伊賀飛行場跡地 [├空港]
2010年11月訪問 2020/8更新
1946年5月(USA M143-A-6 167)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
三重県伊賀市にあった「伊賀飛行場」。
滑走路跡には現在INAXの工場、小学校、中学校などが建っています。
滑走路や周辺整備の作業に学生や近隣住民が連日動員されたのだそうです。
基地は24,000坪に及ぶ広大な面積で、建設の為21軒の農家が移転しました。
昭和20年9月1日現在の保有機種・数量は、
零戦2機、彗星1機、彩雲1機、一式陸攻4機、零式輪1機、九三中練1機、九〇式機練1機、白菊2機、
陸軍機3機の16機。
軍用機は米軍マイケルウイルソン軍曹らに爆破処分されました。
兵器、弾薬などは大阪や第二鈴鹿基地へ輸送されましたが、金善池や七ツ池へ相当量投棄されたとも記録されています。
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:伊賀 建設年:1944 飛行場長x幅 米:1,200x80アスファルト 主要機隊数:中小型 主任務:避退場 隧道竝ニ地下施設:工事中 掩体:中型無蓋10 小型無蓋14
また、防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-83 航空基地図 綴(本土関係)
別表 航空基地施設史実調査資料表には、
基地名 伊賀上野(陸)
所在地 三重県阿山郡上野町
最寄駅 関西急行電鉄上野町駅
飛行場 滑走路
主要機種 小型
収容力 人員 終戦時 分散兵一,五〇〇名
其の他の主要施設 隧道等
とありました。
なかなかいい撮影ポイントがなくて、小学校の校庭内にレンズを向けさせていただきました。m(_ _)m
お母様方の視線がイタイイタイ><
地名から勝手なイメージを持ってしまっていたのですが、
巻物くわえたり、ものすごい速さで水の上を走る人の姿は特に見かけませんでした。
三重県・伊賀飛行場跡地
飛行場の北西約2kmに伊賀上野城があるのですが、当時航空隊の本部として使われたのだそうです。また、滑走路南東の伊賀国分寺周辺に掩体壕が現存するそうです
伊賀飛行場 データ
設置管理者:旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:三重県阿山郡上野町(現・伊賀市緑ケ丘中町)
座 標:N34°45′38″E136°08′50″
滑走路:1,200m×80m
方 位:06/24
面 積:7.9ha
(座標、方位はグーグルアースから)
沿革
1943年02月 この頃から建設開始。21戸立ち退き
07月 測量開始
10月 掩体壕、貯蔵施設の掘削作業
1944年12月 この頃から住民の勤労奉仕により飛行場の整地作業
1945年05月 滑走路使用可能に。第1001海軍航空隊・福地派遣隊着任
07月 艦載機による攻撃を受ける
関連サイト
市長の伊賀じまん - 伊賀市■
この記事の資料:
伊賀上野緑ヶ丘地誌
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-83 航空基地図 綴(本土関係)