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小千谷陸軍(中越、小粟田原)飛行場跡地 [├空港]

    2011年9月、2016年7月訪問 2022/6更新  


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(昭和8年9月撮影)高度500米 方位W 距離1,000米
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1934年(昭和9年)5月調査資料添付地図
Translation No. 29, 20 February 1945, Airways data: Chubu Chiho. Report No. 3-d(27), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上2枚とも)
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1946/06/16(USA M167-A-5 51)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

 

新潟県‎小千谷市‎小粟田(こわだ)‎。

東西を山地に囲まれる中、信濃川沿いに平野が広がり、美しい水田が広がっています。

ここに地元周辺の方々の協力により民間飛行場が開場します。

■「小千谷の歴史・市制施行十周年記念」 に飛行場ができたいきさつについて、こんなことが書かれていました。

「明治四十一年十月、工兵第十三大隊隷下の工兵大隊が千田村小粟田原に駐屯しました。

この駐屯はそれほど長続きせず、大正十四年四月二十六日に大隊の解散式が行われました。

その後昭和六年に入り、満州事変が発生すると、地元でも愛国心の高まりを見せる様になります。

小千谷町はこの機をとらえて工兵大隊廃止跡の小粟田原約十万坪を整備して陸軍飛行場とすることを軍当局に請願しました。

昭和七年七月、小千谷町と三島郡片貝町の招きによる東京飛行学校のユニボル式戦闘機一機が飛来して

数万の観衆の拍手を浴びました。

これに勢いを得て八月、附近十四カ町村の在郷軍人分会、青年会は、

小学校児童を含む述べ四千人の労力奉仕と、二千人の失業対策工事によって、五万坪の地ならしを行いました。

十月二十二日開場式が挙行され、

黒山のような群衆の上で陸軍機、民間機計七機の華やかなページェントが繰り広げられました。

昭和七年十二月、一口一円以上寄付の会員四千余名に上る"中越飛行協会"が組織され

労力奉仕による数回の拡張が行われました。

陸軍に献納する請願運動も継続されましたが、それはついに成功せず、

十二年二月"中越飛行場"は帝国飛行協会に寄付されて民間飛行場となりました。

支那事変に入ると、そこには中学校生徒のグライダー練習が見られるようになりました。」

要するに小千谷町としては、工兵大隊駐屯跡地に飛行場を整備し、

そこに陸軍飛行場を招致したかったのですが実現せず、

民間飛行場「中越飛行場」になりました-ということのようですね。

これを「国内初の町有飛行場」と説明しているサイト様もあります。

 

民間の「中越飛行場」は、後に陸軍の「小千谷飛行場」となります。

当飛行場については、明確な測量年は不明ながら、時代の異なる2つの地図があります。

■航空路資料 第4 昭10-1 中部地方不時著陸場(下記リンク参照)の中に、

昭和9年5月調」の当飛行場情報と地図があり、

■防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部 の中に、

昭和18年4月調」の当飛行場情報と地図がありました。

先頭のグーグルマップ、昭和9年の民間飛行場をグレー系で、昭和18年の陸軍飛行場は薄紫で作図しました。

ここは線が拾いにくくて、作図の途中で何度も心が折れそうになったんですが、

おおよそこんな感じと思います。

こうして比較して見ると、後にちょっとスマートになって、北東方向に拡張したのですね。

(オイラの作図が合ってれば。ですが)

■国立公文書館デジタルアーカイブ 昭和十四年一月 航空要覧 逓信省航空局編輯 帝國飛行協会発行

の中で、「本邦飛行場一覧(昭和十三年十月現在)」非公共用飛行場 として以下記されていました(9コマ) 

名 称  中越飛行場
経営者  帝國飛行協会
所在地  新潟縣北魚沼郡千田村大字小粟田
水陸の別 陸
滑走区域 長八五〇米 幅四〇〇米
備 考  (記載無し)

防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.10 水路部」の当飛行場情報を以下引用させて頂きました。

