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787とウインドウォッシャー [├雑談]

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787、やっとやっとデリバリーされましたねヽ(*´ヮ`)ノ

ということで本日は787ネタです。 

突然ですが車のウインドウォッシャーって、 あるのが当たり前の機能ですよね。

ところが旅客機の場合、例えば727にはこの機能がありませんでした。

727は小型機で、その分コックピットも低い位置にあるのでそれでよかったのかもしれませんが、

その後登場した747の場合、コックピットの高さは地上10mにもなるため、

グランドスタッフさんに窓を拭いてもらうためには高い脚立を持ってこないといけない。

地上でのステイタイムを短くするためにウインドウォッシャーを付けるようになり、

以来この機能は当たり前のものとなったのだそうです。

 

今回新たに787を作るにあたり、ボーイングはウインドウォッシャー機能を付けないことにしました。

加えてコックピットの窓も自由に開け閉めできないようにし、ワイパーもつけないことに。

コックピットガラスをはめ込むだけの非常にシンプルな設計にしようとしたわけです。

これに対しワーキングトゥギャザーチームとして787開発に携わったANAが反発。

例えば777の場合、コックピットの窓は開くので、操縦席から手を伸ばして容易に窓拭きができるのですが、

787の窓は固定式になったのでそれができません。

それで窓の清掃が容易にできるようにとANA側がウインドウォッシャー機能を要求。

しかしボーイング側は「重くなる」とこれに難色を示しました。

そのためANAはボーイングを説得するために、

外から拭く場合、どれほどの頻度で拭かねばならなくなるか、どれだけ時間がかかるのか、

整備士、グランドスタッフの人件費がどの位かかるか、

この機能を付けた場合の燃費の損失はどれ位か、などデータを作り議論を重ねたのだそうです。

 

787のセールスポイントは何と言っても低燃費と低コスト。

だからボーイングとしてはそのために、いかに軽く、低コスト低燃費になるかを中心に考えます。

そのために極力余分なものはつけずに軽量化したい。

一方運用側のANAのライバルは、定時出発率99.9%の新幹線。

定時運行を妨げる要素は極力排除し、迅速且つ確実に飛ばしたい。

そのために必要な機能は是非とも盛り込みたい。

両社の求めるところは相反するものがあり、せめぎ合いが続いたのだそうです。

結果的にはANA側の要求が通り、787はウインドウォッシャー機能付きになりました。

 

旅客機にワイパーがついているのは当たり前のようですが、787では雨滴が飛び散るように工夫して廃止するつもりでした。

しかしこれに関してもANA側の要望が通り、ワイパー標準装備になったのだそうです。

旅客機のワイパーは使用しない時は横に寝かせることが多く、風防の下に隠れるようになっていたりするのですが、

787は機首からコックピットガラスにかけてのラインが隠れる部分のない平滑な造りになっていて、

使わない時は立てて止まるようになっています。

余談ですが、777のワイパーには間欠機能がついています^^

ANAは実際に787を運用する側として様々な要望を出しており、

他にもそれほど頻繁に開ける必要のない点検扉を閉めるのに、

軽量なスクリューネジ式にするか、重いけど便利なラッチ式にするか(3kg重くなる)、でも揉めたのだそうです。

 

787の目玉として、客室内の大きな窓、電気式シェード、空気清浄器、加湿器、快適トイレなどしばしば紹介されます。

これらは軽量化、低コストとは完全に逆行するものだと思うのですが、

乗客に喜ばれるものは積極的に採用している一方で、

コックピットのウォッシャーみたいなパイロット(整備士?)しか喜ばないものは付けたくない。

なんとなくアメリカ人て、「便利な機能はドンドンつけちゃいなYO!」みたいなノリかと思っていたのですが、

細かいことまでいろいろ考えて造ったんだな~。と思いました。

ANAによる粘り強い説得によってワイパーとウオッシャーが装備された787。

787のワイパーやウオッシャーを使用する世界中のパイロットはANAに感謝するとよいと思います (o ̄∇ ̄o)


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小値賀空港 [├空港]

   2011年5月訪問 2021/7更新  


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SkyVector.com
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撮影年月日1983/08/09(昭58)(KU833X C4 5)
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
第3種空港政令指定2ヵ月前、供用開始まであと2年4ヵ月。

長崎県‎小値賀島にある「小値賀(おぢか)空港」。
 
2006年に定期路線廃止となってしまいました。
 

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外階段から展望デッキに上がれました。

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      長崎県・小値賀空港      

小値賀空港 データ

設置管理者:長崎県
4レター:RJDO
空港種別:地方管理空港
運用時間:10:00~16:00
所在地:長崎県‎北松浦郡‎小値賀町‎前方郷‎
座 標:N33°11′15″E129°05′33″
標 高:7.7m
面 積:12ha
滑走路:800m×25m
磁方位:03/21

