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仙台空港・とぶっちゃ!、スマイルテラス [├空港]

   2011年9月訪問 2020/12更新  

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昨年秋の東北遠征は既に記事にしてアップしていたのですが、

うっかり仙台空港にお邪魔した記事を作り忘れておりました。

今更ですがアップさせて頂きます。

オイラが初めて仙台空港にお邪魔したのは2004年9月のことで、

離着陸を眺めるのにうってつけな公園等外周には素晴らしいポイントがあるのですが、

ターミナルビルには「展望デッキ」とは名ばかりのフロア一角に設けられたガラス張りのコーナーがあるのみ。

ヒコーキ好きにとってはまったく面白くもなんともない空港で、当時の記事では

「この空港に携わっている人たちにヒコーキ好きはいないのか!」みたいな、ボロクソなことを書いてたのでした。

その後、屋上に展望デッキができたとのことで今回再びお邪魔したのですが、

なんとターミナルビル3Fに「とぶっちゃ!」という体感型エアポートミュージアムまでできていました。

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A300-600Rのコックピット。JALで実際にパイロット訓練用として使用されていたものだそうです。

しゃがみ込んで夢中でカシャカシャしていたら、背後から

「あの~、時間ですので…^^; 」と警備員さんに声を掛けられてしまいましたΣ(゚Д゚;)

開館時間 午前9時~午後7時(無休) 入場料金:無料      

気を取り直して階段で屋上に新設された展望デッキへ。

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展望デッキに至る階段の各踊り場もこんな濃いィことに…

一体どうしたんだ仙台空港!!

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「展望デッキ・スマイルテラス」byカンクリさん

真っ暗な時間帯のデッキの写真しか撮れなかったのですが、カンクリさん から日中の時間帯のお写真を頂きましたので

ご紹介させて頂きます。カンクリさんどうもありがとうございました m(_ _)m

リンク先のカンクリさんの記事ではデッキの可愛い仕掛けも見れます^^

8:00~20:00(無休) 中学生以上100円。デッキにはトイレがないので要注意です。

ご覧の通りで高いフェンスが張り巡らされており、決して広々~というわけではないのですが、

 

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フェンスはワイヤー方式。ちゃんと撮る人のツボを心得ていらっしゃる。素晴らしい!

公式サイトの「お知らせ」によりますと、この展望デッキは2010年3月19日にオープンしたのですが、

昨年の大震災で一旦閉鎖していました。

 

仙台空港と言えば、鉄道直結、便数、利用者数の面でも東北の空の王者なわけですが、

心情的には「東北の他の空港頑張れ~!」という感じでした。

これまではこういう「楽しい空港」というソフト面が欠落していて、そこが東北の他の空港のアドバンテージでした。

いよいよ王者の死角が無くなった。という印象です。


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仁良川飛行場跡地 [├空港]

   2011年11月訪問 2020/12更新  



栃木県‎下野市‎仁良川‎にあった旧陸軍の「仁良川(にらがわ)飛行場」。

滑走路の位置が不明のため、最もあった可能性がある場所の写真を撮ってみました。

ネットで検索すると、1947年の写真(USA R301 8)で滑走路が判別できる方もおられるようなのですが、

オイラはまだその域に達していないようで見えませんでした。修行が足りませぬ。

どなたか、「フッ、とりは甘いなぁ。ここにちゃんとあるじゃん」と見える方、是非教えて下さいm(_ _)m

飛行場跡近くの図書館に当飛行場についての記述があったので抜粋してみます。

 

「仁良川宿の西方の広大な畑に建設された。

薬師寺、吉田村の人たちは何をするのかも不明のまま、部落長より日割り労働を強いられた。

約1kmに及ぶ地に一筋の滑走路は住民たちの協力で唯一の機械であるローラーによって路面が固められた。

当時は一軒の家もなく移転問題はなかったが、畑の作物などは軍の命令によりローラーで踏みつぶされていった。

飛行機の掩蔽策には杉の枝をおろし、これを竹で編んで柵にする方策が考えられた。

飛行機の着陸の際には柵を外すといった前近代的な方法がとられた。

しかし離着陸はほとんど見られず、古老の話では一機が着陸したことを記憶しているといった程度であった。

施設も高射機銃が一丁位で(中略)飛行機を掩蔽した松の木も日が経つにつれて枯れ、住民たちの重要な燃料になった。

飛行場竣工式の行われた五月のある日、飛行場の一角で慰安会の芝居などが催されたが、そこに艦載機が来襲した。

仁良川飛行場建設勤報隊出動人員数は、男子3,441 女子1,456 計4,897 であった。」

 

