千葉県を回った話・2 [■旅行記]
Ⓐ道の駅「たけゆらの里おおたき」→Ⓑ太東飛行場跡地→Ⓒ茂原海軍航空基地跡地→Ⓓ誉田飛行場跡地→Ⓔ東金飛行場跡地→Ⓕ横芝飛行場跡地→Ⓖ香取航空基地跡地→Ⓗ銚子分教場跡地→Ⓘ銚子ボルタック→Ⓐ八街分教場跡地→Ⓑ印旛陸軍飛行場跡地→Ⓒ自宅
2日目。
4:30 起床。
5:00 出発。
まずはすぐ近くの太東飛行場跡地へ。
ここで「滑走路はここからあっちの方に伸びていたはず」と信じる場所を撮ったのですが、
戻ってからよく調べたらオイラ明後日の方向を撮ってました。。。 _| ̄|○ il||li
ここは後日やり直し。
そして茂原市へ北上。
「茂原飛行場跡地」には掩体壕が多数現存しており、今回の2日間で最も見所の多いポイントでした。
あちこちうろうろして見つけることのできない箇所も多かったのですが、それでも結構見つかりました。
次。緑区平川町の誉田飛行場跡地へ。
ここは場所がかなりあやふやなのですが、恐らくこのあたりだろうと思われる場所を撮りました。
ネットを見ると、畑の中に基礎が現存するとのことだったのですが、オイラは発見できませんでした。
次。九十九里近くの東金飛行場跡地へ。
ここは当時の航空写真を眺めていて偶然誘導路を発見したのですが、肝心の滑走路が見当たらず、
どこの何という飛行場かも不明で、長年ナゾの飛行場でした。
最近になってやっと「東金飛行場」だったのだと判明したのでした。
ここは公園に碑が整備されています。
次、更に北上して横芝飛行場跡地へ。
ここも公園内に碑が整備されていました。
次、旭市の香取飛行場跡地へ。
ここは海軍飛行場当時、十字の滑走路が作られたのですが、
現在そのうちの1本がテストコースとして残っています。
なんとかそのコース面が見れないかとうろうろしたのですが、
コースは高い緑の壁に囲まれており、見ることは叶いませんでした。
また周辺には掩体壕があり、撮影したのでした。
次。銚子市の銚子飛行場跡地へ。
住宅密集地の中に小さな公園があり、そこに碑が整備されていました。
すぐ近くに銚子ボルタックもあるので見学。
現在時刻は13:15。
初日には、まさかここまで来れるとは思っていなかったのですが、なんとか最東端まで来れました。
これで千葉県内で残っているのは、自宅に戻る方向に、成田空港の航空博物館、八街飛行場跡地、印旛飛行場跡地の三箇所。
航空博物館は見所満載で見学に時間がかかり、跡地見学は明るいうちでないとできません。
三箇所全て回るのは時間的に厳しいです。
お天気に恵まれているので、博物館は次のお楽しみにとって置き、跡地見学を優先することにしました。
この時は、(これで千葉県は制覇だぜ)と信じていたし。
まず八街飛行場跡地で滑走路跡を撮り、近くに整備されている碑の見学。
その後、印西市の印旛飛行場跡地へ。
「ここが飛行場跡地だ」と信じる場所を撮影し、何か碑はないものだろうかと探し回ったのですが見つからず、
ここには碑は整備されていないのだろうと考え、帰路に付きました。
…が、自宅に戻ってよく調べたら、公園内に碑があることが判明。(XДX)
しかも、最近の調査によって判明した滑走路位置というものまで出ています。
ということで、ここも後日やり直しすることに。
また、下志津飛行場の場所がずっと確定できなかったのですが、防護巡洋艦吉野さんから教えて頂いた通り、
現在の下志津駐屯地であることが判明。
そして館山航空基地について調べていたら、すぐ近くに洲崎海軍航空基地があったことが判明。
「洲崎」は江東区、父島に次いで3つ目です。カブり過ぎだよ!
…と思ったら、ここは滑走路も飛行機もない教育のための施設だそうです。
そんなわけで、一応2日間で判明している飛行場/跡地は全部回ったつもりでいたのですが、
下志津飛行場跡地、太東飛行場跡地、それから当時に因んだ場所ということで船橋送信所、
それと成田空港の航空博物館の4つが残ったのでした。
そして後日、調べていたら、千葉県内に飛行場跡地が更に2つ見つかりました。
また後日千葉県にお邪魔しなくては。
これで千葉編はひとまず終わりです。
長々とお付き合い、ありがとうございました。
印旛飛行場跡地で見かけました。
これが日常なのですね。