沿革
1983年10月 第3種空港政令指定
1985年12月 供用開始(800m)
2006年03月 定期路線廃止

関連サイト:
小値賀町/小値賀空港    
国土交通省大阪航空局/小値賀空港   
ブログ内関連記事       


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長崎県・川棚防空監視哨跡 [├場所]

   2011年5月訪問 2020/10更新  


2019/12/1:追記 ご覧の通りで現在当地は太陽光発電パネルが敷き詰められており、監視哨は撤去されてしまった模様です。移設したのか破壊されたのか。。。

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長崎県‎の川棚町にある「川棚防空監視哨跡」。

原っぱにぽつんと立っています。

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別角度から。


      長崎県・川棚防空監視哨跡      

川棚防空監視哨 データ

所在地:長崎県‎東彼杵郡‎川棚町‎百津郷‎
座 標:N33°03′50″E129°51′49″
(座標はグーグルアースから)

関連サイト:
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北部九州旅行・5 [■旅行記]


Ⓐ道の駅彼杵の荘→Ⓑ川棚防空監視哨跡→Ⓖ佐世保港→Ⓕ小値賀港→Ⓔ小値賀空港→
Ⓕ小値賀港→Ⓖ佐世保港→Ⓗ→福岡海軍航空隊跡地→Ⓘ下松SA(車中泊)

 

5日目

6:00 起床

道の駅の駐車場は車中泊組の車が結構停まってました。

トイレで歯磨きをしたついでに駐車場内を見まわしたら、すぐ近くに昨晩声を掛けてくれた川崎ナンバーのデリカ発見。

おぢさんはもう運転席で出発の準備をしていたのでご挨拶。

本日は鹿児島方面を目指して南下するのだそうです。どうぞご安全に。

6:20 出発。

川棚監視所見学。

7:00 ジョイフルで朝食。

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旅行中野菜分が不足していたのでこういうものを注文。

ドリンクバー付きなのですが、スープバーは別料金だと知らずにクラムチャウダーを呑んで注意されてしまうオイラ

(しかも二度飲み)Σ(゚Д゚;)

お金払おうとしたのですが、今回は見逃してくれました。

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今回もノントラブルで走ってくれた飛度くん。改めて見たら駐車位置が左側に寄っちゃってますね。

ここまでよぉ走ってくれはった。

旅行中は文字通り寝食を共にしますし、何日も仕事を休むので、その前後の仕事は大忙しになります。

だもんで旅行前後の期間、車と一緒の時間はハンパないです。

 

8:00 佐世保港到着。

ここから小値賀(おぢか)島に渡ります。

勝手がよく分からないのでとりあえず30分まで無料、1日最大800円の駐車場に車を入れ偵察。

…ここは違うターミナルだった。

佐世保港は大きなターミナルが1つあるのではなくて、行先別に小規模ターミナルがあるようです。

歩いていたおぢさんに聞いたところ、小値賀行きはあっちのターミナルだそうです。

あっちのターミナルのすぐそばに1日最大600円の駐車場があったので、ここに車を停めておくことに。

窓口でチケット購入。

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スケジュール上、どうしても往路は高速船、復路はフェリーになってしまうのですが、

「そういう組合せの割引もありますよ」。ということでゲットしたのがこちら。

「フェリー&シークイーンセット券」6,000円。

別々に購入するよりなんと1,600円もお得です。

今回の旅行では九州商船の利用が多かったのですが、社員さんはみなさんとても親切な方ばかりでした。

 

9:20 定刻通り佐世保港出港。

船内はガラガラ。

ジェットフォイルとよく似ていて、シートベルト付の座席がずらりと並んでいるのですが、客室内に速度計がありません。

通常のフェリーは速力15ノット前後なのですが、

こちらは流石「高速船」と謳うだけあり、倍の30ノットで、ジェットフォイルの43ノットに迫る速度です。

10:45 小値賀港到着。

ここの港にはターミナル内にレンタサイクルがあります。

目指す小値賀空港までは4km程と近いので、自転車で行くことにしていたのでした。

早速窓口で自転車を借りることに。

料金は6時間まで500円でした。

手続きはとても簡単で、帳簿に名前と電話番号を記入するだけでした。

狭い島内ですから乗り捨ても盗難の心配もないのでしょう。

カギもついてません。

行先を尋ねられ、ついうっかり「今は使ってない小値賀空港」と言ってしまい、

「定期便がないだけで現役バリバリです。ちょうど昨日から個人利用で1機来てますよ」。

とツッコミをいただきました。これは失礼致しました m(_ _)m

 

空港までの道はアップダウンが激しく、8段変速なのですが所々押して歩きました。

30分弱で小値賀空港到着。

デッキに上がったら、ここから管制塔に入れるようになっており、職員さんが2名いました。

「見学で来ました~」と挨拶してあちこち撮影。

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その後近くの赤浜へ。

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本当に赤い砂浜でした。

日差しも強く暑いので、松の影に腰を下ろして昼食(カロリーメイト的なもの)。

佐世保に戻るフェリーの時間までまだ2時間以上あります。

しばらくここで海を眺めてぼーっとしていよう。と思ったのですが、

気が付くと膝の上に黒くて大きな毛虫が!!

