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旧青森空港跡地 [├空港]

   2011年9月、2023年6月訪問 2023/6更新  


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撮影年月日1982/06/07(昭57)(TO825X C18A 35) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

青森県青森市にある「青森空港」。

先頭のグーグルマップは、上に貼った1982年撮影の航空写真から作図しました。

図をご覧の通りで、青森空港は元々現在の青森空港の北東側で開港しました。

1964年、1,200m滑走路で開港した旧青森空港は、その後 1,400mに延長したのですが、

ジェット旅客機の運用が困難であることや、

夏季には濃霧、また冬季は雪国特有の気象条件に山岳性の気候も加わり就航率が低下する等問題を抱えていました。

このため、最新の航空保安施設を備えた大型ジェット機が就航可能な新空港が計画され、

1987年に現行の青森空港が供用開始しました。

新/旧の滑走路、誘導路が完全に重なっていますが、先ずは旧滑走路と重ならない2,000m滑走路で開港し、

その後旧滑走路を潰す形で滑走路を北側に延長して現在の姿になっています。

空港として運用を続けながらの工事は相当気を遣ったはずです。

この辺の経緯は奥尻空港と似てますね。

旧滑走路周辺の一部は現在「Nエプロン」として使用しており(旧滑走路西側部分)、

この地割が旧空港当時の名残と言えるかもしれません。

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赤マーカー地点(2023年6月撮影)。

旧空港滑走路方向。


      青森県・旧青森空港跡地      

旧青森空港 データ

設置管理者:青森県
3レター:AOJ
4レター:RJSA
空港種別:第三種
所在地:青森県‎青森市‎大谷‎山ノ内‎
座 標:N40°44′30″E140°42′01″
滑走路:1,400m×45m
磁方位:10/28
(座標はグーグルアースから)

沿革
1962年 設置許可
1964年 供用開始(滑走路:1,200m×30m)。YS用エプロン2バース
1971年 滑走路延長(1,350m)
1972年 滑走路拡幅(45m)
1973年 滑走路延長(1,400m)
1974年 空港ターミナルビル増築
1978年 空港ターミナルビル増築
1979年 新空港建設地決定
1982年 新空港起工式
1987年 新空港へ移転、空港廃止

関連サイト:
ブログ内関連記事(旅行記/旧奥尻空港跡地)


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今年もお世話になりました。 [■ブログ]

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コンビニスイーツ撮ってみた。

 

1月からいろいろと忙しくなるため、年明けから少しの間 コメント、nice! 蘭を閉じさせていただきます。

ということで少し早いのですが、ご挨拶をさせていただこうと思いました。

今年もお付き合いいただきまして、どうもありがとうございました m(_ _)m

 

年の終わりということで、空港探索の進捗状況をまとめてみました。

未アップの分も含めて、これまでにお邪魔した飛行場/跡地は451ヵ所。

今後見学予定の箇所が154ヵ所。

なので、全国にはオイラでも行ける飛行場/跡地が(現時点で判明している範囲内で)全部で605ヵ所ある。

ということになります。

 

去年判明していたのは全部で596ヵ所だったので、少し増えましたね。

長年ナゾだった飛行場の場所が判明することもありますし、

ネットで検索していて偶然未知の飛行場が見つかることもあり、

更には、現地にお邪魔して、地元の図書館で資料を探していたら、新たな飛行場を発見することもあります。

例えばこんなことがありました。

東北の某県の「○○滑空場」跡地のことなのですが、地元図書館で調べたら、

その滑空場は「第二滑空場」とも呼ばれていることが明らかになりました。

「第二」があるということは、当然「第一」もあるということで、ネットで調べてみたら案の定「第一」もあって、

その滑空場OBの方の優良サイトを発見しました。

どう検索しても出てこない飛行場情報が、その飛行場の別名を知ったことにより、

一気に解明が進むことが時々あります。

ほんの一例に過ぎませんが、こんな感じでポロポロ見つかります。

やっと遥か先にゴールが見えてきたと思ったら、そのゴールがちょっとずつ遠ざかって行く様な感じです ^^;

「アキレスと亀」みたいな。   =(ノ><)ノマテ‐!             ((((((・∀・)

