SSブログ

筑後陸軍(岡山)飛行場跡地 [├空港]

   2011年5月訪問 2020/11更新  


無題b.png
1947年11月(USA M665 125)   
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

福岡県‎八女市にあった「筑後飛行場」。

当時は八女郡岡山村だったため、「岡山飛行場」とも呼ばれました。


■防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日

の中に「筑後飛行場記録」と「要図」がありました。

地割は現在までハッキリ残っています。

敷地は特徴的な八角形の北側と東側が変則的に膨らんだような形になっていますが、

「要図」によれば、この東側に膨れた部分も含めた東西の幅は、1,250mと記されていました。

ただし、東側の膨れた部分は「不適」の文字と共に斜線が引かれていて、後述しますが、

「飛行場記録」によればこの部分は滑走地区に含まれていません。

敷地北側部分も膨れた方形部分より大きく赤の斜線で囲われたエリアがあり、「軟弱部」と書かれています。

また上のグーグルマップで黒マーカー部分、「要図」には「校舎(兵舎)」と記されており、

別の大判の要図では、この部分に「乗員養成所」と記されていました。

航空写真ではこの部分に建物っぽいものが並んでいる様子が映っており、

このエリアに兵舎、乗員養成所等の施設があったのだと思います。

以下資料を引用させて頂きます。

判決
自重五屯以下の飛行機の使用に適す

飛行地区
滑走地区 主滑走路一一七〇x三〇〇(南北) 副滑走路一〇〇〇x三〇〇(東西) 軟弱部砂利敷転圧
舗装路 なし
土質 砂壊土(赤土)
地表面の状況 表面張芝にして地耐力可なり、球面排水にして概良好
周辺障碍物の有無 なし
  
付属地区
誘導路 六〇〇〇x八
宿営 兵舎(乗員養成所校舎)二棟(五〇〇名収容可) 
夜間着陸設備 なし(機材あるも設備未着手)
動力線 なし
電灯の線 設備あるも現在破損断線しあり
給水 吸上喞筒(動力及手動)各一あり水質概ね良好にして水量多し

其の他
風向 主恒風 東西(冬季及春季) 副恒風 南北(夏季及秋季)

細かいことなんですが。

上記資料には、当「筑後飛行場記録」が四枚綴られていて、微妙に差があります。

判決部分、「自重十屯以下の~」の漢数字部分、

一枚目は十が消されて五になっており、

二枚目はそのまま十とあり、

三枚目は十を消して八になっていました。

また三枚目では、

誘導路 「六〇〇〇x八 なし」
宿営 「兵舎(乗員養成所校舎)二棟(五〇〇名収容可)
夜間着陸設備 「なし(機材あるも設備未着手)

とそれぞれ修正されており、

其の他の項目では、風向の隣に新たに「所属 航空局」と追加されていました。

そして最後の四枚目は、斜線も追記もない無修正のものです。

(2枚目と4枚目は、2枚目の方はかすれてるけど同じもの)

それぞれの作成日が記されていればよかったんですが。。。

また、資料の中で、主滑走路1,170mx300m、副滑走路1,000mx300m とあります。


■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  筑後
位 置   福岡県八女郡岡山村
規 模   要図(北東-南西1500)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 三〇〇名分
 格納施設 (記載無し)
摘 要   施設官有

 

八角形の独特な形状ですが、十字型に滑走路が定まっており、

季節ごとの恒風に合わせた運用がなされていたようです。

D20_0199.jpg

赤マーカー地点。


      福岡県・筑後陸軍飛行場跡地      

筑後陸軍飛行場 データ

設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:福岡県八女郡岡山村(現・八女市‎龍ケ原‎)
座 標:N33°13′28″E130°31′55″
標 高:33m
主滑走路:1,170mx300m(18/36)
副滑走路:1,000mx300m(09/27)
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1944年04月 筑後地方航空機乗員養成所開所式

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

高良台離着陸場 [├空港]

   2011年5月訪問 2020/10更新  



福岡県‎久留米市にある高良台演習場。

ここに「高良台離着陸場」があります。

D20_0195.jpg

上の看板、ほとんど消えかかってますが、「場外着陸場につき」立ち入り禁止。

と書かれてます。

この奥に滑走路があるのですが、近づくことができませんでした。


      福岡県・高良台離着陸場      

高良台離着陸場 データ

設置管理者:防衛省
種 別:場外離着陸場
所在地:福岡県‎久留米市‎荒木町荒木‎
座 標:N33°16′08″E130°31′08″
標 高:36m
方 位:04/22
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
ブログ内関連記事       


コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

大刀洗北飛行場跡地 [├空港]

   2011年5月訪問 2020/11更新  


無題7.png
撮影年月日 1947/04/16(昭22)(USA M266 44) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

福岡県朝倉郡。

そのスジでは非常に有名な福岡県大刀洗飛行場の北北西約5kmにあった「大刀洗北飛行場(北飛行場)」。

現在滑走路は道路になっています。

防衛研究所収蔵資料:「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日

に要図があり、先頭のグーグルマップはこの要図から作図しました。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

判決
自重五屯以下の使用に適す 但し土質軟弱にして雨後の使用は不可能なり

飛行地区
滑走地区 東西一八〇〇x三〇〇 南北二〇〇〇x四〇〇
滑走路 一五〇〇x六〇 コンクリート10cm舗装
地表面の状況 表面雑草にして軟弱なり    
誘導路 (項目に斜線が引かれていて記載なし)
準備線 幅五米 破損箇所数所あり
周辺障碍物の有無 なし
土質 泥質

付属地区
宿営 兵舎一棟 就床可能人数約五十名
事務所 なし
炊事場 家屋のみにて炊事不可能
入浴場 なし
厠 家屋一棟 大便所三ヶ所(汲取式)小便所一ヶ所
動力線 なし
給水線 なし
電灯線 有り
井戸 三ヶ所 深さ約三米 飲料に適せず

充用部隊
建築当時充用部隊 飛行場設定隊
最後使用部隊 北飛行場監視隊

其の他
恒風 西北風 主滑走路に対して横風多し

同資料では、終盤の頁で当飛行場の「要図」と「飛行場記録」がコンパクトにまとめられて再登場しているのですが、

両者には細かな差異があります。

以下異なっている箇所を列挙します。

・判決:「自重五屯以下の使用に適す 但し土質軟弱にして雨後の使用は不可能なり」
   →「12頓以下の使用に適す 但し舗装路外土質軟弱にして雨後の使用は舗装路以外は不可能なり」
・地表面の状況:「表面雑草にして軟弱なり」→「表面雑草にして地耐力軟弱なり」
・宿営:「兵舎一棟 就床可能人数約五十名」→「
兵舎1棟 収容力なし」
・夜間着陸設備:項目なし→「なし」
・恒風:「西北風 主滑走路に対して横風多し」→「西北風 主滑走路に対し側風多し」

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  太刀洗北
位 置   福岡県朝倉郡夜須村
規 模   要図(かすれて判別できず)
舗 装   六〇×一五〇〇米
      基礎玉石地形
      表層コンクリート一〇糎
付属施設
 収容施設 五〇〇名分
 格納施設 掩体 大一〇ヶ所 小七〇ヶ所
摘 要   施設軍有

D20_0138.jpg

青マーカー地点。

この少し先から副滑走路兼誘導路が伸びていました。

現在は農業用道路になっています。

D20_0134.jpg

赤マーカー地点。

主滑走路東端。

私有地のためチョコットしか写せませんが、地割が丸く残ってました。

D20_0135.jpg

紫マーカー地点。

主滑走路がそのまま真っ直ぐな道路になっています。 

D20_0140.jpg

黒マーカー地点。

「安野交差点」に説明版が設置されていました。

上述の防衛研究所収蔵資料では滑走路1本分しか記載がないのですが、

この説明版によれば、メイン滑走路と並行する誘導路が副滑走路を兼ねていたとあります。

滑走路の長さについてですが、説明版にはメインの滑走路は1,8000mx50m とあります。

一方、上述の資料では 1,500mx60m とあり、

航空写真優先で作図して測ってみたところ、オイラには 1,470mx60m に見えます。

副滑走路兼誘導路は、説明版では1,600mとありますが、作図した直線部分は 1,080m しかないと思います。 


      福岡県・大刀洗北飛行場跡地      

大刀洗北飛行場 データ

設置管理者:旧陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:福岡県朝倉郡夜須村(現・朝倉郡‎筑前町‎安野‎)
座 標:N33°26′37″E130°35′42″
標 高:29m
滑走路:1,500mx60m (説明版によれば、主:1,800m×50m 副:1,600m×30m)
方 位:05/23
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1943年02月 用地買収
1944年03月 着工
1945年02月 完成

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
現地の説明版
防衛研究所収蔵資料:「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

大刀洗平和祈念館 [├場所]

   2011年5月訪問 2020/10更新  


福岡県‎筑前町にある「大刀洗平和祈念館(青マーカー)」。

先頭のグーグルマップは前記事からの使い回しですけど、

太刀洗駅前、そして飛行場のすぐ近くに作られたのですね。

以下お邪魔した際の写真をずらずらと。

D20_0178.jpg

D20_0144.jpg

館内にある零戦三二型。現存する三二型としては世界で唯一のものだそうです。

これだけ撮影可でした。

頭上にはB29の原寸大の形があり、大きさを比べることができるようになっていました。

D20_0155.jpg

D20_0169.jpg

D20_0172.jpg


      福岡県・大刀洗平和祈念館     
説明員の方の淀みない解説を聞くことができます。大空襲により壊滅してしまうのですが、大勢の子供たちにも犠牲が出たこと等扱っており、印象に残りました

大刀洗平和祈念館 データ
設置管理者:筑前町
用期間:12月29日~1月3日を除く毎日
運用時間:9:00~17:00
所在地:福岡県‎朝倉郡‎筑前町‎高田‎
入館料:大人500円

関連サイト:
公式サイト    
ブログ内関連記事       


コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

大刀洗南飛行場跡地 [├空港]

   2011年5月訪問 2022/1更新  


4.png
(昭和10年3月撮影)高度300米 方位NW 距離1,200米
5.png
1935年(昭和10年)11月調査資料添付地図
Translation No. 19, 20 December 1944, airways data; Kyushu Chiho. Report No. 3-d(15), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上2枚とも)

無題5.png
1947年11月(USA M664-1 102)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

福岡県‎朝倉市にあった「大刀洗南飛行場」(大刀洗飛行場)。

■防衛研究所収蔵資料:「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日

に当飛行場の要図があり、先頭のグーグルマップはこの要図から作図しました。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

判決
自重七屯以下の飛行機の使用に適す

飛行地区
滑走地区 一三〇〇x一五〇〇 
舗装路 なし
土質 砂貭壊土
地表面の状況 表面張芝にして地耐力稍可
周辺障碍物の有無 飛行場より北西一粁に□八二高地あり

付属地区
誘導路 二〇〇〇x十五
宿営 三角兵舎三棟 家屋一棟あるも収容力なし
夜間着陸設備 なし
動力線 なし
電灯線 なし
給水 (記載なし)

其の他
風向 北西(恒風)

同資料では、終盤の頁で当飛行場の「要図」と「飛行場記録」がコンパクトにまとめられて再登場しているのですが、

両者には1ヵ所だけ差異がありました。

・判決:「自重七屯以下の飛行機の使用に適す」→「自重12頓以下の飛行機の使用に適す」

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  太刀洗
位 置   福岡県三井郡太刀洗
規 模   要図(東西1,150 南北1550 北西-南東2000)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 六〇〇名分
 格納施設 掩体 大三〇ヶ所 小三〇ヶ所
摘 要   施設軍有

 

当飛行場は非常に有名なだけあり、様々なサイトで紹介されていて、内容もとても充実しています。

有名処の飛行場は詳しい記事を作る意欲がなくなる天邪鬼なオイラ。。。

ということで、この記事では極力他サイト様に載っている以外の内容を書きました。

また、当記事作成には大刀洗平和記念館の資料、説明員様から教えて貰ったり情報を使わせて頂いていますm(_ _)m

当飛行場は1919年完成で、陸軍の飛行場としては4番目に作られた非常に古いものです。
(1.埼玉県所沢 2.岐阜県各務原 3.滋賀県八日市)

大陸、南方方面に対する中継基地としての地理的条件から九州に建設が決定されました。
(当時のヒコーキの航続距離は約600kmだった)

また具体的な場所選定の条件として、
1.敵艦からの砲撃を避けるため、いずれの海岸からも40km以上離れていること
2.飛行に障害のある山がなく、十分な平野であること
3.風向きが一定で気候風土が飛行に適していること
4.用地取得が容易であること

が挙げられ、当地に飛行場が建設されることになりました。

2~4は飛行場用地としていつの時代も変わらずあてはまる条件だと思いますが、

1番目の条件は如何にも軍用飛行場ですね~。

パイロット養成校になったのですが、当初は「熊谷分校」として発足しました。

その後本校となり、関西以西と朝鮮の各地に18の分校を作りました。

説明員さんによりますと、「有名な知覧基地も当校の分校だったんだよ(エッヘン)」だそうです。

そして本校、分校合せて全国の陸軍飛行士の2/3を養成したのだそうです。

 

