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航空交通管理センター、福岡航空交通管制部 [├場所]

   2011年5月訪問 2020/10更新  

 

D20_0086.jpg

前記事の和白飛行場跡地の西側に雁ノ巣公園があり、

さらにその西隣にある「航空交通管理センター」と「福岡航空交通管制部」。

警備が厳重で近づけず、結局公園側から回り込んで目立つアンテナを撮るのが精いっぱいでした。

日本の空は札幌、東京、福岡、那覇にある各管制部がそれぞれの周辺空域の管制を行っています。

また、太平洋上の広大な洋上管制は、これまで東京と那覇の管制部で担当していたのですが、

2006年2月からこれを一括して福岡の「航空交通管理センター」で担当することになりました。

具体的な担当空域は下記リンクを参照してください。

ということで、雁ノ巣公園の横には、

航空路監視レーダーを用いて周辺空域の管制を行う「福岡航空交通管制部」と、

広大な洋上管制を行う「航空交通管理センター」が仲良く並んでおり、

日夜空の交通整理をしているのです。(・∀・)人(・∀・)

施設の重要性を考えると、警備が厳重なのも当然ですよね。

 

戦前ここは雁ノ巣飛行場で、最盛期には大日本航空によって朝鮮、台湾、中華民国、東南アジア等への路線も開設され、

戦前における国内最大の民間国際空港でした。

海外への空の玄関口として一大拠点だった場所に、洋上管制の拠点が設けられるというのも面白いですね。


      福岡県・航空交通管理センター、福岡航空交通管制部      

航空交通管理センター、福岡航空交通管制部 データ

設置管理者:国土交通省
所在地:福岡県‎福岡市‎東区‎奈多
座 標:N33°40′21″E130°23′37
(座標はグーグルアースから)

関連サイト:  
国土交通省/情報区(FIR)及び管制部管轄空域   
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和白海軍飛行場跡地 [├空港]

   2011年5月訪問 2020/10更新  


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撮影年月日1948/04/07(USA R236-No2 69) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

福岡県博多湾に面する和白干潟。

ここに和白海軍飛行場がありました。

ネット情報によりますと、

「九州飛行機和白工場で作った零式水偵を試験飛行するためのスリップと格納庫があった」。

とのことでした。

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D20_0079.jpg


      福岡県・和白海軍飛行場跡地     
和白干潟はエサが豊富なため、渡り鳥の飛来地になっているそうです

和白海軍飛行場 データ
設置管理者:旧海軍
種 別:水上飛行場
所在地:福岡県東区塩浜
座 標:N33°41′12″E130°25′20″
(座標はグーグルアースから)

関連サイト:
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犠牲の地 [■ブログ]


ガクさん、ざんなんさんへ

当飛行場の戦時中の貴重な映像についてお知らせしたいことがあります。

宜しければコメント欄にご連絡くださいませ。

2015/6/28 とり


当ブログで2009年11月にアップした記事、「福島県・磐城飛行場跡地 」→ の中で、

「福島原発のあった場所は、旧陸軍の磐城飛行場だった」と書きました。

この記事の中で、昭和20年8月9日の空襲により飛行場に物的被害が出たことを記しました。

この日に人的被害が出たかどうかについてはまったく知らなかったのですが、

先日、この飛行場で戦死された方の御遺族から連絡を頂きました。

「ここ(8月9日)に『死者1人』と追加して欲しい」。という内容で、弔詞と死亡通知書の写しを送ってくださいました。

そこには確かに、1人の兵士が昭和20年8月9日に戦死したことが記されていました。

徴兵されて間もない、19歳の若さでの戦死であり、

命日は66年前の今日、8月9日。終戦まであと6日の出来事でした。

 

戦死した兵士には弟がおられ、 以来この飛行場跡地を思い出の場所として墓参りのように訪れているそうなのですが、

それも今回の原発事故でかなわなくなってしまいました。

こうした思いもよらぬ仕方で原発事故の影響を受けた方は、きっと他にも大勢おられることと思います。

 

加えて翌8月10日にも空襲があり、飛行場の地元で6人の死者が出ています。

当地では、飛行場建設の為敷地内に入ることができなくなり、周辺住民にも犠牲者が出ました。

時は流れ、同じ場所で再び同様のことがより大規模に繰り返されてしまいました。

 

悲しいことです。


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芦屋基地(旧芦屋陸軍飛行場) [├空港]

