SSブログ

沖縄旅行・1 [■旅行記]


(自宅→羽田空港→)Ⓐ那覇空港→Ⓑ石嶺飛行場跡地→Ⓒ西原飛行場跡地→Ⓓ沖縄南飛行場跡地→Ⓔ普天間飛行場→Ⓕハンビー飛行場跡地→Ⓖ瑞慶覧飛行場跡地→Ⓗ泡瀬飛行場跡地→Ⓘ嘉手納飛行場→Ⓐ沖縄北飛行場跡地→Ⓑ金武飛行場跡地→Ⓒホテルゆがふいんおきなわ

お客様への新年のご挨拶が一巡した1月下旬、沖縄に行ってきたのでした。

実はこの時期が最も安心して遠い所に行けるのです。

今回沖縄で行きたい場所は全部で28ヵ所もあり、4つの離島に船で渡ります。

この時期は海が荒れることが多いので、無事船に乗れるかどうかはまったく分かりません。

それから行きたい場所が多いので、全部回れるかどうかもやってみないと分からないです。

果たしてオイラは、最終日に那覇空港を離着陸するヒコーキを眺めながら、

ソファーでゆったりとブランデーを愉しむことができるのでしょうか。

今回はるるぶのツアーを利用しました。

往復のヒコーキ代、ホテル4泊、レンタカー6日間込み、レンタカーの保険、ヒコーキの便指定等、全部含めて61,550円。

…デフレですね~。

 

4:35 自宅近くの駅からバスで羽田へ。

5:45 羽田1タミ到着。今回は荷物を切り詰めたので、直接保安検査場へ。

ツアー利用だと、これまでは「航空チケット引換証」が郵送され、それを窓口に持って行ったのですが、

今はネット上で所定の手続きが完了すると、画面に二次元バーコードが示されます。

それをプリントアウトして保安検査所と、搭乗口でかざすだけ。

オイラの知らないうちに随分と便利になったものです。

プリントアウトした用紙から二次元バーコードの部分だけ切り取って使用したのですが、

帰りの便でも同じものを使うのでなくさないようにしないと。

5:50 9番搭乗口着。

6:20 定刻通り出発。

早速イヤホンで音楽でも聞こうとチャンネルを変えていたら、なんだか聞きなれた声が。

出勤時は車内で文化放送を聞くことが多いのですが、その番組のタイアップ?でした。

まだまだ薄暗い中、滑走路に向かう機内なのですが、なんだかいつもの出勤の気分に^^; 

D滑走路 R/W05 からの離陸でした。

D20_0003.jpg

767-300でした。

D20_0017.jpg

D20_0041.jpg

D20_0046.jpg

D20_0062.jpg

D20_0065.jpg

D20_0073.jpg

9:15 那覇空港到着。ほぼ4年ぶりの沖縄です。懐かしい~。(;´Д⊂)

自宅を出た時には5℃位だったのですが、こちらは17℃。暑い!

レンタカー会社のバスに乗り、最寄りのレンタカー店で手続き。

ETC、カーナビ付の3代目ヴィッツでした。

係のおねーさんは「新型ですよ!」と、新型であることをアピールしていましたが、

ヴィッツは2代目だよな~。

ツアーの予定では、レンタカーが借りられるのは15:30 からだったのですが、

事前に連絡して、割増料金を少し払ってすぐ乗れるように頼んでおいたのでした。

まずは腹ごしらえして、近くのユニオンで水購入。久米島の水2リットル57円だったので3本と菓子パン購入。

レジに行くと、レジのおばさんが何事かごにょごにょとしゃべっています。

てっきりひとり言かと思っていたのですが、「レジ袋持って来てますか?」というオイラへの問いかけでした。

この後も何度かあったのですが、まるでひとり言か、家族に喋るように、

まったく気負わずのんびりと話し掛けてくるのでした。

10:30 本格的に飛行場回り開始。

いい天気です。昼ごろから気温も上がり、1月下旬だというのに本日の最高気温は24℃!(☆Д☆)

