般若(柳瀬)飛行場跡地 [├空港]
2011年10月、2023年5月訪問 2023/5更新
撮影年月日1947/11/13(昭22)(USA M644-1 108)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
富山県砺波市にあった「般若(柳瀬)飛行場」。
現地を訪れるまでこの飛行場については「砺波市柳瀬 庄川河川敷にあった」という以外分からず、
地元図書館の町史、村史にも飛行場についての記述は見当たらなかったのですが、
「司令部偵察機と富山」という本があり、ここに飛行場についての記述と、
「米国戦略爆撃調査報告書 18巻 分散平面図」がありました。
先頭のグーグルマップは、この図を基に作図しました。
但しこの図が非常におおまかなもののため、図で大体のアタリをつけ、
上に貼った航空写真で 1,830m×30m の滑走路が無理なく造れそうな場所を探しました。
航空写真の白矢印の辺りから(1,200m位なんですが)真っ直ぐ南下する地割がありました。
しかもこの白矢印の辺りから長さ約300mに渡り、巾50mの滑走路状の地割もあります。
ここから1,830mは特に障害となるものも見当たらないことから、
この地割を基準にして無理やり作図しました。
後述しますが、ここは建設途中で終戦を迎えました。
航空写真に滑走路跡が見当たらないのは仕方ないのかも。
ここに飛行場を建設するに至った経緯について、 「司令部偵察機と富山」の中で次のように説明されていました。
三菱航空機名古屋工場が壊滅し、百式司令部偵察機を製造するため、
1945年1月1日 三菱は富山県射水郡(当時)大門町にある呉羽紡績庄川工場を2年間借用。
百式司令部偵察機の生産部門を当地に移動しました。
近在の福野、井波の各紡績工場と金沢の大和航空機工場、大建産業等を併合して
「北陸ブロック」を形成、これを「第十一製作所」と称しました(大門町の呉羽紡績工場が本社)。
2月11日 百式試運転。数日後各務原飛行場から試験飛行。
その後富山空港で組み立てと試験飛行を行うようになり、
各務原へ貨物輸送するために解体、梱包する手間がなくなったのだそうです。
その後、最終組み立て工場近くに滑走路を建設することになり、
庄川沿いの北般若村で29町歩、柳瀬村で16町歩の良田を潰しました。
こうして「般若(柳瀬)飛行場」が造られることになったのですが、建設途中で終戦を迎えました。
赤マーカー地点。
富山県・般若(柳瀬)飛行場跡地
建設途中で放棄された滑走路は戦後しばらく残っていたのだそうです。また建設跡が残っている地下工場「雄神地下工場」はこの滑走路の南、太田橋を挟んで対岸にあります
般若(柳瀬)飛行場 データ
種 別:陸上飛行場
所在地:富山県砺波市下中条
座 標:N36°39′30″E137°00′00″
標 高:41m
滑走路:1,830m×30m
方 位:18/36
(座標、標高、方位はグーグルアースから)
沿革
1945年01月 1日 三菱、疎開工場「第十一製作所」立ち上げ
02月 11日 百式試運転。数日後各務原飛行場から試験飛行
03月 柳瀬北般若に整備と滑走路を起工することを決定
05月 1日 富山空港で最初の百式の組み立てと試験飛行
08月 15日 飛行場建設途中で終戦。
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この記事の資料:
司令部偵察機と富山
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