西條航空基地(吉井飛行場、逓信省愛媛地方航空機乗員養成所)跡地 [├空港]
2010年11月訪問 2020/10更新
撮影年月日1948/03/19(USA R30-1 117)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
瀬戸内海に面した愛媛県西条市。
ここに「逓信省愛媛地方航空機乗員養成所」があり、後に海軍の「西條海軍航空隊」に移管しました。
地元では「吉井飛行場」と呼ばれていました。
■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-90 航空基地図(本土関係)の中に、
当航空基地の図と資料表が1点ずつありました。
図は大判の青図で、右上に大きく「西條航空基地平面図 縮尺三千分ノ一」とあり、
その下側には、
設備要目一覧表
名称 記事
飛行場 約710,000㎡(航空局)
庁舎宿舎 3棟 約2,050㎡(航空局)
「ケーブル」式着陸演習所 1ヶ所
とありました。
先頭のグーグルマップはこの青図から作図しました。
また、資料表には、 「別表 航空基地施設史実調査資料表」とあり、
基地名 西條(陸)
所在地 愛媛県新居郡西條町
最寄駅 予讃線伊予西條駅
飛行場 滑走路(台) 欄外に航空局 愛媛乗員養成所とあり
主要機種 小型、練習機
収容力 人員 終戦時 七八〇平米?
飛行機 終戦時 掩体小五一
其の他の主要施設 隧道等
とありました。
■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:西條 建設ノ年:1944 飛行場 長x幅 米:940x750芝張 主要機隊数:小型6.0 主任務:教育 隧道竝ニ地下施設:居住(780㎡)、指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、倉庫、工業場 掩体:小型隠蔽51 其ノ他記事:旧航空局乗員養成所 空爆ニ依リ建物一部焼却
■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
には、「西條開隊(S20.3)(昭19建)」とありました。
赤マーカー地点にある碑。
側面にはそれぞれ、「平成二十年三月 西条市教育委員会」、「この地には逓信省愛媛航空機乗員養成所があったが戦局の悪化に伴い海軍に移管され詫間海軍航空隊の分遣隊として開隊した。地内には、防空壕、指揮所も残っている。」と記されていました。
防空壕跡。
オイラがお邪魔した2010年当時、跡地の東半分は小松ゴルフ場で、敷地内に碑、防空壕等残っていました。
お邪魔したのはちょうどお昼休みの時間だったのですが、ゴルフ場の受け付けで見学させてもらえないか頼んだところ、
快く中を案内してくださり、いろいろ話をお聞きすることができました。
敷地内に古い倉庫のようなものがあり、「あれも飛行場時代のものでしょうか?」とお尋ねしてみると、
戦後は一時期塩田として利用されており、塩田時代に建設されたものだと教えてくれました。
上の写真の通り、遺構の上でプレーするという状態だったんですが、
小松ゴルフ場は2014年9月末に閉鎖となり、跡地は2015年6月から西条小松メガソーラー発電所として稼働開始しました。
そんな訳で跡地は現在、発電パネルでビッシリと覆われています。
失礼ながら外見はちょっと厳つい感じの年配のゴルフ場職員さんが、アポなしでお邪魔したにも関わらず、
ご親切に敷地内のあちこち連れて行ってくれ、時折涙ぐみながら当時の話をいろいろ聞かせて下さった姿が忘れがたく、
今でも西條といえば、すぐに当時の様子を思い出します。
お元気だといいのですが。。。
ゴルフ場当時の様子
愛媛県・西條航空基地跡地
西條航空基地 データ
設置管理者:逓信省→旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:愛媛県西条市今在家
座 標:N33°55′37″E133°07′21″
標 高: 5m
滑走帯:940mx960m 「日本海軍航空史」(終戦時)より
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
1938年02月 着工
1942年04月 21日 逓信省愛媛地方航空機乗員養成所開設
1944年03月 詫間海軍航空隊西條分遣隊併設
1945年03月 西條開隊。米機動部隊による攻撃を受ける
戦後は一時期塩田となる
1961年 ゴルフ場になる
2014年09月 この月の末にゴルフ場閉鎖
2015年06月 25日 西条小松メガソーラー発電所全面稼働開始
この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-90 航空基地図(本土関係)
「愛媛県の近代化遺産 -近代化えひめ歴史遺産総合調査報告書-」