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水戸陸軍(水戸東)飛行場跡地 [├空港]

   2011年12月、2019年9月訪問 2020/12更新  


無題8.png
撮影年月日1946/06/07(USA M158-A-5 30) 

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

茨城県ひたちなか市。

前記事の「水戸東飛行場」の南東約15kmにあった「水戸陸軍(水戸東)飛行場」。

現在跡地は「自動車安全運転センター」、公園、工場等になっています。

■「防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」の中に当飛行場の地図があり、

先頭のグーグルマップはこの地図から作図しました。

「昭和18年1月調」資料添付のこの地図通りに作図すると、グーグルマップをご覧の通りで、

正方形の南西部分が諸施設で飛び出したような形ですが、

上に貼った1946年の航空写真では、北側に拡張したように見えます。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

「水戸陸軍飛行場 茨城県那珂郡前渡村」

面積 南北1,300米 東西1,400米 
地面の状況 平坦なるも東より西方に向け1/200の下り片勾配を有す、硬度は普通にして排水良好なり
目標 那珂川河口、水戸市
障碍物 (記載なし)
離着陸特殊操縦法 離着陸方向は北西又は東西を可とす
格納設備 鉄骨造格納庫(84x50米)3棟、木造格納庫(42x45米)1棟
照明設備 (記載なし) 
通信設備 (記載なし) 
観測設備 陸軍気象観測所あり、航空気象を観測す
給油設備 あり
修理設備 応急修理可能
宿泊設備 兵舎あり、湊町及平磯町に旅館あり
地方風 年最多風向(北西)、年次多風向(北東又は南西)
地方特殊の気象 海陸風の影響あり
交通関係 阿字ヶ浦駅(湊鉄道)2粁 佐和駅(常磐線)7粁
其の他 (記載なし)  
(昭和18年1月調)
 

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  水戸
位 置   茨城県那賀郡前渡村
規 模   要図(1250x1100)
舗 装   一〇〇×六〇〇米 基礎砂利圧入 表層コンクリート 一〇糎
付属施設
 収容施設 一七〇〇名分?
 格納施設 掩体 大十九ヶ所 中十三ヶ所 小三ヶ所
摘 要   施設軍有

DSC_0138.jpg
青マーカー地点。

飛行場方向 

D20_0025.jpg

赤マーカー地点。

那珂湊運動公園から飛行場方向。

前述の資料付図によれば、画面左側に格納庫が2棟並んでいました(上に貼った航空写真にも映ってます)。

余談ですが飛行場北側に「国営ひたち海浜公園」があり、スタッフの方にここに何かないかお尋ねしてみたのですが、

わざわざどこかに問い合わせをして調べてくれ、特に飛行場関連のモノはないけど、ここは元射爆場だったと教えて頂きました。


      茨城県・水戸陸軍(水戸東)飛行場跡地      

水戸陸軍(水戸東)飛行場 データ

設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:茨城県那賀郡前渡村(現・ひたちなか市‎新光町‎)
座 標:N36°23′26″E140°34′57″
標 高:32m
滑走帯:1,300m×1,400m(グラス)
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革(つばさの塔碑文より)
1938年 水戸飛行場設定
1939年 水戸陸軍飛行学校が開校
1940年 水戸南飛行場に陸軍航空通信学校開校。通信教育と研究を移管
1943年 8月、 明野陸軍飛行学校分校開校。水戸校は仙台に移駐
1944年 6月、 分校を常陸教導飛行師団に改編。本土防空の作戦任務
     11月 この月以降特別攻撃隊
1945年 4月、 師団主力は群馬県新田飛行場に移動し終戦に至る

この記事の資料:
水戸つばさの塔碑文
防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部 
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


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