鳴尾飛行場跡地 [├空港]
2010年11月、2015年10月、2017年5月訪問 2020/8更新
撮影年月日1947/08/20(USA M417 43)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
1/20000「西ノ宮」明治42年測図「今昔マップ on the web」より作成
兵庫県西宮市、甲子園球場のすぐ南側にあった「鳴尾飛行場」。
元々ここには明治40年完成の「関西競馬場(後の阪神、鳴尾競馬場)」がありました。
明治44年3月、アメリカ人マース氏が大阪城東練兵場にて、関西で初めてとなるカーチス式複葉機の飛行を披露しました。
そしてその1週間後、当競馬場でも妙技を披露したのでした。
大正2年5月には、米国帰りの武石氏によるデモ飛行も行われました。
そして大正3年6月、当競馬場にて日本初の民間飛行大会が開催されました。
競技の2日目は日曜だったこともあり、ナント27万という大観衆で埋め尽くされたのだそうです。
この大会では複数の日本人飛行家による飛行時間と高度が競われました。
民衆のヒコーキ熱は高まりを見せ、大正4年12月には第2回民間飛行大会、
大正5年1月にはアメリカ人ナイルス氏の宙返り飛行、
同年4月、大正6年5月にはアート・スミス氏を招き、夜間飛行ショー等の飛行大会が行われました。
この飛行大会は大正6年までに8回開催されました。
「民間飛行発祥の地」とされる所以です。
そしてこの由緒正しい場所に戦時中、海軍の飛行場が建設されたのでした。
飛行場はX字の滑走路で、ご覧の通り南北方向の滑走路の南端は現在水没していますが、
干潮時には基礎部分が現れるのだそうです。
戻ってから知ったのでオイラは見てません。とほほ。
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 大阪警備府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:鳴尾 建設ノ年:1944 飛行場 長x幅 米:1200x100ノモノ2本 主要機隊数:小型2.0 主任務:作戦 隧道竝ニ地下施設:居住、指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、工業場、倉庫、運搬路3.900米 掩体:分散 其ノ他記事:旧飛行機製作社施設
浜甲子園運動公園
赤マーカー地点。
武庫川女子大学附属中学・高校「芸術館」。
大学公式サイト(下記リンク参照)によりますと、この建物、元々は鳴尾競馬場本館部分だったのですが、
戦時中海軍が鳴尾飛行場の管制塔として使用しました。
戦後は1952年まで米軍基地の施設として使用されたのだそうです。
青マーカー地点。
東西方向の滑走路があった位置。
現在はご覧の通りで高層集合住宅が並んでいます。
兵庫県・鳴尾飛行場跡地
鳴尾飛行場 データ設置管理者:旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:兵庫県西宮市枝川町
座 標:N34°42′40″E135°21′46″
面 積:126ha
滑走路:1,200m×100m2本(コンクリート) 「日本海軍航空史」(終戦時)より
方 位:01/19,08/26
(座標、方位はグーグルアースから)
沿革
1943年10月 完成
関連サイト:
武庫川女子大学公式サイト■
Wiki/鳴尾飛行場■
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