それでも以前のように数十個単位で新たな飛行場を発見。ということはなくなりました。

あと二年間で完了の予定です。

ということで、来年も相変わらずマイナーな飛行場が記事の中心になると思いますが、

どうぞ宜しくお願い致します m(_ _)m

とり。


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旧みちのく北方漁船博物館 [├場所]

   2011年9月訪問 2020/11更新  


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撮影年月日2011/10/21(平23)(CTO201111 C6 30) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

青森駅の北西約1kmにある「あおもり北のまほろば歴史館」。

以前は「みちのく北方漁船博物館」という施設で、

屋外にワイエスが展示されていて、道路から普通に見ることができました。

残念ながら「みちのく北方漁船博物館」は2014年3月18日に閉館し、

展示していたYS-11は解体処分になってしまったようです。

以下、在りし日のワイエスの姿を。

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フェンスでぐるっと囲われており、機体をさすさすすることはできないのですが、

特別公開日が設けてあり、限定公開になっていました。


      青森県・旧みちのく北方漁船博物館      

みちのく北方漁船博物館 データ【閉館】

開館時間:3/25~11/30
運用時間:9:00~16:30
料 金:大人350円
所在地:青森県青森市沖館二丁目2-1
座 標:N40°50′15″E140°43′28″
(座標はグーグルアースから)

関連サイト:
ブログ内関連記事       


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青森(油川)飛行場跡地 [├空港]

   2011年9月、2016年7月訪問 2022/6更新  


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(昭和18年10月16日撮影)高度400米 方位S
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(昭和18年10月16日撮影)高度400米 方位SW
1945年(昭和20年)5月調査資料添付地図 Translation No. 63, 8 May 1945, photographs of airfields of Karafuto-Hokkaido and Aomori. Report No. 3-d(52), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上2枚とも)

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撮影年月日1948/05/15(昭23)(USA M1011 51)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。赤矢印は飛行場道路の踏切)

青森県青森市、青森駅からほんの数キロ、陸奥湾に面した所に、「青森(油川)飛行場」がありました。

昭和初期に東北地方を襲った大凶作に対し、政府による農民救済土木事業の一環として建設された飛行場です。

東京(羽田)-札幌間の民間定期航空路の中継地としての役割を見込み、昭和8年開場しましたが、

定期便の就航はなかなか実現せず、代わりに開場当初から軍用機等の飛来がありました。

地元念願の民間定期便運航がようやく始まったのは、開場から4年後の昭和12年のことで、

当時国鉄で最速13時間だった東京-青森間を僅か4時間で結んだのだそうです。

■朝鮮交通史1037p 

日本航空輸送株式会社の東京-仙台-青森-札幌 定期便が設けられました。

資料:定期航空路線図 自昭和13年10月1日至昭和14年3月31日 によれば、毎日運航でした。

9:30東京発 11:00仙台着/11:20仙台発 1:00青森着/1:10青森発 2:40札幌着
9:00札幌発 10:30青森着/10:40青森発 0:20仙台着/0:30仙台発 2:10東京着

■国立公文書館デジタルアーカイブ 昭和十四年一月 航空要覧 逓信省航空局編輯 帝國飛行協会発行
の中で、「本邦定期航空現況(昭和十三年十二月現在)」として以下記されていました(6コマ) 

経営者 大日本航空株式会社
航空線路 東京-札幌
区間 東京-仙台間 毎日一往復
   仙台-青森間 毎日一往復
   青森-札幌間 毎日一往復
線路開設年月 昭和十ニ年四月

■国立公文書館デジタルアーカイブ 昭和十四年一月 航空要覧 逓信省航空局編輯 帝國飛行協会発行

の中で、「本邦飛行場一覧(昭和十三年十月現在)」として以下記されていました(8コマ) 

名 称  青森飛行場
経営者  國
所在地  青森縣東津軽郡油川村
水陸の別 陸
滑走区域 東西七八〇米 南北七〇〇米
備 考  (記載無し)

■「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)

