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金武(チム)飛行場跡地 [├空港]

   2012年1月訪問 2020/12更新  


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撮影年月日1946/02/22(昭21)(USAokinawa M45 18) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

沖縄県‎国頭郡‎金武町にあった「金武(チム)飛行場」。

米軍が本土攻撃のため、占領後すぐ新規に建設した飛行場です。

金武(きん)町にあるので「きんひこうじょう」なのですが、「チム飛行場」とも呼ばれており、これは、

「米軍が『金武』を聞き間違えた」とも、「外人の発音」とも言われています。

現在は米海兵隊の「キャンプ・ハンセン」になっています。

沖縄市の戦跡と基地 (13コマ目)によれば、

「金武飛行場...1945年4月下旬、金武村に建設。中距離爆撃機などが発着し、本島中南部や日本本土の爆撃に出撃した。戦後一時放棄されたが、50年代にキャンプハンセンとして基地が再構築された。 」

とありました。

D20_0211.jpg

赤マーカー地点。

基地内を覗ける場所が限られていて、しかも画面右側からは夕日が差し込むせいでこんな写真になってしまいました。

高く盛り土をして、その上に滑走路を造っていたように見えます。


      沖縄県・金武(チム)飛行場跡地     
米軍は上陸に先立ち、飛行場建設予定地を絨毯爆撃して地ならししたのですが、住民は、「何故山や畑しか無い所を爆撃するのか」と非常に不思議がっていたのだそうです。上陸した米軍は4月中に飛行場をほぼ完成させたのですが、5月中旬から下旬にかけて、恩納岳や久志岳にたてこもってゲリラ戦を展開していた護郷隊(遊撃隊)が金武飛行場を襲撃、5月21日には米軍の燃料集積所を爆破しました。すでに住民は米軍の管理下にあったのですが、飛行場に近接する金武・並里の住民は襲撃との関連を疑われ徹底した「掃討作戦」(家宅捜索)が行われました。6月20日には全住民の中川(銀原、城原)、漢那、宜野座への移動が命じられ、以後億首川を境に金武飛行場区域への立ち入りは禁じられました。金武・並 里の焼け残った家屋は取り壊され、移動先の仮小屋建築の資材にされるという一件があったのだそうです

金武(チム)飛行場 データ
設置管理者:米軍
種 別:小型、中型爆撃機用飛行場
所在地:沖縄県‎国頭郡‎金武町‎金武‎
座 標:N26°27′40″E127°55′07″
標 高:50m
滑走路:1,520mx110m?
方 位:07/25
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年02月 28日 米軍偵察機、金武の空中撮影を行い、飛行場予定地を選定
    03月 23日 米軍の沖縄攻略作戦開始。金武の飛行場予定地に絨毯爆撃を行い地ならし
    04月 06日 米軍、占領の上飛行場建設開始。約10日間で小型、中型爆撃機用の飛行場をほぼ完成させる
    05月 小型機が発着するようになる。以降日本本土攻撃の前線基地として使用
    05月 16,21日。2度に渡り、山に立てこもる日本軍の遊撃隊により飛行場が襲撃される
    08月  終戦により使用されなくなる。
1946年    嘉手納飛行場への機能集中により放棄
1947年07月 22日 実弾射撃の訓練場として使用される

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