…ヒコーキを掩蔽する木材の種類が途中で杉から松に変わっているような気もしますが、

物資が極度に不足している中で運用している様子が伺えます。

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赤マーカー地点。

周辺は平坦で、畑に住宅が点在する長閑な場所でした


      栃木県・仁良川飛行場跡地      

仁良川飛行場 データ

設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:栃木県‎下野市‎仁良川‎
座 標:N36°22′35″E139°52′16″
標 高:52m
滑走路:1,000m?
(座標はグーグルアースから)
沿革
1943年    春軍関係と思われる技師が来村。樹木伐採始まる
1944年    一本の滑走路建設始まる
1945年05月 この頃完成。竣工式

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
「南河内町史 通史編近現代」
「南河内町史 資料編4 近現代」


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藤岡(静和)飛行場跡地 [├空港]

   2011年11月訪問 2020/12更新  


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撮影年月日1947/10/13(昭22)(USA R301 91) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

栃木県‎栃木市‎藤岡町にあった陸軍の「藤岡(静和)飛行場」。

現在は畑地になっています。

先頭のグーグルマップは、上に貼った地図から作図しました。

資料が見当たらないため、完全にオイラの主観なんですが、

飛行場敷地に沿って排水路(のように見えるもの)があるため、その通りに線を引きました。

所謂「滑走路」はなく、全面転圧の滑走帯だったようですが、それ以外のことは不明です。

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赤マーカー地点。

跡地の端っこなのですが、広々していて飛行場っぽいのでここから。

 

■飛行場建設の経緯と戦後処理についての公文書

昭和21年8月5日付で部屋、静和両村長連名で衆議院議長に請願書が提出されました。

内容は、栃木県下都賀郡静和・部屋両村の跨る元陸軍所属静和飛行場は未完成の儘終戦となりその敷地八十八町歩は現在徒らに放置せられてある 依って連に之を地元静和・部屋両村村民に拂下げ食糧増産の為活用せしめられたいと謂ふに在る

というものでした。

下された判断は以下のものでした。

静和飛行場は当初三菱電機株式会社が製作中であった落下傘を試験する為めに買収したものである
その後第一軍需工廠第二製造廠(小泉工場)がこの附近に疎開しその製作飛行機の飛行場として適當なもの
がなかったのでこの静和飛行場を三菱電機より買上げたものであって終戦後第一軍需工廠が消滅し残務は
商工省に移管されたので本飛行場も商工省所管となったが商工省としては之を國有財産として大蔵省に
引継いだ

従って拂下げ処分は大蔵省で行ふべく大蔵省は當省の意見により処分することになってゐるので當省よりは本
請願に鷹ぜられたい旨通告して置いたのである
ところが第一軍需工廠が三菱電機より買上げた時の支拂金が全額戦時補償特別措置法に依り課税せられたので
同法第六十條により本飛行場は三菱電機に無償で官より譲渡せねばならなくなった
依て本飛行場は近き将来三菱電機の所有に歸する

然し乍ら本請願はまことに尤もであり商工省としては三菱電機に対して本請願の趣旨を汲んで旧所有者に返戻
する様要望したところ同社より直ちにこれに鷹ずる用意ある旨回答して来た
以上の経過に依り今後は直接三菱電機との交渉を要望する

元々三菱電機が落下傘を試験するために買収した場所を飛行場として買い上げ、未完成のまま終戦。

ということのようですね。

「静和飛行場」という名称が出てきます。

この情報は再生おじさんからいただきました。再生おじさんありがとうございましたm(_ _)m


      栃木県・藤岡(静和)飛行場跡地      

藤岡(静和)飛行場 データ

設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:栃木県‎栃木市‎藤岡町富吉‎
座 標:N36°17′22″E139°41′02″
標 高:28m
(座標、標高はグーグルアースから)

関連サイト:
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日帰り栃木 [■旅行記]


Ⓐ自宅→Ⓑ藤岡飛行場跡地→Ⓒ道の駅しもつけ→Ⓓ仁良川飛行場跡地→Ⓔペニーレイン鶴田店→Ⓕツインリンクもてぎ→Ⓖ矢板市立図書館→Ⓐ自宅

(2011年11月に行った話です)