■「防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」の中でも、

「小千谷陸軍飛行場 新潟県北魚沼郡千田村」として、以下全く同じ記載がありました。

面積 北東-南西1,200米 北西-南東200乃至400米 総面積37万萬平方米
地面の状況 平坦且堅硬なるも降雨後は軟化す・一面に山芝密生す・南より北方に向け
緩かに傾斜す・排水概ね良好なり
目標 信濃川、小千谷町
障碍物 南西方付近に樹木(高さ20米)北方に電線あり
離着陸特殊操縦法 離着陸は北東又は南西の2方向とす
格納設備 なし
照明設備 標識灯(1萬燭光)1あり
通信設備 中隊司令部に特設電話あり 千田郵便局(南方100米)にて電信及電話を取扱ふ
観測設備 なし
給油設備 航空用燃料貯油槽あり
修理設備 小千谷町に理研工業工作部自動車修理工場あり
宿泊設備 小千谷町に旅館17(収容員数計300)あり
地方風 11月-翌年3月間は北西又は南東風にして4,5,8,9月は東又は南東風なり
地方特殊の気象 12月-翌年2月間は晴天日数少なく天候不定なり 降雪は12月-翌年4月間にして
最大積雪338糎なり
交通関係 小千谷町より「バス」の便あり
其の他 本場は元中越飛行場と称せる民間飛行場なりしが昭和16年7月陸軍第1航空軍司令部の所轄と為る
(昭和18年4月調)
  

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  小千谷
位 置   新潟県北魚沼郡土田村
規 模   要図(北東-南西1000 北西-南東300)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 一二〇名分
 格納施設 (記載無し)
摘 要   施設軍有

防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.10 水路部」其の他の項目で、

「本場は元中越飛行場と稱せる民間飛行場であったが、昭和16年7月陸軍第1航空軍司令部の所轄となった」

とありますから、民間の「中越飛行場」は、1941年7月に陸軍「小千谷飛行場」になったのですね。

 

・1934年5月調査「航空路資料 第4 昭10-1 中部地方不時著陸場」・中越飛行場
・1943年4月調査「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」・小千谷飛行場

どちらも海軍水路部作成の資料であり、飛行場の地図と説明があるのですが、比較してみると幾つか違いがあります。

1934年5月の方では格納庫、事務所、そして滑走路のこちら側とあちら側に吹き流しの表示があるのですが、

1943年4月にはこれら諸施設、設備の表示がありません。

格納庫、事務所等施設があった場所に小さな建物が幾つか並んでいるのですが、

格納設備、観測設備の欄は「ナシ」とあります。

先頭のグーグルマップ、続く航空写真にも追加しましたが、

1934年5月の地図で「コンクリート」とあった箇所が1943年4月の方では「ペトン跡」とあります。

別資料ですが、「帥作命甲第2号別紙」では、当飛行場は秘匿飛行場の中に含まれていることからすると、

秘匿化のため既存の施設を撤去、隠匿した。ということかもしれません。

民間飛行場が軍の飛行場になった際、大規模拡張という例が多いように思うのですが、

必ずしもそうとばかりは限らないのですね。



■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

に 1/10000 小千谷飛行場(昭和十八年六月)がありました。

地図には「判決」として以下の通り書き込みがありました。

判決
 本飛行場は整備後九七戦一中隊程度の機動飛行場たり得
 二式戦以上の新機種に対してはA地区を拡張整備するを要す
 最大限拡張し1500x100の滑走地区可能
 B,C拡張の余地なし

ということで、飛行場拡張の可能性について記されているのですが、

A地区→赤で囲った部分。
B地区→赤マーカーの辺り。
C地区→青マーカーの辺り。

B,C地区は、地図で確認すれば、確かに「拡張の余地なし」とするのも当然ですね。

現行の飛行場(黄色のシェイプ)だと、最大でも1,200m程度の直線しかとれません。

かといって、そのまま飛行場を北東方向に延長することもできないため、

少々西側にずらして拡張すれば、1,500mの滑走地区を確保できる。ということのようです。

資料の地図は上が見切れているので、「1,500m確保しようとすると、こんな感じ」ということで線を引いてます。

位置
 新潟縣北魚沼郡千田村小粟田
地表の状況
 土質極めて堅硬にして□(旦?)排水可良
 北低南高(高低差十米)
天候気象の交感
 十二月より四月中旬まで積雪あり飛行
 に不適 殆んど現状の儘にて重機種
 の使用に耐ふ
 降雨の交感少し
建物
 燃料庫四棟五五〇本品質検査立川航空
      廠実施近く更新
 弾薬庫一棟 五〇〇〇〇発(施)昭一六・七月積
交通連絡の状況
 おぢや駅より約二里
其の他
 三八部隊(村松歩一五八)より曹長一、
 上一、一等兵八計十名一ヶ月交替警戒服
 務 模型飛行機 九機
特殊事項
 一、西北部に陥没個所所々にあり補修の
   要あり
 二、小型機の使用に適す
 三、照明設備なく夜間使用に不適

 

