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出水海軍航空基地跡地 [├空港]

   2011年6月訪問 2020/11更新  


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撮影年月日1948/02/22(昭23)(USA M798-A 35) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

鹿児島県出水(いずみ)市にあった「出水海軍航空基地」。

先頭のグーグルマップは上に貼った航空写真から作図しました。

四角の飛行場敷地の東側に飛び出した諸施設地区がどの範囲まで及ぶのか不明の為、

線を拾い間違えていると思います。

南西角にも、いかにも関連施設のようなものがあるのですが、これも適当な資料が見つからず、

主観で線を引いています。

おおよそこんな感じということでご了承くださいませ。

青マーカー地点に「特攻碑公園」が整備されており、碑、プロペラ等が展示してあります。

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)に情報がありました。

いか引用させて頂きます。

基地名:出水 
建設ノ年:1940 
飛行場 長x幅 米:1500x50コンクリート 
主要機隊数:小型9.0 中型 
主任務:教育作戦 隧道竝ニ地下施設:居住、指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、倉庫、工業場 魚雷同時調整8本、同格納庫56本 掩体:小型有蓋3 中型無蓋12


■防衛研究所収蔵資料「5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調」

には、「出水空開隊(S18.4.1)(昭15建)」「二出水開隊(S19.8.15)(昭19建)」とありました。 

■「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」には、

昭和16年4月~20年2月12日まで、陸上機、操縦訓練。甲、乙 予科練出身者及び飛行専修予備学生の教育
1520x43(主) 800x50(補)  900x50(補) 何れも転圧

とありました。

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「大戦中近海に沈んだ彼我の飛行機は数多いが戦後出水地先の海中において漁網にかかった友軍機のプロペラの一つである。」

と説明板が埋め込まれていました。

出水海軍航空隊の歴史(全文) 出水における飛行場築造は昭和十三年ごろから行われ、昭和十五年から飛行機の発着が始まりました。昭和十六年四月一日には佐世保海軍航空隊出水分遣隊が置かれ、昭和十八年四月一日に出水海軍航空隊として開隊されました。当初は訓練航空隊でしたが、昭和十九年から実戦部隊の基地となり、二百六十名を超える多くの特攻隊員が南方の空に散ることとなりました。また、この基地を含めて周辺も、アメリカ軍による激しい空襲を受けて、航空隊員や民間人に多くの死傷者が出ました。この公園は昭和四十三年に一部開設され、若き英霊を弔うために昭和三十五年に建立された特攻碑が、基地跡とともに昭和五十四年に特攻碑保存会(当時)から市に寄贈されて、現在の姿となっています。

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赤マーカー地点。

周辺の道路の向きとは異なる滑走路の名残道路。


      鹿児島県・出水海軍航空基地跡地      

出水海軍航空基地 データ

設置管理者:海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:鹿児島県‎出水市‎平和町‎
座 標:N32°05′18″E130°19′22″
標 高:22m
滑走路:1,500mx50m(コンクリート)
方 位:16/34
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1938年    この頃着工
1940年    建設。飛行機の発着始まる
1941年04月 佐世保海軍航空隊出水分遣隊設置
1943年04月 出水海軍航空隊開隊
1944年    実戦部隊の基地となり、特攻出撃
       第二出水航空隊建設。8月15日、開隊

関連サイト:
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この記事の資料:
現地の説明版
「日本海軍航空史」(終戦時)
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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