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潮岬(イサデ)飛行場跡地 [├空港]

   2011年10月訪問 2022/1更新  


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(昭和9年5月撮影)高度250米 方位N 距離1,500米
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1934年(昭和9年)10月調査資料添付地図 Translation No. 31, 12 March 1945, Airways data: Kinki Chiho (A). Report No. 3-d(29), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載。上2枚とも)

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撮影年月日 1947/08/16(昭22)(USA M413 15)     
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

和歌山県の南端潮岬にあった「潮岬(イサデ)飛行場」。

2011年6月12日にアップした「串本水上機基地跡地」という記事(下記リンク参照)の中で、

「1933年(昭和8年)8月11日付の大阪朝日新聞に『潮岬の海軍のかなり小さな飛行場がある』という記事がありました。」

と書いたのですが、どう調べてもそれ以上のことは分かりませんでした。

その後ひめひじきさんから、この「小さな飛行場」とは、和歌山県‎東牟婁郡‎串本町の「イサデ飛行場」

だということと場所を教えて頂き、今回お邪魔することができました。

ひめひじきさん どうもありがとうございましたm(_ _)m

■防衛研究所収蔵資料「航空路資料 第5 昭10-4 近畿地方不時著陸場」に地図があり、

先頭のグーグルマップは、この地図と上に貼った航空写真から作図しました。

地図の北西部分、航空写真と大きく異なっており、特にこの部分は本当に目見当です。

ご了承くださいませ。

赤丸は、水路部の地図に記載のあった着陸地点、青丸は離陸開始地点です。

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 大阪警備府航空基地現状表」

の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:潮岬 
建設ノ年:1933 
飛行場 長x幅 米:292.907㎡ 
主要機隊数:小型 
主任務:着陸場 
掩体: 
其ノ他記事:不時着程度ニ使用
 

■防衛研究所収蔵資料「5航空関係-航空基地-90 航空基地図(本土関係)」の中も当飛行場の図がありました。

ここで示されている飛行場の図は、前述の「航空路資料 第5 昭10-4 近畿地方不時著陸場」の図とはかなり異なっており、

北東~南西方向の滑走路(500mx70m)と、西北西~東南東方向の滑走路(550mx70~130m)がL字形になっています。

西北西~東南東方向の滑走路は凸凹して複雑な形をしています。

先頭のグーグルマップに作図した方の図は昭和10年のものなので、

恐らく後に後者の資料の飛行場に変化したのだと思うのですが。。。

D20_0083.jpg

現地にお邪魔した際、できるだけ飛行場っぽい場所を。ということで撮った「潮岬中学校」。


      和歌山県・潮岬(イサデ)飛行場跡地      

潮岬(イサデ)飛行場 データ

設置管理者:旧海軍
種 別:陸上飛行場
所在地:和歌山県‎東牟婁郡‎串本町‎潮岬‎
座 標:N33°26′56″E135°45′13″
標 高:54m
面 積:0.029ha
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1933年 建設
1945年 終戦

関連サイト:
和歌山大学/紀伊潮岬 イサデ芝飛行場(2020/12閲覧できず)   
ブログ内関連記事    

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「航空路資料 第5 昭10-4 近畿地方不時著陸場」
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 大阪警備府航空基地現状表」
防衛研究所収蔵資料「航空関係-航空基地-90 航空基地図(本土関係)」


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コメント 6

tooshiba

情報が頂けるとは、凄いですね!良かったですね。(^o^)
by tooshiba (2012-03-16 12:33) 

鹿児島のこういち

この潮岬中学校のそばに、イサデ飛行場はあったんですよね(^^ゞ
ところで被弾痕のある燃料庫はありましたか?
by 鹿児島のこういち (2012-03-16 17:34) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■tooshibaさん
ありがとうございます。おかげで1つ見つけることができました。

■鹿児島のこういちさん
写真を見る限り、潮岬中学校を含め、この周辺が飛行場敷地だったと思います。
被弾痕のある燃料庫は少し探したのですが残念ながら見つかりませんでした。
by とり (2012-03-17 05:59) 

フミオアサミ

父親が予科練終了後に潮岬に配属されたようです、
ゲタばき飛行要員だったと言っていた記憶があります。

by フミオアサミ (2019-09-29 01:40) 

フミオアサミ

飛行機は原地組み立ての様で、
モノにならない物が多かったと、
親父達が丹波市から此処へくるのに鉄道の乗せられ来たが、
昼間は動かず、何日もかかって来たと聞いた。
着いてたら、全員整列の上、
上官?から特攻要員への志願をする者一歩前にと。
遅れた人達は、精神の入れ替えががあったそうです。
ゲタばき飛行機要員だが飛行はなく、
組み立て不可、穴位置が合わないとかで。
乗る飛行機も無く、
敵機への機銃掃射が任務様な状況だったと聞いています。
終戦の玉音放送の翌日は、
基地の防空壕?倉庫は扉が開けっ放しで上官は居ない状態だった、
親父は北海道の田舎育ちで軍でも食事に困る事は無かった、
所謂世間知らずで何故上官が倉庫の物資を持って居なくなったのか?
帰郷の途中まで分からないかったようです。

by フミオアサミ (2019-09-29 02:15) 

とり

■フミオアサミさん
当時を知る貴重なお話をありがとうございました。
当飛行場は陸上機用のもので、
ここから北東約3kmに海軍の「串本水上機基地」がありました。
お父様はもしかすると、こちらの基地かもしれません。
https://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/kushimoto-airbase
by とり (2019-09-29 07:11) 

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