御前原飛行場跡地 [├空港]
2011年12月訪問 2020/12更新
撮影年月日1947/11/21(昭22)(USA R585-No1 1)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
栃木県矢板市の「御前原(ごぜんはら)飛行場」。
同じ栃木県の大田原市にあった「金丸原陸軍飛行場」を分散する際、
「埼玉飛行場」の他に候補となったのがこの「御前原飛行場」なのだそうです。
先頭のグーグルマップは例によって滑走路の位置なのですが、
これは既出の資料に出てくる一般的な滑走路位置とは異なるオイラの仮説です。
どういうことなのか以下その理由を。
確認できる資料によれば当滑走路の長さは1,200mであり、この飛行場の位置について、
「矢板東高校と御前原城跡の間にあった」、「御前原城跡北側にあった」と記されています。
ですから資料の通りに作図しようとすると、高校~シャープ工場の辺りに滑走路があったはず。
高校~お城の間は丁度1,200m位で、オイラも最初はここに滑走路があったのだと思ったのですが、
調べていくうちに幾つか疑問点が出てきました。
・終戦から2年後の写真でこの位置を見ると、滑走路跡の形跡は全くなく、人工的なかなり濃い地割が幾つも見られる
→たった2年で滑走路の痕跡をすっかり消し、こんなに地割が造れたとは考えにくい
・城跡の周囲には、掘と土塁が現存しており、堀底と土塁頂部との比高は約4.22~4.68mもある
→滑走路端がこんなに凸凹していたとは考えにくい
紫マーカー地点。
同じく紫マーカー地点。
こんな感じで土塁と掘で凸凹しています。
「矢板東高校と御前原城跡の間にあった」という情報を文字通り捉えると、両者の間はピッタリ1,200mなので、
ここに1,200mの滑走路とすると、もうこの堀のところからすぐに滑走路を造らねばなりません。
こちら側に向かっての離陸だと壁に向かっての離陸になる訳で、
エンスト等何かトラブルで離陸中断をした場合、ここに突っ込んでしまうとタダでは済みませんし、
こちら側に向かっての着陸も、止まり切れないと同様に大事故につながりかねません。
如何に戦時中とはいえ、わざわざこんな凸凹した場所を滑走路端に設定するというのは、オイラには考えにくいです。
お城を背にして離陸/着陸すれば、凸凹問題は解決できるのですが、
「離着陸は風上に向かって」が鉄則で、運用に制約がつくことになります。
一方、当時の航空写真を見ると、城跡のすぐ西側に幅約65mで南に伸びる白い地割があります。
そしてこの地割は真っ直ぐ1,200m以上続いています。
それで、定説とは異なり、実はこっちが滑走路なんじゃないだろうかと考えたのでした。
現地の図書館には2度お邪魔していろいろ調べてみたのですが、
滑走路位置を特定できるような資料を(少なくともオイラは)見つけることが出来ませんでした。
ということで、冒頭の滑走路位置はあくまでオイラの推測でしかないのでご承知ください。
どなたか正確な位置情報をお持ちの方、情報の根拠と共に教えて頂けるととても嬉しいです。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
…と、ここまでが2012年4月に書いたことなんですが、 2018年1月にたまパパ様からコメントを頂きました。
当地の知り合いの方々に半年もかけて聞き取り調査をしてくださり、
「シャープ矢板の研究開発センタビルの西側」、「滑走路?は1kmもなかったと思う」
との証言を大田原在住の80歳近くの方から得てくださいました。
コメントを頂いた時点で80歳近いということは、終戦時は5歳前後でしょうか。
航空写真で見ると終戦から2年後でも滑走路の地割は依然ハッキリ残っており、
当地では今も飛行場のあった場所を「滑走路」と呼ぶ方がおられるそうです。
「お城の西」というのは、これまではオイラの仮説でしかなかったんですが、
初めて地元の方から非常に貴重な情報を頂くことができました。
たまパパ様、地元の皆様、本当にありがとうございましたm(_ _)m
ということで、「シャープの西側に滑走路があった」ということを前提に、改めて航空写真をじっくり見返してみました。
滑走路らしき地割は、同じ幅を保ったまま正確な直線で約1,500m続いています。
それでこの範囲内に滑走路があったはずです。
南端部分は比較的特定し易かったんですが、問題は北端部分。
お城のすぐ西側からスタートして、700m弱位までは明らかに滑走路っぽいんですが、
その先が一体どこまでが実際に滑走路だったのか判別が難しいです。
2012年4月にこの記事をアップした際に滑走路の作図をしたのですが、その時の滑走路の長さは1,240mでした。
で、今回改めて作り直しをしまして、最も可能性の高そうな位置で線を引いた結果、
上のグーグルマップの滑走路は、1,190mとなりました。
地元の方の仰る通り1kmもなかったとすると、滑走路北端部分はここよりもっと手前ということになります。
一方で1,200mという具体的な数字も残っている訳で、どうしたものかと悩むのですが、
御前原飛行場の建設は、昭和19年の秋から原野の伐採、整地が始まったのだそうで、
翌年の夏に完成を見ることなく終戦を迎えました。
もしかすると、軍の計画では1,200m(あるいはもっと長かったかも)だったものの、
終戦により工事が途中で終わったため、地元の方の目にはそれよりもずっと短いものに映った。
ということもあるのかも。
ということで、現段階では「両論併記」の形とさせて頂きたいと思います。
ご了承くださいませ。
防衛研究所には毎年資料閲覧しに行っているのですが、何か当飛行場に関係する資料を見つけた時には、
この記事内でご報告させて頂きます。
そして更に情報をお待ちしておりますm(_ _)m
黒マーカー地点。
滑走路北側
この少し先から滑走路が始まっていたはずです。
赤マーカー地点。
滑走路南側
この辺りから滑走路だったはずです。
栃木県・御前原飛行場跡地
御前原飛行場 データ設置管理者:陸軍
種 別:秘匿飛行場
所在地:栃木県矢板市東町
座 標:N36°47′33″E139°56′26″
標 高:188m
滑走路:1,200m?(「1kmもない」とする地元の方からの証言あり)
方 位:16/34
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
沿革
1944年 秋 原野の伐採、整地などを開始
1945年08月 15日 未完のまま終戦
この記事の資料:
城跡にあったパンフレット、説明版
「ふるさと矢板のあゆみ」