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石岡航空基地(東の辻飛行場)跡地 [├空港]

   2012年9月訪問 2021/7更新  


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撮影年月日1947/10/25(昭22)(USA R379 44) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

茨城県‎石岡市‎にあった「石岡航空基地(東の辻飛行場)」。

前記事の「大日本飛行協会中央滑空訓練所」の南東約5.2kmにあります。

先頭のグーグルマップは、上に貼った航空写真から作図しました。

誘導路の一部が溶けかかっていて、完全に線が消えている箇所もあったのですが、

強引に作図してしまいました。

おおよそこんな感じということでご了承くださいませ。

滑走路の地割が道路として残っていました。

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:石岡 建設年:1945-8 飛行場長x幅 米:1,200x300芝張 主要機隊数:小型 主任務:空廠整備 隧道竝ニ地下施設:半地下兵舎1,800平米 指揮所工事中 掩体:工事中 其ノ他記事:未使用

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地位置図」でも、当航空基地の滑走路長さについて、
1,200x300 と記されていました。

■「日本海軍航空史」では、1,300m×300mと記されていました。

D20_0084.jpg

赤マーカー地点。

ここから滑走路が伸びていたはずです。

2016/3/14追記:
2016年2月18日11時過ぎ、 JR石岡駅東口前の工事現場で、作業員が現場を掘っていたところ不発弾のようなものが見つかりました。このため半径50mの範囲を封鎖、土浦~友部の上下線で運転見合わせを行い、陸上自衛隊・朝霞駐屯地の不発弾処理隊により、午後3時過ぎ、隊員が物体を布にくるんで手で運び出しました。自衛隊によると発見された不発弾らしき物は6個で、直径10cm、長さ50cm程度とのことです。
現場は東の辻飛行場と直線で900m程の位置であり、飛行場が空襲を受けたという記録もあるため、もしかしたら関係あるのかもしれません。ただオイラとしては、まとまった場所に6個もあるというのが気になります。爆弾投下時の散布界がどの程度のものか知らないのですが、同じ市内の大日本飛行協会中央滑空訓練所は、昭和20年春頃から艦載機による空襲をしばしば受けたという記録があり、艦載機が低空で爆弾を落としていけば、こんなにまとまって一か所に落ちるということはあり得るのかしらん。しかもこんなに不発で。。。当時、飛行場周辺に落とされた不発弾を一旦まとめておき、そのままうっかり忘れてしまったとか、そんなことはないのでしょうか??
この情報はろっくさんから頂きました。ろっくさんありがとうございましたm(_ _)m 


      茨城県・石岡航空基地(東の辻飛行場)跡地     
30基以上の掩体壕が建設され、現在でも周辺の林の中に無蓋掩体壕が3基残っているそうです

石岡航空基地(東の辻飛行場) データ
設置管理者:旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:茨城県‎石岡市‎石岡‎
座 標:N36°11′48″E140°17′27″
標 高:27m
滑走路:1,200mx300m
方 位:18/36
(座標、標高、滑走路長、方位はグーグルアースから)

沿革
1941年 開設 

関連サイト:
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この記事の資料:
「日本海軍航空史」
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地位置図」
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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