慌てて立ち上がってみると、周囲にイッパイ来てる!

浜に避難することにしました。

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砂浜にはハングル、中国語のゴミがいっぱい。

この島の地理関係を改めて実感しました。

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ハングルをしゃべるヒトデ(嘘)。

ということで砂浜で写真など撮っていると、なんとなく首のあたりがふよふよします。

またしても毛虫ガ!! ><ヒイィィ!!

上着を脱いでもう体についてないことを確認し、奥の岩場に避難。もー毛虫ヤダ。

結局赤浜には1時間ほどいました。

出港1時間前、港へ。

13時過ぎ港に到着。自転車を返却。

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港の桟橋から。

まだまだこんな港が残ってるんですね~。

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13:30 フェリー太古入港。

港ではアナウンスが一切ありません。

汽笛と共に船が入ってきて、淡々と乗客と荷物の乗り降りを済ませると、すーっと出ていきます。

このフェリーも10分後にすーっと出て行きました。

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ターミナル内にあった東北地方へのメッセージボード。

カラーマジックが置かれていました。

実は内心、(震災から2か月以上経って、書き込みはたったこれだけか。。。)

などと考えていたのですが…

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奥にいっぱいに書き込まれたメッセージが。

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13:47 汽笛と共にフェリーなるしおが入ってきました。これに乗って佐世保港に戻ります。

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接岸の際の操船テクがすごかったです。上の写真、真っ直ぐ入ってきたフェリーがおも舵(右曲がり)を切り始めたところです。

以下、オイラの写真でどれ位伝わるか自信ないですが、ドリフト接岸の模様です。

(航跡でなんとなく伝われ~)

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…なんとなく伝わりましたでしょうか?

スタントマンがスピンターンでピタリと狭い駐車スペースに車を入れるのをテレビでやることがありますが、

あれの船版です。

一度も停船することなく、180°回頭完了したところでピタリこの位置。すごすぎです(@Д@)

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14:00 小値賀出港。

佐世保~小値賀間、往路の高速船の所要時間は1時間25分でしたが、

復路のフェリーは2時間35分かかります。

船内はガラガラ。爆睡しました。

佐世保入港30分前、甲板へ。

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移動浮きドック「サザンクロス」(嘘)

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戻って参りました。

16:35 佐世保港入港。

一番最後に下船したのですが、オイラが降りると入れ替わるように乗船が始まってました。

大刀洗平和記念館で情報を得た「福岡海軍航空隊跡記念碑」を撮るため、福岡市西区に立ち寄りました。

無事公園の一角にある碑を発見し、撮影。これで今回予定していた場所は全て見学終了。

辺りはすっかり薄暗くなっていました。

さあ、埼玉まで帰ろう。頼むぜフィット。

途中山口県の下松SAで車中泊し、自宅に戻ったのでした。

この時は五月で、まだ「休日千円割引」だったので自宅まで2,300円でした。

これで旅行記は終わりです。

長々とお付き合い、ありがとうございました。m(_ _)m

(もう続かない)


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上五島空港 [├空港]

   2011年5月訪問 2021/7更新  


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SkyVector.com
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撮影年月日1977/10/09(昭52)(CKU774 C15 5)
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
第3種空港政令指定から7か月後。供用開始まであと3年6ヵ月

長崎県頭ヶ島にある「上五島空港」。

オリエンタルエアブリッジが定期便を飛ばしていたのですが、2006年に廃止してしまいました。

直前の2005年度には4,702人の乗降客、702回の着陸回数がありました。

その後も多少の運用があり、2008年には乗降客数は0ですが、着陸回数55回という記録が残っています。

定期便はなくなってしまいましたが、まったく使用していない。という訳ではないようですね。

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外階段を使って展望デッキに上がることができました。

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見づらくて申し訳ないですが、デッキからターミナル内部を覗けます。

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デッキから見たエプロン。

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右側。

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左側。

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空港から少し離れた場所にありました。「空港行停車地」。


      長崎県・上五島空港     
Wiki情報ですが、廃止してしまうか、イザという時のために滑走路を維持し続けるか協議中だそうです。オイラがお邪魔した際もちょうど維持管理の作業?を終えたおばさんたちが出てきました。今後どうなるのでしょうか

