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千歳第二、第三飛行場跡地 [├空港]

   2010年6月訪問 2023/1更新  


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撮影年月日1947/05/28(昭22)(USA M346 65) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
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1/50000「千歳」昭和10年修正「今昔マップ on the web」より作成
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1/25000「千歳」昭和30年測量「今昔マップ on the web」より作成
 

前記事の通り、千歳村民がみんなで力を合わせて造った小さな小さな「千歳着陸場着陸場」は、

1939年~1945年まで海軍の「千歳第一飛行場」となり、

その後ビックリするほどの拡張を遂げて現在の空自千歳飛行場と新千歳空港になったわけですが、

この「千歳第一飛行場」からJR千歳線をはさんで東北東約6キロのところに、

同じく海軍の「第二千歳、第三千歳」が造られました。

先頭のグーグルマップで見ると、滑走路と特徴的な誘導路がまだまだ残ってますね。

左側の長い方の滑走路が第二、右側が第三です。

 

■新千歳市史通史編上巻の中で、第二、第三千歳について詳しく記されていました。

以下抜粋させていただきました。

895p
第二・第三千歳の建設の背景
 基地の用地は千歳飛行場拡張の折、トラクターを貸し出した大阪マルキ
パンの小麦粉供給農場であった水谷農場の跡地だった。農場は昭和十(一
九三五)年に立地、大農式で五二五〇反のうち二五〇〇反を施業し、使用
人は十五人程度だった。昭和十二年四月の北海道西部海軍飛行場適地調査
の千歳地区第一候補地でもあった。
 水谷農場はパンの原料となる小麦粉を生産することを目的に営農した
が、シュクバイ(祝梅)の地質は酸性が強く、昭和十二年から一〇〇町歩
をじゃがいもへと転換、澱粉の原料を生産するに至った。さらに、一五年
になると反収は減少、水質の悪化から澱粉は等外となり、生産の継続は困
難になった。このようなことから海軍に土地を寄付、偽装飛行場にでも使っ
てもらえたらとの考えから海軍用地となったものである。
 ミッドウェー攻略作戦に呼応するアリューシャン攻略作戦で占領した
アッツ島、キスカ島への米軍の反攻が予想される千島列島方面で米軍に対
抗する兵力を保有する必要があるが、急速な増勢整備には無理があった。
渡洋航空兵力を主とし、攻撃と対潜能力を充実させるべく航空基地を整備
する必要があった。
海軍は航空機整備に力を注いだが、第一線においても既設基地から攻撃
隊を発進させるという概念が強く、激烈な航空攻防戦が行われるという概
念がなかった。飛行場の急速整備についても特に問題視していなかった。
 しかし、開戦後のソロモン海方面において航空攻防戦が行われた結果、
戦略上有利な展開をしようにも、航空基地が設営力の不足から思うように
建設できず、航空戦では不利を強いられた。一方、使用中の基地は敵の空
襲で使用不能に陥り、飛行場の分散、秘匿を考えなければならなくなり、
はじめて第一線航空基地が必要とする条件を認識した。

「第一千歳」記事の方にもチラッと書きましたが、

水谷農場は元々昭和12年に海軍が飛行場適地を探して千歳にやって来た際、

第一候補だった場所です。

その時は責任者の口ぶりから取得は難しそうだということで、

千歳村民が造成した飛行場とその周辺が最終的に海軍航空基地となりました。

上に貼った今昔マップ、両方とも同じ場所を切り取ったものです。

昭和12年に飛行場の第一候補となりながらボツとなった水谷農場、

結局農地として不適となってしまい、海軍に寄付という流れになったのですね。

更に、第二、第三を建設するに至った理由も書かれています。

第一千歳は戦後すぐに拡張されていることから見ても、

単に長い滑走路が欲しいだけなら、第一千歳を拡張すれば十分のはずなんですが、

「第一線航空基地では航空攻防戦に備えなければならない」ということだったんですね。

第二・第三千歳の建設(十八年まで)895p
 千歳空の小林栄光は、昭和十七年十一月にソロモン諸島の攻防で疲弊し
た陸攻隊とともにタロア島から原隊千歳に帰還した。
 このとき、残置していた同僚から「鉄道の東側に新しい滑走路ができた
のを知っているか」と新しい滑走路のことを教えられた。
 延長、幅員ともに不明であるが滑走路としての存在は明確である。
 第二千歳航空基地(第二千歳)滑走路は後に五〇〇㍍延長して一三〇〇
㍍になった経緯があることから、この時点の延長は八〇〇㍍と推定でき
る。当時の海軍飛行場滑走路の延長は、戦闘機用で八〇〇㍍、陸攻用で一
二〇〇㍍が標準であった。(中略)

昭和17年11月の時点で、800m滑走路の第二千歳があった。ということのようですね。

897p
 北遣隊が千歳で作業をしていた昭和十八年八月二十八日、大湊警備府
から「水谷航空基地(仮称・千歳第二基地)施設工事施工の訓令」が出
されている。一〇〇〇㍍の誘導路は第二千歳の平行誘導路として造成さ
れ、昭和十九年頃に「南北道路」と呼ばれた第三千歳航空基地(第三千
歳)滑走路の原型であった。

第三は、「第二の平行誘導路」として造成されたのが始まりだったんですね。

897p
第二(連山滑走路)・第三千歳の建設(十九年以降)
 この時点においての第二千歳の性格について、(中略)
「七月になって千歳基地の予備飛行場であった第
二千歳飛行場に原因不明のエンジン停止で緊急着陸した一式陸攻があっ
た」と記している。
 一式陸攻が着陸していることから、この時点で第二千歳の滑走路延長
は、昭和十七年建設の八〇〇㍍に五〇〇㍍の延長工事を受け一三〇〇㍍滑
走路になっていたと考えられる。滑走路はコンクリートで舗装され、迷彩
塗装が施された。(中略)

昭和19年7月の時点で第二千歳は1,300m滑走路になっていた、

また第二は、第一千歳の「予備飛行場」という位置づけとあります。

898p
 連山は群馬・小泉(現・大泉)の中島飛行機小泉製作所で試作(試製)
されていたが、訓練と敵地爆撃への発進はB-29の行動半径外、つまり東
北・北海道地方の必要があった。千歳はまさに連山基地の適地であった。
海軍は第二千歳の整備を急ぐこととなった。
 第二千歳には昭和十九年十月から国鉄の貨車を使った砕石輸送が始ま
り、定山渓鉄道東札幌駅を経由し一日に十八両編成を二列運行した。
 千歳駅から第二・第三千歳への引込線建設資料は見いだせないが、九
月末に完成、すぐに砕石輸送が始まったと考えられる。
 昭和十八年夏に東京商科大学北遣隊が建設した一〇〇〇㍍の平行誘導路
を基に、延長一二〇〇㍍・幅七五㍍の簡易コンクリート舗装の第三千歳滑
走路として完成したのは十九年であろう。二十年春から始まる第二千歳の
工事開始時までに完成していなけれぱ、第一千歳航空基地(第一千歳)の
代替機能が失せるからである。
 簡易コンクリート舗装とはソイルセメント(ハロー)方式と呼ばれる表
土コンクリート舗装である。火山灰地である千歳ならではのもので、表土
を剥いだ後、現地で火山灰とセメントをハローで混ぜ散水、六トンローラー
で転圧し硬化させた。(中略)

中島が製造を進めていた攻撃機連山は、米本土攻撃を目指していました。

そのため運用飛行場としては、大圏コースで米国に近いこと、

B-29のレンジ外であること、超大型爆撃機が運用可能な長大な滑走路が必要であること、

こうした諸条件から第二千歳に白羽の矢が立ちました。

第二千歳を延長する必要があったのですが、

でも第二の工事に入る前に、まずは第一の代替機能をきちんと第二から第三に移行してから。

ということのようですね。

 
899p
 千歳での設営は、新緑輝く六月初めから始まった。当時千歳は北東方面海
軍航空基地として第一、第二、第三と三つの基地がつながっていた。わが隊
は第二基地の滑走路延伸、誘導路工事が主任務である。この滑走路は長さ千
三百米のものを、両端六百米ずつ延ばして二千五百米とし、当時日本で最長
のものであった筈である。八月十五日が目標日とされ、昼夜分かたぬ突貫工
事が続けられた。当時完成したばかりの中島四発爆撃機(B-29に対抗して)
連山の出撃基地として作用せしむるものであった。(略)
 八月に入って、緊急の報道管制が達せられ、部外との通信連絡は禁止され
た。天雷作戦と称された陸海軍共同のサイパン殴り込み作戦演習の為であっ
た。我隊が滑走路南端に急造したB-29木製原寸型に対して肉薄攻撃の訓練
が開始され、滑走路では当時残存のダグラス輸送機、MC20輸送機、96陸攻
が次々に達着訓練を繰り返しており、愈々の時が身近に迫ってきた思いに身
も引き締まり、十五日の工事完成に努力するのであった。(略)
 工事完成の十五日、連日の奮闘に対し些かの完成祝いをしようと、烹炊員
は早朝から赤飯の準備に余念がなかった。正午の玉音放送は滑走路脇整備棟
のスピーカーから雑音交じりに流れた。セメントと汗にまみれて整列する作
業員は、聞き終わって涙と、安堵の交錯した何ともいえぬ複雑な表情で立ち
つくしていた。黙々と残る作業の仕上げにあたったが、三時終了予定は大幅
に遅れ、叱咤激励の挙句、完成した。唐松林に散在する半地下三角兵舎に戻っ
た時は、もうすっかり夕暮れており、遅い夕食が配られた。(中略)
「滑走路建設の最終段階では延伸部分に六条のレールを敷き、端
に向ってミキサートロッコで生コンクリートを運び、打設していきまし
た。コンクリートの厚さは、延伸部分は一〇㌢ぐらいの厚さでした。(中略)

連山の離陸を可能とすべく続けられた突貫工事。

それと同時に大型機でサイパンに殴り込みのための訓練。

末期の時期というと、どうしても九州や南西方面にばかり目が行きがちで、

北海道はこれまでは特に注目していなかったのですが、

実は北海道でも大作戦が進行中だったんですね。

900p
 なお、戦中から米軍は第二・第三千歳を、基地設営前の農場名からミズ
タニ・エアベース(水谷航空基地)と呼んでいた。
 第四、第五千歳が計画され、一部工事に着手したといわれるが、未だそ
の存在は確認されていない。 
 また、第一千歳と第二、第三千歳が敵の空襲等によって、いずれかが使
用不能に陥っても相互補完し一帯的運用が可能になるよう、第一千歳と第
二千歳の間に四三二一㍍の戦闘機用板敷誘導路(連絡運搬路)が設営され
た。第一千歳横滑走路東端から現在の南千歳駅舎地点で千歳線を越え、第
二千歳滑走路南端を直線で結んだが使われることはなかった。陸軍計根別
第四飛行場(現・航空自衛隊計根別飛行場)、札幌第二飛行場の板敷滑走
路の例をとると、整地面に五寸角(計根別)又は三寸角(札幌)を並べ、
その上に三寸(厚)x一尺(幅)の平割を敷き詰めた。角材、平割とも
に長さは一二尺でT字・三又の鎹で連結されていた(一尺=一〇寸=三
〇・三㌢)。
 第二千歳が国民に知られたのは、全国共通紙面の二㌻立て昭和二十年九
月二十一日付北海道新聞一面の囲み記事だった。
 米本土爆撃規格 四パつの超大型機既に四期完成 北海道に巨大な飛行場
米国進駐軍が十九日発表したところによれば日本はB29に匹敵する四機の大
爆撃用として北海道に巨大な飛行場を建設していた、その使用滑走路は八
千四百フィートであるがこれにより日本が超爆撃機を片道飛行させて米本土
の爆撃を企画していたことは明らかである、この爆撃機はすてに四機製造さ
れていたといはれているが片道ならばニューヨーク、デトロイト、シカゴに
達し得るものであったといふ
 記事中、「四発の超大型機」とは陸上攻撃機連山であり、「北海道に巨大
な飛行場」とは第二千歳をさす。八四〇〇フィートは、メートル換算で二
五〇〇である。第二千歳の超大な滑走路は連山離発着のために設営された
ことから、戦後、今日に至るまで「連山滑走路」と一般的に呼ばれている。
(中略)

902p
 戦時急造の第二千歳滑走路コンクリート厚は一〇㌢程度で札幌・石山の
砕石と相まって強度を保った。滑走路の強度に関するエピソードがある。
 昭和三六年四月三日、雲高一〇〇〇㍍、雲量四割程度の視界不良の中、
乗客七二人を乗せ千歳飛行場と誤認した日本航空のダグラスDC-7Cシ
ティ・オブ・サンフランシスコ(JA6301)が管制の許可を得ずに残
雪残る第二千歳滑走路に着陸した。DC-7はB-29とほぼ同規格であ
り、翌日、航空自衛隊第二航空団の支援で何の支障もなく羽田に帰った。

米軍が第二第三の存在ばかりか、その由来まで把握していたとは恐れ入ります。

第四第五計画なんてものがあったのですね。

オイラとしてはドコに造ろうとしていたのか、非常に気になります。

「戦闘機用板敷誘導路」についての記述があります。

先頭のグーグルマップで見ると、第二から第一に向って二本の細い線が伸びてますが、

南側の方が板敷誘導路でした。

953p
 (昭和二十年九月)九日には、第二千歳に米軍将校以下二十数人が、十日
にも高級将校以下二〇人が飛来し飛行場を含む海軍施設を占領財産と指
定、用地一九四四㌶を接収したという。

戦後、第一にはすぐに米軍機の飛来があり、進駐が始まったのですが、第二の方も接収を受けたのですね。

■新千歳市史通史編下巻
4p
 北海道空襲で米軍は「この命令において優先される目標は航空機、飛行場、艦
船、鉄道施設の順である」と徹底し、上陸部隊への航空攻撃を封じること
を最優先とした。しかし、北海道において最も整備された航空基地である
第一千歳、第三千歳と建設中の第二千歳に実質的な攻撃を加えていない。
千歳の飛行場を無傷で手に入れるという、日本占領後に向けての特別の意
図があったからである。
 8月15日、第二基地の滑走路2500x75㍍が完成を見ている。そして
慌ただしく占領軍が訪れる。8月16日4発大攻「連山」のために建設された第
2基地に南太平洋方面から飛来したB-29重爆撃機が着陸。一時期、道内
におけるB-29用飛行場として使われた。

新千歳市史通史編下巻
1033p
 敗戦後、海軍千歳基地は連合国(米陸軍)に占領されたが、第一基地(千
歳飛行場)のように航空部隊の駐屯もなく、第二基地は敗戦直後にB-29
の離着陸に使われただけであった(その後も米軍は第二基地を予備滑走路
とした)。
 第二基地が本格的に再活用されたのは、朝鮮戦争勃発後の26年5月にオ
クラホマ州兵1万5000人から成る第45歩兵師団がキャンプストロング
を開設してからであった。12月になって45師団が朝鮮に出動した後には、
朝鮮の前線から第1騎兵師団が帰還し駐屯した。
 28年7月に朝鮮で休戦協定が成立、29年7月1日に陸上自衛隊が発足、
8月25日には米陸軍キャンプ千歳第2地区の一部約300万坪が返還され
東千歳駐屯地が開庁した。駐屯地は第二(連山)滑走路西側の誘導路に沿っ
てクォンセット・ハットが建ち並ぶ居住地区(約51万坪)、東側誘導路掩
体地区に周囲9.6㌔に及ぶ弾薬庫(約180万坪)が設けられた。

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現在の第二、第三飛行場跡はご覧の通り、陸自の「東千歳駐屯地」になっています。

木々がうっそうと生い茂り、外から中の様子を伺うことはできませんでした。

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基地敷地内を走る道路。

この道路はかつて第一飛行場と第二、第三飛行場をつなぐ道路のような気がするのですが・・・。


      千歳市・千歳第二、第三飛行場跡地      

・千歳第二飛行場(連山滑走路) データ

設置管理者:海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:北海道千歳市祝梅
座 標:N42°50′07″E141°43′09″
標 高:22m
滑走路:800m→1,300m→2,500m×80m(コンクリート)
方 位:17/35
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

