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ビードル号記念飛行 [├雑談]

以前の記事で、世界初の太平洋無着陸横断に成功した「ミス・ビードル号」の記事を書きました(下記リンク参照)。

1931年10月、米国人飛行家が操縦する単発レシプロ機「ミス・ビードル号」が青森県の淋代海岸を離陸、

見事米国ワシントン州ウェナッチに着陸した。というものです。

先日、報道関係にお勤めのコストさん から、

このビードル号の復元機が記念飛行を行ったという極秘資料(新聞)を送って頂きました。

 

太平洋横断に成功したビードル号はこの後すぐイタリア人医師の自家用機として売り払われたのですが、

1930年代にビスケー湾を飛行中に行方不明となり、大西洋に沈んでしまいました。

残念ながら記念すべき機体は失われてしまったのです。

それから時は流れ1999年、ウェナッチ市に「スピリット・オブ・ウェナッチ実行委員会(SOW)」が設立され、

ミス・ビードル号を復元し、当時と同じルートを再現飛行するという壮大なプロジェクトが計画されました。

このことは、ビードル号が縁で姉妹都市関係になった三沢市にも知らされました。

三沢市側では募金活動を行い、ビードル号復元の支援を行いました。

復元機は2003年4月中旬に完成、同年5月1日に初飛行を行いました。

…と、無事完成したところまではよかったのですが、再現飛行の方はといいますと、うまく進みませんでした。

当初再現飛行計画は、ライト兄弟のフライヤー号世界初動力飛行から100年目の2003年に予定されました。

ところがその後の世界情勢、事故、資金不足、準備等の問題から、延期に次ぐ延期となり、

再現飛行が実現できないまま今日に至っています。


一方三沢市では、「ビードル号に三沢市上空を飛んでもらおうではないか」ということで招致することに。

SOWはこの申し出を受け入れ、ビードル号は昨年船便で三沢市にやってきました。

この記念飛行には、 ウェナッチ、東ウェナッチの両市長、

そして当時の離陸を実際に目撃した方、記録達成に尽力した村長の子孫も招待。

そして8月18日に記念飛行が実現したのでした。元祖ビードル号が記録達成してから80年目のことでした。

9月4日の三沢基地航空祭の際にも飛行が予定されているのだそうです。 

SOW創設者は今回の記念飛行の際、「ビードル号の横断再現飛行は、日米両国のパイロットが実現できたらいい」と語りました。

ロマンですね~。

復元機は10月にはウェナッチに返還予定なのだそうです。

せっかく日本まで持ってきたんだから、そのまま飛んで帰ればいいのに。と思うんですけど、

実現は素人には考えつかないほどいろいろ大変ということなんでしょうね。

 

余談ですが、ビードル号が米国に向けて飛び立った三沢市淋代海岸の滑走路跡には、

ビードル号のレプリカが置かれていて、グーグルマップでもその真っ赤な機体をハッキリ認めることができました。

ところが現在グーグルマップ上にその姿を確認することができません。

恐らく3.11の影響だと思うのですが、その前から復元機が三沢市に搬入されていますから、

少なくとも今年の10月までは、ビードルは途絶えることなく三沢にいる。ということに。

 

実はこの「太平洋無着陸横断飛行」には日本人も挑戦しています。

ビードル号横断成功の1年後、3人の日本人飛行士による横断挑戦が行われたのですが、

残念ながら離陸後消息を絶ち、行方不明になってしまいました。

ビードル復元機による再現飛行とは別に、今回招致活動を行った三沢市の実行委員の顧問によれば、

「90、100周年の際に太平洋横断を行いたい」という計画があるのだそうです。

是非達成して欲しいものです。

 

関連リンク
Miss Veedol.jp(2013/3/3追記:絵しか表示されなくなってしまいました)  
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(太平洋無着陸横断への挑戦/淋代海岸滑走路跡地)    


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