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東京都・東京大空襲・戦災資料センター [├場所]

   2012年4月訪問 2021/1更新  



東京都江東区にある「東京大空襲・戦災資料センター」。

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館内の撮影は写真の接写のみNGでした。

 

東京は終戦までに百回以上の空襲を受けており、当館でいただいた資料によりますと、

空襲による死者数の総計は96,040人にも上ります。

各東京空襲による死者数は、そのほとんどが一桁から三桁なのですが、

1945年3月10日に325機のB29により行われた空襲の被害はその中で飛びぬけており、

死者数は83,793人と記されていました。

まさに「東京大空襲」です。

こうした基本的なことからして知らないことが多く、反省させられたのですが、

他にも展示資料が充実しており、いろいろ考えさせられました。

 

ーあまりの炎の勢いで酸素が無くなり、ポンプ車のエンジンが止まってしまい、消火作業ができなかった ー

大空襲当日消火を担当された消防の方のインタビューが強く印象に残りました。

奇しくも東日本大震災とは時を超えて前日にあたり、関係者の方々は両日を命と平和を考える日として

後世に伝えていきたいと書き綴っておられる資料が目につきました。

当館は戦禍の最も大きかった場所に建設されたのだそうです。

流石に当時とは比べ物にならない程立派な建物が並んでいるのですが、

住宅密集地という下町の様相は当時と同じです。

文字通り一面焼け野原となった当時の写真など思い出しつつ館を後にしたのでした。

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      東京都・東京大空襲・戦災資料センター      

東京大空襲・戦災資料センター データ

開館日:水曜日~日曜日。3/9,10は曜日にかかわらず開館
運用時間:12時~16時
所在地:東京都江東区北砂1-5-4
協力費:一般300円
駐車場なし

沿革
1942年04月 18日 B25による初空襲
1945年03月 10日 東京大空襲
    08月 15日 午前1時 最後の空襲
1970年   「東京空襲を記録する会」、文献、物品収集開始
1999年    都の「平和祈念館」建設計画凍結。これを受けて「記録する会」と政治経済研究所、民間募金
2002年03月 09日 センター完成
2007年03月 増築

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東京都・東京シティエアターミナル [├場所]

   2012年4月訪問 2021/1更新  

 

東京都中央区にある「東京シティエアターミナル(T-CAT)」。

T-CATは、都心から約66km離れている成田空港の利用客の利便を図るため、1978年の同空港開港当初から

空港直結のバスサービスと航空チェックイン機能を併せ持つシティエアターミナルとして機能してきました。

ここで手続きを済ませれば、後はバスに乗っているだけですからとても便利です。

以来、 非常に多くの海外旅行者にとって「都心の空港玄関口」としての役割を果たしてきたのですが、

空港アクセスの多様化、9.11アメリカ同時多発テロ以降の航空チェックイン機能の廃止により、

T-CAT経由の成田空港利用旅客は減少しています。

現在T-CATは空港へのバスターミナルとしてだけではなく、近隣のビジネスマン、住人の商業施設として、

また羽田空港の本格的な国際化に伴い、羽田空港への都心の玄関口として変容を遂げつつあります。

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T-CATは、東京メトロ半蔵門線の水天宮前駅、首都高の箱崎JCTと直結しており、

都心に住む空港利用者が鉄道、マイカー等でT-CATまでやって来て、

ここからバスでラクラク空港に移動できるようになっています。

T-CAT→羽田行のバスは、4:45発の始発から最終22:20発まで毎日30往復運航。

T-CAT→成田行のバスは、5:45発の始発から最終20:50発まで毎日58往復運航。

オイラがお邪魔した時にも、大きなスーツケースを持った旅行者が行き来しており、

バスが盛んに出入りしていました。

T-CATには404台の駐車場もあり、月曜日~土曜日は2,500円/日、日曜日・祝日は1,500円/日 です(プリカ割引あり)。


      東京都・東京シティエアターミナル      

東京シティエアターミナル データ

社  名:東京シティ・エアターミナル株式会社
設  立:1969年3月1日
所在地:東京都中央区日本橋箱崎町42-1
座 標:N35°40′55″E139°47′15″
(座標はグーグルアースから)

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旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕 [├場所]

   2012年4月訪問 2021/1更新  



東京都‎府中市‎白糸台‎2丁目にある「旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕」。

調布飛行場の西約1.5kmに位置しており、甲州街道と西武多摩川線の交差部南側の住宅地の中にあります。

事前にグーグル等で調べた際には畑と駐車場に挟まれている状態だったのですが、

お邪魔した時にはご覧の通りでキレイに整備されていました。

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説明版が設置されています。 一部抜粋してみます。

■掩体壕
 アメリカ軍による本土空襲の激化に伴い、残り少ない貴重な戦闘機を空襲から守り、隠しておくための格納施設が、全国の軍用飛行場周辺に作られました。この施設のことを一般的に「掩体壕」と呼んでいます。コンクリート製の屋根のあるものを「有蓋掩体壕」、周囲を土堤で囲ったのみで屋根がなく、上は木や草で作った覆いをかけたものを「無蓋掩体壕」と呼び、区別しています。調布飛行場周辺では、昭和19(1944)年6月から9月にかけて、有蓋約30基・無蓋約30基、あわせて約60基の掩体壕が作られました。建設は陸軍と建設業者が中心となり、地元住民や中学生も作業に動員されました。有蓋掩体壕は、①饅頭のように土を盛り、よく固める②その上に紙やムシロ、セメント袋などを敷き、柱や梁の部分は板枠で型をとる③鉄筋を置いてコンクリートを流し込む④コンクリートが
固まったら、内部の土を掘り出して上にかぶせ、草木などで偽装する という手順で構築されたと考えられます。労力も物資も乏しい戦時下に、粗悪な資材を用いてきわめて短期間のうちに造られたものである、といえます。また、こうして造られた掩体壕だけでは数が足りず、格納しきれなかった飛行機は、浅間山や多摩霊園、下石原八幡神社、調布市飛田給方面などの樹木の茂った場所に設けられた「分散秘匿地区」まで運ばれました。かつて全国に1000基以上作られたといわれる掩体壕ですが、その多くは既に取り壊され、現存しているものも、経年による劣化や開発工事などによって、消滅の危機にあるものが少なくありません。

■旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕
 終戦後、調布飛行場周辺の掩体壕も、多くは取り壊され、現在は三鷹市の都立武蔵野の森公園内に2基(大沢1号・2号掩体壕)、府中市内に2基、計4基の有蓋掩体壕が残るのみとなりました。そのうちの1基がこの旧陸軍調布市飛行場白糸台掩体壕(以下、「白糸台掩体壕」といいます。)です。白糸台掩体壕は、旧所有者が繰り返し補修を行ってきたことから、これまで良好な状態で保存されてきました。府中市では平成18(2006)年の平和都市宣言20周年を機に、白糸台掩体壕の保存・公有地化を決定し、平成19年12月から平成20年3月まで、その構造などを確認するための調査を実施しました。その結果、戦闘機「飛燕」とほぼ同じ規格で造られて
いたことが判明したほか、排水設備や砂利敷き、誘導路、実際に機体を収納していたことを示すタイヤの痕跡などが発見され、平成20(2008)年に市の史跡に指定しました。その後、コンクリートや鉄筋の保存修理工事を経て、平成23(2011)年度に保存整備を実施し、平成24(2012)年3月より一般公開を開始しました。終戦から長い年月が経過し、戦争の記憶が風化していくなか、戦争遺跡を文化財として保存・活用していく気運は全国各地で高まっています。戦争の悲惨さや平和の尊さを次の世代へと語り継いでいくための貴重な歴史遺産として、市民の皆様と共同で白糸台掩体壕を永く保存・活用していくため、今後ともご理解・ご協力をお願いいたします。平成24年3月 府中市教育委員会

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掩体壕内天井部分

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開口部は北西を向いてます。

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後ろから見たところ。


      東京都・旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕      

旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕 データ

管理者:旧陸軍→土地?所有者→現在は府中市
所在地:東京都‎府中市‎白糸台‎2丁目‎17‎
座 標:N35°40′04″E139°30′47″
(座標はグーグルアースから)

沿革
1944年 6月~9月にかけ、有蓋約30基、無蓋約30基、計約60基の掩体壕が作られる
1945年 終戦。取り壊しが進む中、当掩体壕は所有者により補修が続けられる
2006年 平和都市宣言20周年を機に白糸台掩体壕の保存・公有地化を決定
2007年 12月~翌年3月まで構造等確認調査を実施
2008年 市史跡に指定
2011年度 保存整備を実施
2012年 3月より一般公開開始

