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大和航空基地(柳本飛行場)跡地 [├空港]

   2010年11月訪問 2020/8更新  


無題7.png
撮影年月日1947/09/23(USA M498 56) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
 

奈良県‎天理市‎にあった「大和航空基地(柳本飛行場)」。

防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-90 航空基地図(本土関係)に当航空基地の図があり、

その図と上に貼った航空写真から作図しました。

終戦までに完成したのは図のほぼ南北になっているメインの一本のみで、

他は未完だったのだそうです。

防衛研究所収蔵資料に当飛行場の情報がありました。

・「海軍航空基地現状表 内地之部 大阪警備府航空基地現状表」
基地名:大和 建設ノ年:1944 飛行場 長x幅 米:168.300㎡ノ内1.500x50コンクリート 主要機隊数:小型 主任務:教育作戦 隧道竝ニ地下施設:居住(2.500平米)((←2を消したように見えるので、500平米かも。)) 電信所、燃料庫、爆弾庫、魚雷調整場、魚雷格納庫、工業場、倉庫 掩体:小型有蓋18 其ノ他記事:飛行場、居住区間鉄道線路ヲ挟ミ約1.5粁

・「5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調」
「大和開隊(S20.2.11)(昭19建)」

・「5航空関係-航空基地-90 航空基地図(本土関係)別表 航空基地施設史実調査資料表」
基地名 大和(陸)
所在地 奈良県磯城郡柳本村
最寄駅 奈良線柳本駅
飛行場 滑走路 50x1,500 50x1,500計画中
主要機種 中、小型
収容力 人員 分散前 兵舎 一七〇〇名
       終戦時 二,五〇〇平米
飛行機 終戦時 掩体小(一八) 隧道一,二五〇平米
其の他の主要施設 隧道等
 

大本営では沖縄陥落後、米軍は九州・四国方面に侵攻してくると予測、九州での本土決戦に向け、

陸軍の航空総軍は決戦時には大阪府の八尾飛行場に司令部を、

海軍の海軍総隊は日吉台から司令部を大和航空隊基地に移そうとしていました。

日本の命運を賭けた最後の九州本土決戦で作戦士気を高めるため、大本営は天皇と共に関東からこの地への移転を計画。

陸海軍共同での総攻撃に際して、天皇自らの見送りによって戦闘意気を高めようとしたのではないかと思われています。

豊田山に天皇御座所が、竹ノ内の山裾に大本営が海軍によって計画され、豊田山には御座所となる地下壕が発見されています。

(「日本戦跡を歩く」より)

D20_0110.jpg

青マーカー地点。

この周辺に現存する掩体壕の基礎があると説明するサイトがあり、行ってみました。

多分コレだと思うのですが。。。

D20_0117.jpg

赤マーカー地点。

これが当飛行場のメイン滑走路跡で、しかも舗装されていたのは中央部分のみだったそうです。

この道路はその中央部分。

D20_0123.jpg

紫マーカー地点。

D20_0122.jpg

黄マーカー地点。

どちらも防空壕だったそうです。


      奈良県・大和航空基地(柳本飛行場)跡地     
飛行場の説明板の他、掩体壕等の遺跡がいくつか現存するそうですが見つけられませんでした

大和航空基地(柳本飛行場) データ
設置管理者:旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:奈良県磯城郡柳本村(現・天理市‎岸田町‎)
座 標:N34°34′01″E135°49′24″
面 積:300ha
滑走路:(メイン)1,500m×100m(舗装したのは中央の50m) 「日本海軍航空史」(終戦時)より
方 位:16/34(メイン),14/32,10/28,09/27
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1944年09月 着工
1945年02月 11日、大和海軍航空隊開隊
    08月 メインの滑走路以外は未完のまま終戦

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 大阪警備府航空基地現状表」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-90 航空基地図(本土関係)
「日本戦跡を歩く」
「日本海軍航空史」(終戦時)


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