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能代(東雲)飛行場跡地 [├空港]

   2011年9月訪問 2022/2更新  


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撮影年月日1948/05/16(USA M1020 82) 
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撮影年月日1948/05/10(昭23)(USA R1401 2) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。2枚とも)

 

秋田県‎能代市にあった旧陸軍の「能代(東雲)飛行場」。

現在はすっかり田畑、学校等に姿を変えています。 

先頭のグーグルマップは、

防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1本州、九州 昭19.10 水路部 1/15,000 (昭和十八年四月調)
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」1/10,000 能代飛行場要図(昭和十八年七月調)

をミックスして作図しました。

上に貼った1948年の航空写真の地割も頼りにしながら線を引いたんですが、ハッキリしない部分が多々あるため、

おおよそこんな。ということでご了承くださいませ。

■「防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1本州、九州 昭19.10 水路部」の中に当飛行場の頁がありました。

以下引用させて頂きます。

能代陸軍飛行場
秋田県能代市大字竹生
40°13′5N 140°3′5E

面積 東西1,500米、北東-南西1,100米 北西-南東1,200米
地面の状況 平坦且堅硬にして植芝密生す
目標 米代川、能代市
障碍物 (記載無し)
離着陸特殊操縦法 (記載無し)
格納設備 格納庫(50x50米)1、(40x450米)4棟あり
照明設備 (記載無し)
通信設備 (記載無し)
観測設備 (記載無し)
給油設備 場内にて補給し得
修理設備 応急修理可能
宿泊設備 学生舎あるも能代市内の旅館を利用するを可とす
地方風 夏季は南東風、冬季は北西風多し 冬季3乃至4日間に亘り強烈なる暴風あり
地方特殊の気象 冬季積雪平均68糎に達し飛行不可能なり
交通関係 能代駅(奥羽本線)南西方約3.5粁
其の他 (記載無し)
(昭和18年4月調)
 

■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

にも当飛行場の情報がありました。

恒風:北西/南東

位置
 秋田県山本郡東雲村
滑走地区
 旧滑走路は一二五〇x一〇〇米
 整地転地滑走路は八〇〇x三〇〇米にして各
 機種の使用に適す
施設
 付属設備は格納庫五棟其の他諸施設
 及兵舎完成しあり
気象
 自五月初旬至十月中旬間は使用し得るも以外は雨
 雪風天のため飛行演習には使用し得ず
交通
 能代駅より三、五粁にして自動車の運
 行自在なり
其の他
 四周の状況 東、平坦地 西、日本海 南、米代川 北、山脈


■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  能代
位 置   秋田県山本郡東雲村
規 模   要図
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 一〇〇名分
 格納施設 飛行機庫一棟(二〇〇〇平方米)無蓋掩体一二〇ヶ所
摘 要   施設軍有

当時は滑走路南側の県立能代西高の辺りに兵舎等があったのだそうです。

D20_0009.jpg

青マーカー地点。

五能線・飛行場踏切

かつてここに飛行場があった頃の名残です。

当時は貨車がここに停車して爆薬を運んだのだそうです。

D20_0013.jpg

赤マーカー地点。

平坦でどこまでも広々。いかにも飛行場っぽい感じです。


      秋田県・能代(東雲)飛行場跡地     
近隣の延命寺境内に「東雲飛行場慰霊碑」が建立しているそうです

能代(東雲)飛行場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:秋田県山本郡東雲村(現・能代市‎真壁地‎トトメキ沢)
座 標:40°13′5N 140°3′5E
標 高:27m
面 積:東西1,500m、北東-南西1,100m米 北西-南東1,200m
転圧滑走路:800mx300m(11/29)
旧滑走路:1,250mx100m(11/29)
(標高、方位はグーグルアースから。他は防衛研究所資料から)

沿革
1920年09月 26日 東雲原で飛行機を組み立て、飛ぶところを一般に公開。佐藤章氏飛来
1921年10月 7日 アート・スミス、宙返りを公開
1927年05月 東雲村、村有地3,000haを無償で献納する陳情書を陸軍大臣に提出するも不採択
1937年05月 陸軍所沢飛行場が10日間の飛行場適地調査を行い、飛行場として整備することに
1940年12月 浜松飛行場分校設置
       末期には特攻隊の訓練実施
1945年08月 9日 米空母から爆撃機16機が発進。当飛行場の戦闘機が目標だったが上空悪天候のため場所特定できず、
       急遽目標を岩手県内の二ヵ所に変更
       戦後、飛行場は開拓地に、兵舎は農業高校として使用

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この記事の資料:
「資料・能代飛行場」
防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1本州、九州 昭19.10 水路部
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」


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