ずっとエアコンつけっぱでした。

明日は与論島行の船に乗るため、本日は名護市のホテルに泊まります。

それで名護に向かいつつ、その途中にある飛行場、跡地を回ることにしていたのですが、

たくさんあるので全部回れるとは思っていなかったのですが、結局全部回れました。

現在は滑走路どころか飛行場の形跡が何も残っていなかったり、

米軍の基地になっていて、近寄ることができない箇所が多かったからですけども。

相変わらず市街地の道路は狭く、住宅がひしめき合っていて、車で入っていくのは一苦労です。

そしてゴチャゴチャの先にぽっかりと不思議な空間があるのもまた沖縄の特徴。

ぎっしりと並ぶ民家の先が突然フェンスでぶった切られ、その先が広々した基地になっていたりします。

D20_0103.jpg

嘉数高台公園にある「弾痕の塀」。

普天間飛行場を撮るためにお邪魔して偶然知ったのですが、

ここ「嘉数高台」は日本軍と米軍の最激戦地の1つなのだそうです。

嘉手納飛行場見学は、そのスジでは有名な「道の駅かでな」にお邪魔しました。

ここの4階には展望場があって、お邪魔するのは今回で多分4回目だったと思うのですが、

いつ行ってもそのスジの濃いィ方々がおられ、滑走路に向けて大砲がずらりと並んでいて圧倒されます。

小さくなって飛行場を撮り、3階の学習展示室へ。

次の「読谷飛行場跡地」に着いたのは、そろそろ太陽の高さが気になり始めた頃でした。

ここは恐らく、県内で最も当時の様子が残っている跡地です。

滑走路と平行誘導路の跡がほぼそのまま残っており、誘導路では駐機場跡も見ることが出来ます。

誘導路脇に車を停め写真を撮っていたら、

ランニング中の中学生位のユニフォームに身を包んだ野球部員とすれ違いました。

わざわざ脱帽して「こんにちわ~!」とすんごい大声で挨拶されました Σ(゚Д゚;)

ビックリしながらも、「が、がんばってね~」と声を掛けると、

真っ黒な顔に白い歯をニカッと光らせ、爽やかに走り去って行きました。

しまった。「チバリヨー」とか言えば良かった。と後悔しても後の祭り。

周囲は見渡す限りのサトウキビ畑、そこに誘導路が真っ直ぐ伸びています。

こんなところが普段のランニングコースなんだな~。

ここの飛行場跡地は、沖縄占領後(まだ終戦ではない)に、

熊本の基地から飛び立ったヒコーキが強行着陸を行った場所でもあります。

その碑があるはずなのですが、(この辺にあるはず)と思っていた場所をうろうろしてもなかなか見つかりません。

真っ直ぐ続く誘導路と滑走路以外はサトウキビの葉が風に揺れ、

ときたま遠くで輸送機が眠たげな音を響かせながらゆっくり旋回していくとても長閑な所でした。

もしかして碑はサトウキビ畑の中にあるのかしらん。と思ったのですが、ずかずか入っていくわけにもいかず、

ふと見ると、畑でしゃがみ込んで世話をしているオジーの姿が。

誘導路から畑のオジーに大声で尋ねてみたのですが、ちょっと笑って小首をかしげるばかり。

少なくともこの辺にはないようです。お礼を言ってとりあえず近くにあるはずの掩体壕を探すことに。

掩体壕はほどなく見つかりました。そして掩体壕の側に碑も。

オイラが思っていたのとはまったく違う場所にあったのでした。

もしかして移設したのかしらん。

ということで無事撮影を済ませたのですが、掩体壕は全部で3つあるはずなので、あと2つ残っています。

その2つを探したのですが見つかりません。

畑で作業をしていたおぢさんに尋ねてみました。

真っ黒に日焼けし、深いしわの刻まれた顔をくしゃくしゃにして笑顔で教えてくれました。

確かにあと2つあったのですが、最近までに壊されてしまい、現在はあの1つだけなのだそうです。

また1つ、見たかった場所が消失してしまいました。

最後にもう1カ所、「キャンプハンセン」は日没ギリギリで間に合いました。

本日の見学はこれにて終了。

名護のホテルに向かうことに。

しかし予想外にたくさん見て回ることが出来ました。

今日回れなかった分は、本島北部と離島の見学後行くことにしていたのですが、その必要がなくなりました。

おかげで半日分の余裕が生まれました。

それで、当初は予定していなかった本島最北端の辺戸岬にも行ってみようと考えたのでした。

 

18:30 ホテル到着。

22:00 寝。

おやすみなさい。

本日の走行距離:133km

(続きます)


コメント(13)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー