大刀洗東飛行場 [├空港]
2011年6月訪問 2020/11更新
撮影年月日1947/11/21(昭22)(USA M664-1 99)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
福岡県朝倉市、大刀洗飛行場の東側に位置する「大刀洗東飛行場」。
戦時中九州内にあった飛行場は、防衛研究所で幾つもの収蔵資料をこれまで見てきましたが、
ココは未だに登場せず、ネットで検索してもまったく出てきません。
この飛行場は大刀洗平和記念館で初めてその存在を知り、説明員さんからいろいろ教えて頂いたのでした。
先頭のグーグルマップは、記念館の床面に貼られた航空写真から作図しました。
おおよそこんな感じではないかと。
「北飛行場」、「大刀洗飛行場」がやられてしまったため、
もう一つ、ということで建設が始まりましたが途中で終戦を迎えました。
男手がなく、細々と造っていたのだそうです。
上に貼った航空写真、一体ドコに滑走路があるのか相当難易度高いですが、
先頭のグーグルマップ同様、一応左上~右下にかけ、滑走路があったはずです。
よーく見ると、なんとなく田畑の地割が消しゴムをかけたように斜めにどんよりしている部分があるような。。。
赤マーカー地点。
滑走路方向にレンズを向けたつもり。
大刀洗飛行場の真東、約8kmに位置しています。
建設途中だったせいか、滑走路跡を示す地割はないようです。
説明版でもないかしらん。と思って走り回ったのですが、発見できませんでした。
福岡県・大刀洗東飛行場跡地
大刀洗東飛行場 データ設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:福岡県朝倉市三奈木
座 標:N33°24′16″E130°42′36″
標 高:42m
滑走路:1,500mx80m?
方 位:11/29
(座標、標高、滑走路長、方位はグーグルアースから)
沿革
北飛行場、大刀洗飛行場の空爆を受けて着工
建設途中で終戦。
関連サイト:
ブログ内関連記事■
>男手がなく細々と…
当時の大変さを知る由もありませんが…
ただただ今の恵まれた環境に感謝したいです。
やはりこういう事実を埋もれさしてはいけないですね
by まめ助の母 (2011-11-16 07:41)
もしかして、同じ頃にこのへんうろちょろしてたのかもw
どこかですれ違ってたりしたら、笑えますね^^;
by koume (2011-11-16 22:34)
皆様 コメント、nice! ありがとうございます。
■まめ助の母さん
同感です。
積極的に目を向けたくなるようなことではないのですが、
決して忘れてはいけないことだと思います。
■koumeさん
おお、マジですか!
お互い傘さしてて気が付かなかったりして^^
by とり (2011-11-17 06:01)
男手がなくてって、それじゃ完成した時には誰が運用するつもりだったんでしょうね?(^^ゞ大刀洗も北もやられたのなら、そこに残った男手はいたはずですからね。女、子供だけに任せず、やられた分を自分達でやり返そうと気概がなかったのか?飛行機に乗って特攻するだけが男と思っていたのか?飛行場を造ってしまうと、また特攻をせねばならないって半ば放棄したのか?当時の方々に話しを聞けないのが辛いですね。
写真拡大してみると、これじゃないのかなって思われる場所が(^^ゞでもそれだと、とりさんの地図に描かれた飛行場と向きが反対になるんですよ(^^ゞ
国道386号線に平行で県道509号線に垂直じゃないですか、僕が見た感じでは国道に斜めに向かっているように見えた(かも)です(^O^)
by 鹿児島のこういち (2011-11-17 13:22)
■鹿児島のこういちさん
>乗って特攻するだけが男と思っていたのか?
ん~。オイラはそこまで考えが回りませんでした。
言われてみれば確かにそんな気もします。
実際のところはどうだったのでしょう。
滑走路位置の作図についてですが、オイラが参考にする資料は、書籍、ネット情報、航空写真、現地の碑のいずれかです。
一つの滑走路について、複数の資料がある場合、注意深く比較すると、微妙にズレていて矛盾が生じていることがしばしばあります。
その場合オイラが最優先するのは航空写真です。ところが今回オイラは航空写真で滑走路を探すことができず、
記念館の資料を全面的に丸写しして作図しました。地図を持って行って、慎重に書き写しましたので、
記念館の資料はほぼ正確にトレースできているはずなのですが、その記念館の作図がズレている可能性はあるかもしれません。
後で鹿児島のこういちさんのコメントを念頭に再度よく写真を見てみます。
by とり (2011-11-18 05:45)