小千谷が秘匿飛行場だったことを裏付ける地元資料もあります。

「小千谷市史下巻」の中に終戦間近の「小粟田原飛行場」についてこんな一節が残っていました。

「昭和二十年八月一日の長岡空襲は隣接する我が市域の人心に大衝撃を与え、戦局の危急を身を以て感じさせた。

その頃敵機はしばしば飛来して、小粟田原飛行場を目標として機銃掃射を加えたりした。

ある日勤報隊が滑走路のカムフラージュのために芝を植え、飛行機を隠すために土穴を掘る作業をしていたところへ、

数機の飛行機が現れた。

一同空を仰いで万歳万歳と手を振っていると、いきなり機銃掃射を受け、文字通り仰天して

林の中へ逃げ込んだといった話もある。

戦局の急迫は人々の想像のほかだったのである。終戦当時、小粟田原飛行場には燕部隊が駐屯していた。」

陸軍が当飛行場に「小千谷」という名称を付けようと、

地元の方にとってここは「小粟田原飛行場」だったのですね。

2013/9/22追記:KIJ-AP-BLDG様より情報頂きました。昭和30年9月21日付の新潟日報によりますと、小千谷市は当飛行場跡地に市営飛行場建設構想検討とのことで、運輸省の視察でも好感触を得たこと等書かれていました。ところがそれから3年足らずの昭和33年6月21日付の同紙面では、 小千谷市が当地を牧野として開発計画を立てていることが記されていました。なぜか途中で計画が変更になってますが、昭和30年の時点では、当地に再び ヒコーキが飛び回る可能性が濃厚だったのです。KIJ-AP-BLDG様情報ありがとうございましたm(_ _)m 

2014/9/8追記:アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、新潟縣立小千谷中學校グライダー部が当飛行場を使用していたという記録があります。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m

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青マーカー地点

飛行場西側はこんな感じ。

DSC_0006.jpg

赤マーカー地点

中越飛行場当時、画面右側に滑走路が奥に向かって伸びていたはずです。


      新潟県・小千谷陸軍(中越、小粟田原)飛行場跡地      

・中越飛行場(1932年開設) データ
設置管理者:小千谷町
種 別:陸上飛行場
所在地:新潟県北魚沼郡千田村
座 標:37°20'34.4"N 138°47'50.1"E
標 高:85m
面 積:16.5ha
着陸場:550mx120m
方 位:04/22
(座標、方位はグーグルアースから。他はアジ歴資料から)

・中越飛行場(1937年2月~) データ
設置管理者:帝国飛行協会
種 別:陸上飛行場
所在地:新潟県北魚沼郡千田村
座 標:37°20'39.2"N 138°47'53.6"E
標 高:86m
面 積:27.1ha
飛行地区:900mx500m不定形
方 位:04/22
(座標、標高、面積、方位はグーグルアースから。他は水路部資料から)

・陸軍小千谷飛行場(1941年7月~) データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:新潟県北魚沼郡千田村(現・小千谷市小粟田)
座 標:37°20'45.9"N 138°47'56.6"E
標 高:84m
面 積:37ha
飛行地区:北東-南西1,200m 北西-南東200~400m
方 位:04/22
(座標、標高はグーグルアースから。他は水路部資料から)


沿革
1908年10月 工兵大隊が千田村小粟田原に駐屯
1925年04月 26日 大隊解散式
1931年09月 満州事変勃発。 小千谷町、大隊廃止跡を陸軍飛行場とすることを軍当局に請願
1932年07月 小千谷町と三島郡片貝町の招きにより戦闘機1機が飛来。数万の観衆が集まる
    08月 周辺住民により五万坪の地ならしを行う
    10月 22日  開場式
    12月 "中越飛行協会"が組織され、数回の拡張を実施
1937年02月 帝国飛行協会に寄付されて民間飛行場となる
1940年10月 この頃新潟縣立小千谷中學校グライダー部が滑空訓練に使用
1941年07月 陸軍第1航空司令部所管の陸軍小千谷飛行場となる
1945年08月 この頃しばしば空襲を受ける
1955年09月 小千谷市は当飛行場跡地に市営飛行場建設構想検討、運輸省視察-新潟日報
1958年06月 小千谷市は当飛行場跡地を牧野として開発計画-新潟日報

関連サイト:
アジ歴/航空路資料 第4 昭10-1 中部地方不時著陸場  
ブログ内関連記事
       

この記事の資料:
「小千谷市史下巻」
「小千谷の歴史・市制施行十周年記念」
新潟日報 昭和30年9月21日、昭和33年6月21日
「帥作命丙第119号別紙」
「帥作命甲第2号別紙」
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」
防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.10 水路部」
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」