また当飛行場周辺には航空機工場、航空教育隊、技能者養成所、航空廠等諸施設が集まり、

東洋一と謳われた一大航空拠点となりました。

九州飛行機では一万人が働き、月産100機態勢だったのだそうです。

そして当然の如く末期には攻撃目標となり、計7度の空襲を受けます。

特に1945年3月27日には74機のB29が、そして3月31日には106機のB29による大空襲があり、

この2回の空襲で基地は事実上壊滅したのでした。

この時の空襲では周辺の民間人、幼い子供たちも多数犠牲になりました。

D20_0192.jpg

飛行場跡地中心部はこんな感じ。

説明員の方によりますと、滑走路のない原っぱの飛行場だったのだそうです。

アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、福岡縣朝倉中學校一原會滑空部が当飛行場を使用していたという記録が残されています。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m  


      福岡県・大刀南洗飛行場跡地      

大刀洗南飛行場 データ

設置管理者:旧陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:福岡県三井郡太刀洗(現・朝倉市‎中原‎)
座 標:N33°24′17″E130°37′10″
標 高:26m
着陸帯:1,300mx1,500m
「陸軍飛行場便覧」によれば細長い滑走路があるのでなく、「飛行場区画をいっぱいに使って2,000m」
という表現になっています。
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1919年 完成
1940年 この頃、福岡縣朝倉中學校一原會滑空部が当飛行場を使用 
1945年 3月 空襲により事実上壊滅。周辺民間人にも被害

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
大刀洗平和記念館
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」
「陸軍飛行場便覧」
防衛研究所収蔵資料:「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

今宿海軍飛行場跡地 [├空港]

   2011年5月訪問 2020/10更新  


無題e.png
撮影年月日1947/03/22(昭22)(USA M180 41) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

福岡県今津湾にある長垂海浜公園。

ここに「今宿海軍飛行場」がありました。

前記事の「福岡海軍航空隊」の東約2.5kmに位置します。

すごく近いですね。

もっとも、あちらが陸上飛行場だったのに対し、こちらは水上機基地です。 

ここは情報が非常に少なくて、「ここにあった」。ということ以外はほとんど不明です。

D20_0131.jpg

D20_0127.jpg


      福岡県・今宿海軍飛行場跡地      

今宿海軍飛行場 データ

設置管理者:旧海軍
種 別:水上飛行場
所在地:福岡県‎福岡市‎西区‎今宿駅前‎
座 標:33°34'50.8"N 130°16'49.9"E
(座標はグーグルアースから)

関連サイト:
ブログ内関連記事       


コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

福岡海軍航空隊跡地(推定位置) [├空港]

   2011年5月訪問 2020/10更新   


無題7.png
撮影年月日1947/03/22(昭22)(USA M180 41) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成・矢印の位置に碑があります)

福岡県福岡市、現在は田畑と密集した住宅地が広がる中に、「福岡海軍航空隊」が建設されました。

前記事の「元岡飛行場(グレーのシェイプ)」の南西1km足らずの所にあったと思われます。

「元岡飛行場」は1941年完成、「福岡海軍航空隊」は1944年の完成でした。

「福岡海軍航空隊」の滑走路部分は現在田畑になっているとのことだったのですが正確な位置は不明です。

「九州の戦争遺跡」の中で当飛行場についてこんな記事がありました。

「さらにこの元岡飛行場に隣接して、昭和十八(一九四三)年海軍の飛行場が建設されることが決定し、その敷地にある今出・石崎地区は田畑・家屋すべてを接収され、住民のみならず神社まで移転を余儀なくされた。そして昭和一九(一九四四)年には福岡海軍航空隊が発足した。こうして、元岡・周船寺・今宿地区は一大軍事基地となったが、終戦によりすべての飛行場や施設は廃棄された。戦後飛行場跡は県の所有となり、旧住民や引揚者などを対象に開拓募集を行ったが、旧住民の応募は少数で、大部分はそれ以外の新移住者であった。また『元岡村史』(元岡村)によると、もとの田畑に復帰する作業も困難を極め、県からの補助金も少なく、多額の資金を負担した農家も多かったと書かれている。一度破壊・廃棄された農地をもとに戻すことの困難さがよくわかる。現在この地域も、もとの農地や住宅地となり飛行場の痕跡もないが、唯一西区泉3丁目の住宅地にある泉公園の隅に「福岡海軍航空隊跡記念碑」が建っている。」