   2011年5月訪問 2020/11更新  


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撮影年月日1947/03/11(USA M122 86) 

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

無題1.png
SkyVector.com

福岡県遠賀郡、響灘に面する「航空自衛隊芦屋基地」。

毎年航空祭があり、ブルーインパルスの展示飛行もあって、そのスジでは超有名な基地です。

戦時中は陸軍の「芦屋飛行場」でした。

上のグーグルマップは、

■防衛研究所収蔵資料:「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日
■防衛研究所収蔵資料:「陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」

それぞれの資料の「要図」、「地図」から作図しました。

オイラは作図の際、地図よりも「航空写真最優先」が基本なんですが、

ここは終戦と共に接収を受けており、終戦から僅か2年足らずで随分造成が進んでいます。

オイラとしては、できるだけ日本軍当時を復元したいと考えているため、

航空写真より資料の「要図」、「地図」の方を優先しています。

多少の相違はあるものの、滑走路、誘導路共にほぼ当時の地割がそのまま現在まで残っています。

 

■「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日  から以下引用させて頂きます。

判決
若干補修を実施すれば小型機の使用には概ね支障なし

飛行地区
滑走地区 一五〇〇x一〇〇 但し舗装路以外は離着陸に支障あり
舗装路 一五〇〇x六〇 コンクリート舗装
土質 砂壊土
地表面の状況 表面張芝しあるも芝の育成良好ならず 
          且舗装路及誘導路以外は降雨のため所々に凸凹を生じありて離着陸注意を要す
周辺障碍物の有無 なし
誘導路 一三〇〇x三〇

付属地区
宿営 兵舎四棟 約五〇〇名
夜間着陸設備 破損しありて使用に堪えず
動力線 設備あり
電灯線 配線しあり
給水 水道設備あり 水質良好ならず

気象
風向 午前中南 午後北を恒風とす 南風の場合煙霧発生すること多し

実は同資料では、終盤の頁で当飛行場の「要図」と「飛行場記録」がコンパクトにまとめられて再登場しているのですが、

コンパクト版には細かな追加情報があります。

「判決」の項目、 若干補修を実施すれば小型機の使用には概ね支障なし

までは一緒なんですが、コンパクト版には続けて、「舗装路へ10頓以下可能」と記されていました。

また同資料内の後ろのページには、結構大き目の「芦屋飛行場平面図」が添付されています。

ここに注釈がありました。


一、舗装滑走路以外使用不能
一、舗装路面補修の要あり

「芦屋飛行場平面図」に続けて「芦屋飛行場建築施設配置図」のページがあり、

諸施設の配置図が描かれたページがあり、注釈がありました。

施設概要
破損個所 各建物窓、出入口硝子 格納庫屋根側壁大破
収容人員 約三〇〇名
浴室 破壊、ボイラー良好
炊事場 使用可能
電気 屋内照明可 動力線破損
水道 堀井戸揚水水量あり
便所 汲取式


■「防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」から以下引用させて頂きます。

「蘆屋陸軍飛行場 福岡県遠賀郡蘆屋町」

面積 北北西-南南東1,100米 西南西-東北東1,100米 
地面の状況 一面に植芝密生する平坦且堅硬地なり
目標 遠賀川河口、
障碍物 なし
離着陸特殊操縦法 (記載なし)
格納設備 格納庫(間口40米、奥行50米)1棟 (間口25米、奥行40米)5棟
照明設備 (記載なし)
通信設備 場内に陸軍無線通信所あり
観測設備 なし
給油設備 場内にて補給可能
修理設備 応急修理可能
宿泊設備 兵舎あり
地方風 冬季北西信風流行中は曇天多少の雨又は雪を見ることあり、暖季に至れば南至東の風多し
地方特殊の気象 (記載なし)
交通関係 折尾より本場付近迄「バス」の便あり
其の他 本場は飛行第4戦隊飛行場なり、陸軍航空廠蘆屋分廠あり
(昭和18年4月調)
 

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  芦屋
位 置   福岡県遠賀郡芦屋町
規 模   要図(かすれて判別できず)
舗 装   六〇×一五〇〇米
      基礎■石圧入
      表層コンクリート一〇糎
付属施設
 収容施設 一五〇〇名分
 格納施設 掩体 小二〇ヶ所
摘 要   施設軍有

D20_0071.jpg

なんとか滑走路は見えないものかと思ったのですが、官舎は警戒が非常に厳しく、海浜公園も×。

上の写真は一応このあたりに滑走路がある。というものです。

「滑走路が見たければ航空祭に行け」。ということですね。


      福岡県・芦屋基地飛行場跡地      

・陸軍芦屋飛行場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:福岡県遠賀郡蘆屋町
面 積:北北西-南南東1,100m 西南西-東北東1,100m 
滑走地区:1,500mx100m
滑走路:1,500mx60mコンクリート舗装
方 位:12/30

・航空自衛隊芦屋基地(現在) データ

設置管理者:防衛省
4レター:RJFA
空港種別:軍用飛行場
所在地:福岡県遠賀郡芦屋町大字芦屋1455-1
座 標:N33°52′59″E130°39′11″
標 高:30m
面 積:440ha
滑走路:1,640m×45m
磁方位:12/30
(座標はグーグルアースから)

沿革
1939年 旧陸軍飛行場として着工  
1942年 完成
1945年 接収。 朝鮮戦争時は航空作戦基地として運用
1960年 駐留米空軍撤退、臨時芦屋基地隊編成
1961年 航空自衛隊芦屋基地開設

関連サイト:
ブログ内関連記事
       

この記事の資料:
「陸軍飛行場便覧」
防衛研究所収蔵資料:「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日
防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


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旧小倉陸軍造兵廠の防空監視哨跡 [├場所]

   2011年5月訪問 2020/10更新    


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1947年3月の写真(USA M122 78) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

前記事の「小倉北区魚町の防空監視哨」 の西側、紫川の対岸にあった「小倉陸軍造兵廠」。

昭和8年から昭和20年まであった、作業員約4万人を擁する西日本最大の兵器工場でした。

そしてその遺構がいくつか残されています。

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赤マーカー地点。

「健和看護学院」の建物南側に沿って遺構が展示されており、説明版がありました。

上の写真、見難くて申し訳ないのですが、手前から監視哨、造兵廠記念碑、給水塔レプリカです。

給水塔のレプリカについてですが、大手町公園の西側の丘の上に高さ14mの給水塔が設けられていたのですが、

平成7年に解体されのだそうです。

「小倉造兵廠跡」(全文)
 大正12年(1923)の関東大震災により、わが国の兵器生産機能を大阪と二分していた陸軍造兵廠東京工廠は壊滅しました。震災復興より新設したほうが経済的なことから、当時の大陸政策も考慮し、関門が大陸の進出基地としての地政学的意義を負うことにより、昭和2年(1927)10年24日、小倉に工廠設置が決定し、同8年(1933)10月正式に発足しました。設置場所は、旧城内ならびに隣接の民有地2万300坪を買収し、敷地面積17万6581坪でした。小倉工廠は当時の最新機械で装備され、就業者は普通工、臨時工を合わせて約4万人を数えたといわれています。昭和10年(1935)には、東京工廠からの移転が完了し、間もなく日中戦争に突入したことにより、操業は増大していきました。兵器生産の大工場が都心部を占めることによって、小倉は軍隊の駐屯地を兼ねる軍需都市となり、大陸に向けての補給基地としての機能を拡充していきました。昭和15年(1940)4月、陸軍造兵廠が陸軍兵器本部に改組され、小倉工廠は小倉造兵廠に改称し、兵器本部の直属となりました。

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旧小倉陸軍造兵廠「防空監視哨」(全文)
 この監視哨は、戦時中、空襲に備えるために、旧小倉陸軍造幣廠内の各所に設置されていたものの一つで、第一施工場の屋上にあったものです。(この場所から北側約400mの北九州市消防局庁舎附近)高さ約2.3㍍、直径約2.4㍍、コンクリート製の壁の厚さは、33㌢の六角形の塔で、側面には、監視用の小窓が5ヶ所あり、機関砲を備えていました。民間の倉庫として使われていた旧第一施工場が、平成8年(1996年)2月に解体される際、当時を物語る施設の一部として残されたものです。北九州市

