡地 [├空港]

   2010年11月訪問 2022/1更新  


無題.png
撮影年月日1947/09/23(USA R212 82) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

三重県‎津市‎高野尾町‎にあった「高野尾(第三鈴鹿)海軍航空基地跡地」。

上に貼った1947年の航空写真でも滑走路の痕跡らしきものは見当たらず、

場所特定の情報が限られていて、滑走路の位置はおおよそのものです。ご了承くださいませ。

滑走路の位置についてネットから得られた情報は、

「芸濃ICと高野尾小(紫マーカー)の間にあった。」というものでした。

また、黒マーカー地点の溜池?ですが、今昔マップで確認すると、明治45年の地図でも確認できます(形は違うけど)。

後述しますが、当滑走路の長さは、1,200mx60mで、方向は北西でした。

上に貼った航空写真に白矢印を付けましたが、ここの地割は、資料に出てくる滑走路方向と一致しています。

それでこの地割を基準にして滑走路の作図をしたんですが、実は昭和12年の地図では、まだこの地割はありません。

そのため、この地割と滑走路の方向は異なっている可能性もあります。

溜池と周辺道路の位置関係からすると、滑走路の方向は時計回り方向にもう少し起き上がっている方が、

無理のない配置になるのですが、これまでの例からすると、滑走路方向がそのまま地割として残るケースが多いため、

地割の方向をそのまま使った作図としました。

以上の条件の場所に1,200m滑走路を置くと、だいたいこんな感じなのではないかと思います。

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:高野尾 建設年:1945 飛行場長x幅 米:1,200x60方向NW 主要機隊数:中小型 主任務:避退場 隧道竝ニ地下施設:工事中 掩体:施設アルモ数量不明

■「航空特攻戦備」第2期 として以下記載がありました(下記リンク参照)。PUTINさんから情報頂きましたm(_ _)m

方面  横須賀
牧場  高野尾(第三鈴鹿)
滑走路 六〇×一,二〇〇NW
縣郡村 三重、河藝 高野村
記事  七月末既成

■「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」にも以下の通り記されていました。

鈴鹿海軍航空隊の分遣隊がやってきて、航空基地の建設に取りかかった。鈴鹿基地が空襲の目標にさらされ、練習機「白菊」分散、不時着用離発着の中継基地が必要であった。さらに高野尾は平地に恵まれたうえ、燃料となる松根油の原料となる松にも恵まれていた。

D20_0021.jpg

赤マーカー地点。

ちょっと精度に自信がないんですが、跡地周辺は現在こんな感じ。

平地に畑が広がる静かな場所です。

お邪魔したのは朝の時間帯だったのですが、お母さんたちが農作業をしていました。


      三重県・高野尾(第三鈴鹿)海軍航空基地跡地      

高野尾(第三鈴鹿)海軍航空基地 データ

設置管理者:旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:三重県‎津市‎高野尾町‎
座 標:N34°47′56″E136°27′21″
滑走路:1,200m×60m
方 位:14/32?
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年 建設

関連サイト:
「航空特攻戦備」第2期(21コマ) 

この記事の資料:
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー