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柏陸軍飛行場跡地 [├空港]

   2012年7月訪問 2022/1更新  


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(昭和13年11月撮影)高度約1,000米 方位NE 距離約1,400米
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1938年(昭和13年)11月調査資料添付地図 Translation No. 21, 23 December 1944, airways data; Kanto Chiho. Report No. 3-d(20), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上2枚とも)
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撮影年月日1947/10/23(USA R393 118) 

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

千葉県‎柏市‎柏の葉にあった「柏飛行場」。

旧陸軍の飛行場です。 

当時は田中村にあったので地元では「柏の田中飛行場」と呼ばれていました。

先頭のグーグルマップは、後述しますが現地の説明版にある図から作図しました。

この説明版にある飛行場の図は、終戦の頃のものと思われます。

■ 防衛研究所収蔵資料:「S14.10 航空路資料 第3 其の3 関東地方飛行場及不時着陸場 水路部」

にも、 昭和13年11月調べの資料に地図が添付されていました。

で、説明版にある地図と、昭和13年資料の地図の相違の部分を赤線で示しました。

南側もそうなんですが、後年北側の地割がより大きく拡張した様子が分かります。

昭和13年資料の地図では、飛行場北側はドーム状になっていて、ここは「射爆場」とあります。

上に貼った1947年の航空写真では、北西~南東方向の舗装滑走路が目立っていますが、

滑走路の途中にターニングパッド的なものがあります。

通常ターニングパッドは、滑走路端にあるものなんですが、

昭和13年資料の地図で見ると、このターニングパッドのすぐ北側までが飛行場敷地で、

その先が「射爆場」です。

ということで、当初はこのターニングパッドのあったところまでが滑走路だったものを、

後に射爆場も飛行場とし、滑走路を北側に大きく延長したのではないかと思います。

地割を見ると、横風用の滑走路もあったっぽいですね。

同資料の情報を一部引用させて頂きます。


柏陸軍飛行場(昭和13年11月調)
千葉県東葛飾郡田中村大字十余二、同郡八木村大字駒木新田
(柏町の北西方約4.2粁)。

着陸場の状況
高さ 平均水面上約20米。
広さ及形状 本飛行場は東西約1,500米、南北約1,300米の多角形地区(総
面積約145萬平方米)なり・整地区域は周辺より約100乃至約150米の区域に
して着陸可能区域は図示の如く長さ東西約800米、南北約1,000米の不等五辺
形地区なり・場の北側は半円形をなせる射撃場に及南側は飛行第5戦隊近藤部
隊に隣接す(付図参照)。
地表の土質 粘土。
地面の状況 本場は雑木林地帯を飛行場として整地均土せしものなり・地
表は起伏なき平坦地にして概ね堅硬なるも設置後日尚浅く地表稍々軟弱なる部
分あり・場の中央に於て南北に分水嶺を設け東西に向い約1/3000の下り勾配あ
り・傾斜地なるを以て排水良好なり・殆んど全面に牧草を生し着陸地域及付近
は芝密生す・草地なるを以て日射に因る地面の状況には影響なきも冬季霜解の
際には滲透少きため一部泥濘となることありと言う・場の東西両側周辺に幅3
米、深さ約1米の排水溝を繞らし場内の雨水を停滞せしめざる様施設し更に之
を3箇所の排水流溜枡(東側のものは幅約80米、長さ約100米、深さ約2米、
西側のものは100米平方深さ2米、南西方建築物敷地付近のものは幅約40米、
長さ約50米、深さ約2米)に導く施設あり現在迄の調査に依れば最大溜量は
0.7米位なりと言う・格納庫前面に「コンクリート」造整備場あり・場の北側
に射撃場あり。
場内の障碍物 着陸区域にはなし。
適当なる離着陸方向 北北西又は南南東。
着陸上注意すべき点 設置後日尚浅きを以て処々に軟弱なる箇所あり又
工事用諸材料、工作機具存置しあることあり離着陸の際注意を要す・目下本場
は滑走路未完成に付練習機の単機着陸に辛じて使用し得る程度なりと言う。
施設 格納庫3(高さ約6米、間口約84米、奥行約50米のもの2棟、高
さ約6米、間口約42米、奥行約50米のもの1棟)(内2棟工事中なり)あり
・鉄塔及格納庫に障碍物標示燈(5箇)東西に並列し設置す・吹流柱1基・場
の南方敷地内に兵舎3棟、医務室、炊事場、浴室、倉庫油庫、弾丸庫、高架水
槽等の諸建築物あり。
其の他
本飛行場は飛行第5戦隊(近藤部隊)所属飛行場にして11月下旬立川より移
転せり目下整理中の飛行場地域及建築中の格納庫あり・航空諸施設未だ完備す
るに至らざるも飛行場完成の上は漸次充実の予定なり・北側にある射撃場の樹
木は伐採せられあり着陸には支障とならず。

