福岡海軍航空隊跡地(推定位置) [├空港]
2011年5月訪問 2020/10更新
撮影年月日1947/03/22(昭22)(USA M180 41)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成・矢印の位置に碑があります)
福岡県福岡市、現在は田畑と密集した住宅地が広がる中に、「福岡海軍航空隊」が建設されました。
前記事の「元岡飛行場(グレーのシェイプ)」の南西1km足らずの所にあったと思われます。
「元岡飛行場」は1941年完成、「福岡海軍航空隊」は1944年の完成でした。
「福岡海軍航空隊」の滑走路部分は現在田畑になっているとのことだったのですが正確な位置は不明です。
「九州の戦争遺跡」の中で当飛行場についてこんな記事がありました。
「さらにこの元岡飛行場に隣接して、昭和十八(一九四三)年海軍の飛行場が建設されることが決定し、その敷地にある今出・石崎地区は田畑・家屋すべてを接収され、住民のみならず神社まで移転を余儀なくされた。そして昭和一九(一九四四)年には福岡海軍航空隊が発足した。こうして、元岡・周船寺・今宿地区は一大軍事基地となったが、終戦によりすべての飛行場や施設は廃棄された。戦後飛行場跡は県の所有となり、旧住民や引揚者などを対象に開拓募集を行ったが、旧住民の応募は少数で、大部分はそれ以外の新移住者であった。また『元岡村史』(元岡村)によると、もとの田畑に復帰する作業も困難を極め、県からの補助金も少なく、多額の資金を負担した農家も多かったと書かれている。一度破壊・廃棄された農地をもとに戻すことの困難さがよくわかる。現在この地域も、もとの農地や住宅地となり飛行場の痕跡もないが、唯一西区泉3丁目の住宅地にある泉公園の隅に「福岡海軍航空隊跡記念碑」が建っている。」
この中に飛行場敷地として出てくる「今出・石崎地区」とは、前記事の玄洋高校のすぐ西側、そして元岡中学校の辺りです。
確かに文字通り「元岡飛行場」の隣接地なのですが、
「福岡海軍航空隊跡記念碑(黒マーカー)」の建立してある場所とは、周船寺川で隔てられており、完全に別の場所です。
周船寺川を一部暗渠化した跡も見当たらず、どういうことなのか混乱してしまうのですが、
防衛研究所収蔵資料がこの混乱に更に拍車をかける内容になっています。
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
には、「福岡空開隊(S19.6.1)(昭19建)」とありました。
また、防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」(昭和二十年八月調)
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:福岡 最寄駅ヨリノ方位距離:筑肥線周船寺駅N1 建設ノ年:1944 飛行場
長x幅
米:1300x800中1300x50コンクリート 主要機隊数:予科練習生小型2.0 主任務:教育作戦 隧道竝ニ地下施設:各種用6200㎡ 掩体:小型有蓋2
小型無蓋28 其ノ他記事:飛行場ハ旧学生連盟所有ノモノ
位置情報として、「周船寺駅N1」とあり、これは碑のすぐ近くを示しています。
また、飛行場敷地、滑走路の具体的な大きさが示されており、先頭のグーグルマップはこれに基づいて作図しました。
碑のある泉地区は地図を見ての通りで、東西を瑞梅寺川と周船寺川に挟まれ、
1300x800の広さが丁度収まりいい感じです。
ここまでは良かったんですが、最後の其ノ他記事の欄には、「飛行場ハ旧学生連盟所有ノモノ」とあります。
この学生連盟とは、前記事の「元岡飛行場」のことを指していると思います。
仮に当海軍飛行場が碑の場所で間違いないとすると、ここも「元岡飛行場」であるということか、
ここも飛行協会所有の敷地ということになってしまいます。
もしくは、「九州の戦争遺跡」にある通り、
「元岡飛行場」のすぐ西、南側に当たる「今出・石崎地区」に本当に当福岡海軍飛行場敷地があったということなのでしょうか。
碑が海軍飛行場敷地の西端に位置しているとすると、そういうこともあり得るかもしれません。
当時の航空写真で見ると、1,300mx50mのコンクリートを剥がしたかもしれない(ようにも見える)
的な地割が周船寺川すぐ東側にあるんですよね~。
もう一つの可能性として、「九州の戦争遺跡」では「元岡飛行場」について、
「元々は学生のための飛行場だったが、後に陸海軍の養成所と化した」とありました。
もしかしたら「元岡飛行場」も後に当福岡海軍航空隊の管理下に置かれたのかもしれません。
現在のところオイラが分かるのはここまでで、両飛行場の位置情報も明確な資料からではなく、
すべてオイラの想像でしかありません。
そんな訳で、上のグーグルマップは「こんな感じかなあ」という程度のものですのでご了承くださいませ。
実は現地にお邪魔した際、たまたまお会いした年配の方から、
「玄洋高の辺りの土を田尻に運んで田んぼを埋めて飛行場を作った」と教えて頂きました。
その時は、資料から場所特定にこんなに悩むことになろうとは夢にも思っていませんでした。
この方に飛行場の場所についてもっと詳しくお聞きしておけば良かったです。
泉公園にある碑。(ストリートビューにも映ってます)
通りに面した公園の角に碑があります。裏側には碑文が。
(全文) 福岡海軍航空隊は昭和十九年六月一日海軍甲種飛行予科練習生の教育隊として開隊され終戦と同時に閉隊された
この青春の思い出の地に元教官教員練習生及び関係者の諸氏のはからいによりこの碑を建立する
福岡県・福岡海軍航空隊跡地
福岡海軍航空隊飛行場 データ
設置管理者:旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:福岡県福岡市西区泉3-8(碑のある場所)
座 標:N33°34′49″E130°14′55″
敷 地:1,300mx800m
滑走路:1,300mx50m(コンクリート)
(座標はグーグルアースから)
沿革
1943年 建設決定
1944年 建設。6月1日、福岡空開隊
1945年08月 閉隊
関連サイト:
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
九州の戦争遺跡