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小富士海軍航空隊基地跡 [├空港]

   2011年5月、2016年5月訪問 2020/10更新   



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1947年4月当時の写真(USA M271 56)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

福岡県‎糸島市‎志摩小富士‎にあった「小富士海軍航空隊基地」。

前記事の「海軍航空隊玄界基地」の東約4kmに位置しています。

■アジ歴 C08011171100 引渡物件目録 小富士海軍航空隊(2)

に「小富士航空隊施設位置図1/3000」があり、先頭のグーグルマップはこの図から作図しました(下記リンク参照)。

同図には「滑空場坪数 約260,000㎡」とありました。

260,000㎡≒26haで、オイラの作図が25.4haなので、まあこんな感じではないかと。

■PUTIN様より当基地について情報頂きましたm(_ _)m
佐世保施設部担当の各飛行場について
件名:佐世保施設部管区航空基地緊急整備推進隊報告 の中で、
小富士基地
概位:現小富士空練兵場
工事概要:在来地盤ヲ整地 (ママ)圧シ飛行機隠匿場及組立場新設

■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調

には、「小富士 工事中」とありました。 

舗装された滑走路はなく、草原の飛行場だったのだそうです。

■玄界基地の説明版の中に、「小富士海軍航空隊に弾薬庫を置く」という記述がありました。

お隣さんの同じ海軍同士融通していた。ということなのでしょうか。

DSC_0146.jpg

黄色マーカー地点。

県道54号沿いに碑があり、裏面に碑文がありました。

(全文)風雲急ナル大東亜戦下祖国防衛ノ念ニ燃エ決死報国ノ覚悟ヲ秘メタ若人ヲ集メ消耗スル航空戦力ノ補充ヲ目的ニ若鷲錬成ノ基地トシテ昭和十九年五月小富士海軍航空隊ヲ開隊終戦マデ甲十三期乃至十六期ノ各期予科練約五千名ヲ育成シタ当時十有余歳ノ学徒国難ニ殉ズル我ヲ措イテ他無シトノ悲壮ノ決意デ奮躍予科練ニ入隊シ青春ノ情熱ヲ傾ケ訓練ニ励ンダ然ルニ戦局愈々苛烈トナリ予科練教育ハ中止サレ夫々特攻基地ニ派遣サレタガ遂ニ戦運我ニ利ナク昭和二十年八月終戦トナリ小富士航空隊モ其ノ使命ヲ終ツタ思エバ富隊ノ歴史ハ僅カ二年ニスギナカツタガ我等ガ命ヲカケテ鍛錬シタ予科練魂ハ克ク戦後激動ノ試練ニ耐エ新日本発展ノ礎トナツタ我等ハ往時ノ予科練時代ヲ偲ビ茲ニ同隊ノ碑ヲ建立スル 昭和四十八年五月二十七日 小富士海軍航空隊出身者外有志一同

「九州の戦争遺跡」によれば、ここは江戸時代に開かれた干拓地で、昭和18年、突然海軍航空隊建設の話が持ち上がり、

住民は立ち退きを余儀なくされました。

昭和19年5月には正門のあった加布羅橋から裏門のあった相川地区までの東西2.5km、

現在の県道を挟む形で南北500mの範囲に航空隊施設と飛行場が完成し、

終戦までに約5,000名の予科練習生への教育訓練が行われました。

終戦とともに跡地は国有地となり、昭和25年に地元が買い戻し、入植者の手によって苦労に末、元の美田に戻しました。

現在航空隊の跡は唯一、道目木集落の西のはずれに衛生室だった建物が農家の倉庫として残っているのだそうです。 

DSC_0159.jpg

赤マーカー地点。

碑のところから飛行場方向

DSC_0144.jpg

黒マーカー地点。


      福岡県・小富士海軍航空隊基地跡      

小富士海軍航空隊基地 データ

設置管理者:旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:福岡県‎糸島市‎志摩小富士‎
座 標:N33°33′37″E130°10′35″
標 高: 1m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1943年10月 用地買収通達、翌日から測量開始。水田を埋め立てて飛行場を作る
1944年05月 鹿児島海軍航空隊小富士分遣隊として発足
1945年   工事中。8月解隊
1950年   地元で買戻し元の美田に戻す

関連サイト:
アジ歴 C08011171100 引渡物件目録 小富士海軍航空隊(2) 
小富士海軍航空隊    
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この記事の資料:
現地の碑文
「九州の戦争遺跡」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29


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