上五島空港 データ
設置管理者:長崎県
4レター:RJDK
空港種別:地方管理空港
運用時間:10:00~16:00
所在地:長崎県‎南松浦郡‎新上五島町‎友住郷‎
座 標:N33°00′36″E129°11′40″
標 高:80m
面 積:27ha
滑走路:800m×25m
磁方位:17/35

沿革
1977年03月 第3種空港政令指定
1981年04月 供用開始(800m×25m)
2006年04月 閉鎖

関連サイト:
国土交通省大阪航空局/上五島空港   
上五島空港A2-BCPの策定について 
ブログ内関連記事       


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福江島着陸場 [├空港]

   2011年5月訪問 2020/10更新  



長崎県福江島の西側に、航空自衛隊福江分屯基地の「福江島着陸場」があります。

いつ建設されたのか不明ですが、国土地理院の航空写真でこの場所を年代を追って見ていくと、

1947年、1948年の写真ではまだ影も形もないのですが、1965年の写真から写ってます。

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県道384号を走っているとこんな場所に出ます。


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フェンスに沿って滑走路をぐるっと一周することができます。

これは最初の写真とは反対側、西側のエンド附近。

結構高低差がありますが、奥に広がってるのが滑走路です。

所々草のロールが転がってますけど。

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結構凸凹してる部分がありました。


      長崎県・福江島着陸場      

福江島着陸場 データ

設置管理者:防衛省
空港種別:陸上飛行場
所在地:長崎県‎五島市‎三井楽町濱ノ畔‎
座 標:N32°44′05″E128°40′02″
標 高:31m
滑走路:900m×50m
方 位:11/29
(座標、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
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北部九州旅行・4 [■旅行記]


Ⓗ長崎港→Ⓓ福江港→Ⓒ福江島離着陸場→Ⓓ福江港→Ⓗ長崎港→Ⓖ奈良尾港→Ⓕ上五島空港→Ⓖ奈良尾港→Ⓗ長崎港→Ⓘ道の駅彼杵の荘(車中泊)

 

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長崎港ターミナル前の立体駐車場で特に何事もなく一晩過ごしました。

本日は福江島と中通島で1つずつ飛行場を見学します。

丸1日費やして2ヵ所だけ。

そして明日も近くの島に1カ所見に行きます。

本当は1日でもっとたくさん回りたかったのですが、

長崎の離島を結ぶ航路は便数がそれほど多くない上に、

オイラのような、「1つの島に数時間滞在して、次の島へ」という特殊な回り方だと、接続が悪くなってしまうのです。

また、複数の船会社がいろいろな航路を引いており、時期、曜日によって運航が異なったりします。

それと港まで車で行くので、必ず車を置いた港に戻らなければならず、このことも制約になりました。

オイラのような部外者には複雑怪奇でスケジュール組みに非常に苦労したのでした。

今日だって、本当は「1日1島」になるところだったのですが、

いろいろ調べてなんとか2島回るスケジュールが作れました。

出港まで時間があったので周辺をうろうろ。

ターミナル内に「軍艦島クルーズ」のパンフが置いてありました。

廃墟マニアには超有名な島ですね。

「軍艦島上陸コース」(170分/4,300円)というものが毎日2便運航しています。

結構需要あるんですね~。流石聖地。

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長崎港桟橋。

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オイラが利用する九州商船のジェットフォイル・ぺがさす2。

7:00から乗船手続き開始で、その前から窓口に列ができていました。

オイラは事前に予約してあったので余裕です。

7:40 定刻通り出港。

乗船手続きの際座席指定されます。オイラは右舷側三列シートの通路側でした。

ほぼ満席です。

出港して間もなく、左舷側に停泊中?のイージス艦が見えました。

戻りで見れますように~。

隣のご婦人がサンドイッチを取り出し食べ始めました。

オイラも負けずにカロリーメイトもどきを取り出して朝食。

船内のテレビで九州新幹線全線開業のCM やってました。

あー。なんでこのCM見てると泣けてくるんだろ (;´Д⊂)

 

9:05 福江港入港。

実はこの島には、福江(五島福江)空港見学の為に1年半前に来ています。

その後この島にもう1つ小さな飛行場があることを知ったので、今回またお邪魔したのでした。

 