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旧日立航空機株式会社立川工場変電所 [├場所]

   2012年4月訪問 2021/1更新  


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撮影年月日1941/06/25(昭16)(C23 C8 183) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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1/25000「立川」昭和41年改測「今昔マップ on the web」より作成

東京都‎東大和市の東大和南公園内にある「旧日立航空機株式会社立川工場変電所」。

昭和13年この場所に陸軍航空機用の大規模なエンジン工場が建設され、

その工場で使用していた変電所(航空写真赤矢印部分)が現存しています。

戦後、米軍の「極東空軍大和基地」となりました(上の今昔マップ)。

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園内に現存する立川発動機製作所変電所跡。

外壁には機銃掃射、爆弾による無数の穴が残っています。

銘板が設置されていました。

東大和市文化財 史跡・戦災建造物 旧日立航空機株式会社立川工場変電所(全文)
 この建物は、昭和13(1938)年に建設された航空機のエンジンを製造していた軍需工場、東京瓦斯電気工業株式会社(翌年、日立航空機株式会社立川工場<立川発動機製作所>に改名)の変電所です。北隣にあった設備で受電した66,000ボルトの電気を、3,300ボルトに変電して工場内に供給する重要な役目を果たしていました。外壁に残る無数の穴は、太平洋戦争の時、アメリカの小型戦闘機による機銃掃射やB-29爆撃機の爆弾が炸裂してできたものです。工場地域への攻撃は3回ありました。最初は昭和20(1945)年2月17日、グラマンF6F戦闘機など50機編隊による銃・爆撃。2回目は4月19日、P-51ムスタング戦闘機数機によるもの。3回目は4月24日、B-29の101機編隊による爆弾の投下で、あわせて110余名に及ぶ死者を出し、さらに多くの負傷者を出しました。この変電所は、経営会社がかわった戦後もほとんど修理の手を加えぬまま、平成5(1993)年12月まで工場に電気を送り続けていました。都立公園として整備されるにあたり、一旦は取り壊される運命にありましたが、貴重な戦災建造物を保存し次代に伝えたいという市民の活動や、元従業員の方々の熱意がひとつの運動となり、保存へと実を結んだのです。保存にあたっては、最後の所有者であった小松ゼノア株式会社や東京都建設局の多大なご理解とご協力をいただきました。そして、東大和市は平成7(1995)年10月1日にこの建物を東大和市文化財(史跡)として指定し、末永く保存、公開するために修復工事を施しました。戦後、戦争の傷跡を残す建物は次々に取り壊され、戦争に対する私たちの記憶もうすらいできています。この建物から、戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて受けとめていただきたいと願うものです。 平成8(1996)年3月 東大和市教育委員会

弾痕でボロボロの建物。

その建物が1993年まで現役だったのですね~。すごいことです。


      東京都・旧日立航空機株式会社立川工場変電所      

旧日立航空機株式会社立川工場変電所 データ

設置管理者:日立航空機株式会社
所在地:東京都‎東大和市‎桜が丘‎2丁目‎ 東大和南公園内
座 標:N35°44′07″E139°25′16″
(座標はグーグルアースから)

沿革
1938年 日立航空機株式会社立川工場建設
1945年 三度の襲撃を受ける
1993年 12月まで変電所として使用
1995年 10月。 東大和市文化財(史跡)として指定。修復工事

関連サイト:
東大和市/わわがまちの文化財(PDF)  
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沖縄県・糸満防空監視哨跡 [├場所]

   2012年1月訪問 2021/1更新  



沖縄県‎糸満市、糸満ロータリーの北北西に小高い場所があり、「三巓毛(さんてぃんもう)公園」が整備されています。

この公園内に「糸満防空監視哨跡」があります。

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赤マーカー地点。

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これです。特に説明はありませんでした。

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琉球瓦の破片でしょうか?

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戦前のこの場所からの写真がいくつか展示されていました。

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上の写真のアングルで撮ったつもり。


      沖縄県・糸満防空監視哨跡      

糸満防空監視哨 データ

所在地:沖縄県‎糸満市‎糸満‎
座 標:N26°07′47″E127°40′12″
標 高:11m
(座標、標高はグーグルアースから)
公園に駐車場あり

関連サイト:
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