栃木県の飛行場跡地3カ所とツインリンクもてぎのヒコーキを見るため、日帰りで出かけたのでした。

6:30 自宅出発。

8:20 藤岡飛行場跡地到着。

良く晴れた土曜日で、行楽シーズンなので混むかしらん。と思っていたのですが、まったく混むこともなく到着。

跡地の撮影を済ませ、最寄りの図書館へ。

9:45 特に成果なく次の跡地へ向かう。

途中、昼食を物色しようと「道の駅しもつけ」へ。

ここは非常に大きくて立派な施設で大賑わい。無料ミネストローネに大行列が出来ていた。

駐車スペースも広々で適当に仕切られていて、車中泊にもよさそうです。

前回と今回で栃木県内の道の駅に何ヵ所かお邪魔しましたが、どこも広くて立派な施設でした。

10:45 仁良川図書館到着。

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道の駅で買った昼食。お好み棒 200円。

12:00 図書館で調べものして跡地撮影終了。

ツインリンクもてぎに向かうのですが、

栃木在住のme-coさんのブログ にしばしば登場するお宇都宮市内のお洒落なパン屋さんに寄ってみることに。

前日住所を調べたところ、「宇都宮市鶴田3丁目」と出ていたので、早速ナビに打ち込もうとしたのですが、

オイラのナビには「宇都宮市鶴田」としか表示されませんでした。Σ(゚Д゚;)

地図情報が7年前のままなDVDナビなのです _| ̄|○ il||li

…とりあえず鶴田に行ってみることに。

キョロキョロしながら走っていたら、me-coさんのブログで見慣れたお店のマーク発見。

13:00 無事辿り着くことができました。 

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小豆に焦点当てればよかった。。。

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チーズどっさりのカレーパン。

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フワカリ。

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パニーニ。(オシャレ)

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エビのハンバーガー。

どれもこれも美味しそうで、買い過ぎました。

翌日の昼食までパンを食べ続けたのでした。

 

14:30 ツインリンクもてぎ到着。

「もてぎスーパー耐久」レース開催日で先日とはうって変わって激混みでした。

ここでオイラが見たいのはホンダのジェット機(現行のホンダジェットじゃない方の)とアシモが歩いているところ。

この2つは別館でやります。

アシモくんのライブショーはコレクションホールで16:00からだったので、

その前にファンファンラボの方へ行ってヒコーキを見とこう  ~~~(⊃゜Д゜)⊃

ヒコーキのことは後日別記事でアップします。

次にコレクションホールへ。

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バイクレースの部屋の一番奥に展示されていたフレディースペンサーのマシン。

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グ、グリップなめてもいいかな d( ̄∇ ̄*)☆\(--

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500cc,250cc両方で優勝してしまった時のマシン。

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ローラースルーGOGOって、ホンダが出してたんですね~。

これ欲しかったな~。

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アシモに至るホンダ二足歩行の歴代機が展示されています。

コレががっちゃんがっちゃん歩いてきたら、子供が泣き出すかも ^^;

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そしてアシモスーパーライブ。

動いているところを一度ナマで見たいという長年の夢がやっとかないました。

出てきた瞬間どよめきが起こり、

アシモがアッチ行ったりこっち行ったりするのを食い入るように見つめる子供たちの真剣な瞳が印象的でした。

ん~、中に人が入っているようにしか見えない。。。

その後なんとも不思議な乗り物の実演がありました     

一体何がどうなってるのか。。。

16:20 ショーが終わったところで施設を後にしました。

17:45 矢板市の図書館へ。

ここの図書館は前回も来たのですが、ここにあった飛行場跡地の場所が不明でまた来たのでした。

…資料見つけられず。

18:10 図書館出発。

21:20 自宅到着。

もっと遅くなるかと思っていたのですがほとんど混むこともなく戻って来れました。

 

(おしまい)


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エンジン位置の話 [├雑談]

ダグラスDC-9は1965年初飛行。

ボーイング737は1967年初飛行。

どちらも同時代に開発された双発の小型ジェット旅客機で、初期型は搭載エンジンまで同じです。

どちらもキャラ的に非常に良く似ているヒコーキなのですが、決定的な相違点はそのエンジンの取り付け位置。

DC-9が胴体後部に取り付けているのに対し、B737の方は主翼に取り付けています。

ジェット旅客機のエンジン取り付け位置は、「胴体後部派」か、「主翼派」のどちらかに分かれますが、

両者にどんな違いがあるのか。という話を。

 

1:エンジンFOD

主翼にエンジンを吊り下げる場合、リアエンジン機と比べてエンジン位置が地上に近くなります。

小型機の場合、吸い込み口と地上がかなり近くなってしまいます。

主翼吊り下げ機はリアエンジン機と比較して、地上の異物を吸い込む可能性がより高いと言えるでしょう。

また、あまり地上ギリギリだとエンジンが擦ってしまうかもしれません。

異物吸い込み、地上との接触を防ぐためには長い脚が必要で、これは重量、スペース面でマイナスです。

B737は途中からエンジンの径が太くなったため、主翼の取り付けにはいろいろと無理工夫が必要でした。

 

