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佐伯航空基地跡地 [├空港]

   2011年6月訪問 2020/11更新  

 
無題5.png
撮影年月日1947/03/04(USA M100 73) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

大分県佐伯市にあった「佐伯航空基地」。

現在は興人佐伯工場等になっています。

■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-90 航空基地図(本土関係)の中に、

右上に大きく「佐伯航空隊略図 縮尺約壱萬分之壱」と書かれた大判の青図があり、

「飛行場約960,000㎡」「格納庫又居住施設ハ全テ大中破」と記されていました。

また同資料には「戦時中の施設配置図」もあり、「滑走路幅50m 長さ850m」とありました。

先頭のグーグルマップは、この青図、位置図、それから上に貼った航空写真を比較しながら作図しました。

また、位置図にあった「水上隊」、「航空隊」等の名称を上の航空写真に反映させました。

同資料の資料表には、

佐伯航空基地(隊)施設調査資料
水陸別 水上(中小) 陸上(小)
所在地 大分県佐伯郡佐伯町
最寄駅 日豊本線佐伯駅
飛行場 滑走路六〇x八〇〇米 (台)五〇x一〇〇、五〇x一七〇 
主要機種 小中型機、練習機
主要任務 訓練基地
収容力 人員 終戦時 一,五〇〇平米
収容力 飛行機 終戦時 掩体 小(五)四二 小(一七〇
其の他の主要施設 送信所、舟溜、桟橋、射撃場、隧道
 

とありました。

また、「戦時中の施設配置図」には二本ある滑走路について、

南北方向の長い滑走路はどちらの方向にも離着陸可能なんですが、

斜めの短い滑走路の方は、離陸方向が南東側からの一方向のみと記されています。


■Translation No. 65, 12 May 1945, digest of Japanese air bases.(下記リンク参照)

の中に2つの滑走台位置について出ていました。

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:佐伯(水上陸上両基地) 
建設ノ年:1939 
飛行場 長x幅 米:800x60 台100x50 170x50コンクリート 
主要機隊数:陸小1.5 水小2.5 
主任務:作戦 
隧道竝ニ地下施設:居住(1500㎡)指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、工業場、倉庫、魚雷調整場 魚雷格納庫 掩体:小型有蓋5 小型隠蔽170 小型無蓋42 其ノ他記事:雷同時調整6本 同格納庫24本

■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調

には、「佐伯空開隊(S10.8.15)(昭14建)」とありました。 

D20_0329.jpg

赤マーカー地点。

「佐伯ヘリポート」。

D20_0374.jpg

紫マーカー地点。

「佐伯市平和記念館」。

公園が整備されていて、

D20_0351.jpg

引き揚げられた戦時中のヒコーキの残骸が数点展示されていました。

D20_0332.jpg

「聯合艦隊機動部隊 真珠湾攻撃発進之地」碑

碑文(全文) 日米関係が緊迫し、時の大勢に抗し難く、意を決した聯合艦隊司令長官山本五十六大将は、有事の作戦を想定して各地て激しい訓練を重ね、佐伯湾に集結した聯合艦隊の旗艦「長門」から聯合艦隊機密作戦命令を発令した。昭和十六年十一月五日命令第一号「対米英蘭戦争ニ於ケル聯合艦隊ノ作戦ハ別冊ニ依リ之ヲ実施ス」。同十一月七日命令第二号「第一開戦準備ヲナセ。Y日ヲ十二月八日ト予定ス」 発令に並ひ、十一月四日から六日にかけて、山本長官査閲のもとに、佐伯湾在泊中の聯合艦隊主力と佐伯航空隊を真珠湾の敵戦力と仮定し、飛行機隊による最終の攻撃訓練が行われた。十一月十七日の午後には、湾内の機動部隊旗艦 空母「赤城」艦上において壮行会が開かれ、山本長官の切々たる訓辞を受け、翌十八日、山本長官らに見送られて、南雲忠一中将の率いる機動部隊が、真珠湾攻撃の秘策を胸に、三三五五、択捉島単冠湾に向けて発進したのが、ここ佐伯湾である。一縷の望みを託した日米最後の交渉も空しく、昭和十六年十二月八日未明、機動部隊は真珠湾を急襲し、遂に悲劇的な太平洋戦争に突入した。戦後はや五十数年の月日は流れ、明治の末から昭和にかけて度々聯合艦隊が演習のため入港し、また太平洋戦争の起点となった佐伯湾は、過去の戦争も知らぬげに波静かである。かつて国の存亡を賭けた闘いに、死を覚悟して出撃した雄々しくも哀しい海のつわもの達が 波枕に夢を結んだ風光明媚な佐伯の海よ永遠に平和なれと願い、戦没者の御霊安らかならんことを祈るものである。平成九年十一月十八日 建之 歴進会

ここから真珠湾攻撃の機動部隊が発進したのですね。

まったく知りませんでした。

この碑のすぐ近くに日米友好記念植樹の碑等も設置されています。


      大分県・佐伯航空基地跡地     
掩体壕が現存するらしいのですが、工場敷地内で立ち入りできませんでした(2015/4/18追記:掩体豪見て来ました)

佐伯航空基地 データ
設置管理者:海軍
種 別:水陸両用飛行場
所在地:大分県佐伯郡佐伯町(現・佐伯市‎東浜‎)
座 標:N32°58′05″E131°55′11″
標 高:10m
面 積:96ha(陸上飛行場地区)
滑走路:850mx50m(02/20)、450mx40m(14/32)
滑走台100mx50m、170mx50m(コンクリート) 
(座標、標高、方位はグーグルアースから。他は防衛研究所各収蔵資料から)

沿革
1934年12月 開隊。艦隊の出入港に合わせて豊後水道の航路警戒を行う
1935年08月 15日、佐伯空開隊
1939年    建設
1945年03月 空襲が始まる
       戦後、滑走路が造成された女島地区は民間に開放された

関連サイト:
Translation No. 65, 12 May 1945, digest of Japanese air bases.(20コマ) 
ブログ内関連記事     

この記事の資料:
現地の碑文
「日本海軍航空史」(終戦時)
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-90 航空基地図(本土関係)
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調


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