D20_0047.jpg

黒マーカー地点。

事前に響さんの記事 を拝見していて、是非見てみたかった「壁に塗り込まれた階段」。

近くのマンションの駐車場一角にあります。これも造兵廠の名残だそうです。

D20_0063.jpg

紫マーカー地点。

跡地内に整備された勝山公園内にこんなものもあります。

長崎に投下された原爆は、本当は造兵廠があった当地小倉が第一目標地点でした。

ところが当日小倉上空の視界がきかず、第二目標の長崎に投下されたのでした。

「九州の戦争遺跡」によれば、なぜ原爆まで使用して、小倉市街もろとも造兵廠を壊滅しようとしたかについて、

「北九州平和資料館をつくる会」の話として、

小倉陸軍造兵廠ではアメリカ本土まで飛来して被害を与えた「風船爆弾」の材料を作っており、

これに毒ガスや細菌兵器を取り付けて攻撃されることをアメリカが恐れていたためであった。

としているのだそうです。

      福岡県・旧小倉陸軍造兵廠の防空監視哨跡      

旧小倉陸軍造兵廠の防空監視哨 データ

所在地:福岡県‎北九州市‎小倉北区‎大手町‎
座 標:N33°52′30″E130°52′16″
(座標はグーグルアースから)

関連サイト:
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この記事の資料:
現地の説明版
「九州の戦争遺跡」


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小倉北区魚町の防空監視哨跡 [├場所]

   2011年5月訪問 2020/10更新  

 

小倉駅南口から旦過駅方向に「魚町銀天街」というアーケード通りがあります。

国内で最初にアーケードを作ったという、由緒ある商店街なのだそうです。

そしてこの通りの中に1936(昭和11)年、鉄筋コンクリート7階建の建物が造られました。

当時「かねやす百貨店」として栄えていたこの建物、 現在でも残っており、

しかも屋上には防空監視哨が現存しています。

D20_0043.jpg

この建物です。1Fは「ドラッグイレブン小倉魚町店」として営業しており、違和感はまったくないのですが、

目線を上げると、周囲の建物とは明らから雰囲気が異なっています。

D20_0038.jpg

監視哨部分拡大。

周辺は完全に都市部で、車や人が盛んに行き交う場所です。

よくぞ残っていたものだと思います。


      福岡県・小倉北区魚町の防空監視哨      

小倉北区魚町の防空監視哨 データ

所在地:福岡県北九州市小倉北区魚町3-1-10 ワシントンビル屋上
座 標:N33°52′58″E130°52′44″
(座標はグーグルアースから)

関連サイト:
魚町銀天街    
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北部九州旅行・2 [■旅行記]


Ⓐ道の駅仁保の郷→Ⓑ小倉北区魚町の防空監視哨跡→Ⓒ旧小倉陸軍造兵廠の防空監視哨→Ⓓ芦屋基地(旧芦屋陸軍飛行場)→Ⓔ和白海軍飛行場跡地→Ⓕ航空交通管理センター、福岡航空交通管制部→Ⓖ博多海軍航空基地→Ⓗ西戸崎飛行場跡地→Ⓘ入船町水上機基地跡地→Ⓙ基山SA(車中泊)

 

(2日目)

本日、予定では博多港24:10発のフェリーに乗り、4:45に対馬の厳原(いずはら)港に入港していたはずだったのでした。

入港は4:45なのですが、そのまま船内に7:00まで居てもよいことになっており、

港近くのレンタカーは8:00から営業だったので、7:00に下船して少しターミナル周辺でうろついて後、

8時までに歩いてレンタカー屋さんに直接行けばいいや。と考えていました。

そしてレンタカー屋さんにオイラのそんな胸の内をこっそり伝えたところ、

「7:00まで船内にいるのでしたら、7:00に港に迎えに行きますから」という返事。

大喜びでそのようにお願いしてあったのでした。

(その後壱岐島に寄ってから夕方博多港に戻ってくる予定だった)

しかし7時まで船内に留まってもよいという措置といい、営業時間前に迎えに来てくれることといい、

船会社もレンタカーも随分親切に便宜を図ってくれるのですね~。

それなのにオイラときたら。。。 未だにのほほんと山口県の道の駅で車中泊しているのです。

このままではレンタカー屋さんを港で空振りにさせてしまいます。

そんなわけで6時に起床し、対馬のレンタカー営業所に電話。

…出ません。その後も出発の準備をしつつ10分おきに電話したのですが出ません。

もしかして営業所には寄らず港に直行なのでしょうか??

