鶯宿滑空訓練所(大日本飛行協会岩手支部第一滑空訓練所)跡地 [├空港]
2011年9月訪問 2020/12更新
撮影年月日1947/11/17(昭22)(USA M655 102)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
岩手県雫石といえば、真っ先に連想してしまうのはあの痛ましい墜落事故のことなのですが、
「雫石に着陸場があった」。という情報がサイトにあり、この情報だけを頼りに現地の図書館に行って来ました。
雫石町史の年表に、「昭和17年7月 大日本飛行協会第一地方滑空訓練所が鶯宿に設置される。教官桐野聞二」
という記述が。また同町史762pには、
「現町営グラウンドの地に設置されたグライダーの訓練が始められた」 と記されていました。
史料に戦時中の飛行場についての出来事が記されていること自体はよくあるのですが、
跡地の場所が明示されているのは非常に珍しいです。ということで、早速町営グラウンドを探して行ってみました。
この「鶯宿」という地名を知れたおかげで、
自宅に戻ってから「鶯宿」をキーワードに、当滑空場について非常に詳細なサイトを見つけることができました。
そのサイトによりますと、年表に出てくるのは、「大日本飛行協会岩手支部第一滑空訓練所」のことでした。
先頭のグーグルマップは、このサイト様内に出ている地図を頼りに作図しました(下記リンク参照)。
宿舎は飛行機の型をした建物と説明がありました。
確かに言われてみれば、そんな形をしています^^
同じくサイト様情報なのですが、 新岩手日報 昭和16年10月7日の記事があり、
「東北一の空の道場 鶯宿滑空訓練所十萬坪に拡張」
の見出しが載っていました。
記事によりますと、滑空訓練所を10万坪(≒33ha)まで拡張する計画であり、
先ずは二万坪(≒6.6ha)の抜根、整地を行った。とありました。
因みに先頭のグーグルマップの作図だと、約3万坪(≒10.2ha)です。
町営グラウンド。
ここでグライダー訓練をしていたのですね~。
岩手県・鶯宿滑空訓練所跡地
余談ですが、当滑空場跡地の北東約12kmに小岩井農場があり、昭和33年10月に盛岡市長らが飛行場用地として小岩井農場を視察したことが現地図書館の写真集に出ていました。あの小岩井農場が戦後飛行場になるかもしれなかったのですね
鶯宿滑空訓練所 データ
設置管理者:大日本飛行協会?
種 別:滑空訓練場
所在地:岩手県岩手郡御所村鶯宿(現・岩手郡雫石町南畑第32地割)
座 標:39°38'34.8"N 140°56'28.0"E
標 高:208m
滑空場:430mx225~245m
面 積:10.2ha
(座標、標高、滑空場長、面積はグーグルアースから)
沿革
1941年 夏、周辺住民の協力により着工
1942年07月 鶯宿滑空訓練所開所式
関連サイト:
岩中滑空部の歴史■(当訓練所について詳しくまとめられています)
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