・千歳第三飛行場 データ
種 別:陸上飛行場
所在地:北海道千歳市祝梅
座 標:N42°49′59″E141°43′54″
標 高:31m
滑走路:1,200m×80m(ソイルセメント)
方 位:17/35
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿 革
1935年    水谷農場立地
1937年04月 北海道西部海軍飛行場適地調査の際、水谷農場責任者と接触
1942年11月 この時点で水谷農場は農地を海軍に寄付し、跡地に第二千歳(800m滑走路)があった
1943年08月 14日 第二千歳の平行誘導路造成(1,000mx40m)。9月6日まで。
1944年07月 第二千歳に一式陸攻着陸。この時点で第二は1,300m滑走路になっていたと思われる
       この年に第三千歳(滑走路1,200m)が完成したと思われる
1945年    第二千歳の延長工事(1,300m→2,500m)が始まる
     08月 15日 終戦。第二千歳延長工事終了
     09月 9日、10日の両日将校以下飛来し接収。B29の飛来があった後第二基地は予備滑走路となる
       21日 連山計画が誌上で報じられる
1951年05月  朝鮮戦争勃発後オクラホマ州兵1万5000人がキャンプストロング開設。風紀乱れる
     12月 オクラホマ州兵朝鮮に出動。代わりに朝鮮の前線から帰還した第1騎兵師団駐屯
1953年07月 27日 朝鮮戦争休戦協定成立。これに伴い千歳の米軍基地の縮小、集約が進む
1954年08月 25日 第2基地の施設土地が陸自に移管したことに伴い、東千歳駐屯地開庁
1961年04月 3日 日本航空のダグラスDC-7Cが第二千歳滑走路に着陸
1976年08月 第二、第三飛行場跡地の一部が第6回日本ジャンボリー会場に使用される

関連サイト:
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この記事の資料:
日本海軍航空史
新千歳市史通史編上巻
新千歳市史通史編下巻


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コメント 14

guchi

ムムム
千歳飛行場特集には、こんな偉大な続きがまだあったんですね
第2、第3飛行場跡地・・・確かにはっきりと見えます。
ここも新・新・千歳空港にすれば、世界でも指折りの
巨大空港になるに違いありません.. (・_・;) 需要が..
ところで駐屯地下側東西に走る線はテストコースでしょうか?
by guchi (2010-08-16 08:14) 

sak

国土地理院の見てきました
ほんとに今にも動き出しそうな生き物みたいで
びっくりです(^^;
by sak (2010-08-16 08:28) 

masa

千歳空港、今では北海道の玄関のような空港ですが
かつては小さな空港だったんですね。
by masa (2010-08-16 08:34) 

おろ・おろし

冬の雪がなければ、
ハブ空港として十分な広さと長距離路線だと地の利もあると思うのですが、
いっそのこと、技術を駆使して、
全天候型のドーム飛行場にでも、しちゃえば・・・。
by おろ・おろし (2010-08-16 09:19) 

鹿児島のこういち

海軍のこの第二、第三千歳飛行場をもっとうまく活用したら、アッツ島の玉砕は防げたんじゃないかって思いました。キスカ島は海軍との協力で守備隊の撤退を成功させてますけど、アッツ島は大本営に見捨てられたのですから。
本を読んでいたり、先週、NHKであったアッツ島の特集を見て、戦争の理不尽さ(当時の軍参謀の)に腹立たしさを感じました。
by 鹿児島のこういち (2010-08-16 12:47) 

鹿児島のこういち

演習場は、演習してました?自分が学生の頃、鹿児島の国分陸上自衛隊の牧園演習場に演習以外の日には、車で勝手に入り込んでダートの練習してましたf^_^;演習の日は追い出されましたが、演習がなければ入れたのではぁ~♪
まぁ、不発弾だけきをつければぁ~f^_^;

なんて、無責任なぁf^_^;
by 鹿児島のこういち (2010-08-16 12:53) 