レンタカー屋さんは7:00に港に到着するために早くから身支度整えて準備してくれているのです。

ついに7:00をまわってしまいましたが、それでも連絡がとれません。

今頃港でオイラの下船をまだかまだかと待っててくれているのです。うぅ、本っっ当に申し訳ない (;´Д⊂)

試しにコールセンターに連絡してみましたが、

こちらも昨晩から変わらず「受け付けは8:00から」という案内が流れるのみ。

オイラも仕事柄約束守らないお客に振り回されることが多々あるのですが、

今まさに自分がその振り回す客になっちまっているのです。はぁ。。。

レンタカー屋さんにはオイラの携帯番号を知らせてあり、昨日の昼に確認で連絡を頂いており、

ある程度時間が過ぎれば向こうからこちらの携帯に直接連絡があるはず。

申し訳ないのですが、こちらからも営業所に掛けつつ、先方からオイラの携帯に連絡が入るのを待つより手がありません。

とっくに道の駅から出る準備は整っているのですが、とても車を動かしている心境ではありません。

そして7:20、携帯が鳴りました。着信の番号は何度も掛けてすっかり覚えてしまった数字が並んでます。

事情を説明して平謝り。怒鳴られても仕方ない所業なのですが、「了解しました。またのご利用をお待ちしております」

とのことで、申し訳ないほど非常に丁寧な対応でした。

本当に申し訳ありません。。。m(_ _)m 

 

本日は対馬と壱岐の飛行場を見学し、18:20に博多港に戻ってくるつもりだったので、

丸1日スケジュールがポッカリ空いてしまいました。

実は山口県にも今日1日回れる位未見学の場所があり、資料も持って来ています。

大分迷ったのですが、遠い九州を優先的に回ろうと考え、このまま九州に入り、本日は福岡県内の見学をすることに。

高速道路は何事もなかったかのように普通に走れました。

ただしニュースでは、

昨日の大雨のせいで山口県内のどこかの高速道路の法面?がかなりの規模で崩れてしまったと言ってました。

DSCN0038.jpg

本日の朝食。

途中のSAで購入したブタパン。

 

小倉には防空監視哨が2ヵ所現存しています。

そこの見学をしたのですが、どちらも都心部で駐車場所から随分歩き回り時間がかかってしまいました。

防空監視哨見学のために立ち寄った小倉駅前のアーケード街には、

東日本大震災お見舞いの大きな垂れ幕がかかっていました。

今回の九州旅行中、都心部でも、山村、漁村、離島でも、至る所で震災のお見舞いの表示を目にし、

本当にみなさん気遣っておられるんだなと実感しました。

小倉の見学を終え、次の芦屋基地に着いたらもうお昼になっていました。

近くの河川敷の駐車場に車を停め、小雨がパラつく空模様だったので車内で昼食。

 

DSCN0039.jpg

本日の昼食。朝SAで購入したメキシカンドック。

芦屋基地の見学後、福岡市東区に移動。

雁ノ巣飛行場があった場所ですが、ここにはそれ以外にも飛行場跡地が3か所もあり、

他にも見ておきたい箇所が1つあります。

ここでの見学を終え、エネオスで給油。

セルフなのですが、店員さんが近づいてきて当店専用カード?の勧誘を始めました。

「すみません、ここの人間じゃないんですよ~」

「あ! 本当にナンバー通り埼玉からでしたか! 仕事か何かで来られたんですか?」

「エッ? ええ、まぁ仕事というか、なんかそんなところで。。。(ごにょごにょ)」

オイラの車は所沢ナンバーなんですが、今回の旅行中他でもナンバーから埼玉県民だとバレました。

いえ、別に隠してないですけど、「所沢」ってそんなに全国区の市なんでしょうか??

 

給油後、玄界灘に沿って西に向かって移動しつつ1ヵ所見学。

そしてさらにもう1ヵ所見学しようと運転していたら、繁華街の信号待ちで隣に並んだタクシーがクラクション。

コワそうな運ちゃんがオイラをガン見してます。そして何事か怒鳴ってます。

博多のタクシー怖い~ ><ヒイィィィ!!

何事かと窓を開けると、「給油口開いとる!」と言われました。

ドアミラーで確認したら、本当に開いてます。ガーン!!