本当は港から飛行場の近くまで島内バスがあったのですが、次の島に渡る船の時間に間に合わないため、

やむなくレンタカーを使うことにしたのでした。

レンタカー会社の方が看板掲げて待っててくれました。

本当は2日目の対馬・厳原港でもこうやって待ち合わせだったんだよな~。本当に申し訳ないことしました。。。

ターミナル内の事務所でレンタカーの手続き。

この島で見学を終えたら、今度は11:50 の船で中通島に渡ります。

島内滞在時間は2時間45分。

フェリーはネット予約ができず、早い者勝ちなので、レンタカーの手続きをしてもらっている途中、

(今のうちに船の切符買えるかしらん) と考えたのですが、乗船手続きは11:00から。とのことでした。

今乗ってきたジェットフォイルはほぼ満席だったからなるべく早めに戻ってきて手続きしないと。

港から飛行場までは10キロ程度なので時間に余裕あります。

福江基地飛行場を見学し、途中のスーパーで昼食用に調理パンなど買い込みレンタカー返却。無事切符をゲットしました。

11:50 九州商船のフェリーで中通島の奈良尾港へ。

 

実は今回の旅行でこの中通島での見学が時間的に最も厳しかったのでした。

島滞在時間は3時間35分で、この間にレンタカーを借り、50km位先の上五島空港を見学し、

戻って来て給油して車を返却。港まで送ってもらい、出港30分前までに乗船手続きを済ませなければなりません。

つまり、入港してから3時間5分以内にまた港に戻って来ないといけません。

港から空港まで50kmということは、平均速度50km/hでも1時間かかります。

この島でそんな速度を維持した走行が可能なのか、全く分かりません。

実は中通島には港がいくつもあって、上五島空港のすぐ近くにも佐世保港から航路があって、

スケジュールを組む際大分悩んだのですが、

できるだけ効率よく回ろうとして最終的に今回のスケジュールに落ち着きました。 

奈良尾港入港は13:30の予定だと思っていたのですが、13:40の入港でした。

既に予定より10分遅れです。(゚Д゚;≡;゚Д゚)

戻りの船は本日の最終便なので、間に合わなければ今日はこの島から出られないという事態に陥ります。

桟橋を渡り、試しにターミナル窓口で戻りの切符を買えるか尋ねてみると、「買えますよ」とのこと。

あっさり切符購入。よかった~。

これで30分前までに港に到着する必要はなくなったのと、出港時間に遅れなければちゃんと船に乗れます。

ターミナルから外に出ると、レンタカー屋さんがここまで車を持って来てくれてました。

免許をデジカメ撮影するだけで手続き完了。

ナビに行先もセットしてくれ、「時間がなければガス入れないでも構いませんから」と。

予約の際出入りの船の時刻を尋ねられていたので、気を遣って頂いたみたいです。

こうして入港から5分程で空港に向かうことができたのでした。

ナビには港から空港まで41kmと表示されました。

これなら余裕で出港までに戻って来れそうです。

…と思ったのですが、オイラの数台前を走る軽トラのじーさまが遅い!!

40キロ道路を20キロ位で走ってます。そしてみんな黙って延々後ろをついて走ってます。

じーさまは運転中窓からタバコの灰をちょいちょいっと。よ、余裕ですね。( ̄∇ ̄*)

関東ならクラクションの嵐で無理にでも次々追い抜いて行きそうです。

今回九州走ってて思ったのですが、離島は当然として、

全体的にゆっくり走る人が多いと感じました。

飛ばす人は飛ばすのですが、関東より10~15キロはゆっくりな気がします。

無事見学終了し、車返却。港まで送ってもらいました。

空港に向かう途中で「飲酒運転ざーまよ」という標識を見かけたので尋ねてみたところ、

ざーまとは「大変」とか「とても」という、島独特の方言ではないかとのことでした。

「魚がざーま釣れた」のように使うのだそうです。

桟橋の先でオイラが乗るジェットフォイルの入港を待ちました。

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ジェットフォイルが入港したのが17:01 頃。

そして4分後には長崎港に向けて再び出港。

働き者ですね~。

種子島、屋久島もそうでしたが、九州では離島航路でジェットフォイルが大活躍です。

戻りの船では窓席だったので、 長崎港入港直前にいろいろ珍しい船が見れました。

 

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ということで、18:20 長崎港に戻って来ました。

明日は佐世保港から船に乗るのですが、港のすぐ近くにある監視哨を見学する予定です。

それで、その手前にある道の駅で車中泊することに。

ここから道の駅までは約30キロ。

この30キロの間に給油、風呂があれば風呂。。。と思っていたら、長崎空港すぐ近くに健康ランド発見。

入りました。

これで三日連続でご入浴。

今日はそんなに汗かかないようにしていたのですが、

明日も高速船に乗るので失礼のないようにしておきたかったのでした。

普通の船なら、デッキでもどこでもフラフラできるんですけどね。

道の駅で寝る準備をしていたら、川崎から来たというデリカのご主人に声をかけられました。

70歳で退職し、日本一周後、思い出の場所をじっくり回っておられるところなのだそうです。

21:45 寝る。

おやすみなさい。

 