の中で、青森縣立商業學校滑空部が当飛行場を使用していたという記録が残されています。

アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m   

■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

に、青森飛行場 1/10,000図があり、先頭のグーグルマップの小さくて濃い黄色はこの図から作図しました。

この図には、飛行場敷地各辺の長さが記されていて、青マーカーから時計回りに、550m,463m, 300m、

青マーカーから反時計回りに、760m,410mとありました。

この通りに作図したところ、上に貼った1948年の航空写真の地割にピッタリ当てはまりました。

但し、青マーカーから南に延びる760mの辺だけ、この数字通りだとどうしても辻褄が合いません。

航空写真からレイヤを作って確認したのですが、この辺は760mではなく690mだと辻褄が合います。

同資料によれば、飛行場面積については「積量 約四十九万八千二百平方米」とあり(後述)、

一方、690mで作図するとグーグルマップには「0.525平方キロメートル」と表示されます。

資料の図にある通り760mだとこの差が更に開いていくことになりますので、

760mではなく、航空写真から導き出した690mだったのではないかと。

以下、同資料にあった情報を引用させて頂きます。

所在地
 青森縣青森市大字羽白
積量
 約四十九万八千二百平方米
地表の状況
 赤砂 1/100 乃至1/460の傾斜あり、芝生密生す
周囲の状況
 飛行場北方八百米付近に高さ四十米の無線鉄塔
 あり、同西北方約千米付近に高さ六十米(木柱)の「ラ
 ヂオ」ビーコン及四十米の無線鉄塔あり
 南方五百米乃至千米に標高三十乃至四十米の山岳あり
天候気象交感
 恒風概ね西
付属設備
 航空局、電信局事務室各一 航空会社事務室一、
 格納庫一 気象観測所事務室一、
交通連絡の状況
 
青森駅前より油川行市営バスにて約二十分にして飛
 行場道路に至る
、 青森県庁前より津軽急行バ
 スにて約二十分にして飛行場に至る
宿泊地
 青森市駅前通(新町)青森市濱町
 浅蟲温泉
其の他
 (記載無し)

付属設備の項目を見てもこの時点では未だ陸軍関連は出ていませんが、その後陸軍に接収されて拡張しました。

先頭のグーグルマップの薄黄色は陸軍飛行場当時の地割を示したものです。

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

に陸軍飛行場となった飛行場情報がありました。

飛行場名  油川
位 置   青森県青森市油川町
規 模   1100? 1900
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 五〇〇名分
 格納施設 無蓋掩体 四ヶ所
摘 要   施設官有


■新千歳市史通史編下巻 には、終戦直後の青森飛行場について記されていました。

372p
 この間、日本機は飛行制限を受けた。「日本の飛行機は8月24日18時以
降の飛行を禁止する。飛行するものは撃墜する」というものであった。飛
行禁止命令は空襲で陸上交通と通信がマヒしていた日本の終戦事務処理の
連絡手段がなくなるに等しかった。
 日本政府は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に対して主要都市間
の連絡飛行を懇請、9月12日付SCAPIN23で東京を中心とした急行便
1、普通便3の4路線が認められた。
 9月14日から日本人の自主運行によって1日4便の終戦連絡定期(緑十
字飛行-グリーンクロスフライト)が運航された。北海道方面は普通便の
第3航空路として東京-仙台矢本(現・空自松島)-青森油川-札幌間が、
月・火・木の週3便運航された。東京羽田飛行場が米陸軍に接収されてい
たため千葉県の陸軍松戸飛行場を代替として使い、札幌は北24条の札幌第
二飛行場を使った。緑十字飛行は10月9日をもってGHQから運航が禁止
された。その理由は陸上交通が次第に回復、整備されつつあり航空機を使
用する必要がなくなったということであったが、実情は惨憺たるもので
あった。
 緑十字飛行の運航禁止によって終戦連絡事務の人員およひ郵便物と貨物
の移動が停滞した。これを受け10月10日からは代替として米軍による帝国
航空便(インペリアルクーリエ)が運航された(S21・2・6廃止)。週
4便が運航され東京立川飛行場から第一千歳(14日初便のみ北24条・札幌
第二)に飛来した。仙台矢本と青森油川に寄航して所要時間は6時間だった。

