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愛宕航空基地(鯖江/本保飛行場)跡地 [├空港]

   2011年10月訪問 2022/1更新  


無題5.png
撮影年月日1948/03/19(USA R1154 2)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
 

福井県‎越前市、海軍の「愛宕航空基地」「鯖江(さばえ)/本保(ほんぼ)飛行場」跡地。

未完成のまま終戦を迎えた飛行場で、現在周辺には田んぼが広がっています。

(1機だけ離着陸があったそうですが)

先頭のグーグルマップは、上に貼った航空写真から作図しました。

■「航空特攻戦備」第2期 として以下記載がありました(下記リンク参照)。PUTINさんから情報頂きましたm(_ _)m

方面  舞鶴
牧場  愛宕(福井)
滑走路 五〇×七〇〇
縣郡村 福井、丹生 □□村
記事  七月末既成(愛知社)

■地元図書館の市史に「・幻の飛行場」という項目があり、

「豊地区の上野田上氏家から余田町本保町にかけての水田が予定地になっていた。戦闘機が離着陸するには広大な土地が必要であり、この工事自体秘密裏に行うことが絶対条件なので、内容を知らせずに周辺から勤労奉仕隊として愛国婦人会など中心に動員をかけて滑走路造りを始めた。しかしほどなく終戦を迎えたために、丹南での飛行場造りは幻となり、計画自体も闇から闇へと葬られた」

とありました。

地元の方にとっても「闇から闇に葬られた幻の飛行場」なのですね。

D20_0004.jpg

青マーカー地点。

ここから奥に向かって滑走路だったはず。


      福井県・愛宕航空基地(鯖江/本保飛行場)跡地      

愛宕航空基地(鯖江/本保飛行場) データ

種 別:陸上飛行場
設置管理者:海軍
所在地:福井県‎越前市‎余田町‎
座 標:N35°56′03″E136°09′12″
標 高:24m
滑走路:700m×50m
方 位:17/35
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年08月 建設途中で終戦

関連サイト:
「航空特攻戦備」第2期(21コマ) 
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
鯖江市史 通史編下巻


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コメント 19

鹿児島のこういち

愛宕飛行場跡地より幻の飛行場の方が、きになりますねぇヾ(・_・;)(^^ゞ工事にたずさわった方々の多くが何の工事かわからず、お国のためって働いていたんでしょうね。。。
by 鹿児島のこういち (2012-03-03 10:32) 

tooshiba

飛行場よりも、他にやることがあったのでは。と思ってしまいますね。
福井市も大空襲で焼け野原にされたことを知っていたなら、「ああ、負けるんだな」と思いながら、働いていたとすると。
当時の住民の心労が偲ばれます。
by tooshiba (2012-03-03 19:45) 

Takashi

幻だからこそ、闇から闇に葬られたからこそ、記録として残さないといけませんね。
動員された方々のためにも。
by Takashi (2012-03-04 16:41) 

miffy

この辺りは幻の飛行場だらけなのですね。
本物を隠すためのダミーだったのかしら。
by miffy (2012-03-04 21:25) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■鹿児島のこういちさん
確かに「幻の~」の方が気になるっていうのはありますよね~。^^;

■tooshibaさん
>「ああ、負けるんだな」
もしそうだったとすると、作業中の心中が偲ばれますね。

■Takashiさん ご無沙汰しておりました。m(_ _)m
>動員された方々のためにも。
仰る通りと思います。
そのために少しでもお役に立てれば…

■miffyさん ご無沙汰しておりました。m(_ _)m
分かりにくくてスミマセン。
地名が幾つも挙げられているのは、「おおよそこんな範囲に飛行場があった」ということなのだと思います。
by とり (2012-03-05 06:40) 

kuddy

愛宕飛行場と呼ばれているこれ、
アニメーション作家の大御所の九里洋二さん(当地出身)が、
学徒動員で作ってた、というエッセーを書いています。
完成後に零戦が一機、一回だけテストで飛んできて、
そのままなにも配備されずに終戦になった、と。
by kuddy (2014-01-30 16:03) 

kuddy

あ、すいません追記です。
確かその、テストで飛んできた日こそが「8/15」で、
そのままおしまい、という感じだったかと。
by kuddy (2014-01-30 16:07) 

とり

■kuddyさん
情報ありがとうございました。
お返事が遅れてしまい申し訳ありません。
by とり (2014-02-26 19:11) 

