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下志津陸軍飛行学校銚子分教場(銚子、三崎、春日台飛行場)跡地 [├空港]

   2012年7月、2022年2月訪問 2022/2更新  



無題1.png
撮影年月日 1947/11/12(昭22)(USA R535 165) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


千葉県‎銚子市‎春日台町。

ここに「下志津陸軍飛行学校銚子分教場」がありました。

前記事の「香取飛行場」の東約18kmに位置しています。

非常に長々とした名称ですが、「銚子飛行場」とも、地元では「三崎飛行場」、「春日台飛行場」とも呼ばれていました。

本家「下志津陸軍飛行学校」は同じ千葉県にあり、現在は陸自の「下志津駐屯地」になっています。

■防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.10 水路部」に図があり、

先頭のグーグルマップはこの図から作図しました。

微妙に異なる部分は、1947年の航空写真を優先しております。

同資料に当飛行場の情報が記載されていましたので、以下引用させて頂きます。

■「防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部」の中でも、

「銚子陸軍飛行場 千葉県銚子市上野町」 として、以下全く同じ記載がありました

面積 南北1,200米 東西1,000米
地面の状況 平坦且堅硬なり、芝及雑草を生ず、排水概ね良好なるも霜解けの際は稍泥濘と為る
目標 銚子市、利根川河口
障碍物 (記載なし)
離着陸特殊操縦法 (記載なし)
格納設備 格納庫3棟
照明設備 建物屋上に障碍物標示燈あり
通信設備 (記載なし)
観測設備 銚子測候所(東方約6粁)にて航空気象を観測す
給油設備 完備す
修理設備 応急修理可能
宿泊設備 兵舎あり
地方風 冬季は北西風、夏季は南又は南南西風にして其の他は北北東風なり・偏北風は9月に始まり冬季中風強し
地方特殊の気象 海陸風の影響あり
交通関係 銚子駅(総武本線)東方約2.3粁 銚子駅より「バス」の便あり
其の他 本場は下志津陸軍飛行学校分教場なり
(昭和18年4月調)
 

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  銚子
位 置   千葉県銚子市上野町
規 模   要図(北西-南東900 北東-南西800-1000)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 二五〇名分
 格納施設 記載無し
摘 要   施設軍有

D20_0197.jpg

青マーカー地点にある公園。

住宅密集地‎にポツンとある小さな公園で、碑が整備されています。

1947年の航空写真で確認すると、当時ここには飛行場の建物等諸施設が密集しており、中枢区画だった場所です。

碑文(全文)
 かつてこの地に下志津陸軍飛行学校分教場があった 同分教場はこの春日台を中心とした約四十万平方米の小規模のものだったが太平洋戦争末期には八紘石賜隊が結成されこゝから出陣し還らぬ人となった。この史実を風化させることなく現在の日本の平和と繁栄が数多くの尊い犠牲のもとに築かれものであることを思い起こし二度とこのような過ちを繰り返さぬよう心から平和への願いが天翔ける祈りとなってこの地から津々浦々に及ぶことを心より念じこの翔天の碑を建立した 平成五年十一月八日 翔天の碑建立委員会

2014/9/8追記:アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、当飛行場が銚子商業學校滑空部の滑空場として使用されたと記録されています。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m


読売新聞(YOMIURI ONLINE)2015年06月26日 05時00分版に

当飛行場記事「飛行場 後に特攻隊出発」がありました。

以下抜粋させて頂きます。

当分飛行場は、偵察機の乗組員養成が目的だったのだそうで、銚子初の軍事施設でした。

そのため銚子の在郷軍人会は「久シク待望シテ得ラレザリシモノハ遂ニ来マシタ」という歓迎の声明を出しています。

周囲は境界石が置かれているだけで、地元住民も立ち入ることができました。

銚子高等女学校滑空部員だった方の回想として、滑空訓練のため当飛行場を利用していたこと、

分教場関係者から「(グライダーに)乗せてくれないか」と話しかけられたり、

誘われて飛行機の操縦席に座らせてもらったりしたこともあったのだそうです。

そんなある意味のんびりした雰囲気も感じられた飛行場でしたが、

末期の時期になると特攻隊「八紘石腸隊」が編成されました。


千葉日報オンライン 2013年8月16日 15:38版で、その特攻隊について取り上げられていました。

1944年11月、当分教場から20歳前後の特攻「八紘石腸隊」の18人が出撃し、

翌年1月に17人がフィリピン・レイテ沖で戦死しました。

1993年に有志が石碑を建立し、毎年終戦記念日に慰霊祭を行っています。

参列者の中には、同隊唯一の生存者の方も毎年おられるのだそうです。

DSC_0053_00001.jpg

赤マーカー地点。

銚子タカン前から飛行場方向。


      千葉県・下志津陸軍飛行学校銚子分教場跡地     
上のマップの赤マーカーの所に銚子タカンがあります。

下志津陸軍飛行学校銚子分教場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:千葉県銚子市上野町(現・銚子市‎春日台町‎9)
座 標:N35°43′32″E140°48′34″
標 高:50m
面 積:約40ha
飛行場:1,200m×1,000m(北西-南東900m 北東-南西800m-1,000m)
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1935年    銚子市民あげての招聘により建設決定
1936年12月 1日 下志津陸軍飛行学校銚子分教場開校
1940年    この頃銚子商業學校滑空部が滑空訓練に使用
1944年    中頃教導飛行団と改変
     11月 特別攻撃隊、八紘石腸隊が出撃
1993年11月 碑建立

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
現地の碑文
千葉日報オンライン 2013年8月16日 15:38版
読売新聞(YOMIURI ONLINE)2015年06月26日 05時00分版
防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.10 水路部」
防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.10 水路部
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


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