木更津飛行場(木更津航空基地跡地) [├空港]
2012年7月訪問 2021/1更新
撮影年月日
1947/02/22(昭22)(USA M50 66)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
SkyVector.com
陸上自衛隊木更津駐屯地にある「木更津飛行場」。
元々は海軍の木更津航空基地として埋め立てて建設されたもので、
末期には初の国産ジェット機橘花が飛んだ飛行場でもあります。
また、終戦の月19日早朝、当飛行場から河辺参謀次長を全権とした日本の降伏使節団一行が、
白塗りの一式陸攻2機で伊江島に行き、米軍機に乗り継いでマッカーサーの待つマニラに飛んだのだそうです。
現在は敷地を対角線に走る滑走路1本の飛行場なのですが、
海軍当時は1,650m、1,500m、1,200mの3本の滑走路を有しており、
現在でもうっすらと滑走路、ターニングパッドの跡が残っています。
南南西~北北東の滑走路跡は、1970年代になってから一部舗装して使用しているようです。
■「日本海軍航空史」(終戦時)では、当航空基地の滑走路について、
1,500mx70m(アスファルト)、1,650mx80m(アスファルト)、1,200mx80m(アスファルト)とありました。
■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
地名:木更津
建設年:
飛行場長x幅
米:1650x80 1500x80 1200x80
主要機隊数:中型2.0
小型6.0
主任務:作戦
隧道竝ニ地下施設:居住、倉庫、工場燃料、爆弾等 居w
兵舎14.183平米分散兵舎2 100平米 指揮所、電信所、爆弾庫、燃料庫、倉庫、工業場 雷調8本同格納庫72本 掩体:小型有蓋10
小型無蓋19 中型無蓋36
其ノ他記事:燃料置場 土地2534坪 格2548圓 揮発油庫土地33坪 價33圓
■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地位置図」でも、当航空基地について、
1,000x100 1,200x100 1,200x100 90x100 800x100 と5本の滑走路について、記されていました。
■防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
には、「木更津空開隊(S11.4.1)」とありました。
滑走路北側から撮ったつもりの写真。
残念ながら滑走路視認できず。。。
千葉県・木更津飛行場
(そのスジでは有名ですが)グーグルの2004年データで見ると、飛行場敷地内にANAジャンボが飛んでます(o ̄∇ ̄o)
・木更津航空基地(海軍当時) データ
設置管理者:海軍
種 別:陸上飛行場
滑走路: 1,650mx80m(02/20)、1,500mx80m(16/34)、1,200mx80m(11/29)
(方位はグーグルアースから、他は資料から)
・木更津飛行場(現在) データ
設置管理者:防衛省
4レター:RJTK
種 別:陸上飛行場
所在地:千葉県木更津市吾妻地先
座 標:N35°23′54″E139°54′36″
標 高:3m
滑走路:1,830m×45m
磁方位:02/20
(座標はグーグルアースから)
沿革
1936年04月 1日、開隊
1945年08月 07日、 国産初ジェット機「橘花」テスト飛行
15日 終戦
19日 降伏使節団一行がマニラへ
09月 米軍、木更津進駐
関連サイト:
ブログ内関連記事■
この記事の資料:
「日本海軍航空史」(終戦時)
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地位置図」
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」