(続きます)


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島原海軍飛行場跡地 [├空港]

   2011年5月訪問 2022/1更新  


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撮影年月日1947/03/26(USA M185 11)
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

長崎県‎島原市‎にあった「島原海軍飛行場」。

残念ながら滑走路の場所がハッキリしておらず、

某サイトでは地元の方同士で滑走路の場所について盛んな議論がなされていました。

そんな状況で部外者のオイラがこういう地図をアップしてしまうのはおこがましいのですが、

地元の方のご意見と共に、1947年の航空写真ではここが最も滑走路っぽく写っておりました。

この航空写真を基に作図したのが、先頭のグーグルマップグレーのシェイプです。

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:島原 建設ノ年:1945 飛行場 長x幅 米:600x30?(砂利)方向NNW? 主要機隊数:小型機 主任務:発進 隧道竝ニ地下施設:工事中 掩体:工事中 其ノ他記事:離着陸一方向

■PUTIN様より当基地について情報頂きましたm(_ _)m
佐世保施設部担当の各飛行場について
件名:佐世保施設部管区航空基地緊急整備推進隊報告
島原基地
概位:島原市西方
工事概要:在来田畑ヲ整地 (ママ)圧シ飛行機隠匿場及組立場新設

■「航空特攻戦備」第2期 として以下記載がありました(下記リンク参照)。PUTINさんから情報頂きましたm(_ _)m

方面  佐世保
牧場  島原
滑走路 五〇×六〇〇NNW
縣郡村 長崎 島原
記事  既成

■長崎県の公式サイト:各市町の被害状況/島原市
○空襲等の状況(一部抜粋)
当時島原では、現島原農業高校付近に特設飛行場が作られ、秘密の特攻訓練が行われ、

まとめますと、現在の島原農業高校の近くに、北北西方向、600mx300mの砂利敷滑走路が建設されました。

ということのようです。

・滑走路の方向について

1番目の資料に滑走路方向の情報が記載されていて、"NNW"と印刷されているように見えるんですが、

実は1文字目がちょうど折り目でつぶれていて、判別が非常に厳しいです。

NNWならば、航空写真の滑走路方向とピッタリ一致しているのですが。。。

・滑走路の長さについて

資料では、長さ600mとあるのですが、実は上に貼った航空写真で滑走路っぽく見える部分で作図すると、

グレーのシェイプになるんですが、これだと長さが370m程度にしかなりません。

それで、(600mとするとこんな感じ)ということで付け足したのが黄色のシェイプです。

資料通り600mに伸ばすと、グーグルマップでは北側部分、森?に少し入り込んでしまいますが、

当時の航空写真で見ると、滑走路の延長線は当時は森になってませんでした。

 

このように、本当にココに飛行場があったかどうかについては、きちんと資料から確認がとれておらず、

仮にココだとしても多少の難があるのですが、

長崎県の公式サイト内で「現島原農業高校付近に特設飛行場が作られ」と明言されており、

この学校周辺にはオイラが見る限り、滑走路を建設した痕跡はここ以外に見当たりません。

それで今のところ、恐らくここだったのではないかと思います。

 

D20_0215.jpg

赤マーカー地点から滑走路方向。

周辺は坂が多くかなり高低差に富んだ地形ですが、この道路方向は非常に平坦です。


      長崎県・島原海軍飛行場跡地      

島原海軍飛行場 データ
設置管理者:旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:長崎県‎島原市‎下折橋町‎
座 標:N32°47′28″E130°20′58″
標 高:78m
滑走路:600mx300m(砂利敷)
方 位:15/33
(座標、標高、方位はグーグルアース)

関連サイト:
「航空特攻戦備」第2期(22コマ) 
長崎県の公式サイト:各市町の被害状況/島原市 
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
佐世保施設部管区航空基地緊急整備推進隊報告(PUTIN様より)
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」


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長崎航空機乗員養成所(諫早海軍航空隊、小野飛行場)跡地 [├空港]

   2011年5月訪問 2020/10更新  


無題.png
撮影年月日1947/04/17(昭22)(USA M259 110)
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

「諫早干拓」で有名な、長崎県‎諫早市‎にあった「長崎航空機乗員養成所(諫早海軍航空隊、小野飛行場)」。

元々は逓信省が「長崎航空機乗員養成所」として建設しました。

後に当飛行場を海軍が接収、「諫早海軍航空隊」としました。

そしてこの飛行場は「小野飛行場」とも呼ばれていました。

飛行場の敷地については資料が見つからず、上の地図は、

「1947年の写真(下記リンク参照)だとこういう風に見える」という程度のものです。

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:諫早 建設ノ年:1944 飛行場 長x幅 米:1500x900 主要機隊数:小型練60 主任務:教育 隧道竝ニ地下施設:居住、指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、倉庫、工業場 掩体:工事中 其ノ他記事:旧航空局施設

