日本のジェットエンジン開発 [├雑談]
日本のジェットエンジン開発について少し書いてみます。
終戦直前のことですが、日本は、ドイツ、イギリス、アメリカに次いで4番目にジェットエンジンを開発し、
実機を飛ばした国で、ジェットエンジンとの関わりの歴史は非常に古く、
国もメーカーも「国産ジェットエンジンを作りたい」という思いはずっとあり、
ジェットエンジンについての研究、性能試験、実機搭載用エンジンの開発が継続的に続けられてきました。
それでもこれまで日本単独で開発したジェットエンジンが一線級の旅客機に採用された例はありません。
実用機に供されたのは、現在のところ空自の中等練習機T-1B用のJ3エンジンと、T-1の後継機T-4用のF3エンジンのみ。
(J3エンジンの改良型は後にP-2Jの補助エンジンとして採用された)
国産エンジン開発が如何に困難か示す有名な話ですが、
当初T-1練習機は機体もエンジンも国産という、純国産ジェット機になる予定でした。
ところがエンジン製造が間に合わず、
苦肉の策として外国製エンジン搭載のT-1A、国産エンジン搭載の後期型T-1Bに分かれてしまいました。
現在開発が進められている次期対潜哨戒機XP-1には石川島播磨(IHI)製の国産ジェットエンジン(XF7-10)が使用されますので、
これが「実用機に供された国産エンジン」の3例目に近々加わる予定です。
A380やB787をはじめ、多くの中/大型旅客機用のエンジン生産には日本企業も多数関わっており、
特に大型ジェットエンジン用シャフトの生産は日本製が世界シェア7割を超える等、
日本製の品質の高さが評価を勝ち得ている部品もあり、
分担比率が大きかったり、主要部分を担当することもあるのですが、いずれも部品メーカー、下請けというのが実情です。
実用機に供されたもので「これは日本が共同開発に加わったエンジンです」と胸を張って言えるのは、
A320シリーズとMD-90に使用されているV2500エンジンのみ。
蛇足になってしまいますが、V2500エンジン開発のきっかけは日本が開発したFJR710というエンジンを
英国国立ガスタービン研究所で設備を借りて試験したことでした。
温度、気圧を擬似的に高空の状態にして、そこにマッハ0.9の空気を吹き込んでエンジンを動かすというもので、
この設備は実際にヒコーキに搭載して試験する前に不可欠なものです。
実機開発に欠かせないエンジン高空試験設備は、JAXAと防衛省が小型の研究用を保有するのみで、
大きなエンジンに使用できる設備が国内にはないのです。
せっかく自主開発で国産エンジンを作っても、肝心の試験を外国で、しかも施設の職員にお任せするしかありません。
これも日本のエンジン開発の現状を物語っていると言えるでしょう。
それはともかく英国国立ガスタービン研究所で試験を行ったのですが、
22日間に及ぶ高空性能試験を行った際、些細なトラブルはあったものの、ほとんど一発で当初の設計値をクリアし、
イギリス側のエンジン関係者を一様に驚かせたことがあったのですが、このことをRR社が知り、
日本側にエンジンの共同開発を持ちかけてきました。
この話が最終的に世界三大エンジンメーカーの内の2社であるRRとP&WにドイツのMTUと日本が参加し、
数千基規模で生産されることとなるV2500エンジンの開発プロジェクトに発展したのでした。
上述の通り、実用機に使用している国産エンジンは二機種の練習機のみなのですが、
その他、国産ジェット機がドコのエンジンを使用しているかというと、
US-2、F-1、T-2はRR(ロールスロイス)製。
C-1、MRJはP&W(プラット・アンド・ホイットニー)製。
F-2、C-XはGE(ゼネラル・エレクトリック)製。
T-1Aはブリストル製。
となっており、 国産ターボプロップ機の分野では、
YS-11はRR製。
MU-2はギャレット・エアリサーチ製。
P-2J、PS-1/US-1はGE製。
となっております(国内でライセンス生産しているものも含む)。
こうやって国産のジェット機、ターボプロップ機を並べてみると、ほとんど自衛隊機ですね。
せっかく国産機を開発しても、そのほとんどが外国製のエンジンを使用せざるを得ない-
こうした状況を打破しようと、国が音頭を取り、支援を行い、国産エンジン開発に非常に力を入れていた時期があり、
戦時中に優秀なヒコーキ、発動機をたくさん製造していた名だたる国内重工業各社が束になって
国産ジェットエンジン開発に取り組んでいたのですが、
実用機に供されたのは現在のところ上述の通り二種の自衛隊練習機のみ。
台数は限られており、海外輸出の実績もありません。
YS-11と言えば「戦後初の国産旅客機」で、オイラの知る限り、
「エンジンも当然国産でしょ」と思い込んでいる方が多いのですが、
肝心の心臓部は国産で賄えなかったわけで、ちょっと寂しいことです。