2:一発停止時の特性

主翼吊り下げ式の場合、リアエンジン機と比べてエンジンの左右の間隔が広いため、

どちらか一方が停止してしまうと、推力の左右のバランスが大きく崩れて機首がそちらに振られてしまいます。

そのため主翼の下にエンジンがある機は片肺時の直進性確保のため垂直尾翼が大きく、

737のように背びれがついていることもあります。

 

3:ディープストール

リアエンジン機の尾翼は、エンジンとの干渉を避けるためT字尾翼になります。

機首の上下動(ピッチング)を制御する水平尾翼が高い位置にくるわけですが、

これだと失速時、主翼からの乱流に水平尾翼が入ってしまいます。

失速したら、即座に機首を下げるのが鉄則なのですが、

その機首下げの役割を担う水平尾翼が乱流に巻き込まれて効かなくなってしまいます。

T字翼の場合、機首下げどころか、却って機首が上がってしまうという、非常に危険な特性があります。

このためリアエンジン機は、失速が近づくとそれをパイロットに知らせる装置の整備が急がれました。

 

4:機体構造

主翼で発生させた揚力で胴体を持ち上げる訳ですが、この時主翼の付け根には大きな力がかかります。

胴体が重くなるごとに主翼付け根の負担は増すのですが、付け根の強度を無視して胴体に人や物を積み込んでしまうと、

最悪の場合、主翼が万歳してしまうことになりかねません。

それでそういう恐ろしい事態を避けるために、「胴体内に積めるのは最大これだけ」という重量が決まっています。

で、リアエンジン方式の場合、胴体後部に非常に重い金属の塊が付くことになります。

また飛ぶ時にはこのエンジンが機体全体を押しますので、胴体後部を非常に頑丈にする必要があります。

エンジン以外にも、作動機器、配線、配管やらで重量がかさみます。

リアエンジンにした場合、こうしたエンジン関係諸々の重量もそっくり主翼付け根の負担になってしまうため、

主翼付け根の構造をその分頑丈に作らねばならず、重量、スペースの面でマイナスです。

 

一方主翼にエンジンを取り付ける場合、それだけ胴体が軽くなるのでその分主翼付け根の負担が減るのに加えて、

飛行中、エンジンは主翼がめくれ上がるのを防ぐ重石役になり、これも主翼付け根の負担を軽減します。

そのためリアエンジン機に比べて主翼付け根の構造を軽くすることができます。

リアエンジン機が胴体後部を非常に頑丈に作らねばならないのに対し、

主翼にエンジンを配置する場合、重い燃料も、主脚もこの辺なので、

頑丈にしなければならない箇所が主翼周りに集中していることになり、胴体はシンプルに軽く作ることができます。

 

5:実際の運用面

少し前の記事でご登場頂いた以前空港に勤務していた友人にお聞きしましたm(_ _)m

リアエンジン機は主翼の下にエンジンがないので機体を低くすることができるため、

MDシリーズなどは機体から電動で折りたたみのステアウエイが出るのでステップカーが不要。

ローカルや離島の空港等、地上機材が限られている状況でも乗り降りに融通が利きます。

反面、リアエンジン機は主翼吊り下げ式よりエンジンの位置が高いため、 整備性はかなり悪いようです。

点検をする際も、ラダー(脚立)や車両が必要ですし、

航空機に装着する際も車両誘導要員や操作する要員が必要になるのでコストが大きく違うようです。

MD機のエンジンの吸い込み口にまん丸く光っている指輪みたいな部分がありますが、

以前ここに車両をぶつけたことがあり交換修理代は6,000万円もかかったのだそうです(恐)。

 

エンジンをどっちに付けるか1つとっても長短いろいろあるものなのですね~。


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弥富場外離着陸場跡地 [├空港]

   2011年11月訪問 2020/12更新  


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撮影年月日2003/04/07(CCB20031X C6 11) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

