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海上自衛隊鹿屋航空基地 [├空港]

   2011年6月訪問 2024/1更新  


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撮影年月日1947/01/25(昭22)(USA M11 80) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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SkyVector.com

鹿児島県‎鹿屋市にある「海上自衛隊鹿屋航空基地」。

戦時中は「鹿屋海軍航空隊」で、神風特攻隊最終出撃基地として、

また現在では資料館、二式大艇が展示してある場所として有名な基地です。

先頭のグーグルマップは、上に貼った航空写真から作図しました。

当時は二本の滑走路が少し角度を変えてあったのですね。

北側滑走路の西側エンド位置はほぼ同じですが、現在は平行滑走路に変更されており、

南側の滑走路はそのまま使用していますが、東側に延長していることがわかります。

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:鹿屋 建設ノ年:1940 飛行場 長x幅 米:1,760(x50) 1,700(x50) 500(x30)コンクリート 主要機隊数:小型2,0 中型2,0 主任務:作戦 隧道竝ニ地下施設:居住3,500平米、指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、倉庫、工業場、魚雷同時調整12本、同格納庫200本 掩体:小型有蓋10 中小型無蓋200 其ノ他記事:雷同時調整33本 同格納庫168本


■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調

には、「鹿屋空開隊(S11.4.1)(昭15建)」とありました。 


■「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」によりますと、

『鹿児島県史』によると「古く大正10年に建設された鹿屋市笠野原海軍飛行場と、
昭和11年に建設された同鹿屋海軍飛行場は、ともに日華事変中から海軍航空隊の基地として利用され」とある。

とのことです。

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フェンス越しなので影が入ってしまいました。。。^^;


      鹿児島県・海上自衛隊鹿屋航空基地     
特攻作戦では445機、828名の若者が出撃しました

・海軍鹿屋航空基地 データ
設置管理者:海軍
種 別:陸上飛行場
滑走路:1,760mx50m、1,700mx50m(コンクリート) 
方 位:07/25、08/26
(方位はグーグルアースから)

・海上自衛隊鹿屋航空基地 データ
設置管理者:防衛庁
4レター:RJFY
所在地:鹿児島県‎鹿屋市‎西原‎
座 標:N31°22′03″E130°50′43″
標 高:65m
滑走路:
2,250m×45m(08R/26L)
着陸帯:1,200m×40m(08L/26R)

沿革
1936年04月 1日、鹿屋海軍航空隊開隊
1940年    建設 
1945年02月  第5航空艦隊司令部設置 特攻作戦開始
    08月 太平洋戦争終戦 米第5空軍進駐
1948年11月 米第5空軍撤退
1950年12月 警察予備隊鹿屋駐屯
1952年10月 保安隊 第12連隊鹿屋駐屯部隊 新編
1953年12月 警備隊鹿屋航空隊開隊
1954年07月 海上自衛隊 鹿屋航空基地 開隊
2024年01月 2025年度以降、 格納庫、隊舎、史料館で大規模な建て替え・改修実施。工期は最長で6年程度

関連サイト:
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この記事の資料:
「日本海軍航空史」(終戦時)
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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