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普天間飛行場 [├空港]

   2012年1月訪問 2020/12更新  


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撮影年月日1945/12/10(昭20)(USA M22 27) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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SkyVector.com

沖縄県‎宜野湾市‎宜野湾‎にある「普天間飛行場」。

ニュースでも時々登場する渦中の飛行場ですが、元々は村役場や宜野湾国民学校もあり、

南北には宜野湾並松(ジノーンナンマチ)と呼ばれた街道が走る生活の中心地でした。

1945年の沖縄戦の際、宜野湾に侵攻した米軍が占領と同時に土地を接収し、

重爆撃機専用の新規飛行場として建設を始めました。

同年10月以降に順次、収容所や避難先から住民の帰村が許されましたが、

米軍に割り当てられた飛行場周辺の土地で、集落の再編を余儀なくされました。

宜野湾市史によれば、沖縄戦前年の1944年、宜野湾村(当時)には22の字があり、人口は13,635人。

そのうち、普天間飛行場は14字にまたがる宜野湾の中心に建設されました。

その14字では8,880人が生活していたのだそうです。

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赤マーカー地点。

「嘉数高台公園」から。


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誘導路がすんごい波打ってます。

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滑走路端はこんな感じ。さらにカメラを左に振ると…

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こんな感じ。


      沖縄県・普天間飛行場      

普天間飛行場 データ
設置管理者:米軍
4レター:ROTM
種 別:米海兵隊飛行場
所在地:沖縄県‎宜野湾市‎宜野湾‎
座 標:N26°16′27″E127°45′23″
標 高:75m
面 積:480.5ha
滑走路:2,400mx114m→2,743m×46m
磁方位:06/24
(座標はグーグルアースから)

沿革
1945年04月 沖縄占領と同時に米軍接収。米陸軍工兵隊が本土決戦に備えて滑走路を建設
     06月 15日。完成
1953年    2,400mの滑走路を2,700mに延長。ナイキ基地を建設
1960年05月 陸軍から海兵隊施設に移管、海兵隊航空基地として使用開始
1969年11月 第1海兵航空団の第36海兵航空群のホームベースとなる
1978年01月 ハンビー飛行場の返還に伴う格納庫・駐機場・駐車場などの代替施設を建設
1996年12月 SACOの最終報告により、同施設の全面返還が日米間で合意される
1997年12月 名護市長、海上ヘリポート受け入れを正式発表
1998年02月 大田沖縄県知事、海上ヘリポート受け入れ拒否を表明
1999年11月 稲嶺沖縄県知事、普天間飛行場の移設候補地を表明
2002年07月 「キャンプ・シュワブ水域内名護市辺野古沿岸域」がその移設先に

関連サイト:
宜野湾市/普天間飛行場の概要 
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