Takashi

今回の写真を見て、新千歳から札幌へ移動するバスから見えた、陸自のコブラを思い出しました^^
この辺が演習場だったのですね。
by Takashi (2010-08-16 12:55) 

miffy

明日からしばらく留守します。
しばらくの間お伺いできませんが戻りましたらまた遊びに来ますね~
by miffy (2010-08-16 17:06) 

まめ助の母

ナスカの地上絵みたいですね
上から見るってやっぱり楽しい♪

演習場につき立入禁止

ってこれ以上ない威嚇っぽい…
by まめ助の母 (2010-08-16 21:39) 

雅

沖縄の米軍基地だと、勝手に入ると銃殺されそうですけど、自衛隊なら怒られるだけで済むんじゃないですか?(笑)
by (2010-08-16 22:52) 

tss

薩摩硫黄島にチャーターで降りた友人の話を投稿したその tss です。ご記憶でしたか! そういえば薩摩硫黄島でもハチと遭遇していらっしゃいましたね、、、。

今回の北海道上陸はフェリーということでしたが、飛行機で行く場合には着陸直前にかなり高い確率で旧千歳滑走路が見えます。本州側からだとたぶん右側席か、機内モニターかが良いように思います。いつもデジタルカメラしか持っていないので写真には撮れないでいるのですが。
by tss (2010-08-17 07:45) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■guchiさん
>世界でも指折りの
仰る通りで、「千歳をハブ空港として整備して世界中からヒコーキを呼び込め!」
というアナリストもいます。
>東西
ちょっと滑走路っぽいですけど車両走行用だそうです。
テストコースとしても使用しているのかもしれませんが、確認できませんでした。

■sakさん
ほんと、ウネウネですよね。
こんになクッキリとたくさん写ってるのは珍しいです^^

■masaさん
今からでは想像できない位の小ささだったんですね~。

■おろ・おろしさん
>ハブ空港
まったく同じことを主張しているアナリストの方がいました。
「千歳はまだその機能を十分に活かしているとはいえない」のだそうです。

■鹿児島のこういちさん
>当時の軍参謀
アッツ、キスカの史実は知らないのでなんとも言えませんが、
この件はまったく同感です。なんであんなに見殺しにして平気なんだろう???
というのが知れば知るほど不思議でなりません。( ̄人 ̄)
>ダートの練習
そんなことしていたのですか!!(☆Д☆)
演習してたかどうかは確認しませんでした。
特に音は聞こえませんでしたが。。。
どこの基地もそんなおおらかなんですかね~^^

■Takashiさん
おお、「コプラ」と見分けがつくのですね。
ここから飛んでたのかもしれないですね。

■miffyさん
気を付けて楽しんできてくださいね~^^

■まめ助の母さん
ウネウネしてますね^^
>威嚇
怖いですよね。
でもそこに入ってしまえるお方が上の方に約一名…。

■雅さん
おお、ここにも大胆なお方がいらっしゃる!
まあ確かに自衛隊なら殺されはしないんでしょうね。

■tssさん
やっぱりそうでしたか。お久しぶりです^^
そうそう、硫黄島ではハチでコワイ思いしてましたね^^;
>飛行機
またまた情報ありがとうございます。
ヒコーキで行く時は右席ですねφ(.. )メモメモ
by とり (2010-08-18 06:52) 

鹿児島のこういち

そうなんですよぉ~(^O^)学生の頃の話しで、今の事ではないんですけどねf^_^;
入口から入ってすぐ、丸い敷地があるんですが、夜は野ウサギがたくさん。ここから演習場を一周のダートをFRの車で練習してました。カウンターやドリフトは、ここで覚えました(^O^)/
夜、演習してると、暗闇の草むらから体中に草などのカモフラージュをした隊員が、わらわらと出て来て、「演習中ですから出ていって下さい。」って言われるんですよ(^O^)

楽しい思い出ですf^_^;
by 鹿児島のこういち (2010-08-18 20:34) 

とり

■鹿児島のこういちさん
>暗闇の草むらから
それはコワイ。
しかしなんともおおらかな話ですね~^^
by とり (2010-08-20 06:21) 

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