そういえばオイラ、給油キャップを閉めた記憶がありません。

これはひょっとするとエラいことです。

お礼を言って車をすぐに近くのコンビニの駐車場へ。

急いで給油口を確認すると、恐れていた通り給油キャップが見当たらず、給油口がポッカリと穴を開けています。

とりあえず給油カバーを閉め、都市高速を使って大急ぎでさっきのエネオスに戻ることに。

走ってる途中で爆発しないだろうか、と心配だったのですが、なんとかギリギリ爆発せずに済みました。

戻ってみると、オイラの給油キャップは既にメモつきで事務所に保管されてました。

結局1時間15分の間、小雨の降る中給油キャップ開けっぱで走ってたのでした。

ばーかばーか オイラのばーか _| ̄|○ il||l

さんざんセルフスタンドで給油してますが、こんなこと初めてです。

埼玉県民だとバレて動揺したせいでしょうか。それとも疲れてるのかしらん。

レンタカーの件といい、致命的なミスの連発です。事故だけは起こさないように気をつけないと。

 

現在時刻は17:45。明るさ的にはもう1カ所見学することもできるのですが、

ずっと雨だし気分はすっかり凹んでるし、今日はもうこれ以上何かしでかさないうちにお風呂に入って寝ることに。

ナビの地図で探すと、約30km先に温泉があります。

そこが一番近場だったので行ってみることに。

現場周辺は山の中。

雨の降りしきる薄暗い山道をあちこちグルグルと探し回ったのですが、温泉は影も形もありません。

オイラのナビは情報が古いので、「きっとつぶれてしまったに違いない」と考え、他を探すことに。

ここまで1時間のロス。

再び地図で探すと、さらに30km先に温泉が。

今度こそあってくれよ~。と願いながら向かいました。

今度は周辺に「○○温泉」という大きな看板があり、期待できます。

ところが案内に従って山の中を進んでいくと、行き止まりの辺りに温泉宿らしきものがポツポツとあるのですが、

建物の中は真っ暗だったり、薄暗かったりで、ドアも閉まってます。

「ごめんくださ~い」と呼んでみても、返事はなし。

(…わからない。何がどうなっているのかさっぱり分からない(;´Д⊂))

仕方なく来た道を戻ると、途中に何かとても明るい施設があります。

覗いてみると、温泉でした。

こうして温泉を探し求めて2時間後、無事お風呂に入ることができたのでした。

…ふぅ、毎度風呂探しには本当に苦労します。

その日どこまで進めるか、まったく分からないのでいつも行き当たりばったりです。

温泉にはクッキングパパのうえやまとちさんの色紙が飾られてました。流石地元^^

 

21:30 基山SAで車中泊。

おやすみなさい。

 

(続きます)


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愛知県・エアポートウォーク名古屋 [├場所]

   2011年5月訪問 2020/10更新  


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撮影年月日2003/04/07(CCB20031X C2 3) 

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。国際線ターミナルとして現役だった当時の写真)) 

D20_0024.jpg

県営名古屋空港に隣接する「エアポートウォーク名古屋」。

アピタとシネマと135の専門店を擁する大型ショッピングモールです。

その名の通り、この建物はかつて国際線ターミナルとして使用されていました。

「空港っぽい所が残っている」と地元のmasaさんに教えて頂き、空港っぽい所を探してきたのでした。

上の写真、画面右側の駐車場部分は元エプロンでした。

ターミナルビルから突き出すボーディングブリッジが残ってますね。

D20_0019.jpg

地上から見たところ。

当時は国際線旅客機がこのボーディングブリッジに横付けして大勢の旅客が乗り降りしていたのですね。

本来一般人がウロウロできる場所ではありません。なんだか不思議な感じでした。

この駐車場は現在「滑走路側駐車場」になっており、建物には「滑走路側駐車場入口」が数か所設けられていました。

ボーディングブリッジだった部分に立ち、 写真を撮りつつ、しばし当時に思いを馳せていると、

お母さんが小さな子供をオイラの反対側にして歩き去って行きました Σ(゚Д゚;)

D20_0032.jpg

展望デッキ。

D20_0034.jpg

駐車場の向こう側に滑走路が見えますね。

エアポートウォークはR/W34エンド西側に位置しています。 

エアポートウォークの隣に現「県営名古屋空港」があり、滑走路を挟んで反対側には空自の「小牧基地」があります。

D20_0031.jpg

フロア内。

オシャレなお店がたくさんあります。

D20_0037.jpg

空港だった頃を彷彿とさせますね。


      愛知県・エアポートウォーク名古屋      

エアポートウォーク名古屋 データ

設置管理者:ユニー
所在地:愛知県西春日井郡豊山町豊場林先1番8
座 標:N35°14′45″E136°55′29″
標 高:41m
面 積:10.4ha
運用期間:年中無休
運用時間:9:00~25:00(店舗により異なる)
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1999年04月 国際線ターミナルとしてオープン
2005年02月 国際線ターミナル閉鎖
2008年10月 エアポートウォークオープン

関連サイト:
AIRPORT WALK    
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