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  柏
位 置   千葉県東高飾郡田中村
規 模   要図
舗 装   一〇〇×一五〇〇米
      巾一〇〇米長一〇〇〇米基礎
      栗石表層アスファルト巾
      一〇〇×長五〇〇米基礎
      栗石五糎表層コンク
      リート厚一〇糎
付属施設
 収容施設 一五〇〇名分
 格納施設 飛行機庫五棟 掩体七九ヶ所
摘 要   施設軍有

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赤マーカー地点。

この先から奥に向かって滑走路が伸びていたはず。

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青マーカー地点。

右奥の鉄塔は柏通信所。

営門跡。説明版がありました。

旧陸軍東部第105部隊の営門(全文)
 この門柱は、昭和13年(1938)11月に開設された柏飛行場の兵営施設の営門(旧陸軍東部第105部隊営門)で、建設当時の位置のまま残されています。右の写真は、施設正面を撮影したもので、営門や衛兵の姿、本部建物など戦争当時の状況を伺うことができる貴重なものです。柏飛行場は、現在の県立柏の葉公園を含む柏の葉、中十余二の地区にありました。昭和初期、中国との関係悪化から、「国土防空」特に「帝都防空」のため飛行場建設を急ぐ必要がありました。そこで昭和12年(1937)6月、陸軍の近衛師団経理部が新設飛行場予定地を旧東葛飾郡田中村十余二に計画し、地元の誘致運動もあり、同年9月に旧田中村、八木村(現流山市)にまたがる約145万㎡の用地を買収し、同13年1月に起工式が行われ、同11年に1,500mの滑走路1本を有する飛行場が完成しました。併せて同13年に東京立川から陸軍飛行第五戦隊が移転し、同17~18年(1942~1943)に兵員は700人を超えるまでになり、松戸、成増、調布などとともに同19年(1944)末から激しくなったB-29爆撃機による空襲に対し防空戦闘にあたりました。戦争末期の同20年1月には我が国初のロケット戦闘機「秋水」の基地となりましたが、テスト飛行で終わり、終戦を迎えます。戦後、米軍に接収され、同30年(1955)に「米空軍柏通信所」、トムリンソン通信基地が建設されましたが、返還交渉を経て、同54年(1979)に日本に全面返還となり現在に至ります。戦時中の様子を今に伝える市内に残された数少ない文化財です。平成24年3月31日 柏市教育委員会
 

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説明版にあった飛行場図。

「陸軍飛行場便覧」によれば、終戦時の当飛行場は滑走路が2本クロスして描かれていて、

1,500mx100mが2本 舗装。とされています。

丁度上の説明版の、←1800m→のあたり。

ただし、1947年の航空写真(下記リンク参照)で見ても、1946年3月の写真でも、整地してあるようにしか見えません。

2014/9/20追記:アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、千葉縣立東葛飾中學校滑空部が当飛行場を使用していたという記録が残されています。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m


      千葉県・柏飛行場跡地     
「滑走路は柏の葉公園東側の道路に接していた」という説があります。先頭の地図は当時の写真等から注意深く作図したつもりなのですが、オイラの計算では接していません。ただし説明版の見取り図にもある通り、滑走路の中央付近にはターニングパッド?が設けられており、この一部が公園の道路に接していた可能性はあると思います

・柏飛行場(昭和13年11月資料) データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:千葉県東葛飾郡田中村大字十余二、同郡八木村大字駒木新田
標 高:20m
面 積:145ha
飛行場:1,500mx1,300m(不定形)
着陸可能区域:800mx1,000m(不定形)
滑走路:1,050mx100m
方 位:15/33
(滑走路長さ、方位はグーグルアースから、他は資料から)

・柏飛行場(終戦時) データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:千葉県東高飾郡田中村(現・柏市‎柏の葉)
座 標:N35°53′58″E139°56′28″
滑走路:1,500mx100m
方 位:15/33
(座標、方位はグーグルアースより)

沿革
1937年06月 帝都防空を任とする陸軍飛行場建設計画
    09月 用地買収
1938年01月 起工式
    11月 飛行場完成。 陸軍飛行第五戦隊が移転
1940年   この頃、 千葉縣立東葛飾中學校滑空部が当飛行場を使用
1945年01月  ロケット戦闘機「秋水」の基地となる。戦後接収
1955年   「米空軍柏通信所」建設
1979年   全面返還

関連サイト:
ブログ内関連記事    

この記事の資料:
現地の説明版
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」
防衛研究所収蔵資料:「S14.10 航空路資料 第3 其の3 関東地方飛行場及不時着陸場 水路部」
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


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