■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調

には、「諫早開隊(S20(判別できず))(昭19建工事中)」とありました。 

D20_0207.jpg

D20_0203.jpg

赤マーカー地点。

市営ソフトボール場バックネット裏側に碑がありました。
(県道からはちょっと目立たないです)。

側面に碑文がありました。(全文)本養成所は昭和十七年四月国立の民間パイロット養成施設として開所終戦まで教職員百二十余名 十二、三、才で入所した本科生四百四十一名 十七、八才て入所した操縦生百六十二名が在籍全寮制で海軍式のきびしい訓練を受けた。十八、九才で卒業した百二名の操縦生は海軍航空隊員として第二次大戦に投入され雷撃隊特攻隊等で五十数名が戦死している。戦死者物故者の鎮魂と生存者の青春の証しとしてこの碑を建立する。


    長崎県・長崎航空機乗員養成所(諫早海軍航空隊、小野飛行場)跡地      

航空機格納庫を移設し、JAの倉庫として使用しているそうです。

長崎航空機乗員養成所(諫早海軍航空隊、小野飛行場) データ
設置管理者:逓信省→旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:長崎県‎諫早市‎小野島町‎
座 標:N32°51′01″E130°05′27″
標 高:1m
着陸帯:1,500mx900m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1939年    広大な美田を埋め立て、逓信省航空機乗員養成所と付属飛行場建設
1944年03月 海軍が特攻機要員養成のため施設を接収、諫早海軍航空隊とする
1945年09月 占領軍進駐
1946年09月 撤収

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
現地の碑文
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調


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目達原飛行場 [├空港]

   2011年5月、2017年5月訪問 2020/11更新   


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1948年4月当時の写真(USA M934-1 10)   
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

佐賀県吉野ヶ里遺跡の東約1kmにある「目達原駐屯地」。

その敷地内に「目達原飛行場」があります。

目達原飛行場は大戦中からあった飛行場で、「大刀洗陸軍飛行学校目達原分校」でした。

末期には特攻隊の出撃基地にもなりました。

現在は、旧滑走路の一部をヘリポートとして短縮して(幅も狭めて)使用しています。

グーグル等で見ると、北側のターニングパッド跡がうっすらと残っています。

■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日

に当飛行場の資料がありました。

以下引用させて頂きます。

目達原飛行場
判決
自重五屯以下の飛行機の使用に適す

飛行地区
滑走地区 一七〇〇x一六〇〇 □転圧のみ
舗装路 一四〇〇x六〇 一部分のみ十五cmの「コンクリート」舗装  
土質及地表面の状態 砂壊土、表面張芝にして地耐力稍可なり
周辺障碍物の有無 なし

付属地区
誘導路 三〇〇〇x二〇 
宿営 A地区に兵舎(要修理)五棟(二〇〇名収容可) B地区はなし、C地区に三角兵舎十棟あるも収客力なし
夜間着陸設備 なし
動力線 なし
電灯線 A地区四棟に配線しあり
給水 水道設備なく井戸水にして水量豊富なるも質悪し

其他
風向 東東北風多し 一年を通し風向の変化少なし

上の航空写真にクッキリと浮かぶ滑走路、ターニングパッドを含む両端部分と中央部分で色が異なっていますが、

「一部分のみ十五cmの「コンクリート」舗装」とある通り、両端の白っぽい部分がコンクリート舗装であると

「要図」に示されていました。

 実は同資料では、終盤の頁で当飛行場の「要図」と「飛行場記録」がコンパクトにまとめられて再登場しているのですが、

両者には細かな差異があります。

以下異なっている箇所を列挙します。

・判決:「自重五屯以下の飛行機の使用に適す」→「自重510頓以下の飛行機の使用に適す」
・宿営:「A地区に兵舎(要修理)五棟(二〇〇名収容可) B地区はなし、C地区に三角兵舎十棟あるも収客力なし」
   →「
A地区兵舎5棟(要修理) 5棟、他に三角兵舎10棟あるも収客力なし」
・給水:「水道設備なく井戸水にして水量豊富なるも質悪し」→「水道なし 井戸にして水量豊富なるも水質不良」

・風向:「東東北風多し 一年を通し風向の変化少なし」→「東東北」

 

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  目達原
位 置   佐賀県神崎郡三田川村目達原
規 模   要図(東西1700)
舗 装   六〇×一四〇〇米
      基礎砂利転入
      表層コンクリート一〇糎
付属施設
 収容施設 一〇〇〇名分
 格納施設 掩体 大二〇ヶ所 小三〇ヶ所
摘 要   施設軍有

