小山(水澤)飛行場跡地 [├空港]
2011年9月訪問 2020/12更新
撮影年月日1947/11/01(昭22)(USA M621 177)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
岩手県奥州市、前記事の金ヶ崎飛行場の南南東約11kmにあった「小山飛行場」。
先頭のグーグルマップは、現地図書館の史料と、上に貼った航空写真から作図しました。
滑走路東側に一部滑走路方向の地割が残っているものの、それ以外ほとんど形跡は残っていません。
戦争末期に急造した転圧滑走路だったため、戦後急速に元に戻ったということなのだと思います。
秘匿飛行場だったため、極力周辺になじむようにしたことも関係しているのかもしれません。
現在滑走路跡地は中央部を県道236号が横切っており、
周辺には立派な防風林のある地元農家が点在し、美しい田畑が広がっていました。
当飛行場の滑走路長については諸説あり、ネット上では1,500m、現地図書館の史料では1,200m、
現地の碑では2,000m とバラバラで、上図は1947年の写真を忠実に再現した(つもりな)のですが、
これだと1,700mです。
後述しますが、当飛行場が秘匿飛行場で、竣工後も偽装工事を行うほどであったこと、
参考にした写真の撮影時期が終戦から2年以上経過していること等あり、諸説入り乱れてしまうのかもしれません。
滑走路の長さが資料によりバラバラなのはここの飛行場に限らずよくあることです。
赤マーカー地点。
飛行場の碑。
青マーカー地点に「小山飛行場の碑→」という小さな看板が出ているのですがなかなか探せず、
場所をお尋ねするため、幼稚園バスにお孫さんのお迎えを急ぐご主人の足を止めてしまいました。m(_ _)m
撮影した時は気が付かなかったのですが、ここは滑走路の端に位置します。よくぞこの場所に造ったものだと思います。
碑文(全文) 小山飛行場は、太平洋戦争の末期本土決戦に備えた特攻秘密基地として建設されました。昭和二十年四月から六月まで、県内外二十余校、二千数百名の高等、専門学校生、師範学校生、中学生、実業学校生の学徒動員により、長さ二千メートル幅六十メートルの滑走路が完成されました。わずか二機の着陸を見ただけで敗戦を迎えるに至りました。ここに動員学徒、在京丹沢町友会有志と地元有志により記念碑を建立し、この歴史を後世に伝えます。
「小山飛行場跡地」の大きな文字の左右にはそれぞれ、
「昭和二十年六月二十八日竣工 特攻専用陸単秘匿飛行場」
「平成十五年七月二十七日 小山飛行場跡地記念碑建立協賛会
揮ごう 丹沢町長 後藤 完」
と記されていました。
前記事で登場した「金ヶ崎飛行場」と当飛行場は密接な関係があり、繰り返しになってしまいますが、
現地図書館にあった本によれば、
1938年、陸軍岩手飛行場(後藤野飛行場)が完成すると、続けて県内第二、第三の飛行場用地探しを行い、
その候補となったのが、「丹沢郡金ヶ崎町」と、当地「丹沢郡小山村(現丹沢区小山)」でした。
そしてこの2つの候補地でそれぞれ建設が始まりました。
当地での飛行場建設の具体的な動きは1944年から始まったようなのですが、
陸軍の史料「飛行場配當図」の中で当飛行場は、「○水澤」と表記(○は破線で描かれている)してあります。
凡例に○印は「秘匿飛行場(と号専用)」と記載されており、「と号」とは「特別攻撃隊」のことでした。
碑文の中で当飛行場は、「特別攻撃隊用の秘匿飛行場である」と記されていますが、
それが陸軍の史料からもきちんと裏付けられるということですね。
東北地方で○印の表記があるのは、岩手県水澤、宮城県玉城寺原、福島県棚倉の三か所のみです。
小山飛行場は最初から秘匿飛行場として建設がなされたようで、
現地建設事務所の名称は「東北軍管区水澤応用演習場建設本部」とされ、
事務所の名称からも、ここで飛行場を作っているとは分からないように偽装されました。
動員された学徒は約二千数百名にも上ったのだそうで、
上空からは発見できない偽装化した飛行場とし、林の中に隼36機を配備したのだそうです。
前記事の金ヶ崎には元々飛行場があり、通常の飛行場を建設しました。
当飛行場は新規に建設した秘匿飛行場であるため、通常の飛行場より偽装化の手間がかかったはずです。
同時に建設したにもかかわらず、金ヶ崎は未完成、こちらは6月末完成です。
詳しい経緯はわかりませんが、なんだかアベコベのようで不思議な気がします。
岩手県・小山(水澤)飛行場跡地
碑は滑走路の中央部分付近に作られたものの、後に現在の場所に移設されたとするサイト様が複数あります
小山(水澤)飛行場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:秘匿特攻専用飛行場
所在地:岩手県奥州市胆沢区小山上柴山
座 標:N39°06′17″E141°05′51″
標 高:90m
滑走路:1,700m×60m?
方 位:10/28
(座標、標高、滑走路長、方位はグーグルアースから)
沿革
1944年 春 工事用道路の拡張工事
1945年 03月 飛行場建設のため、測量班15名小山入り
04月 建設学徒隊入村、着工
06月 6日 一番機着陸。お祝いに食パンが2個ずつ配られた
20日 滑走路完成。その後周辺の偽装工事
24日 小山飛行場竣工。軍に引き渡される。
関連サイト:
丹沢観光協会/小山飛行場跡■
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この記事の史料:
現地の碑文
「幻の小山飛行場-最期の秘匿特攻基地建設の謎を解く少年学徒と村人たちの証言」