第二国分基地(十三塚原海軍航空隊)跡地 [├空港]
2011年6月訪問 2020/11更新
撮影年月日1946/04/19(昭21)(USA M57 261)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
鹿児島空港東側に、ここだけやけに真っ直ぐの道路が整備されている地区があります。
かつてここに第二国分基地(十三塚原海軍航空隊)がありました。
当基地は特攻機の発進基地として建設されました。
滑走路から鹿児島空港の反対側まで誘導路がうねうねと幾重にも伸びています。
鴨池から移転してきた鹿児島空港は、第二国分基地の跡地に作られたのですね。
■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地位置図」の中に、1/50000 の青図があり、
先頭のグーグルマップはこの要図と、上に貼った航空写真から作図しました。
■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
基地名:第二国分 建設ノ年:1944 飛行場 長x幅 米:1,500x50コンクリート 主要機隊数:中型3.0 主任務:作戦 隧道竝ニ地下施設:居住1,500名、指揮所、電信所、爆弾庫、倉庫、工業場、魚雷同時調整8本、同格納庫72本 掩体:小型有蓋5 小型無蓋46
赤マーカー地点。
真っ直ぐ。
紫マーカー地点。
第二国分基地跡地から鹿児島空港をはさんで反対側になるのですが、国道504から少し上ったところに
「上床公園」があり、一角に第二国分基地の碑等が整備されています。
画面右側の銀色の物体は防府基地のT-34です。
説明(全文) 展示してあるコンクリート破片は第二国分基地滑走路の一部です 昭和十八年から二十年二月まで第二国分基地(旧十三塚原海軍航空隊)では特攻機の発進基地として軍民一体となって急造の滑走路を造ることとなり県下各地から勤労動員の男女学生、生徒などの血と汗と涙の突貫工事によって特攻機発進の飛行場を完成させたのです 水の乏しい高台でのこと コンクリートを練るのに迫間の川の水を一升びんに汲み各自四五本づつ背負い三粁もある坂道を運んだと当時を知る人は語っています そして五十年の歳月は流れ もの言わぬコンクリートは「平和の尊さ」をいま私たちに語りかけています 平成九年四月 溝辺町特攻碑保存委員会
零戦のプロペラ。戦後二十数年を経て海底から引き揚げられたものだそうです。
鹿児島県・第二国分基地(十三塚原海軍航空隊)跡地
第二国分基地(十三塚原海軍航空隊) データ設置管理者:海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:鹿児島県霧島市隼人町嘉例川
座 標:N31°47′52″E130°43′39″
標 高:266m
滑走路:1,500m×50m
方 位:13/31
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
沿革
1943年 着工
1945年02月 完成
08月 終戦。戦後は民間に払い下げられて農地に
関連サイト:
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
現地の碑文
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地位置図」
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」