愛知県‎弥富市にあった「弥富場外離着陸場」。

前記事の「古見水上飛行場」、「新舞子水上飛行場」の対岸に位置していました。

当場外離着陸場については、ググると過去記事は幾つか見つかるんですが、

最近のものは全くヒットせず、 愛知県防災航空隊の「飛行場外離着陸場一覧」にも出てこないため、

廃止になったのではないかと思います。

当場外離着陸場は、正確な位置、いつからいつまであったか等不明なんですが手掛かりはあります。

沿革にまとめましたが、 1990年に当場外着陸場にヘリが緊急着陸しました。

また、2005年にツェッペリンNT号が飛来しました。

ということは、少なくとも1990年~2005年まではあったことになります。

上述のヘリの緊急着陸については、事故調の資料が閲覧できるのですが(下記リンク参照)、

そこに当場外離着陸場のおおまかな位置を示した地図があります。

地図によれば場外離着陸場の位置は、上に貼った航空写真のA地点の辺りではないかと。

この航空写真は2003年撮影なので、当場外離着陸場が現役当時のものです。

ちょうど最も広々とした地割になっていますので、恐らくここにあったんじゃないでしょうか。

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A地点の東南東からA地点方向。

ここにヘリや飛行船が居たと思うのですが。。。


      愛知県・弥富場外離着陸場跡地      

弥富場外離着陸場 データ

空港種別:場外離着陸場
所在地:愛知県弥富町西五区
座 標:N35°01′35″E136°46′47″
標 高:8m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1990年07月 19日、ヘリが緊急着陸。大破
2005年    愛・地球博PR目的のツェッペリンNT号飛来

関連サイト:
航空事故調査報告書 
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新舞子水上飛行場跡地 [├空港]

   2011年11月訪問 2020/12更新  


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1/25000「大野」大正9年測図「今昔マップ on the web」より作成

愛知県‎知多市にある「安藤飛行機研究所」の「新舞子水上飛行場」。

前記事の「古見水上飛行場」から、伊勢湾に沿って約4km程南下した所にあります。

1924年にこちらに移って来ました。

上に貼った地図は大正9年(1920年)測図ですから、開設の4年前のものです。

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新舞子駅から海側への道を進むと、ファインブリッジの辺りには現在も小規模ながら砂浜が残っています。
 
水上機基地が設けられ、水上機が飛んでいたのは、おおよそですがこの辺りだったのではないかと。
 

■国立国会図書館デジタルコレクション「報知年鑑 大正14年」に、

「民間飛行機操縦術練習所」のページがあります(下記リンク参照)。

名称 安藤飛行練習所
所在地 愛知縣新舞子海岸
代表者 安藤孝三

■同「報知年鑑 大正15年」に、「本邦民間飛行場調〔大正14・8調〕」のページがあります(下記リンク参照)。

管理人 安藤孝三
種類 水上
位置 愛知縣知多郡旭村大字日長
面積 東西2,500米 南北3,000米

■同「報知年鑑.大正16年」には本邦民間飛行場調〔大正15.8〕がありました(下記リンク参照)。

使用者 安藤孝三

種類 水上
位置 愛知縣知多郡旭村大字日長字龍
面積 7,5000,000米平方海面

大正15年、16年はほとんど同じ内容なんですが、面積の項目、

2,500mx3,000m=7,5000,000㎡ となりますので、2.5kmx3km長方形の離着水エリアが設定されていたことに。

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赤マーカー地点。

「南知多県立公園 新舞子海岸」の碑

後方にある案内板に、「新舞子は明治末期に、観光地、別荘地として開発に着手され年々海水浴場として発展してまいりました。(中略)当時は、広々とした海を背景に、白砂青松の海岸が広がり、赤や青の屋根瓦の別荘、動物園、花壇、テニスコートや水上飛行場などがあり、ロマンの香り高い美しいまちでした。」と書かれていました。

■「知多半島なんでも辞典」という本の中にもこの安藤飛行機研究場について触れられていてこの新舞子について、

「旭村下松原の海岸は、明治のころは浜辺の松林が潮風に揺れ…ていた。

砂丘は広く、幅は100m、長さ2kmに及ぶ遠浅の海岸であった。

明治末期頃から瀬戸内海の有名な「舞子の浜」に似ているところから新舞子と名付けられた」とありました。

風光明媚な、モダンな場所に飛行場を持って来たのですね~。


      愛知県・新舞子水上飛行場跡地     
延べ38機が終戦の1945年まで運行し、同研究所は日本民間航空事業の発展に努めたのだそうです
アギラさんから情報頂きました。「民間飛行學校練習所其他」{航空年鑑昭和六年)の中で、
・安藤飛行機研究所(飛行場・工場:愛知縣知多郡旭村大字日長海岸 事務所:愛知縣知多郡新舞子 沿革大正九年壱月十日古見海岸飛行場設置 大正拾三年新舞子海岸に移轉 昭和二年名古屋新宮線 昭和三年新舞子蒲郡二見線)
と記されているそうです。
また、「新宮市史年表」の中では、「1925年7月18日「安藤飛行研究所(愛知県知多郡)が申請していた愛知・新宮間の郵便飛行便に認可おりる。1935年2月16日「安藤飛行研究所(愛知県知多郡)が名古屋・新宮間の航空路を再び取り上げる」
(郵便飛行便の認可がおりるという項目はあるが、実際に飛んだという事が年表では確認できず)アギラさんありがとうございましたm(_ _)m

新舞子水上飛行場 データ
設置管理者:安藤飛行機研究所・安藤孝三
種 別:水上飛行場
所在地:愛知縣知多郡旭村大字日長字龍(現・知多市‎新舞子)
面 積:7,500ha海面
座 標:N34°57′04″E136°49′36″
(座標はグーグルアースから)

沿革
1924年    古見海岸より移転。格納庫建設。
1926年09月 名古屋港~和歌山県新宮間に1週間の定期航路を開設
1928年06月 新舞子~二見浦~浦郡間定期航路を開設
        戦後は航空輸送から撤退
1953年09月 台風13号により格納庫倒壊

関連サイト:
国立国会図書館デジタルコレクション/報知年鑑 大正14年(174コマ) 
国立国会図書館デジタルコレクション/報知年鑑.大正15年(183コマ) 
国立国会図書館デジタルコレクション/報知年鑑.大正16年(225コマ) 
ブログ内関連記事       


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古見水上飛行場跡地 [├空港]

   2011年11月訪問 2020/12更新  


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1/25000「大野」大正9年測図「今昔マップ on the web」より作成

愛知県‎知多市にあった「安藤飛行機研究所」の「古見水上飛行場」。

1920年(大正9年)に開設された非常に古い飛行場です。

別の場所に移転するまでの約4年間という短い期間だけでしたが、

前年に陸軍を除隊した安藤氏により開設されました。

上に貼った地図は、ちょうど開設した年に測図したものです。

先頭のグーグルマップをご覧の通りで、古見駅から海側は現在すっかり埋立地が広がっていますが、

水上飛行場が開設された当時、古見駅前にはすぐ海岸が迫っていたんですね。

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赤マーカー地点。

前述の通り現在この周辺は名古屋港の大規模埋立地になっていて、いろいろと大きな工場があって、

一般人には取りつく島もないのですが、

埋立地の一部が非常に細長く海岸まで道路になっていて、突き当りが「名古屋港海づり公園」になっています。

上の写真はその公園から(おおよそですが)古見駅の方向を撮りました。

大正時代この画面の先に水上機の基地があり、水上機が飛んでいたはずです。


      愛知県・古見水上飛行場跡地      

古見水上飛行場 データ

設置管理者:安藤飛行機研究所
種 別:水上飛行場
所在地:愛知県‎知多市‎新知‎大内‎
座 標:N34°59′19″E136°51′20″
(座標はグーグルアースから)

沿革
1920年01月 10日 古見海岸に水上飛行場開設
1922年    逓信省から飛行場指定
1924年    新舞子に移転

開設、移転時期のデータは、「民間飛行學校練習所其他」(航空年鑑昭和六年)から頂きました。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m

関連サイト:
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名古屋に行った話 [■旅行記]

2011年11月某日 妹と一緒に名古屋に嫁いだ妹の所に遊びに行ったのでした。

お昼の時間帯、妹二人は揃ってお出掛け。

ぼっちになったオイラは愛知県の飛行場跡地を探しに出掛けたのでした。

飛行場については例によって別記事でアップ致します。

本日は妹の旦那が研修でお泊りのため、夜は妹が以前から目をつけていた地元のショットバーへ。

自宅近くのバス停からバスに乗りました。

バスに乗るのって、一体何年ぶりだろう。

流れる夜の街並みがなんだか新鮮です。

 

実は名古屋に行く前からバーに行くことは決まっていて、

名古屋に向かう道中、オイラがバーに入ったことがないと知った妹は、

「それなら、なんとかかんとか(もう名前忘れた)を注文したらいいよ。初心者向きの基本的なヤツだからさ~。

あとは~」

などと偉そうに偉そうに語り出しました。その妹だって、なんとかというゲームで知識を仕入れただけの素人です。

(…なんだろう。このじわじわ来るイラッと感。。。)

 

バスを降り、少し徒歩。

なんだか見慣れた風景だな~と思ったら、なんと1年前に飛行場跡地見学でお邪魔した場所のすぐ近くなのでした。

到着してみると、店内は真っ暗でドアが空きません。

もしかして定休日かしらん。

しばし立ち尽くす三人。こういう時、団体の統率力が著しく欠落しているのが我々兄弟の特徴です。

「来るのが早かったのかも」などと話していると、男の人がやって来て、「ウチに御用ですか?」と。

この店のマスターでした。よかった~。

すぐ飲み物とおしぼりを出してくれました。

 

「開店前からお客さんが待ってることなんてないので、何事だろうと思いましたよ^^」

マスターはとても気さくで腰の低い方でした。

今はこういうお店は流行らず、この地域でも古くからある店がここ数年すごい勢いで閉じてしまっているのだそうです。

「ハイボールのCMで盛り立てようとしてますけどね~」

確かに我々が店にいた2時間程の間、他に客は来ませんでした。

 

以下、ゲームで仕入れた知識で付け焼刃を振り回す天然妹とマスターの会話。

「○○ください」

「すみません。ウチ、日本酒は置いてないんですよ~」

 

やーめーてー! 頼むからメニューから注文してっっ!><

微妙なくうきになりながら名古屋の夜は更けてゆくのでした。

おわし。

 

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ヒコーキの前後バランスの話 [├雑談]

ヒコーキは主翼の前が重過ぎても後ろが重過ぎてもよくありません。

これはヒコーキの模型で考えるとイメージし易いです。

主翼がヒコーキを持ち上げるわけなので、同じように模型ヒコーキの主翼部分を持ち上げてみます。

ちょっとでも前が重かったり軽かったりすると、たちまち機首が上を向いたり下を向いたりしてしまいます。

実際のヒコーキも全く同様で、

主翼のところにきちんと重心がくるようにしないとバランスがとれなくて大変なことになってしまいます。

 

エンジン取り付け位置

ここにエンジン無しで前後のバランスが取れているヒコーキがあるとします。

このヒコーキにエンジン(すごく重い)を取り付けるとして、

主翼に取り付ける場合はバランスを大きく崩すことはないのですが、

ではMD-90などのように胴体後部につけるとどうなるでしょう。

後ろが非常に重くなってしまいますから、たちまち機首が上を向いてしまいます。

どうすればよいでしょう?

主翼の取り付け位置を後ろにずらしてやれば、バランスをとることができます。

MD-90等のリアエンジン機は胴体の真ん中よりも後ろに主翼がついているのが見た目でもハッキリ分かります。

 

737.pngmd90.png

B737とMD-90

B737の主翼がおおよそまん中らへんに付いているのに対し、MD-90は主翼より前の部分がかなり長くなってます。

こうやって前後のバランスを取っているわけですね。

 

水平尾翼 

設計段階で前後バランスがとれるようにきちんと計算しているわけですが、

では主翼が発生する揚力の中心位置と重心位置はピッタリ一致しているかというと、実は少しずれていて、

重心は少しだけ前にあります。つまり主翼でヒコーキを持ち上げると、前が重いです。

重心が前にあると飛行中の安定性が増すから。というのがその理由です。

でもそのままでは機首が下がってしまうので、水平尾翼で下向きの力を発生させて機首が下がるのを防いでいます。

せっかく主翼が揚力を発生させているのに、水平尾翼は逆のことをしているわけですから、

揚力の一部を打ち消してしてしまうことになり、非常に勿体ないです。

ということで、主翼は機体全体の重さの分の揚力だけでなく、

尾翼によって失われる分も余計に発生させなければならないのですが、

ピッチングのバランスを取るためですから致し方ありません。

重心位置がかなり前にあると、水平尾翼が発生させる下向きの力もかなり強くしなければならず、

見かけの重量が増えてしまい、主翼はその分余計に揚力を発生させなければなりません。

つまり、燃費が悪くなってしまいます。

 

飛行中の安定性をよくする為に重心を前に持って来ないといけない。

でもそのままだと機首が下がってしまうので、水平尾翼で機首を持ち上げてやる。

ということなのですが、水平尾翼を機首の方に持って来た「先尾翼機(カナード機)」というタイプもあります。

「安定性確保の為に重心を前に持って来ないといけない。でもそのままだと機首が下がってしまうので」

先尾翼機でもここまでの基本は同じなのですが、機首を持ち上げるための翼が機首についているので、

尾翼に付いている時とは逆で、上向きの力を発生させればよいことになります。

主翼の揚力を一部無駄にしてしまうどころか、更に揚力をプラスすることになり、無駄がありません。

先尾翼にはデメリットも多いのですが、

ロスを極限まで減らす必要がある人力飛行機にこの方式を採用するチームがあるのはこのためです。

 

ペイロード搭載

せっかく設計段階ではきちんと前後のバランスが取れている旅客機でも、

乗客や貨物(ペイロード)の積み方が前後どちらかに偏っていると、これまたバランスを崩してしまいます。

それで極力前後のバランスがとれるような積み方をします。

こうした傾向は小型機ほどシビアで、アイランダー(10人乗りのレシプロ機)など、

乗る前に手荷物を持った状態で体重計に乗せられ、その後席順が決められます。

最終的に操縦士に前後のバランスについての情報が送られ、それに基づいて水平尾翼の取り付け角を微調整し、

水平尾翼にどれだけ下向きの力を発生させるか決め、機首が傾いてしまうのを防いでいます。

ところで一部の旅客機は水平尾翼内にも燃料タンクを設けています。

これは単純に燃料搭載量が増えるから、ということもあるのですが、

この燃料をトリムにして、重心位置の調整に活用しています。

こうやってトリム調整で重心位置を最適化することができれば、水平尾翼が大きな下向きの力を発生させずに済み、

それだけ見かけの重量が減り、燃費が向上します。

 

燃料搭載

旅客機は(主に)主翼内に燃料を積んでいますが、飛行ごとに搭載する燃料の量はマチマチですし、


飛んでいる最中にどんどん消費して軽くなります。

一例ですがジャンボの場合、燃料を173t搭載することができるのですが、この重さは最大離陸重量の4割強にも達します。

これだけ全体に占める割合の非常に大きなものが、着陸時にはかなり消費されてしまうのですから、

燃料タンクが機体前方とか後方にあると、もう大変なことになってしまうことでしょう。

燃料消費に合わせて乗客全員の座席移動が必要になるかもしれません。

それで、「燃料は重心位置のある主翼の中に入れる」というのはバランス面で非常に理にかなったことと言えます。

おかげで乗客は着陸まで席替えをすることなく、同じ席でゆっくり座っていることができます。

さて。重心位置にある主翼に燃料を入れるわけですが、燃料の量がどれだけ変化しても、

重心位置はまったく変化しない。というわけではなく、燃料の消費に伴って重心位置は少しずつ移動します。

では燃料消費に伴って、重心位置が前後どっちに移動した方が燃費が良くなるでしょう?

良かったら考えてみてください。

 

MD-81、MD-90の話

ところで。

オイラは今までずっと、乗客、貨物、燃料を積み込む前の状態のヒコーキは、

前後バランスがキチンととれているものだと思い込んでいたんですね。

それでここまでそれを前提に話を進め、

「リアエンジン機は主翼を後ろにずらすことで前後バランスを保っている」とか書きました。

以前空港に勤務していた方と親しくさせて頂いているのですが、この件で先日話を伺うことができました。

なんとMD-81、MD-90は素の状態(という表現でいいのか知りませんが)で前後バランスがとれておらず、

重たいエンジンを後方に取り付けているため、重量バランスが後方に偏っており、

フェリーフライトの時は、運航バラスト(鉛の帯のようなもの)を前方貨物室に500kg近く搭載しないと飛ばせないのだそうです。

また、ご搭乗客が少ない時、座席は空いているのに変に客室の前のほうにまとまってアサインする。

というのも、バランスの関係なのだそうです。

主翼をかなり後ろにつけてますが、実はあれでもまだちょっと足りなかったのですね。

台風時にはリアが重くて風にあおられ機首が浮くことがあるため、前方の貨物室や客室にバラストを2トン近く積んだり、

燃料を満載して対応しているのだそうです。

バラストを貨物室のみに搭載した場合、床面強度のリミットを越えてしまうため、客室にも搭載するのだそうです。

MD機って、前後のバランスに非常に気を遣って運用しているのですね。

とても生々しい話を伺うことができました。

 

揺れの中心点

最後に。

機首の上下(ピッチング)、左右(ヨーイング)方向の揺れの中心点はどこにあると思いますか?

ここまでの話の流れだと、主翼のところにあるような気がしますよね?

ところが実際には飛行中の上下、左右の揺れの中心点は機首の更に前方にあるのだそうです。

それで、コックピットで僅かな揺れだとしても、

大型旅客機の胴体後部ではかなりの揺れを感じることになってしまうため、

ベルトサイン点灯のタイミングに注意が必要なのだそうです。

やっぱりファーストクラスが最前部なのは理にかなってますね。

食器類にもお金かかってそうですし。


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