s.ossanさんからコメント頂きました。

日本飛行機の社員であったお父様が終戦時に油川飛行場の場長をされていたこと、

書類を全て焼却して何も残っていないこと等、教えて頂きました。

前述の通り、油川飛行場は陸軍に接収され、陸軍飛行場になった訳ですが、

逓信省管轄の民間飛行場として発足したといういきさつがありますから、

こういうこともあり得たのかもしれません。

もしかしたら終戦直後の緑十字飛行、帝国航空便飛来の際、場長としてご活躍されたのではないでしょうか。

DSC_0026.jpg

DSC_0027.jpg

紫マーカー地点。

資料にも登場する「飛行場道路」がドコなのか、長いこと不明だったのですが、

金さんから「踏切に記されている」と情報頂きました。

中学校通りは以前まで「飛行場通り」とも呼ばれていたのだそうです。

金さん情報ありがとうございましたm(_ _)m

看板で隠れている部分が見たかった。。。(涙)

DSC_0029.jpg

踏切に背を向けて飛行場方向。

上に引用させて頂いた資料にも、

「青森駅前より油川行市営バスにて約二十分にして飛行場道路に至る」

とあります。

この道路を進めば、当時は飛行場施設のある地区まで文字通り一直線でした。

DSC_0031.jpg

赤マーカー地点。

陸軍飛行場南端から飛行場方向。

陸軍接収後に拡張した訳ですが、グーグルマップで見てみると、

接収前の飛行場敷地は現在建物がギッシリと立ち並んでいるのと対照的に、

拡張後の用地は現在畑地となっている割合が非常に高いです。


      青森県・青森(油川)飛行場跡地     
飛行場の巨大格納庫がJAの倉庫として使用されていましたが、2004年解体されてしまいました。飛行場当時を偲ぶ唯一の建物として燃料庫が個人宅に現存するそうです

・青森(油川)飛行場(昭和8年開場当時) データ
設置管理者:逓信省
種 別:陸上飛行場
所在地:青森県青森市油川町(現・青森市‎羽白‎沢田‎)
飛行地区:780mx700m(不定形・転圧芝張)

・青森(油川)飛行場(陸軍接収時) データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:青森県青森市油川町(現・青森市‎羽白‎沢田‎)
座 標:N40°51′19″E140°40′57″
標 高:5m
滑走路:1,500mx300m転圧
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1932年09月 3候補地から油川町に民間飛行場建設決定
    10月 着工
    11月 起工式
1933年03月 竣工。滑走帯:780mx700m芝
    06月 竣工式。その後陸軍機等により使用される
1937年04月 大日本航空輸送により、東京-仙台-青森-札幌間定期便開設
1940年07月 仏印進駐後、航空機ひっ迫のため停止命令。定期便廃止
        大日本飛行協会青森支部の青森県第一滑空訓練場として使用されるようになる
    10月 この頃青森縣立商業學校滑空部が滑空訓練に使用
1941年08月 陸軍転用工事開始
1945年07月 空襲
     08月 空襲。機能喪失
     09月 残存航空機による主要都市間の連絡飛行の許可(9/14~10/10)。米軍接収
    09月 14日~10月9日まで緑十字飛行
        16日 第8軍ゼネラル大将、青森視察
        18日 調査班、青森に来る
    10月 10日 帝国航空便(翌年2月6日まで)
1947年   引揚者の入植地となる

関連サイト:
旧青森飛行場の歴史と現存する遺構(当飛行場についての非常に詳しいサイトです)   
青森県の戦争遺構(巨大格納庫・リンク切れ)  
ブログ内関連記事    

この記事の資料:
新千歳市史通史編下巻
「ミサワ航空史」
朝鮮交通史
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(アギラさん情報)
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


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樺山飛行場跡地 [├空港]

   2011年9月訪問 2020/11更新  

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撮影年月日1952/10/28(昭27)(USA M175 406) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
 
青森県むつ市。
 

前記事の「大湊航空基地」の北東約13.5kmにある「海上自衛隊樺山送信所」。

ここはかつて大湊海軍航空隊が戦争末期に建設した「樺山飛行場」でした。

先頭のグーグルマップは、当時の複数の航空写真から作図しました。

北側の誘導路、部分的に極端に道幅が狭くなっていたり、形がもにょもにょしてたりしますが、

恐らく工事中に終戦になったのではないかと。

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警備犬在住。

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滑走路の舗装面が現存しているのですが、ご覧の通りで通信塔が林立しており、