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外から滑走路は見えないものかと走ってみたのですが、結局見えませんでした。。。

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赤マーカー地点。

吉野ケ里公園駅南、「本戦橋交差点」の所が陸軍当時の正門の場所で、ここに碑と説明版が設置してあります。

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旧目達原飛行場正門跡(全文)
 旧目達原飛行場は、昭和十八年陸軍太刀洗飛行学校目達原分校として開設され、以来多くの若鷲が養成された。昭和十九年以降、戦局の進展に伴い特攻隊二七三振武隊として「若者よ後につづけ」を合い言葉に、欣然として国に殉じ敵艦を求めて次々と飛び立った由緒ある地である。昭和二十九年陸上自衛隊九州地区補給処がここに開設され、その後西部方面ヘリ隊、第四飛行隊等の駐留に伴い現在も旧滑走路の一部がヘリポートとして使用されている。 平成四年七月吉日 三田川町

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旧目達原飛行場正門跡(全文)
 かつて、旧長崎街道沿いの目達原宿から苔野宿にかけて広大な松原が広がっており、八丁松原と呼ばれていた。明治末期の払い下げで伐採されたが、大正4年に御大典記念事業として桜が植樹されてからは桜馬場と呼ばれ、九州指折りの桜の名所となり絵葉書にもなるほど名高く、桜の季節や競馬開催時には新宮田踏切に臨時駅が開設され、多くの人出で賑わっていた。昭和16(1941)年9月、大日本帝国陸軍太刀洗陸軍飛行学校目達原分校として飛行場建設計画が発表され、旧上中杖地区全戸と苔野・下中杖地区の一部の住民は、先祖伝来の地からの移転を余儀なくされた。昭和18年10月の飛行場完成後は、この地で多くの若者が日夜、救国の志を胸に特別操縦生として日夜訓練に励んだ。昭和19年7月のサイパン陥落以降、戦局は悪化の一途を辿り、昭和19年10月には爆弾を抱えた飛行機もろとも敵艦に体当たりする「特別攻撃隊」が編成された。事ここにいたり、目達原飛行隊は第273振武隊に改編され、延べ53名の若者が生きて再び還ることのない攻撃に飛び立っていった。彼らは、平和な時代であればどこにでもいる普通の若者であり、生まれ育った故郷と愛する家族を守るため、自らを肉弾として敵艦に突入し散華していったのである。この門柱は往時を偲ぶ唯一の遺構である。現代を生きる私たちが平和を享受しているのは、二十歳にも満たない若者たちがその身を盾としたからであることを、私たちは決して忘れてはならない。それは今に生かされている者の責務である。戦後、昭和29年3月、旧目達原飛行場跡には陸上自衛隊目達原駐屯地が開設された。かつて家族を思い、国を思って若者たちが刻苦精励したこの地で、新たなる日本の防人は日々訓練に励みながら、被災地支援など多岐にわたって国民を守るための活動を展開している。 平成26年1月吉日 吉野ヶ里町防衛協会

■「九州の戦争遺跡」によりますと、

「月光の夏」のモデルとなった特攻隊員は当基地の所属だったと言われているのだそうです。

当飛行場の北西約2.2kmにある西往寺は待機中の特攻隊員の宿舎で、現在でも彼らの手紙や遺品が残されています。

当時の住職の奥さんは若い隊員からお母さんのように慕われ、娘さんは、隊員は陽気でよく自分と遊んでくれたが、

母と面会できなかった隊員が夜になるとお寺の墓地の周りで「お母さん」と叫んでいたのを見たのだそうです。


      佐賀県・目達原飛行場      

・陸軍目達原飛行場 データ
設置管理者:旧陸軍
種 別:軍用飛行場
所在地:佐賀県神崎郡三田川村目達原
滑走地区:1,700mx1,600m
滑走路:1,400mx60m ターニングパッド直径100m(「要図」より)
方 位:04/22

・陸上自衛隊目達原飛行場(現在) データ  
設置管理者:防衛省
4レター:RJDM
種 別:軍用飛行場
所在地:佐賀県‎三養基郡‎上峰町‎坊所‎
座 標:N33°19′31″E130°24′50″
標 高:15m
滑走路:660mx30m
磁方位:04/22
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1941年09月 飛行場建設計画発表
1943年10月 飛行場完成。大日本帝国陸軍太刀洗陸軍飛行学校目達原分校として創立
1945年08月 終戦
1954年03月 目達原駐屯地開設

関連サイト:
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この記事の資料:
現地の碑文、説明版
「九州の戦争遺跡」
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


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