タカ

とりさん 私は愛宕飛行場と同時に造られた相馬飛行場の地元に住んでいる者です。私は田鶴浜地方史の会に所属しています。会では当地の史実を小学生に話しています。それは今年でもう10年になります。最初は年数回でしたが、一昨年からは月1回の土曜の授業に組み込まれています。そしてその1講座「幻の相馬飛行場」として戦争と平和を6年生と一緒に話し合います。学校には資料として滑走路に使われた木材も提供され、展示されています。そんな私達 会のメンバーが愛宕飛行場の跡地に今度見学に行きます。
とりさんのこのブログに掲載されている地図や写真が大変参考になりました。つきましては同行の12人に掲載の地図等をプリントし、現地で参考にしたいのですが宜しいでしょうか?ぜひお許しください。
 画像認証は787です。よろしくお願いいたします。

by タカ (2018-11-09 23:33) 

とり

■タカさん
すごい活動をされているのですね。
こんな記事でよければどうぞお使いくださいませ
実は大きな声では言えないんですが、
拙記事内のマップはGoogle社の利用規約に違反しております。
本日中に修正致しますので、
修正後のマップをご利用くださいませ。
(修正後、先頭の「2011年10月 訪問」の隣に更新日付を入れます)
by とり (2018-11-10 04:38) 

とり

■タカさん
お待たせ致しました。記事修正致しました。
合法記事になりましたので、よろしければお使いくださいませ。
それから、タカさんに私からもお願いがあります。
七尾市には大戦中、未完成ですが七尾陸上機用滑走路(30m×600m計画)
があったという情報があるのですが、何かご存知ありませんでしょうか?
また、七尾の水上機基地がどこにあったのかについて、
拙記事の中でいろいろ書いているのですが、
現在のところ場所特定に至っておりません。
ご存知の点ございましたら、小さなことでもご教授頂ければ幸いです。
また、地元田鶴飛行場跡地についても情報頂ければ幸いです。
図々しいお願いで申し訳ありませんが、
特に急ぎませんので、お手すきの時ありましたら、どうぞよろしくお願い致します。
https://airport1111.blog.so-net.ne.jp/nanao_seaplane_base
https://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/souma-airfield
by とり (2018-11-10 18:05) 

タカ

早速の記事修正 ありがとうございます。
私 齢71のヨイヨイでこのコメントを入力するだけでも大変です。
それでみんなの出発は明日朝7時半なので、修正を待たずに取敢えず先の
地図をプリントさせて貰いました。
私 明日マイクロバスのドライバーなので早くと思い、ついついやってしまいました。すみませんです。
修正の地図は実に解り易くきれいですね。
こんな仕事を素早くさりげなくこなす,とりさんに感服です。
本当にありがとうございます。
 ご要望の情報ですが、わからないことのほうが多いです。
が私なりに知っていることや調べられることはお知らせしたいと
思います。しかし 余り期待しないでくださいね。
    それでは今日はこれで失礼します。
by タカ (2018-11-10 21:33) 

とり

■タカさん
プリントの件、了解致しました。
修正が遅くなってしまって申し訳ございませんでした。
マイクロバスのドライバーまで御勤めなのですか。
どうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ。
こちらからの要望快諾して下さり、ありがとうございます。
気長にお待ちしておりますので、どうぞよろしくお願い致します。
by とり (2018-11-11 05:28) 

タカ

とりさん 行ってまいりましたよ。
みんな現地を見てその広さにびっくりしていました。
今回の参加者の中に田鶴牧場(相馬飛行場)の地元部落・伊久留地区から91才と85才?の二人の方がいました。二人の話では何故伊久留なのかと聞いた時、山と山に挟まれたここが敵からわかりにくくて良いのだと言う話だったそうです。 でもここ(愛宕飛行場)はこんなに広い場所で空からは丸見えじゃないですか。と・・・また昭和22年8月15日 飛行場完成式の日 小松を飛び立った一番機は午前に愛宕飛行場に着陸し午後には相馬飛行場に飛んで来る予定だったそうです。愛宕飛行場には飛来しましたが、正午の終戦放送で午後の飛来は無かったそうです。そして飛行場はすぐ元に戻す工事が始まり、翌年の春にはきっちり田植えがされたそうです。その時学校の裏は運動場として残されたそうです。
航空写真では白っぽい四角のひときわ大きな地点が見えると思いますが
それが飛行場としての埋め立ての名残だと思います。
文字どうり何もない幻の飛行場跡でしたが、全員 感慨を胸に帰途に就く事が出来ました。本当にありがとうございました。

by タカ (2018-11-14 00:14) 

とり

■タカさん
ドライバー兼引率お疲れ様でした。
田鶴牧場と愛宕は仰る通りで、周辺の様子がまったく異なっていますね。
その両者に意外なつながりがあったということを、
タカさんのコメントで今回初めて知ることができました。
非常に貴重なお話をありがとうございました。
週末記事に反映させて頂きます。
また何かございましたら、是非ご教授頂ければ幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
by とり (2018-11-15 07:49) 

タカ

 とりさん 長い間のご無沙汰申し訳ございません。
以前 お尋ねの七尾飛行場ですが、つい最近地元のミニコミ紙に戦時中
軍がグライダーの訓練をしていたという話が出ていました。 
その場所は津向町で、鶏卵世界一のイセ食品の所有地でソーラー発電所になっています。まだ現地も見て無く、名前の確認もしていませんが、
ほぼ間違いないと思います。
一昨年 能登立国1300年の節目の年でしたが、国府は七尾に置かれました。それは奥州征伐の基地・軍港としての重要性からでした。
香島津という港が出来、能登半島の木が切りだされ軍船になったそうです。以来七尾は港として永く栄えました。
矢田新町が今も港の中心地ですが、戦時中水上機の基地もあったようです。地図を見ると七尾は東西に出っぱりを持った入り江です。
東側に作られたのが香島津(今の矢田新辺り?)で、その西向かい側が津の向かいで津向(つむぎ)と呼ばれたそうです。
市街地はその真ん中に広がります。
戦時中 港は海軍の一大基地で七尾駅から津向の間は列車でも海側を
見る事は禁じられていたそうです。また七尾湾北湾には潜水学校もありました。以上が漸く分かった事で、今少しほっとしてます。
      by タカ
by タカ (2020-03-31 23:40) 

とり

■タカさん
こちらこそご無沙汰しております。
その節は貴重な情報を頂き、本当にありがとうございました。
今回もまた貴重な情報をありがとうございます。
飛行場は津向町にあったのですか!
「七尾のどこかに飛行場がある」という情報のみで、
港周辺をあてどなく彷徨ったことが昨日のことのように思い出されます。
本当にありがとうございました。
出来るだけ早く、必ず現地にお邪魔させて頂きます。
それから、七尾が重要地点とされた背景、津向という地名の由来、
戦時中の様子等、知らない事ばかりで大変勉強になりました。
重ねて御礼申し上げます。
by とり (2020-04-01 19:00) 

はし

私が高校生のころ、テレビで戦時中の工場で、戦闘機「飛燕」を製作している場面を見ていたら、父親が「あ、これ俺作ってた」と言ったのをよく覚えています。
父は鯖江市の出身です。終戦時は中学生だったはずです。多分その頃には、ほとんど授業もなく、工場でそんなことをしていたんですね。

鯖江で戦闘機を作っていたことも意外でしたが、それよりも完成した戦闘機はどうしたのかが、長年、頭から去りませんでした。
途中まで作ってトラックか汽車で運んだのかと思っていたんですが、この記事をよると、飛行場があったとのこと。それなら完成した機体は、ここから飛ばして自送させようとしたのかも知れませんね。

ただここは海軍の飛行場とのこと。飛燕は陸軍の戦闘機ですが、海軍、陸軍の区別はこの頃は無かったんですかね。
それとも父は、「飛燕を作ってた」ではなく「(飛燕に代表される)戦前の戦闘機を作っていた」
と言いたかったのかもしれません。
もう父も亡くなりましたし、そこは確かめようもないこととなりました。

長年の疑問が少し晴れましたので書き込みました。長文失礼しました。
by はし (2020-07-29 04:27) 

とり

■はしさん
お父様の貴重なお話をありがとうございました。
鯖江市で戦闘機製作は全くの初耳でした。
この滑走路の用途について、申し訳ないですが確実なことは分かりません。
ご指摘の通り、陸軍と海軍で飛行場を共用するケースは、ないことはないです。
建設が末期であることと、秘匿に非常に気を遣っていたこと、滑走路の長さからすると、
末期に全国で建設が進んだ本土決戦用の秘匿飛行場の可能性が高いのではないかと思います。
ザッと調べてみたのですが、鯖江市で戦闘機を製造していたとする情報は見つかりませんでしたが、
仮に作っていたとすれば、仰る通りトラックや汽車というのはあり得ると思います。
因みにこちらの30pでは、鯖江市北中山にて飛行機の燃料タンクを作っていたとありました。
https://www.city.sabae.fukui.jp/kosodate_kyoiku/shogaigakushu/kitanakayama/2018/CCKitanakayama0718.files/kitanakayamnodensyourekishi.pdf
有名な鯖江のメガネ生産の歴史からすると、戦闘機の部品作りの可能性もあるかと思いました。
by とり (2020-07-30 03:05) 

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