現状では飛行機の離着陸には使用できません。


      青森県・樺山飛行場跡地      

樺山飛行場 データ

設置管理者:海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:青森県‎むつ市‎田名部‎北椛山‎
座 標:N41°19′52″E141°13′43″
標 高:19m
滑走路:1,200m×80m
方 位:12/30
(座標、標高、滑走路長、方位はグーグルアースから)

沿革
1944年09月 この頃緊急造成開始
       活用の機会がないまま終戦
       戦後は海上自衛隊樺山送信所となる

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
日本海軍航空史


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大湊航空基地 [├空港]

   2011年9月訪問 2021/2更新  


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撮影年月日1948/11/14(昭23)(USA R2126 15) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

青森県下北半島の陸奥湾に面した「大湊航空基地」。

元々海軍の航空基地でした。

先頭のグーグルマップは、上に貼った航空写真から作図しました。

まだまだ当時の滑走路、誘導路、駐機場等地割が確認でき、現在もそのまま使用している部分がかなりあります。

資料が見つからず、作図には含めていませんが、基地北側の水面にもスリップがあったっぽいですね。

当基地は大戦中旧海軍の「大湊海軍航空隊」で、二本の滑走路と複数の水上機用スリップを備えていました。

■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調

には、「大湊空開隊(S8.11.1)陸 水?」とありました。 

現在は海上自衛隊の基地で、RJSOという4レターコードを持つ飛行場です。

D20_0030.jpg


D20_0028.jpg

正門前に展示機が並んでいました。

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基地南西側から。この方向に滑走路があるはずなのですが…。 


      青森県・大湊航空基地      

・海軍大湊航空基地 データ

設置管理者:海軍
種別:水陸両用基地
所在地:青森県‎むつ市‎城ヶ沢‎薪取道
座 標:N41°14′04″E141°08′00″
滑走路:1,100mx60m(03/21)、800mx50m(08/26)
滑走台:200mx30m,60mx30m,50mx10m 「日本海軍航空史」より 
(座標、滑走路長、方位はグーグルアースから)

・海上自衛隊大湊航空基地(現在) データ
設置管理者:防衛省/海上自衛隊
4レター:RJSO
空港種別:陸上飛行場
所在地:青森県‎むつ市‎城ヶ沢‎薪取道
座 標:N41°14′04″E141°08′00″
滑走路:600m×45m
磁方位:04/22
(座標はグーグルアースから)

沿革
1933年11月 1日大湊空開隊
1945年09月 8日 北太平洋艦隊、大湊入港
       戦後海上自衛隊基地に

関連サイト: 
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
「ミサワ航空史」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調


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東北旅行・2 [■旅行記]


Ⓐ道の駅よこはま→Ⓑ大湊航空基地→Ⓒ樺山飛行場跡地→Ⓓ油川飛行場跡地→Ⓔ旧みちのく北方漁船博物館→Ⓕ旧青森空港跡地→Ⓖカワヨグリーン牧場滑走路→Ⓗ八戸海上自衛隊高舘飛行場→Ⓘ八戸駐屯地飛行場→Ⓙ道の駅にしね(車中泊)

2日目

3:50 起床

4:15 青森県「道の駅よこはま」出発  

本日は青森県内の飛行場、跡地、三沢航空博物館見学をします。

D20_0024.jpg

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青森県内には見学したい箇所が10ヵ所あったのですが、無事全部明るいうちに回ることができました。

次の見学したい場所は岩手県盛岡市の近くにあるので、今日のうちにその手前の道の駅まで移動しておくことに。

この時期撮影ができるのはせいぜい17時過ぎまで。

今日のうちに移動するにしても随分と時間が余ってしまいます。

4号線で南下開始。

結局今回の旅行では、初日に自宅から秋田まで一気に高速を使いましたが、

青森から自宅まではずっと下道で戻ってきました。

最終日まで4号線には本当にお世話になりました。

移動中大きなドラッグストアがあったので、ハミガキを買うことに。

旅行用の携帯ハミガキセット用の小さいハミガキがなくなってしまったのです。

店内で小さいサイズを探したのですが、

小さいのは子供用の「ぐれーぷあじ」とか「すとろべりーあじ」とかしかありません。

こちとら江戸っ子なんでぃ(嘘)! そんなスイーツハミガキなんか使ってられっかぃ!

