月島飛行場(晴海連絡用飛行場)跡地 [├空港]
2012年4月訪問 2021/1更新
撮影年月日1956/03/06(昭31)(USA M288 50)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
東京都中央区晴海5丁目にあった「月島飛行場(晴海連絡用飛行場)」。
進駐軍が接収地に作った飛行場です。
当飛行場については、名称、滑走路位置が不明だったのですが、
「中央区三十年史上」501pに「占領軍による土地と建物の接収状況図」がありました。
先頭のグーグルマップは、この図に従って接収地を赤で囲みました。
そしてこの接収地の中で滑走路っぽい地割をグレーにしてあります。
ということで、明確な根拠は無く、「接収地がこんな形なら、滑走路はこうだったはず」という、
オイラの主観で作図したものだったんですが、
その後、藤井勉さん(飛行場を実際に見ておられた地元の方)から「それで合ってます」とコメント頂き、
当時の様子等含めて教えて頂きました。
詳しくはコメント欄をご覧ください。
藤井勉さん貴重な情報をありがとうございましたm(_ _)m
同区史によりますと、当地は明治20年に着工した埋立地です。
「月島一号地」~「月島四号地」までの埋め立て事業が実施され、
飛行場のあった当「月島四号地」は昭和6年4月竣工しました。
「月島四号地」は晴海1~6丁目に区画されており、晴海5,6丁目は日本陸軍の占用地として使用されていました。
この場所が終戦と共に進駐軍に接収され、邦人の立ち入り禁止区域となったのですが、
「接収時の名称、用途」蘭には、「レシーバー・アイランド」と記載されています。
つまり米軍の通信基地として使用されたわけで、そこに飛行場が建設されました。
因みに、埋め立て第1号だった月島は、「島を築く」という意味の「築島」が有力候補だったのですが、
「島が月の形に見えることやイメージを考慮して月島になった」のだそうです。
「晴海三丁目」交差点から滑走路方向。
東京都・月島飛行場(晴海連絡用飛行場)跡地
月島飛行場(晴海連絡用飛行場) データ設置管理者:米軍
種 別:連絡用飛行場
所在地:東京都中央区晴海5丁目
座 標:N35°39′09″E139°46′40″
標 高:3m
滑走路:770mx40m?
方 位:05/23?
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
沿革
1945年09月 進駐軍により接収。終戦までは陸軍の占用地だった
1957年03月 「当月末現在、土地提供中」と資料に記載あり
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この記事の資料:
中央区三十年史・上