「ジェットエンジンは国産に拘らずに輸入した方が結果的に時間も費用も節約できるし確実だ。
何もハイリスクを負う必要はない」
という割り切った意見もあるのですが、
「FSXのトラウマ」として今でも日本のエンジン開発の現場に根強く残っている話があります。
20年も前の話ですが、実用に堪える得る戦闘機のエンジンが作れない日本の足元を見透かされ、
次期支援戦闘機開発に関して、「我々の要求がのめなければ、日本にエンジンを供給しない」と米側に強く迫られ、
FSXはアメリカ製のエンジンを使用させて頂く代わりに日米共同開発することになりました。
当時の時代背景もあって、この共同開発では他にも様々理不尽な要求を呑まざるを得ず、
F-2はいろんな意味で米国にいいように食い物にされてしまった。という一面もあるのですが、
それもこれも全ては、「自国で一線級のエンジンが作れない」ことに起因しています。
戦闘機は1本ないし2本のエンジンの周りに羽やらコックピットやらをペタペタくっつけたようなもので、
戦闘機の性能にエンジン性能が占める部分が非常に大きいです。
戦闘機用の一線級エンジンともなると、米国とて予算を組めば簡単に作れる。という訳にはいかず、
アメリカはF-22のエンジン開発だけで1兆円を超える国費を投じています。
如何に「同盟国」であるとはいえ、米国と同等、もしくはそれ以上の性能を有する可能性のある戦闘機を日本が持つことに
米側が無条件で手を貸すことなどあり得ません。
米国製戦闘機を日本に輸出するに際し、米側が真っ先に議論したのは、「どうやって性能を落とすか」だったり、
最近でも日本が独自にステルス戦闘機を開発しようとして、性能試験のために施設の貸与を米国に断られてしまったりと、
「代金ならちゃんと払うから最新式の戦闘機のエンジンちょーだい♪」なんていう単純な話では済まないのです。
一部の人たちが国産エンジン開発に強く拘る理由はここです。
練習機のエンジンは作れても、一線級の旅客機、戦闘機用エンジンを国産で賄うことが出来ない-
寂しい話ですが、これが1950年代のT-1以来変わらぬ日本のジェットエンジン開発の姿です。
現在国内で最も国産ジェットエンジン開発に情熱を持ち続けているのは、
終戦間際に飛んだジェット機のエンジン開発にも関わっていたIHIただ一社のみという状況です。
実は今は、ジェット旅客機MRJ、空自の次期ジェット輸送機C-X、海自の次期ジェット対潜哨戒機XP-1 と、
国産ジェット機開発ラッシュなのですが、既に書いた通りこの中で国産エンジンを搭載するのは XP-1のみ。
三菱は最新の大型ジェットエンジン開発にもずっと関わり続けているのに、
MRJのエンジンはP&W製を採用することになっています。
官民一体となって作り上げたYS-11の初飛行は1962年。
182機が生産されましたが、経営的には大失敗してしまいました。
それが大きなトラウマとなり、その後国産旅客機開発の話は出ては消えることを繰り返し、
結果的に長い間途切れてしまいました。
現在のところMRJは今年の末に初飛行することになっています。
ようやくYS-11以来の国産旅客機の初飛行が目前に迫っているわけですが、
この間国産旅客機の初飛行は実に50年もの長きにわたり途絶えてしまいました。
同じ失敗は二度と許されない。そういう状況ですから、どこのエンジンを採用するかは合理的な判断が必要だった。
ということもMRJに国産エンジンを採用しなかった背景にあるのでしょうか。
MRJに搭載されるのは、P&W製のギアード・ターボファンという新開発のエンジンです。
このエンジンの特徴は、タービンとファンをつなぐ軸の間に減速ギアを組み込んだこと。
これによりファンをゆっくり回すことが出来る一方、タービン、コンプレッサーは高速で回すことができます。
そのため従来のターボ・ファンより効率と燃費が向上し、騒音は下がるという画期的なエンジンです。
これが世界で初めてMRJに搭載されることになっており、ウリの1つになっています。
世界三大エンジンメーカーに市場を席巻されているのが現状で、
国と国内各メーカーが束になっても世界で通用するジェットエンジンの開発/販売ができない。
なぜこうした厳しい現状があるのかについて書籍、ネット上では、
「膨大な経験とデータの蓄積が必要な分野であり、それを果断に実行し続けることが求められる特殊な工業製品である」
「一線級のエンジンを開発するには莫大な資金と10年単位の時間が必要だが、それをやり通す意思が足りない」
「所詮国におんぶに抱っこの寄り合い所帯では責任の所在が明確でなく、こうしたプロジェクトがうまくいくはずがない」
「世界でもエンジン開発は国際共同が主流になっている。実績のない日本が独自で開発というのは土台無理なのだ」
等々様々言われており、オイラにとってジェットエンジン開発というのは、途方もない高い壁と映ってきたのでした。