仕方ないので普通サイズを購入。

日没の時間だったので、ドラッグストアの駐車場で夕日撮影してみたのですが、

アップするようなものは撮れませんでした。_| ̄|○ il||li ガックシ

道の反対側に地元の作物を販売する大きな施設があり、覗いてみたら食堂も併設してました。

ここで豚丼の夕食。ボリュームがあって美味しかったです。

近くにお風呂もあったので入ることに。

風呂から出たら18:30。

他にすることもないので再び移動開始。

 

今週は「秋の全国交通安全運動」期間中で、旅行中そこここで啓蒙活動、ネズミ取りを見ました。

捕まっている人もちらほらと。

しばらく制限速度をきちんと守る車についてずーっと走っていたのですが、

後ろから一台の車がピッタリ貼りついて来てプレッシャーだったので、ウインカーを出して先に行ってもらうことに。

ずっと後ろから煽っててオイラの車の前に躍り出た車は、なんとパトカーでした。ア、アレ?

赤色灯点けてなかったので前を走ってた時は全く気が付きませんでした。

オイラの前に出たパトカーは、そのまた前の車にピッタリ貼りついてずーっと走行が続くのでした。

 

20:40 岩手県・道の駅「にしね」到着。

21:00 寝。

おやすみなさい。

(続きます)

 

本日の走行距離:442km


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ハイランド滑空場跡地 [├場所]

  2011年9月 訪問 

秋田県能代空港の西約2.6kmにあった「ハイランド滑空場」。

周辺をぐるぐる回ったのですが、造成工事中のようで残念ながら近づくことができませんでした。

個人の滑空場のようで、関連サイト、グーグルマップではまだ滑走路の舗装面が残っています。

こういうの大好物で非常に楽しみだったのですが。。。

せめて下記関連リンクを貼らせていただきましたので、興味のある方はご覧くださいませ。

2014/2/23追記:翌年再訪問し、滑走路面見ることが出来ました(下記リンク参照)

 

D20_0019.jpg

写真がまったくないのもアレなので、附近のススキを… ^^;

 

ハイランド滑空場:map   


      秋田県・ハイランド滑空場跡地      

ハイランド滑空場 データ

空港種別:場外離着陸場
所在地:秋田県‎北秋田市‎坊沢‎根小屋沢‎
座 標:N40°11′36″E140°19′43″
滑走路:320m?
磁方位:15/33
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

関連サイト:
国土地理院 1990年8月当時の写真(TO904Y-C3-9)   
ブログ内関連記事(再訪問記事)    


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能代(東雲)飛行場跡地 [├空港]

   2011年9月訪問 2022/2更新  


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撮影年月日1948/05/16(USA M1020 82) 
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撮影年月日1948/05/10(昭23)(USA R1401 2) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。2枚とも)

 

秋田県‎能代市にあった旧陸軍の「能代(東雲)飛行場」。

現在はすっかり田畑、学校等に姿を変えています。 

先頭のグーグルマップは、

防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1本州、九州 昭19.10 水路部 1/15,000 (昭和十八年四月調)
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」1/10,000 能代飛行場要図(昭和十八年七月調)

をミックスして作図しました。

上に貼った1948年の航空写真の地割も頼りにしながら線を引いたんですが、ハッキリしない部分が多々あるため、

おおよそこんな。ということでご了承くださいませ。

■「防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1本州、九州 昭19.10 水路部」の中に当飛行場の頁がありました。

以下引用させて頂きます。

能代陸軍飛行場
秋田県能代市大字竹生
40°13′5N 140°3′5E

面積 東西1,500米、北東-南西1,100米 北西-南東1,200米
地面の状況 平坦且堅硬にして植芝密生す
目標 米代川、能代市
障碍物 (記載無し)
離着陸特殊操縦法 (記載無し)
格納設備 格納庫(50x50米)1、(40x450米)4棟あり
照明設備 (記載無し)
通信設備 (記載無し)
観測設備 (記載無し)
給油設備 場内にて補給し得
修理設備 応急修理可能
宿泊設備 学生舎あるも能代市内の旅館を利用するを可とす
地方風 夏季は南東風、冬季は北西風多し 冬季3乃至4日間に亘り強烈なる暴風あり
地方特殊の気象 冬季積雪平均68糎に達し飛行不可能なり
交通関係 能代駅(奥羽本線)南西方約3.5粁
其の他 (記載無し)
(昭和18年4月調)
 

■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

にも当飛行場の情報がありました。

恒風:北西/南東

位置
 秋田県山本郡東雲村
滑走地区
 旧滑走路は一二五〇x一〇〇米
 整地転地滑走路は八〇〇x三〇〇米にして各
 機種の使用に適す
施設
 付属設備は格納庫五棟其の他諸施設
 及兵舎完成しあり
気象
 自五月初旬至十月中旬間は使用し得るも以外は雨
 雪風天のため飛行演習には使用し得ず
交通
 能代駅より三、五粁にして自動車の運
 行自在なり
其の他
 四周の状況 東、平坦地 西、日本海 南、米代川 北、山脈


■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  能代
位 置   秋田県山本郡東雲村
規 模   要図
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 一〇〇名分
 格納施設 飛行機庫一棟(二〇〇〇平方米)無蓋掩体一二〇ヶ所
摘 要   施設軍有

当時は滑走路南側の県立能代西高の辺りに兵舎等があったのだそうです。

D20_0009.jpg

青マーカー地点。

五能線・飛行場踏切

かつてここに飛行場があった頃の名残です。

当時は貨車がここに停車して爆薬を運んだのだそうです。

D20_0013.jpg

赤マーカー地点。

平坦でどこまでも広々。いかにも飛行場っぽい感じです。


      秋田県・能代(東雲)飛行場跡地     
近隣の延命寺境内に「東雲飛行場慰霊碑」が建立しているそうです

能代(東雲)飛行場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:秋田県山本郡東雲村(現・能代市‎真壁地‎トトメキ沢)
座 標:40°13′5N 140°3′5E
標 高:27m
面 積:東西1,500m、北東-南西1,100m米 北西-南東1,200m
転圧滑走路:800mx300m(11/29)
旧滑走路:1,250mx100m(11/29)
(標高、方位はグーグルアースから。他は防衛研究所資料から)

沿革
1920年09月 26日 東雲原で飛行機を組み立て、飛ぶところを一般に公開。佐藤章氏飛来
1921年10月 7日 アート・スミス、宙返りを公開
1927年05月 東雲村、村有地3,000haを無償で献納する陳情書を陸軍大臣に提出するも不採択
1937年05月 陸軍所沢飛行場が10日間の飛行場適地調査を行い、飛行場として整備することに
1940年12月 浜松飛行場分校設置
       末期には特攻隊の訓練実施
1945年08月 9日 米空母から爆撃機16機が発進。当飛行場の戦闘機が目標だったが上空悪天候のため場所特定できず、
       急遽目標を岩手県内の二ヵ所に変更
       戦後、飛行場は開拓地に、兵舎は農業高校として使用

関連サイト:
ブログ内関連記事    

この記事の資料:
「資料・能代飛行場」
防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1本州、九州 昭19.10 水路部
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」


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稲沢場外MLP専用飛行場 [├空港]

   2011年9月訪問 2020/11更新  



秋田県大仙市にある「稲沢場外MLP専用飛行場」。

秋田空港の東約16kmにあります。 

D20_0003.jpg

国道46号沿いにこんな看板がありました。

D20_0004.jpg

広々とした飛行場。お邪魔した時は無人でした。


      秋田県・稲沢場外MLP専用飛行場      

稲沢場外MLP専用飛行場 データ

設置管理者:秋田フライングクラブ
空港種別:場外離着陸場
所在地:秋田県‎大仙市‎協和稲沢‎
座 標:N39°36′57″E140°24′34″
標 高:115m
滑走路:223mx5m(舗装)?
磁方位:18/36
(座標、標高、滑走路長はグーグルアースから)

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