この中に飛行場敷地として出てくる「今出・石崎地区」とは、前記事の玄洋高校のすぐ西側、そして元岡中学校の辺りです。

確かに文字通り「元岡飛行場」の隣接地なのですが、

「福岡海軍航空隊記念碑(黒マーカー)」の建立してある場所とは、周船寺川で隔てられており、完全に別の場所です。

周船寺川を一部暗渠化した跡も見当たらず、どういうことなのか混乱してしまうのですが、

防衛研究所収蔵資料がこの混乱に更に拍車をかける内容になっています。

防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調

には、「福岡空開隊(S19.6.1)(昭19建)」とありました。 

また、防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」(昭和二十年八月調)
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:福岡 最寄駅ヨリノ方位距離:筑肥線周船寺駅N1 建設ノ年:1944 飛行場 長x幅 米:1300x800中1300x50コンクリート 主要機隊数:予科練習生小型2.0 主任務:教育作戦 隧道竝ニ地下施設:各種用6200㎡ 掩体:小型有蓋2 小型無蓋28 其ノ他記事:飛行場ハ旧学生連盟所有ノモノ

位置情報として、「周船寺駅N1」とあり、これは碑のすぐ近くを示しています。

また、飛行場敷地、滑走路の具体的な大きさが示されており、先頭のグーグルマップはこれに基づいて作図しました。

碑のある泉地区は地図を見ての通りで、東西を瑞梅寺川と周船寺川に挟まれ、

1300x800の広さが丁度収まりいい感じです。

ここまでは良かったんですが、最後の其ノ他記事の欄には、「飛行場ハ旧学生連盟所有ノモノ」とあります。

この学生連盟とは、前記事の「元岡飛行場」のことを指していると思います。

仮に当海軍飛行場が碑の場所で間違いないとすると、ここも「元岡飛行場」であるということか、

ここも飛行協会所有の敷地ということになってしまいます。

もしくは、「九州の戦争遺跡」にある通り、

「元岡飛行場」のすぐ西、南側に当たる「今出・石崎地区」に本当に当福岡海軍飛行場敷地があったということなのでしょうか。

碑が海軍飛行場敷地の西端に位置しているとすると、そういうこともあり得るかもしれません。

当時の航空写真で見ると、1,300mx50mのコンクリートを剥がしたかもしれない(ようにも見える)

的な地割が周船寺川すぐ東側にあるんですよね~。

もう一つの可能性として、「九州の戦争遺跡」では「元岡飛行場」について、

「元々は学生のための飛行場だったが、後に陸海軍の養成所と化した」とありました。

もしかしたら「元岡飛行場」も後に当福岡海軍航空隊の管理下に置かれたのかもしれません。

 

現在のところオイラが分かるのはここまでで、両飛行場の位置情報も明確な資料からではなく、

すべてオイラの想像でしかありません。

そんな訳で、上のグーグルマップは「こんな感じかなあ」という程度のものですのでご了承くださいませ。

実は現地にお邪魔した際、たまたまお会いした年配の方から、

「玄洋高の辺りの土を田尻に運んで田んぼを埋めて飛行場を作った」と教えて頂きました。

その時は、資料から場所特定にこんなに悩むことになろうとは夢にも思っていませんでした。

この方に飛行場の場所についてもっと詳しくお聞きしておけば良かったです。

D20_0164.jpg

泉公園にある碑。(ストリートビューにも映ってます) 

通りに面した公園の角に碑があります。裏側には碑文が。

(全文) 福岡海軍航空隊は昭和十九年六月一日海軍甲種飛行予科練習生の教育隊として開隊され終戦と同時に閉隊された
この青春の思い出の地に元教官教員練習生及び関係者の諸氏のはからいによりこの碑を建立する


      福岡県・福岡海軍航空隊跡地      

福岡海軍航空隊飛行場 データ
設置管理者:旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:福岡県福岡市西区泉3-8(碑のある場所)
座 標:N33°34′49″E130°14′55″
敷 地:1,300mx800m
滑走路:1,300mx50m(コンクリート)
(座標はグーグルアースから)

沿革
1943年    建設決定
1944年    建設。6月1日、福岡空開隊
1945年08月 閉隊

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
九州の戦争遺跡


コメント(11)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー