東北旅行・3 [■旅行記]
Ⓐ道の駅にしね→Ⓑ山田水上機基地跡地→Ⓒ観武ヶ原練兵場滑走路跡地→Ⓓ鶯宿滑空訓練所跡地→Ⓔ金ヶ崎飛行場跡地→Ⓕ小山飛行場跡地→Ⓖ道の駅とざわ(車中泊)
3日目
4:00 起床
4:30 出発
本日は岩手県を回ります。
岩手県には、太平洋側に大戦中の水上機基地の跡があるのですが、
津波被害の大きかった場所で、とても近づけないだろうと考え、今回は行くつもりなかったのですが、
ダメ元でとにかく行けるところまで行ってみることにしました。
見学場所を回る効率だけ考えると、まずスタート地点近くの2ヵ所に行って、然る後太平洋側に行くのがよいのですが、
6時までは暗くて撮影できません。
そしてスタート地点近くの見学場所の一つである「雫石滑空場跡地」についてはナゾだらけだったので、
地元の図書館で調べることにしており、開館時間まで待たねばなりません。
それで先に太平洋側に行って、それからまたここまで戻って来ることにしたのでした。
国道106号でひたすら宮古方面へ。
昨日まで、「○○道、災害復旧で通行止め」みたいな情報をそこここで耳にしていたので、
一体どこまで行けるのかしらん。行き止まりになったら大人しく引き返すか迂回路を探そう。
そう考えながらの運転だったのですが、意外なほどあっさりと海側に出ることができました。
内陸から海側に出た訳なのですが、海まであと数キロまで近づいても、
車は普通に行き交ってるし、店や建物も普通に建ってるし、海に近づいても拍子抜けするほど普通の光景で、
失礼ながら、「ここは大したことなかったのかな~」などと考えていたのでした。
ところが、海側に出た途端、様相が一変していました。
45号線で海岸沿いに目的地まで南下したのですが、
そのわずかな距離の中にニュースで見ていた凄惨な光景が広がっていました。
一階部分が柱を残してすべて持って行かれている建物、アメ細工のように曲がった鉄骨、ガードレール、
土台ばかりが広がる区画、鉄の塊と化した車の集積所…
震災から半年後にお邪魔したのですが、国道の信号でさえ未だ点いておらず、
朝の時間帯だからなのか警察による手信号でした。
ガードレールのポールの根元部分は、海側と陸側、両側から深々とくさびを打ち込まれたように裂けていました。
「外国人が感動!「震災から“半年”で復興する日本!」海外の反応」■ というサイトがあり、
オイラが目にしたのは、震災直後とは比べ物にならないほど整ったものだったのでしょうが、
それでもショックな光景でした。
水上基地のあった場所に到着。
海岸に沿ってずっと高い防波堤が続いており、その上から撮りました。
多分4m位の高さだったと思うのですが、この程度の高さではとても食い止められなかったのですね。
しばし立ち尽くしていると、スクールバスがやって来て、学生を乗せて走り去りました。
非日常の場所で日常の光景が広がっています。混乱しました。
すぐ近くにあったプレハブのローソン。
扉は引き戸。トイレは裏にある仮設トイレ。
それでも店内にはいつも見慣れた商品が並び、Pontaも使えました。
朝の時間帯で、たくさんの車が入って来て買い物を済ませ、慌ただしく出て行きます。
朝食用の幕の内弁当購入。温めてもらえました。
周辺がすっかり洗い流されてしまったので、地元のために急遽設置したコンビニなのだろうか。
と思っていたのですが、根元から折れた鉄骨が。
車内で温かい弁当を口にしたら涙がポロポロと。
よそ者のオイラがほんの短い時間現場の極一部を見ただけでもショックだったのですが、
地元の方にとっては、愛着ある見慣れた生活が突然失われてしまい、そこに家族や友人との死別が加わるわけで、
この状況を何と言ったらよいのか言葉が見つかりません。
東北に出発する数日前、ラジオでどなたかが、「被災地の状況はとてもカメラでは収まらない」と語っていましたが、
本当にそうだと思いました。
オイラが目にしたのは極々僅かな部分に過ぎませんが、
ニュースで見聞きしてしたのと現地はやっぱりイメージが異なっていました。
複雑な思いを抱えつつ、岩手県内の5ヵ所をすべて見学。
明日に備えて山形県新庄市近くの道の駅とざわに移動。
21:00 到着。
22:00 寝る。
おやすみなさい。
(続きます)
本日の走行距離:551km